「楽園 ― 神権政治」の本からあらかじめ得られる考察力
9月と10月の間,神権宣教学校で学んだ事がらを,ふり返って考えてみてください。あなたは,ハガイ書およびゼカリヤ書を読んで益を受けましたが,聖書中のそれらふたつの本に関するわたしたちの質問全部には答えを得ることができなかったのではないでしょうか。それで,「神の支配権」大会で,「人類のために回復される楽園 ― それは神権政治によるもの!」と題する新しい書籍が得られたのはたいへんうれしいことでした。英語版ではありましたが多くの人は,この新しい本を入手して喜びました。
ところで,その本の内容に関してさらに知識を得,またハガイ書やゼカリヤ書の音信が,わたしたちにどのように関係しているかを洞察するのは無益だと言える人はいないでしょう。実は,間もなくわたしたちは,そうした知識と理解をうることができるのです。というのは,「人類のために回復される楽園 ― それは神権政治によるもの!」(英文)という本に基づく,7回にわたる一連の特別な公開講演が計画されているからです。それらの講演は,本の内容全体を順番に取り上げてゆきますから,わたしたちは,短期間でその本の内容を知ることができます。この一連の講演は,わたしたちにも,また集会に出席する新しい人びとにも益となるでしょう。
あなたも貢献できる
これらの講演は,できるだけ会衆の長老たちによって,あるいは,もし取り決めができれば,近くの会衆から招待した長老たちによって,王国会館で行なわれます。たとえあなたが長老でなくても,この特別な計画全体を成功させるため,あなたも個人的に,貴重な貢献をすることができます。どのようにですか。
そのひとつとして,あなたは,会衆で一連の講演のはっきりした日付が発表されたら,研究している人たちや,そのほか関心のある人たちを招待し始めることができます。そのすぐれた資料をひとつでも,聞きのがすことのないようそれらの人びとを励ましてください。これが,あなたにできる事がらの一つです。
もう一つは,あなたの準備と関係があります。それぞれの講演は,ハガイ書またゼカリヤ書のいくつかの章を取り上げます。その公開集会の行なわれる前の週の間に,取り上げられる聖書の章をできるだけ読むようにしてください。もし英語がわかれば,その新しい本の,該当する章を読むようにしてください。そうすれば,あなたはそれらの講演からいっそう大きな益を受けられるでしょう。
司会者が,週ごとに翌週の講演の主題を発表するさい,聖書のどの章が取り上げられるか,またその新しい本のどの章が関係しているかを告げるのは有益なことです。それは,準備によって貢献することを,わたしたちに思い起こさせてくれるでしょう。
講演はいつ行なわれるか
わたしたちすべては,その新しい資料に深い関心を持っています。それで,できるだけ早く行なうのがいちばんよいでしょう。
たいていの会衆は,これら7つの講演を1月と2月に取り決めることができるはずです。それは良い取り決めであり,みなさんがそうするようお勧めします。しかし,もし公開講演がすでに取り決められていて,もし年長者たちが,その取り決めを実行するほうがよいように考えるなら,これらの特別講演を,そのあとに計画するようお勧めします。もしその期間中,会衆に,巡回の監督の訪問や巡回大会の予定があれば,その前後に,7回の講演の予定を立てることができます。そのようにすれば,会衆はやはり,これらの取り決めのすべてから十分の益を得るでしょう。会衆で詳細な取り決めができたなら,ビラを注文し,いつそれらの講演が行なわれるかを発表して,会衆に知らせなければなりません。
講演者に関する取り決め
資料をどのように発展させどのように話すかに関して,いくつかの提案を与えているとはいっても,講演を準備するには時間と努力が要求されます。もし会衆に十分の数の長老がいれば,だれにも負担がかかり過ぎることはなく,問題はないかもしれません。しかし,そうでない場合はどうしますか。
