読者からの質問
イエスにバプテスマを施したヨハネを「バプテストのヨハネ」と呼ぶべきですか,それとも「バプテスマを施す人ヨハネ」と呼ぶべきですか。
どちらも正しい呼び方であり,聖書に基づいています。
ヨハネは「準備のできた民をエホバのみまえに整える」ことになっていました。そして,「罪の許しのための悔い改めの象徴としてのバプテスマを宣べ伝え」ることによってそうしました。(ルカ 1:17; 3:3)使徒マタイはこう書いています。「バプテストのヨハネがユダヤの荒野に伝道に来て,こう言った。『悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです』。……その時,エルサレムと全ユダヤ……の人々が彼のところに出て来た。そして人々は,自分の罪をあらわに告白しつつ,ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた」― マタイ 3:1-6。
マタイがヨハネを「バプテスト」と呼んでいることに注目してください。明らかにユダヤ人のために記述を適応させていたマタイは,「バプテスト」と言えばどんな人のことかがユダヤ人には分かると考えたに違いありません。マタイは「バプテスト」を一種の別名として用いています。イエスと弟子たちは,ヘロデの僕たちと同様,「バプテストのヨハネ」という表現を用いました。a ―マタイ 11:11,12; 14:2; 16:14。
弟子マルコも,「バプテスト」という表現が同様に使われていたことを伝えています。(マルコ 6:25; 8:28)しかしマルコは,ヨハネを紹介するとき,「バプテスマを施す人ヨハネ」と呼びました。(マルコ 1:4)マルコ 1章4節で使われているギリシャ語は,そのほかの節のギリシャ語とは少し異なっています。マルコ 1章4節は,「バプテスマを施している者」とも訳せるかもしれません。マルコはヨハネが何を行なっていたかを強調していました。ヨハネはバプテスマを施していた,つまりバプテスマを施す人でした。
しかし,ヨハネの二つの呼び方に違いがあると考える必要はないようです。マルコ 6章24節と25節にはサロメについてこう記されています。「彼女は出て行って,自分の母に言った,『わたしは何を求めたらいいでしょうか』。母は,『バプテスマを施す者ヨハネの首を』と言った。娘はすぐ,急いで入って王のもとに行き,『バプテストのヨハネの首を大皿に載せて今すぐわたしにお与えくださいますように』と,自分の願いを申し出た」。二つの呼び方は区別されることなく用いられていました。
ある人々は,「バプテスト」とは,辞書に出てくる2番目の定義,つまり「信者のみの浸礼によるバプテスマと会衆組織を特徴とする福音宣明派のプロテスタント教派の一員または信奉者」のことだと考えているかもしれません。ヨハネがその一員でなかったことは確かです。
したがって,「バプテストのヨハネ」と「バプテスマを施す人ヨハネ」は,どちらも正しく,ふさわしい呼び方です。
[脚注]
a ユダヤ人の歴史家フラビウス・ヨセフスは,「別名をバプテストというヨハネ」と書いています。