ギレアデの宣教者たち ― 著しく異なっている!
エホバの証人は異なっています! 昨年の9月11日,日曜日に開かれたものみの塔ギレアデ聖書学校の75期生の卒業式ではこの点が繰り返し強調されました。2,023名の聴衆は,卒業する宣教者たちにエホバ神の忠節な代表者としての比類のない立場を保ち続けるよう,話し手たちが各々強く勧めるのに注意深く耳を傾けました。
司会者のカール・F・クラインは,その開会の言葉の中でエホバの証人が本当に異なっていることをはっきりと示しました。「イエスが言われたような仕方で宣教者を送り出している宗教組織は,米国内にごくわずかしかありません」と,述べました。(マタイ 28:19,20)そして宣教者を送り出すごく少数の宗教組織も,宣教者たちを世俗的,経済的,および社会的な問題に没頭させるのが普通であり,そうでなければそれらの宣教者たちは政治的な活動家や医療を行なう宣教師になる,とクラインは語りました。「伝道するごく少数の宣教師たちも,エホバのみ名の重要性や王国の良いたよりについて何も言うことがありません」と言い,さらに,「しかし,エホバの証人すべてが神の王国を宣べ伝えるよう教えられていることに疑問の余地はありません。そしてギレアデ宣教者学校では特にそのことが教えられています」と述べました。
やはりエホバの証人の統治体の成員であるL・A・スウィングルは,そのクラスの学生たちが,特に霊的な意味において,いかに美しいかを指摘しました。スウィングル兄弟は学生たちに,「私たちの目に,そしてエホバの目に,あなた方は証人たちの美しいグループです。ここでの課程を終えて,地の遠い果てへ行く割り当てを受け入れているからです」と語りました。
学生たちはまた,教訓者たちから別れの助言を受けました。イザヤ 49章2節でイザヤが自らを磨かれた矢になぞらえている点に注目し,U・V・グラスは,学生たちがふさわしい訓練と備えを受けたので,戦士である王イエス・キリストのみ手にあって,恐れを起こさせる武器になり得ることを思い起こさせました。教訓者のJ・レッドフォードはそのクラスの学生に対して,「あなた方が遣わされてゆく国々において山のような証しをすることによって,あなた方の良い名,つまりギレアデ卒業生という名にふさわしく生きてください」と勧めました。
統治体の成員C・W・バーバーは学生たちに,自分たちの割り当てを真剣に受け止める必要性を銘記させました。話し手のR・ウィーロックは,イエス・キリストの模範に従う点でこれまでの宣教者たちの残した成功を指摘しました。
やはり統治体の成員であるL・K・グリーンリースは,エホバに仕える決意をした古代のギベオン人たちに卒業生たちをなぞらえて,こう助言しました。『それらのギベオン人のようになることを決意してください。自分の割り当てを大切にし,その割り当てに細心の注意を払うのです』。
午前中のプログラムの最高潮は,ものみの塔協会の会長で,ギレアデ学校の校長でもあるF・W・フランズの話でした。「輝くべき時」という主題で話したフランズは,学生たちが証言の分野で開拓奉仕者として既に輝いてきたことを指摘しました。そして,「ギレアデでの訓練によって,学生たちはこれまでのどの時期よりもよりよい備えができ,出かけて行って光を輝かせ,神がものみの塔ギレアデ聖書学校という形で用いておられる機関がいかに強力なものかを示せるのです」と言いました。次いで学生たちに卒業証書が渡され,心からの拍手が送られました。
午後のプログラムは学生たちを中心としたものでした。「ものみの塔」研究の質問に答えた後,学生たちは「全地でエホバに賛美を歌いなさい」という主題の音楽のプログラムを行ないました。過去100年間にエホバの証人が用いた音楽の歴史を要約したそのプログラムは,用いられた旋律や歌詞の点でも彼らがいかに世とは異なっていたかを示しました。
プログラムは,学生たちが聖書に基づく劇を上演して終了しました。この特別な仕方でエホバに用いていただけるという喜びに満たされ,エホバの祝福が彼らの上にあるようにという請願と感謝の祈りとをもって,38人の学生たちは出発しました。学生たちは派遣される17の国に出かけて行くことを熱望していました。