そのような場合,もし会衆の長老たちが望むなら,近隣の会衆と連絡をとることができます。おそらく,2,3の会衆が講演者を互いに派遣し合うという取り決めを設けることができるかもしれません。もちろんその場合,他の会衆につかわされる講演者はすべて長老であるべきです。たとえばこうすることができます: 一連の講演の最初の講演を扱う兄弟は,A会衆でそれを話します。翌週,その兄弟はB会衆(A会衆よりも1週おくれて講演の計画を立てている会衆)でその話をします。そして,第3週目にはC会衆で話すといったぐあいです。2番目の講演を準備する兄弟は,最初の講演の次の週からそれぞれ3つの会衆で順番に話をします。あとの講演も同じぐあいに行なえます。そうすれば,ひとりの兄弟がこれらの講演の一つ以上を準備する必要はないかもしれません。しかも,一つ以上の会衆がその兄弟の準備したものから益を受けます。また,このようにして各会衆が,講演をその正しい順序に従って聞くことになります。
講演の準備
次に掲げる筋書からもわかるように,それぞれの講演はその本の2ないし4章という相当多くの資料を網羅します。それでもしあなたが,講演の1つを話すのであれば,「楽園 ― 神権政治」の本の割り当てられた部分のすぐれた点すべてを取り上げることはとてもできないでしょう。もし英語がわからなければ,その本はほとんど活用できないかもしれません。しかし,そのことで落担しないでください。講演の主題を発展させるにさいし,あなたはその本の中に参照または引用されている聖句を用いることができます。また,たとえその本を理解することがむずかしいとわかっても,次の筋書を用いるだけでも,すぐれた話を発展させることができるはずです。また,あなたの講演で取り上げられる聖書のある部分内の節を全部読んで説明することもむずかしいでしょう。しかし,聴衆に,あなたの講演を通して,いっそう深い意味や資料の適用の仕方はもとより,大要を理解してもらうには,資料を選択する必要があります。
話の筋書は助けになるでしょう。どの講演を話すかがわかったら,どんな方向に話を進めて行くべきかをしっかり記憶するため,筋書を何回も読みます。次にあなたが取り上げる聖書の特定の部分を読み,それから,できる範囲内でその本の割り当てられている章を注意深く検討してください。
あなたは,わたしたちが選ばれた本の節と聖句に重点を置いていることにお気づきでしょう。本の選ばれた節の前後の資料は,背景を理解するのに役だちます。しかし,講演の中では,筋書の中で強調されている節だけを扱うようお勧めします。節の中に参照されている聖句は読むようにしてください。主題を銘記しておいてください。これは挑戦となるでしょう。しかしあなたが成功すれば,聴衆はそれだけ多くの益を受けられるのです。本の割り当てられている章以外の節を参照するよう講演者に勧めたいところは2箇所あります。これは,ハガイ書とゼカリヤ書の中で扱われている歴史的状況に関して短い注解ができるようにするためです。しかし,その注解はごく短くすべきです。なぜなら,一連の講演の他の講演がそのことをもっと広範囲に扱うからです。それは,扱う資料の背景を示せるようにするため,つけ加えられているにすぎません。
時おり聴衆の中の資格ある人に,聖句を読んでもらうよう取り決めるのもよいでしょう。また,講演中,適当なところで,黒板を使ったり,いくつかの質問をして復習をしたりすることが,聴衆に資料を銘記させるのに助けとなるかどうかを考慮してください。
会衆の兄弟たちはあなたの講演を楽しみに待っています。あなたの注意深く,行きとどいた準備によって,その講演は,祝福になるものと,わたしたちは確信しています。
1. 楽園は回復される ― どのようにして?
