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  • 塔研23 07月号 26–30ページ
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  • 温かい気遣いには大きな力がある
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2023
塔研23 07月号 26–30ページ
ラッセル・リード

ライフ・ストーリー

温かい気遣いには大きな力がある

ラッセル・リード

母と妹のパットと一緒に(1948年)

「聖公会は本当のことを教えてはいないから,真理を探し続けなさい」。母は,聖公会の信者だった祖母からこう言われ,本物の宗教を探し始めました。でも,エホバの証人とは話そうとしませんでした。当時,私たちはカナダのトロントに住んでいましたが,エホバの証人が家にやって来ても隠れているようにと母から言われていました。でも,叔母が1950年にエホバの証人と聖書を学び始めると,母も一緒に勉強するようになりました。2人は叔母の家で聖書を学び,やがてバプテスマを受けました。

父は地元のカナダ合同教会の長老でした。それで,私と妹を毎週日曜学校に行かせました。11時からは父と一緒に礼拝に参加しましたが,午後は母と王国会館に行きました。それで,この2つの宗教の違いがよく分かりました。

10代のラッセルがハッチソン家と一緒に立っている。後ろにはステーションワゴンがある。

ハッチソン家と一緒に『神の御心』国際大会に出席した。(1958年)

母は学んだことを昔からの友人であるボブ・ハッチソンと妻のマリオンに伝え,2人もエホバの証人になりました。1958年には,ニューヨーク市で『神の御心』国際大会が8日間にわたって開かれました。ハッチソン兄弟姉妹は,3人の息子と一緒に私もその大会に連れていってくれました。今思うと,私まで連れていくのは本当に大変だったと思います。でも,この大会に出席できたことは,私にとってとても大切な思い出です。

温かい気遣いを受け,クリスチャンとして歩み始める

10代の頃,うちの家族は畜産の仕事をしていました。私は動物の世話が好きだったので,獣医になることを真剣に考えていました。母はそのことを会衆の長老に伝えました。長老は,今が「終わりの時代」であることや,大学に行くならエホバとの友情にどんな影響があるかを親切に考えさせてくれました。(テモ二 3:1)それで,私は大学に行かないことにしました。

それでも,高校を卒業したらどうしたらいいんだろうと考えていました。毎週末,野外奉仕には出ていましたが,伝道は好きじゃなかったので開拓者になろうという気持ちもありませんでした。そのうちに,エホバの証人ではない父と叔父から,トロントにある大きな保険会社で全時間働くよう誘われました。叔父はその会社の重役でした。結局,私はそこに就職することにしました。

仕事を始めてからは,残業がしょっちゅうあり,エホバの証人ではない人たちとの付き合いも増えたので,クリスチャンとしての活動がおろそかになっていきました。当時,エホバの証人ではない祖父の家に住んでいましたが,祖父が亡くなって,別の場所に引っ越さなければならなくなりました。

1958年の大会に私を連れていってくれたハッチソン兄弟姉妹は,私のことを子供のようにかわいがってくれました。それで,私を家に住まわせ,エホバとの友情を強められるよう助けてくれました。1960年,私はハッチソン家の息子のジョンと一緒にバプテスマを受けました。そして,ジョンが開拓奉仕を始めたことがきっかけで,私も奉仕をもっと頑張ろうという気持ちになりました。私が進歩している様子を見た会衆の兄弟たちは,やがて私を神権宣教学校の監督に任命しました。a

素晴らしい妻と出会い,開拓奉仕を始める

ラッセルとランディー。結婚式の日。

結婚式の日(1966年)

1966年,私はランディー・バーグと結婚しました。ランディーは熱心な開拓者で,必要の大きな所で奉仕したいと思っていました。旅行する監督は私たちを気に掛け,オンタリオ州オリリアの会衆で奉仕するよう励ましてくれました。それで,私たちはすぐに準備を始めて移動しました。

オリリアに着いてすぐ,私も開拓奉仕を始めました。妻の熱意に動かされて,私もやってみようと思ったんです。開拓奉仕に打ち込むと,伝道が楽しくなりました。聖書を使う機会も増え,人々が真理を理解して感動する様子も見ることができました。ある夫婦が生き方を変えてエホバに仕えるように助けることができたのも,とてもうれしかったです。

