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  • 神に近づくことはわたしにとって良いことです
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2015
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2015
塔15 10/15 28–29ページ
三輪スクーターに乗って女性と小さな女の子に証言するサラ・マイガ

神に近づくことはわたしにとって良いことです

わたしは9歳の時,成長が止まってしまいました。34年前,コートジボワールにいたころのことです。今もわたしの身長は1㍍ほどしかありません。この症状が分かった時,両親はわたしに,一生懸命働けば容姿のことばかり考えないで済むと言ってくれました。わたしは家の前に屋台を置いて,果物をいつもきれいに並べるようにしました。たくさんのお客さんが来てくれました。

もちろん,一生懸命働けばそれですべて解決というわけではありません。背は低いままでしたし,日常生活の何でもないことがわたしには大変でした。例えば,買い物に行くと,売り場のカウンターは高すぎました。あらゆる物がわたしの身長の2倍くらいの人のために作られているように思えました。みじめな気持ちになることがよくありました。でも,14歳の時に変化が訪れました。

ある日,2人のエホバの証人の女性が果物を買いに来ました。2人は聖書を教えてくれるようになりました。やがて,エホバとその目的は自分の体のことより大切だということを知り,力がわいてきました。わたしは詩編 73編28節が好きになりました。その最初の部分にはこうあります。「神に近づくことは良いことなのです」。

その後急に,家族でブルキナファソに引っ越すことになりました。わたしの生活は大きく変わりました。コートジボワールでは,いつも果物の屋台のそばにいる子どもとして知られていましたが,引っ越し先では知り合いもおらず,多くの人から奇異なものを見るような目で見られました。わたしはそれに耐えきれず,何週間も家に引きこもってしまうことがありました。そのような時,エホバに近づくことがどれほど良かったかを思い出しました。それで,エホバの証人の支部事務所に手紙を書きました。その後,わたしにぴったりの人が来てくれました。スクーターに乗った宣教者のナニです。

1. クリスチャンの姉妹とサラ。2. 会衆で実演をしているサラ

家のそばの道は砂が多くて滑りやすく,雨期になるとぬかるみました。ナニはスクーターで研究に来る時,何度も転びましたが,くじけませんでした。やがて,ナニから集会に誘われました。集会に行くには,家から出て人々の視線に耐えなければなりません。それに,わたしがスクーターの後ろに乗ると,重さが加わってハンドル操作はもっと難しくなります。でも,行くことにしました。わたしの好きな聖句の続きはこう述べているからです。「主権者なる主エホバのもとに,わたしは自分の避難所を置きました」。

ナニとわたしはぬかるんだ道で転倒し,泥だらけになることもありましたが,それでも集会に行くことには価値がありました。集会に行くと,みんなが愛情深くほほえんでくれました。王国会館の外で受ける視線とは大違いでした。9か月後,わたしはバプテスマを受けました。

わたしの好きな聖句の最後の部分にはこうあります。「あなたのすべてのみ業を告げ知らせるためです」。わたしにとって一番大きな壁になるのは野外奉仕だと思っていました。初めて家から家の奉仕に行った時のことを今でも覚えています。大人も子どももわたしをじっと見ては,あとに付いて来て,わたしの歩き方をまねしました。本当に傷つきました。でも,「あの人たちもわたしと同じようにパラダイスを必要としているんだ」と自分に言い聞かせて頑張りました。

もっと自由に動き回れるようにするため,手でこげる三輪自転車を手に入れました。奉仕のパートナーは,わたしの乗った三輪自転車を押して坂の上まで来ると,三輪自転車に飛び乗り,一緒に坂を下りました。最初のうち奉仕は大変でしたが,やがて大きな喜びに変わり,1998年には正規開拓者になりました。

わたしはたくさんの人と聖書を研究し,そのうち4人がバプテスマを受けました。それに妹もエホバの証人になりました。励ましが必要な時に,他の人が進歩していることを聞いて元気づけられることもよくありました。例えば,マラリアにかかっていた時,コートジボワールから手紙を受け取りました。そこにはブルキナファソで会った大学生の男性について書いてありました。玄関先で研究が始まり,兄弟に引き継いだのですが,その後,その人はコートジボワールに引っ越しました。その人は伝道者になり,バプテスマに向けて進歩していたのです。

石けんを作っているサラ

わたしは幾らかの仕事もしています。身体障害者を支援する団体が縫製を学べるようにしてくれましたが,ある先生がわたしの仕事ぶりを見て,「石けん作りを教えましょう」と言ってくださいました。それで,わたしはその仕事を教わり,自宅で家庭用の石けんや洗濯石けんを作っています。みんなわたしの石けんを気に入って,他の人にも勧めてくれます。三輪スクーターに乗って,自分で石けんの配達もしています。

残念ですが,2004年,脊柱の変形による痛みがひどくなり,開拓奉仕を中止せざるを得なくなりました。それでも,宣教にできる限り参加しています。

みんなはよく「あなたの笑顔を見ると自分も笑顔になれる」と言ってくれます。わたしはとても幸せです。神に近づくのは良いことだからです。―サラ・マイガの語った経験。

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