(「人類の…楽園」1-3章; ハガイ 1:1-15)
わたしたちは楽園の回復を待ち望むべき正当な理由を持っている。(1章; 15分)楽園が望ましいものであることは否定できない; 生態学および環境汚染に関する憂慮の背後にある基本的な考えである。単なる空しい夢ではない。その希望を持ちうる正当な理由の一つは,イエスが,かつて地に楽園が存在したことを確証されたことである。(4-7,11節)創世記 2:7-10,14の正確さを証明する。(聖書から読むか,12節を読む)ユダヤ人が後日,捕囚として過ごしたところと大体同じ地域。(13節)イエスはまた,楽園の回復を約束された。(16,17節; イエスがどのように,悪人「とともに…在る」かを説明する。)また,楽園は神の目的でもあるゆえに,希望は妥当なもの。(21-23節)人間がその中にとどまる権利を失ったのちに,神は最初の楽園を取り除かれたが,楽園の状態を再び作り出すご自分の力を預言的に例証された。(31節; イザヤ 35:1,2,5-7,10)このように歴史は,人間の工業技術ではなく,神の祝福が主要な要因であることを証明する。
捕囚からもどったユダヤ人の例からすれば,楽園を享受できるかどうかは,真の崇拝を第一にするかどうかに依存していることがわかる。(2章; 20分)神は天候をさえ制御されるので,神の祝福が必要である。神の祝福を得るには真の崇拝に当然の注意を払うべきである。もどったユダヤ人の例からこのことがわかる。(3-6節)彼らは,神殿を再建するためにもどってきたが,その工事をやめた。(ハガイ 1:1,2; 15-19節)そのかわりに,彼ら自身の物質的な関心事を行なっていた。しかし,繁栄して,楽園の状態を享受するどころか,彼らは貧しくなった。(ハガイ 1:3-6)問題は,彼らが真の崇拝を第一にしないことにあった; 結果として,彼らは神の祝福を受けなかった。(24-26節)楽園の回復を待ち望むわたしたちにとって,忠告を与える例としなければならない。
支配者としての神に従う人びとのために,神は確かに楽園を回復される。(3章; 20分)祝福のない状態を逆転させるためには,正しい行動が必要であることを神は強調された。(ハガイ 1:7; 8-11節の要旨)容易ではない; それはあなたに対して権威あるいは影響力を持つ人 ― 夫,両親,雇い主,学校当局者,政府 ― の中のだれかの意向に反するかもしれない。ユダヤ人は同じような状態にあった。(4節)それでも彼らは,支配者としての神に従った。(ハガイ 1:12-14; 14-17節)神に望みを置いて楽園の回復を待つクリスチャンにも同じことが要求される。わたしたちは現代,霊的「神のイスラエル」に,それと同様のことを見る。(20-23節)油そそがれた者の公の証言は,あたかも霊的バビロンに捕えられたかのごとく,1918年に停止した。1919年に,彼らは正しい霊的地位を再び占めた。(27節)文書の発禁にもかかわらず,神に従い,霊的な神殿を最重要なものとすることが必要であった。彼らは,大いなるゼルバベル,そして大祭司ヨシュアによって予表された方の指導と奉仕を得て,それに答え応じた。(30,34,35節)わたしたちも,支配者としての神に従い,神にたよらねばならない。人間は楽園を回復しないが,神はそのことをなさる。真の崇拝に注意を払うなら,その楽園を確かに享受することができる。
2. 諸国民が揺り動かされるとき,神の神殿は存続する
(「人類の…楽園」4-7章; ハガイ 2:1-23; ゼカリヤ 1:1-6)
