記念式に備える
1 記念式を祝うようにとのイエスの命令に従うべき強い理由が確かにあるのです。過去において兄弟たちはこのことを認識して,最も耐えがたい状況下でさえも集まりました。このことの一つの例は1975年の年鑑の145-147ページに見られます。ドイツや全地の他の兄弟たちは,なぜこの事柄にそれほど大きな認識を示したのでしょうか。それはただわたしたちがこれを行ない続けるように命じられたからでなく,わたしたち自身とわたしたちに加わる他の人々の霊的な益のためです。
2 記念式はクリスチャンとしてのわたしたち自身の歩みをまじめに考えてみる時です。それは,わたしたちが何をしてきたか,将来わたしたちの命をもって何をしようとしているかを思い巡らす時です。それは,どんなことが生じようとエホバのご意志を行なおうとするわたしたちの決意を強める時です。そして何よりも,贖いを備えてくださったエホバの愛と,わたしたちが希望を持つことができるよう喜んで贖いの代価を支払われたイエスの愛とを深く考える時です。(ヨハネ 15:13。フィリピ 2:7,8)このすばらしい備えについて考えてみるのは何と励ましある,そして強い動機を与えるものではありませんか。―ヨハネ第一 4:11。
3 個人的にも会衆としても,良く計画することは,出席するすべての人が今年の記念式から最大の益を得ることに貢献するでしょう。長老たちの一団は3月の初めに会合します。この集まりで,余分に追加する会場整理係り,いす,象徴物,ふさわしい換気,そして適切な発表につき準備するのは良いことです。記念式はその日の唯一の集会ですから,奉仕会などがその日と重なる会衆は週の他の日に奉仕会を計画できるでしょう。(記念式は午後6時以降に始められるべきです)その日に野外奉仕の取決めを設け,関心ある人々を記念式に誘ったり連れてきたりする活動を強調できるでしょう。すべての方々の特別な努力により本当にすぐれた出席が得られるでしょう。
4 エホバの証人は一群の人々として地上で最も幸福で,最も親しみ深い人々です。それでも,この特別な機会に対して十分前もって計画するなら,出席する新しい方々は非常に歓迎されていることを知り,わたしたちの集会に定期的に出席したいと感ずるようになるでしょう。非常に大勢の人々が出席していると,だれかが容易に見過ごされてしまうので,わたしたちすべては新しく集会に来る人々を歓迎するのに普通以上の注意を払うことができます。できるだけ大勢の新しい人々にあいさつし,親しみ深い会話にひき入れるよう計画してはいかがですか。もしだれもその方と研究していないようなら,研究を取り決めることが可能かもしれません。そのような親切は,さらに多くの人々がこれから先りっぱな霊的進歩を遂げる助けとなるかもしれません。記念式に備える個人また会衆としての努力の上にエホバの豊かな御祝福がありますように。
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