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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1996
塔96 3/15 7ページ

最大の友に支えられる

エホバの証人には,特別の支えとなっている友情があります。それは証人たちの最大の友であるエホバ神との貴重な関係です。(ヤコブ 2:23と比較してください。)エホバは,彼らが信仰の大きな試練に遭うとき彼らを支えられます。

全体主義政権の下でのエホバの証人の神に対する忠誠の記録は,それを観察した多くの人から称賛されました。哲学博士であり自然科学の博士でもあるイルジー・クルピチュカも,証人たちの忠誠を観察した男性の一人です。この人は,共産主義者の強制収容所で多年を過ごした後,1968年にチェコスロバキアから移住した人です。その著書「レネサーンス・ロズーム」(「知性のルネサンス」)の中でこの人は,中立の立場をとったがゆえに投獄されていた証人たちの苦しみと,その揺るぎない態度について述べています。

共産主義政府のもとで,エホバの証人たちは多数,その信仰ゆえに拘禁刑を宣告されました。投獄されても,彼らは戦争目的のウラン採掘作業を拒否しました。(イザヤ 2:4)クルピチュカは,1952年にそれらの鉱山の一つで目撃した,ある場面を描写しています。彼は,二人の人が厳しい冬の天候の中で凍りついた彫像のように立っているのを見ました。二人とも頭から上半身にかけて金属製の樽をかぶせられていました。

クルピチュカは次のように書いています。「二人はぼろぼろの囚人服のまま早朝からずっと屋外のそこに立っていたのだ。凍える足でどうしてそんなに長時間立っていられたのだろう。信仰の力としか言いようがない。それらの樽は古く,さびだらけだった。残酷な手によって彼らの頭から肩へ無理に押しかぶせられたと見えて,片方の男性の場合は,樽のぎざぎざの縁が上着を突き通って皮膚に食い込み,そでから血が滴り落ちていた。

「看守は我々の縦隊を彼らの正面で止め,指揮官が我々に短い訓示をした。作業を拒むことは反逆であり,相応に処罰される,と指揮官は言った。これらの拒否者らが,社会主義の敵どもが,戦争や殺人についてどのような感傷的たわ言を述べようと,それはこやつらにとって何の助けにもなりはしない」。

指揮官は金属の棒を取り上げ,樽の一つを打ちました。樽をかぶせられていたその人は,樽をかぶったままくずおれました。そのあとに起きた事は,クルピチュカの脳裏に深く刻み込まれました。

彼はこう述べています。「その二つのドラム缶の内側から歌声が聞こえてきた。その低く静かな声は,神へのささやくような祈りであった。神はどこからのどんな声でも ― ウランを入れる古びた,さびだらけの樽をかぶったまま歌おうとする歌声でさえ ― 聞くことができるのだ。神にとってそれは,大聖堂の中で歌われる賛美歌より大きな歌声なのだ」。

1993年9月1日,チェコ共和国のエホバの証人の業は公式に認可されました。チェコのエホバの証人は今,クリスチャンとしての教育活動を自由に行なうことができ,歓喜しています。そうです,他の人々に自分たちの最大の友であるエホバについて語れることを非常にうれしく思っているのです。

[7ページの図版]

チェコ共和国での大会に出席した人々

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