諸国民は揺り動かされて滅びるが,わたしたちは希望をいだくことができる。(4章; 20分)多くの人は,人類の将来に望みを失っている; 邪悪な体制が終結する真の理由 ― 神の不興 ― を見すごす。(詩 127:1)ユダヤ人の場合に例証されたように,神が是認し,祝福するものはとどまる。(短く: 「人類の…楽園」246ページ,18節)勇気を出す理由があった; 神は援護しておられた。(ハガイ 2:4,5; 8,9節)その神殿を完成させ,落成させることになる。(ハガイ 2:6,7; 12,13節)シナイ山と幕屋を思い出させるものであった。(出エ 19:16-19の要旨; 18-20節)ハガイ書 2:6の,規模のより大きい,そしてより重要な成就は,王国と神の霊的な神殿とに関連がある。(ヘブル 12:25-28; 27,33-38節)邪悪な霊的天は,1914年以後に震われた; しかし,これから滅ぼされる。(42-44節; 黙示 20:11)不敬虔な人間社会は通告されることにより,最初に震われた。震われることは,最終的には滅びを意味する。(45,46,48,50,52節)しかし,わたしたちは希望を持つことができる。なぜなら,王国と神の霊的な神殿はそのまま残るからである。
滅びずに残る神殿での崇拝に今加わるように。(5章; 10分)諸国民を震って滅ぼす前に,「願ふところのもの」がはいってくる。(ハガイ 2:7; 4,5節)イザヤ書 2:2-4を成就する; 霊的イスラエル人ではなく,「諸国民」。(8,10,11節)「その神殿で」崇拝する。(黙示 7:9,15前半)イスラエル人の祭司たちが仕えた中庭ではなく,異邦人の中庭において(15節)神は彼らを保護される。(黙示 7:15後半; 16,17節)ゼルバベルの神殿は,ソロモンの神殿よりさらに栄光に輝いていた。しかし,両方とも栄光に輝く霊的神殿を予表しており,その至聖所は天における神のおられる場所である。(ハガイ 2:9; ヘブル 9:23,24; 23-26節)イエスは,霊的子として地上におられた間,この神殿の聖所において,そして祭司たちの中庭において仕えた。よみがえらされて至聖所にはいられた。(27,28節)地上の油そそがれた者も,聖所と祭司のための中庭で仕える。(30節)彼らと「他の羊」の両方は,今,霊的な神殿で平和を享受している。(37節)それとともに生き残る。
神は,恐れることのない,真心のこもった崇拝を求められる。(6章; 10分)神はまた,ユダヤ人を強めるため,ゼカリヤを起こされた。(2節)神殿の建築においてぐずぐずしていたのかもしれない;「帰(る)」よう促された。神の恵みを十分に受けるため,恐れることなく,真心をこめることが必要であった。(ゼカリヤ 1:3,4; 9-12節)現代の場合においても同様。(17節)1919年以後,恐れることなく,また真心をこめて働くために,『もどった』; 神は恵みをもって彼らに『帰(られ)た』。(32,33節)きたるべき「震い」を生き残ることを望むすべての人は,恐れることのない,真心のこもった崇拝を行なわねばならない。
清い崇拝を行なう人びとは祝福される。(7章; 15分)霊的に清い人でも汚れた者となりうる。(ハガイ 2:13; 4,8節)神殿に対して無関心な者は,清い犠牲をささげることができない; 建てるわざを行なわねばならない。(9,12節)同様に,油そそがれた者も,人間への恐れや無関心から清められていることが必要である。(13,16節)その結果,祝福が与えられる。(ハガイ 2:19; 19,20節)また,神が諸国民を震われるさいに,神の民は救われるであろう。(ハガイ 2:21,22の要旨; 26,27,32節)ゼルバベルは,神にとって認印つき指輪のようにとうとい; イエスは今,とうとい指導者。(ハガイ 2:23; 36-39節)清い崇拝をささげるなら,諸国民とともに震われることはない。
3. エホバはどのようにしてご自分の民を繁栄させますか
(「人類の…楽園」8-10章; ゼカリヤ 1:7–3:10)