新たな言語を学び,見方が広がる

ある時,トロントでアーノルド・マクナマラに会いました。ベテルで責任を担っていた兄弟です。兄弟から,特別開拓奉仕をするのはどうかと尋ねられました。私はすぐに,「ぜひやりたいです! ケベック以外ならどこでも行きます」と答えました。私は,英語を話すカナダの人たちの影響を受けていました。彼らは,フランス語が話されているケベック州に偏見を持っていたのです。当時,カナダではケベック州を独立させようとする政治的な動きもありました。

アーノルドは,「今,支部が特別開拓者を派遣しているのはケベックだけなんだ」と言いました。それで,私はすぐにこの招待を受け入れることにしました。ランディーがケベックで奉仕してみたいと思っていることを知っていたからです。ケベックに行くことにして本当に良かったと思っています。

フランス語の言語クラスに5週間出席した後,ランディーと私はもう一組の夫婦と一緒にリムースキに行きました。モントリオールの北東540㌔の所にある都市です。私たちはフランス語をまだまだ学ぶ必要がありました。ある日の集会で,そのことを痛感しました。大会についてのお知らせを読んだ時に,「オーストリアの代表者たちが来る」と言うべきところで,「ダチョウの代表者たちが来る」と言ってしまったんです。

リムースキの「ホワイトハウス」

リムースキでは,私たち4人に加えて,独身の姉妹たち4人と,2人の娘がいるヒューベルドー家も一緒に住むことになりました。ヒューベルドー兄弟姉妹は,寝室が7つある大きな家を借りて,私たちが安く住めるようにしてくれました。その家は,柱も玄関も真っ白だったので,私たちは「ホワイトハウス」と呼んでいました。大抵,12人から14人で暮らしていました。特別開拓者だったランディーと私は,朝から晩まで奉仕をしていました。家には誰かしら奉仕に付き合ってくれる人がいたので,特に冬の寒い夕方に奉仕する時はとても助かりました。

一緒に住んだ開拓者の兄弟姉妹とはとても仲良くなり,家族のような存在になりました。たき火を囲んだり,いろんな具材を生地で包むピエロギという料理をみんなで作って食べたりもしました。楽器を演奏できる兄弟がいたので,土曜日の夜には歌やダンスを楽しみました。

リムースキでは,聖書に関心を持つ人がたくさんいました。5年の間に何人もの人がバプテスマを受けました。こうした成長を見ることができて,とてもうれしかったです。会衆の伝道者も35人ほどにまで増えました。

ケベックでは,伝道者として成長するための良い訓練を受けることができました。エホバは宣教面でも助けてくれましたし,生活に必要な物に困らないように支えてもくれました。私たちはフランス語を話す人たちのことも,その言語や文化も大好きになりました。おかげでいろんな文化を楽しめるようになりました。(コリ二 6:13)

その後,驚いたことに,支部からトラカディーに移動するようにと言われました。ニューブランズウィックの東部にある海沿いの町です。すごく悩みました。アパートを借りたばかりでしたし,学校で教えるパートタイムの仕事の契約もしていました。さらに,私たちが聖書を教えていた人たちは伝道者になったばかりで,王国会館も建設の真っ最中でした。

私たちはその週末,移動についてエホバにたくさん祈りました。そして,トラカディーに下見に行きました。リムースキとは雰囲気が全然違う町でした。でも,エホバが私たちにそこに行ってほしいと思っているのであれば,そうしようと思いました。エホバを試しました。すると,エホバは私たちの心配を一つずつ取り除いてくださいました。(マラ 3:10)この時も,ランディーの強い信仰や自分を喜んで与える態度,ユーモアに支えられました。

トラカディーの会衆で長老として奉仕していたのは,ロバート・ロスの1人だけでした。ロバートと妻のリンダは以前に開拓奉仕をしていて,子供が生まれた後もそこにとどまっていました。幼い息子がいる中でも,私たち夫婦をよくもてなして励ましてくれました。2人が熱心に伝道している様子からも力をもらいました。

さまざまな奉仕から喜びを味わう

冬のある日,ラッセルとランディーが車のそばに立っている。

最初の巡回区で,冬に奉仕しているところ

トラカディーで2年間奉仕した後,また驚くような招待を受けました。今度は旅行する奉仕です。7年間英語の巡回区で奉仕した後,ケベックのフランス語の巡回区に割り当てられました。ケベックの地域監督だったレオンス・クレポーは,私の話をいつも褒めてくれました。でも,その後必ず,「どうすれば兄弟たちにとって,もっと役立つ話にできると思いますか」と聞かれました。b このように私のために時間を取って助けてくれたので,シンプルで分かりやすい話をすることを意識できるようになりました。

