惜しみなくまく
1 農業に携わっている人ならだれでも,惜しみなく種をまくなら豊かに収穫し,惜しみつつまくなら確かに少なく刈り取るということを知っています。(コリント第二 9:6)創造者や聖書に対する敬意を持つよう教育されておらず,見知らぬ人に自分の意見を述べることが苦手な日本人の特性を考慮するとき,わたしたちは出版物を積極的に提供することにより,惜しみなくまくことができます。そのようにして,エホバの過分のご親切と王国の希望について学ぶ機会を一人でも多くの人に差し伸べたいと思っています。
2 区域に住んでいる人を真理の知識に導くために用いられるはずの雑誌やブロシュアーなどの出版物が,自分の家の棚に積み上げられているということはありませんか。(マタイ 25:25と比較。)わたしたちは真理を伝えるための貴重な道具を無駄にしないためにも,出版物を効果的に用いたいと思います。友人や親族にプレゼントすることはできないでしょうか。再訪問の際に家の人が不在なら,古い雑誌などをきちんとした仕方でその家に残してくることもできるかもしれません。また,家庭聖書研究の副読本として研究生の必要に合った出版物を積極的に紹介することもできるでしょう。
3 このようにわたしたちが積極的に出版物を配布しようとする際に,出版物の値段を尋ねる家の人がいるかもしれません。
このように答えることができます:
■ 「わたしたちの活動は自発的な寄付によって支えられていますので,出版物は無償です。今回,少額の寄付をしたいと思われるなら,そのご寄付は世界的な伝道活動のために用いられますので,わたしたちはうれしく思います」。
このようにも言えるかもしれません:
■ 「どうして出版物を無償で提供できるのだろうと考えておられるかもしれません。これは,自発的な寄付によって支えられている世界的な教育活動の一環です。この活動に対して少額の寄付をしたいと思われるなら,喜んでお預かりいたします」。
4 しかし,これまで再三強調されてきたように,家から家の伝道の際,あるいは出版物を配布する際にエホバの証人の世界的な業に対する寄付について必ず述べなければならないというわけではありません。寄付について触れるなら出版物の提供が難しくなったり,出版物を積極的に配布する面での奉仕者の熱意に影響が及ぶようであるなら,その場で触れる必要はないでしょう。後日,再訪問を繰り返して家の人と親しくなってから寄付について話し,その面での認識を高めることができるかもしれません。場合によっては家庭聖書研究になってから話すこともできます。
5 このようにして,積極的に出版物を配布し,惜しみなくまくなら,真理に対する人々の関心は高められるに違いありません。そのような人々をわたしたちが繰り返し再訪問し,徐々にその関心を高めてゆくなら,わたしたちが努力を払った証しとなる,推薦の手紙を刈り取ることができるかもしれません。(コリント第二 3:1-3)それでは,豊かに刈り取るべく,一層惜しみなくまくよう引き続き努めてゆきましょう。