エホバは,ご自分の民にあわれみを示すことによって,彼らを繁栄させる。(8章; 20分)繁栄は神の恵みにかかっている。人の状態を,貧困から繁栄へと逆転させることができる。神殿を建てるために帰ったユダヤ人の場合に見られたように,神は進んであわれみを示される。(短く: 「人類の…楽園」92ページ,1節)他の諸国民は,エルサレムを彼らにとって心配の種とは考えなかった。(ゼカリヤ 1:8-12; 12,17節)しかし,神はもはや怒りをいだいてはおられなかった; 再建の時は到来していて,何ものもそれを引き止めることはない。(ゼカリヤ 1:13-17; 25,27,28節)諸国民は神の民を虐待し,迫害していた; 神はあわれみを約束された。(30,31節)現代においても,天のシオンの山から大いなるゼルバベルによって支配される油そそがれた者たちは同じように扱われた。(33節)迫害され,あたかも捨てられたようであったが,神は「帰(られ)た」; そしてあわれみを示されたので,会衆は繁栄した。(37-40節)また迫害者たちを打ち砕くという約束をもって民を慰められる。―ゼカリヤ 1:18-21; 42,46,48,50-53節。
神は保護することによって,ご自分の民を繁栄させる。(9章; 20分)命と所有物が保護されて初めて,真実の繁栄は可能となる。神の首都組織を構成する人びとを,神が保護することは期待できる。(5-7,12,17節)神はご自分の民を助ける,霊的エルサレムの保護の「城壁」を拡大することを約束された。(ゼカリヤ 2:1-5; 22,26,30-33節)神は,ご自分のしもべたちに関して敏感であられる。(ゼカリヤ 2:8; 45節)繁栄して,保護されているしもべたちに加わるよう,すべての国の人びとを招待される。(ゼカリヤ 2:10-12)神は捕われのユダヤ人のために,「聖地」を保護された; また油そそがれた残れる者を彼らの土地に復帰させた。(56-59節)霊的な繁栄は,神が彼らとともに『住んで』おられることを証明する。国々の民は霊的イスラエル人に加わった; 地上で生きる希望をいだいている。―61-65節。
神はご自分の民を助けて清さを保たせる。そのために民は繁栄を享受する。(10章; 15分)霊的繁栄には当然反対と障害が予想される。サタンは反対しているが,それは神殿に関連してヨシュアの努力に反対したのと同様である。(ゼカリヤ 3:1,2; 6,7節)ヨシュアはイエスを予表した。(2-4節)神の目に汚れたものは,繁栄の妨げである。ヨシュアが代表していた人びとが神殿の仕事を怠ったという点で,ヨシュアは「汚れている」。(ゼカリヤ 3:3,4; 13,14節)残れる者も一時同様の状態にあった。(15,17節)清い祭司職は,「枝」である大いなる祭司職を予示する。(ゼカリヤ 3:8-10; 32-35節)あるべき位置にある「石」は,神殿が完成されたことを保証する; エホバの崇拝制度における笠石であるメシヤを予表する。(36-40,43節)もたらされる繁栄は,今平和を生みだし,とこしえの命に導く。―45節。
4. あなたはほんとうに神の支持しておられる支配者にくみしていますか
(「人類の…楽園」11-14章; ゼカリヤ 4:1–7:14)
神が支持しておられる支配者は,著しい事柄を成し遂げる。(11章; 15分)堕落した支配者に抑圧されている人びとは,たいてい,抵抗する力を持っていない。(箴 29:2)神は全地を治める正義の支配者を支援される。神がゼルバベルを支援されたことにより予表されている。(短く: 「人類の…楽園」240ページ,4節)ゼルバベルのもとで,神殿を再建するためのユダヤ人の努力は,障害物の「山」に直面した。しかし神は反対を除いて『平らにする』よう,霊をもってゼルバベルを支援なさった。(ゼカリヤ 4:6-9; 10-15節)神殿は完成され,かしら石が加えられる。現代においては,大いなるゼルバベルは,反対にもかかわらず,霊的な神殿での崇拝を回復するわざを鼓舞した。(21-24節)神の霊(油)が肝要なものであることはたとえによって示されている。(ゼカリヤ 4:1-3,11-14; 31,32節)ゼルバベルとヨシュアは,国民に霊を吸いこませた; イエスは,ご自分を支配者として認めるクリスチャンたちに,一つの経路を通して霊を送られる。―34-36節。