1978年にモントリオールで開かれた「勝利の信仰」国際大会のことはよく覚えています。私はフードサービスで奉仕しました。8万人の出席者が見込まれていて,食事を提供する方法を変える必要もありました。機材もメニューも準備の方法も,全部新しいものでした。冷蔵トレーラーを20台用意しましたが,時々故障することもありました。会場のスタジアムでは,大会初日の前の日にスポーツイベントがあったので,準備のために入ることができたのは真夜中を過ぎてからでした。しかも,朝食を作るために,夜明け前にはオーブンを動かし始める必要がありました。とても疲れました。でも,兄弟姉妹の勤勉さやクリスチャンとしての人格やユーモアからたくさんのことを学びました。一緒に働いた仲間とは今でも親しくしています。ケベックで1940年代から50年代にかけて厳しい迫害があったことを考えると,この歴史的な大会に出席できて本当に幸せでした。

ランディーと一緒に大会の準備の奉仕をしている。(モントリオール,1985年)

モントリオールで開かれた大きな大会の際には,監督の兄弟たちからいろんなことを学びました。ある年,今は統治体で奉仕しているデービッド・スプレーンが,大会監督をしていました。後の大会で私がその割り当てを受けた時,デービッドはよく助けてくれました。

旅行する奉仕を36年間楽しんだ後,2011年からは会衆の長老のための学校の教訓者として奉仕するようになりました。ランディーと私が2年間で泊まった場所は75カ所に上ります。大変なこともありましたが,本当に素晴らしい経験をさせてもらいました。1週間の授業が終わると,長老たちは統治体が深く気遣ってくれていることを実感して,みんな感謝の気持ちにあふれていました。

後に私は,王国福音伝道者のための学校でも教えました。生徒たちの多くは忙しいスケジュールに圧倒されていました。7時間授業を受けた後に3時間宿題をし,週に4つか5つ割り当てを果たす必要があります。もう1人の教訓者と私は,エホバの助けがなければやり遂げることはできないと言いました。そして生徒たちは,エホバに頼るなら,絶対にできないと思っていたことも達成できる,ということを実感して,とても感激していました。あの様子は忘れられません。

温かい気遣いの力

母は人への気遣いにあふれた人でした。それで,母と聖書を学んでいた人たちはよく進歩しましたし,父の態度も柔らかくなりました。母が亡くなった3日後,驚いたことに父は公開講演を聞きに王国会館に来ました。その日から26年間,集会に出席し続けました。バプテスマを受けてはいませんでしたが,長老たちによると,毎週の集会にはいつも一番に到着していたようです。

母は私たち子供にとっても良い手本でした。3人の妹はみんな夫婦で忠実にエホバに仕えています。1組はポルトガル支部で,1組はハイチ支部で奉仕しています。

私たち夫婦は今,オンタリオ州ハミルトンで特別開拓奉仕をしています。旅行する奉仕をしていた頃は,兄弟姉妹の再訪問や聖書レッスンに連れていってもらっていました。でも今は,一緒に聖書を学んでいる人が成長していく様子を目の前で見ることができています。会衆の仲間とも親しくなり,兄弟姉妹がどんな時もエホバに支えられている様子から励みを得ています。

ラッセルとランディー

振り返ってみると,たくさんの人が私たちに温かい気遣いを示してくれました。そのことに本当に感謝しています。それで私たちも,仲間を「心から気遣[い]」,兄弟姉妹がベストを尽くしてエホバに仕えられるよう助けたいと思っています。(コリ二 7:6,7)例えば,ある兄弟の家族は,妻と息子と娘が全時間奉仕をしていました。それで兄弟に,開拓奉仕を考えたことがあるかと尋ねてみました。兄弟は,自分は3人の開拓者をサポートしている,と答えました。それで,「エホバ以上のサポートができる人がいると思いますか」と尋ねました。家族が楽しんでいる奉仕を兄弟にも楽しんでほしいと思ったからです。兄弟は6カ月後に開拓奉仕を始めました。

ランディーと私は,これからもエホバの「素晴らしい偉業」について「次の世代に」語っていきたいと思っています。そして,エホバに仕える喜びを兄弟姉妹にも味わってほしいと心から願っています。(詩 71:17,18)

a 現在では,「生活と奉仕の集会の監督」と呼ばれています。

b レオンス・クレポーのライフ・ストーリーは「ものみの塔」2020年2月号26-30ページに載せられています。

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