『りっぱな立場を得ている』人々
1 奉仕のしもべたちに関してパウロはこう書きました。「りっぱに奉仕する人は自分のためにりっぱな立場を得,キリスト・イエスに関する信仰にあって少しもはばかることなく語れるようになるのです」。(テモテ第一 3:13)ここで使徒は,奉仕のしもべとなるための先要条件ではなく,そのような兄弟がりっぱな仕方で仕える,もしくは自分の務めを果たす時に得られる益を説明したのです。
2 聖書は奉仕のしもべに対し高い標準を定めています。(テモテ第一 3:8-10,12)推薦される兄弟たちはそれらを明らかに満たしているべきです。奉仕のしもべになるというのは機械的なことではありません。バプテスマを受けた成人の男子ほとんど全員が一種の肩書保持者のようにその立場を得るべきだといったことではないのです。奉仕のしもべたちは模範的な,霊的な人であるべきです。
3 使徒 6章1-6節には,そうした人たちが真にどうあるべきかが例証されています。(塔77 526ページ)使徒たちはみ言葉に専念するため,重要ではあっても資格を持つ他の男子が扱うことのできる務めを世話する上で助けを必要としていました。彼らが選んだのは「霊と知恵に満ちた」人々でした。ゆえにその人々は会衆の信頼を受けるに足る人々だったのでしょう。彼らが選ばれたのは,ただ何かの卑しい仕事をするためでもなければ,彼らを励ますためでもありませんでした。それは特権であり,それを通して彼らは会衆に仕えるため熱心に働くことができたのです。
4 今日奉仕のしもべたちは,王国会館,供給物の分配,記録を保つことや会計の面で長老たちを助けることを含め,多くの必要な務めを世話する助けとなっています。そのようにして彼らは兄弟姉妹のために働くのです。自分たちがしているのはそのことだと認識するなら,彼らは自分の責任を良心的に果たすことでしょう。思い出したように顔を出しては割当ての務めを行なうのではなく,むしろ来る週も来る週も信頼のおける働きをすることでしょう。事実,霊的に成長した男子であるなら,自分で左右できない事のために,時間までに来たり割当てを果たせないなら,だれかと交替するよう取決めることが期待されるのです。彼らは会衆が放置されないよう心を砕きます。会衆はそのような兄弟を尊敬し大切にするのです。―ルカ 16:10-12。
5 また,ほかにも仕える道が開けるかもしれません。「話すことや教えること」に主に責任を執っているのは長老たちですが,有能な奉仕のしもべたちに講話や奉仕会の一部が割り当てられることもあるのです。(テモテ第一 5:17; 3:2)公開講演の一部または全部を話すよう求められることもあります。教える者としての経験や賜物に恵まれた長老に近づいて提案を尋ねたり,話をしたあとなどに助言を求めたりするなら,彼らの進歩は一層大きなものとなるでしょう。彼らが「ものみの塔」を朗読するよう求められることはしばしばですし,必要な事情が生じて書籍研究を司会するよう求められるようなこともあります。そうした割当てに対して良心的な準備をすべきことは言うまでもありません。
6 奉仕のしもべたちは霊的な模範となるのですから,自分の事情が無理なく許す範囲で,できるだけ多く野外奉仕に参加すべきです。それによって彼はエホバを喜ばせ賛美していることを知るのです。それはまた一緒に働く人たちにも励みとなります。彼はその人たちに多くの優れた訓練を与えることができ,その人たちは彼が細かな事柄を扱っているだけの人ではなく,あらゆる点でエホバの模範的なしもべであることを知るのです。
7 そうした男子について,彼らは『りっぱな立場を得る』,とパウロは言いましたが,これでその理由を容易に理解できます。これはある人がほのめかすような教会の階級制度内の昇進ではないのです。むしろ,「りっぱに奉仕する」奉仕のしもべたちには,エホバとイエスからの祝福が保証されており,彼らは会衆全体からの尊敬と支持を受けます。当然ながら彼らは「キリスト・イエスに関する信仰にあって少しもはばかることなく語れるようになるのです」。その立場に真実をもってあたる彼らは,そのりっぱな奉仕のゆえに感謝されます。そして,確固とした信仰を持ち,憶病になることも非難を恐れることもなく,自らの信仰を宣言することができるのです。