神が選んだ支配者にくみするには,悪を避けることが要求される。(12章; 15分)神の支配者を認めるだけでは不十分; 悪を避けることも必要。(2節)ゼカリヤ書 5:1-4は,盗みをする者と偽り誓う者が呪われることを示している。盗み(偶像崇拝の一形式)には,聖書の教えを曲げることさえ含まれる。(12-14,18節)誓いを破る牧師は,神とイエスの側に立つと主張するが,契約を破った。わたしたちは彼らのようになってはならない。(22-25節)悪は神の民の間から取り除かれねばならない。(ゼカリヤ 5:5-11)ユダヤ人の間に長くとどまることなく,バビロンに追放された。(30,32,35節)神はご自分のしもべたちから,悪を集めて追放される。(38,39節)わたしたちは,神,そして神の選ばれた支配者の側にまちがいなく立つためには,その見方を支持しなければならない。
神の保護は,神の支配者の側に立つ,地上にいる人びとにまで及ぶ。(13章; 15分)神が,ゼルバベルに対してなされたように,イエスを支援されることはすでにわかったがそれは人間に対する保護を意味するだろうか。次の幻は答えを与えている。(ゼカリヤ 6:1-5)戦車は,神の民を保護するみ使いの群れを表わす。(5,9節)神およびイエスの王権の間から出てくる。それぞれが支配権を所有する王であるので,二つの王国として描かれうる。(6-8節)そのような保護は,神の支配者の側に立つすべての人が受けられる。(ゼカリヤ 6:6,7の要旨; 11,12,16節)今日,保護される者たちは,神殿のわざのすばらしい終結を目撃するだろう。ヨシュアは,1919年以来,神殿のわざを遂行してきた祭司なる王イエスを予表していた。(ゼカリヤ 6:11-13,15; 22,23節)清い崇拝の神殿に来る人の数は増加の一途をたどっている。彼らの地位は保護されている; 来たるべきかん難を生き残るだろう。―26-30節。
神の支配者にくみすることには,その裁きを受け入れることも関係している。(14章; 10分)多くの人びとは,神の規準は厳しすぎるとか,ハルマゲドンにおける刑の執行は残酷であるなどと考える。神の支配者にくみする者たちは,そのさばきを拒絶したり,嘆き悲しんだりすることはない。ユダヤ人は,神の裁きの表われを嘆き悲しんだ。(ゼカリヤ 7:3-6の要旨; 4-6節)神はそのことを予期されなかった; ユダヤ人は自分自身のために,実際に断食したり食べたりした。悪を離れて善を行なうべきであった。(ゼカリヤ 7:7-11)わたしたちは,油そそがれた者が過去においてこらしめを受けたという理由で嘆いたり,神または神の支配者からの他の裁きを拒むべきではない。(13節)支配者の側に立つことには,彼の支持を受けるために,彼を支持することが関係している。
5. エホバの言われた事柄に聞き従う人すべてにもたらされる平和
(「人類の…楽園」15-17章; ゼカリヤ 8:1–10:12)
真の平和は,エホバに聞くことと関係がある。(15章; 20分)政治家たちは平和をもたらすと言う; 彼らのことばに耳を傾ける者たちは失望する ― 永久の平和はない。神は平和についての唯一の信頼できる源。(詩 29:11)捕囚から帰ってきたユダヤ人との交渉のうちに見られる。(4節)エホバの言われたことを聞きなさい; シオンは真の崇拝の場所となることになっていた。(ゼカリヤ 8:3; 6節)人びとは平和を与えられるはずであった。神は,復帰させられて以来油そそがれた者のために同様のことをなさった。(ゼカリヤ 8:4,5; 8-10節)神にむずかしすぎることはない。(ゼカリヤ 8:6; 12節)しかし,事態の逆転は,目撃者を驚かせる。(ゼカリヤ 8:11-13; 21,22節)平和を保つことには,正しいふるまいが関係している。(ゼカリヤ 8:16,17)自問するように: 『わたしは,そうした事柄に関して神が言われることに耳を傾け,それに従って行動しているだろうか』。今日,多くの国の人びとは平和を望んでいる; エホバに聞き従い,霊的ユダヤ人に加わりなさい。(ゼカリヤ 8:20-23; 34-39,44節)しかし,神が言われることに聞き従わない者たちはどうなるだろうか。
