良いたよりを伝える ― 大胆に,しかも巧みに
1 ペテロとヨハネは宣べ伝えるのをやめるようにと命じられた時,次のように答えました。「しかし,わたしたちとしては,自分の見聞きした事柄について話すのをやめるわけにはいきません」。(使徒 4:20)彼らは何によってこれほど大胆に話すことができたのでしょうか。彼らは『祈願をし』,「聖霊に満たされ,神の言葉を大胆に語(り)」ました。(使徒 4:31)彼らの模範に従うなら,わたしたちも同様に宣べ伝える点で大胆さを示すことができるに違いありません。
2 しかし,わたしたちはどのようにすれば大胆さと同時に巧みさをもって話すことができるのでしょうか。ある辞書は巧みさを,『感情を損なわせることがないよう,何を行ない,何を言うかを見分ける鋭い感覚』と定義しています。共通の土台を確立することは,巧みさを示す助けになります。また,人々と共に推論する方法を学ぶなら,巧みさを身に着けることができます。「聖書から論じる」の本以上に,わたしたちが大胆かつ巧みになるのに役立つ優れた道具があるでしょうか。
平衡を取る
3 宣べ伝える業を首尾よく成し遂げるには,大胆さと巧みさとの間に平衡を保つことが大切です。例えば,『実際のところ,どの宗教にも良い点があるのではないでしょうか』という質問を提起する人にどのように述べることができますか。直接的な,しかし巧みな答えを「論じる」の本の206ページに見いだせます。また,エホバの証人ではない,自分の信仰を持っている人々を繰り返し訪問する理由について質問されるなら,「論じる」の本の102ページに略述されているように,大胆に,しかし巧みに答えることができます。エホバの証人は地域社会をより住みよい場所とするのに貢献する事柄になぜ参加しないのか,と尋ねられるかもしれません。102,103ページにある幾つかの優れた点を用いれば,大胆に,しかし巧みに話すことができるでしょう。
模範
4 ペテロは,『わたしたちの希望の理由を問う人に対し,その前で弁明できるよう常に備えをしている』べきであると述べました。ペテロは続けて「温和な気持ちと深い敬意をもってそうする」べきであると述べています。(ペテロ第一 3:15)確かにペテロは大胆であると共に巧みさを示すことの必要性を認識していました。協会の出版物には,この方法に従うことによって成功した伝道者のことが報告されています。―塔86 4/1 6,7ページ。塔86 8/1 21,24ページ。鑑87 53,54ページ。
5 数多くの模範によって際立たせられている通り,祈りのうちにエホバに頼るなら,わたしたちは聖霊の助けを得ることができ,そのようにして大胆さと巧みさとをもって話すよう強められるでしょう。―使徒 5:29。