平和それとも戦争 ― どちらか選びなさい。(16章; 20分)古代の例として,神はシリヤ,フェニキヤに災いを予告された。(ゼカリヤ 9:1-5の要旨; 5,6,8-10節)ペリシテは有罪の宣告を受けたが,残れる者は,神との平和を選んだ。(ゼカリヤ 9:6-8; 14-17節)今日でも,ある人びとは,血に飢えた神々を捨て,真の崇拝者として平和と保護を選んだ。(19-22節)平和に関するゼカリヤ 9:9,10はイエスにおいて成就された。(25,28節)神の民には平和を,反対者には戦いをもたらす。(29節)キリスト教世界ではなく,油そそがれた者が彼を王として選んだ。(30-33節)神が油そそがれた者を守られるので,彼らには平和が保証されている。(ゼカリヤ 9:15; 46,47節)神は彼らの優しい,平和な牧者である。―ゼカリヤ 9:16,17; 48-51節。
エホバに聞き従う者たちは,いっそうの祝福を享受する。(17章; 15分)神に反対する者たちのこうむった災いとは対照的に,ユダヤ人は命を与える雨をもって祝福された。(ゼカリヤ 10:1; 4-6節)同様に,神は油そそがれた者に,増し加わる霊的な祝福を与えられた。(7節)そうした祝福は,世の「牧者」に従う人たちのためのものではない。(ゼカリヤ 10:3; 11-14節)昔,捕われていた12支族から成る人びとは,自国で再び一つに結ばれた。(ゼカリヤ 10:6,7; 19-21節)同様に,油そそがれた者は,古い人たちも,新しい人たちも一致をもって祝福された。(23,24節)再び集められた崇拝者たちは,神の祝福によって,「多くなる」。(ゼカリヤ 10:8,新; 31,33-35節)彼らはエホバの言われたことに聞き従って,すべての障害物を克服した。(ゼカリヤ 10:12; 40節)すべての人は,平和を享受するため,引き続き聞き従わねばならない。
6. 神の用いる牧者は,あなたにとってどれほどの意味を持っていますか
(「人類の…楽園」18-20章; ゼカリヤ 11:1–13:9)
エホバが選ばれた牧者を認識することは肝要。(18章; 20分)人間は,彼らを正しく扱う信頼できる指導者または牧者を切実に必要としている。たいていの人は,神の牧者に対する認識を欠いている。支配者たちは,適切にも,牧者になぞらえられている。(1,8節)昔の「牧者たち」は,神が偉大な牧者として治めていた民を虐待した。(ゼカリヤ 11:4,5; 10,11節)同様に,牧師は彼らに頼っている人びとを,「ほふらるべき羊」として扱った。(12-15節)神はゼカリヤを牧者として用いられた; イエスを予表した。(ゼカリヤ 11:7,8; 20,21,28-31節)イエスは,正しくない仕方で民を牧していた三つの級の者たちを退けられた。(32,33節)ほとんどの人は,牧者としてのイエスを見くびっている。(ゼカリヤ 11:12,13; 37-44,48節)イエスを愛していると公言するキリスト教世界は,実際には彼を拒絶している; 彼のしもべたちを迫害し,彼らの音信を拒絶する。(50節)それはわたしたちを試すものとなる: わたしたちはイエスとその王国,それとも人間の指導者たちの約束と導きのどちらを,より高く評価しているだろうか。今,決定することが肝要。―ゼカリヤ 11:15-17; 51,54-56節。
イエスに対する認識の欠如は,全き滅びを招く。(19章; 20分)
キリスト教世界が牧者(イエス)を認識していないことを示すいっそうの証拠は次の章で描かれている。霊的エルサレムは攻撃の対照となっている。(ゼカリヤ 12:1-4; 3-6節)王国が設立されてのち,霊的ユダヤ人は包囲されたが,攻撃を加える者たちは,『かすり傷』を受けた。(10-13節)油そそがれた者たちは攻撃し『やすい』ように見えるが,攻撃する者たちの方が完全に滅ぼされるだろう。(ゼカリヤ 12:7,9; 19-22節)攻撃を受けても保護された人たちは,イエスを深く認識する。(ゼカリヤ 12:10; 30-32節)彼が神の民の牧者であることを彼らは知っている; イエスにたより,イエスに従うことを決意している。
エホバの牧者は,神の民を清めるのを助ける。(20章; 15分)イエスに対して熱烈な愛を持つべきである。イエスの犠牲は,わたしたちが罪から清められるのを可能にする; ゼカリヤ書 13:1の「泉」によって表わされている。清めるために神のご準備が必要であることを示した。(4-8節)油そそがれたものは1919年に回復し,清められた。(11-13節)羊飼いは彼らを見捨てなかった。初期の弟子たちは「散った」が保護された; 現代の油そそがれた者も同様である。(ゼカリヤ 13:7; 29-33節)神およびその羊飼いに忠実でない者たちは,神殿が検閲されるときに断ち切られる。見せかけの「雑草」のクリスチャンと「悪しきしもべ」は,神の民の霊的地位から断ち切られる; 少数のものが保護される。(ゼカリヤ 13:8,9; 34,39-45節)忠実な者は引き続き,贖い主イエスを通して神に近づき,神にたよる。また「大いなる群衆」も,牧者が彼らを,人間として完全になるように,そしてとこしえの命に導く時を待ち望んでいる。
7. 神権政治の勝利は楽園を招来する
(「人類の…楽園」21,22章; ゼカリヤ 14:1-21)
エホバの支配権は,反抗的な諸国民に対して勝利をおさめる。(21章: 30分)証人たちは長年の間,神と諸国民との間のきたるべき戦いを宣べ伝えてきた; 想像ではなく,聖書に基づいている。「終わりの日」の証拠が増大しているので,その戦いの詳細に関心を持つ。天的エルサレムを代表する者たちへの攻撃が含まれる。(ゼカリヤ 14:2前半,3; 3,4節)諸国民は「怒りをいだ(き)」,残れる者を迫害する; 実際には,王国に対して戦うことである。(黙示 11:15,18; 11-15,18節)最終的な攻撃はこれから来る。(20節)保護のための備えがある。エホバとイエスは,いずれも王であられる; お二人の王国は,裂けて,保護を与える山の二つの部分にたとえられている。(ゼカリヤ 14:3-5; 23-34節)反抗する諸国民には暗さと寒さがあるだろう,しかし,神権政治を擁護する人には光があるだろう。(ゼカリヤ 14:6,7; 35-38節)「大いなる群衆」と死者のために,「活ける水」が備えられる。(ゼカリヤ 14:8; 42-45節)全地にわたって神は知られる。(ゼカリヤ 14:9; 52,53節)神のお名前を反抗的な態度で濫用する者は拭い去られる;「災い」が文字どおりであってもなくても,彼らの終わりは確実。(ゼカリヤ 14:12,13; 57-60節)かくして神権政治は勝利を収める。
真の崇拝を喜ぶ人びとのための楽園。(22章; 25分)反抗的な諸国民を除去することにより,楽園への道が開かれる。イエスは,悪人が復活によって楽園にはいれることを示された。(ルカ 23:43; 3,4節)生き残った者たちは,楽園を回復するために働く。しかし,霊的楽園がそれに先行する。(5,6節)よみがえらされる人びとは,真の崇拝を行なわねばならない; 無関心ではいられない。(ゼカリヤ 14:16-19; 7,10,11節)モーセの律法の祭りは祝われないが,人びとはイエスの犠牲と王国の種々の備えに喜びを見いだすだろう。(14-16節)すべてのことは,神を賛美するものとなる。(ゼカリヤ 14:20,21; 18-21節)楽園にいつまでもとどまる人は,商業的な益ではなく,真の崇拝に関心を持つであろう。(25,26節)創造の第7日は,地上が楽園となって終わる; すべての人は神権統治者を崇拝する。―29節。