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コロサイものみの塔出版物索引 1951-1985
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2:8 塔85 7/15 11,13; 目84 3/22 19; 塔82 10/15 18; 目79 7/22 3; 塔78 7/15 18; 塔74 401; 塔71 701; 塔64 573; 塔63 679; 塔62 541; 目62 10/8 3; 塔61 593; 目61 12/22 6; 塔60 172; 塔58 88; 神 16; 塔57 468; 塔51 181
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コロサイ 注釈 2章新世界訳聖書 (スタディー版)
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哲学: ギリシャ語フィロソフィアは,ギリシャ語聖書でここだけに出ていて,字義的には「知恵に対する愛」という意味。パウロの時代,この語の用法は多岐にわたった。この語は一般に,さまざまな思想の集団や学派を指し,宗教的なものも指した。パウロとギリシャの哲学者とのやりとりで唯一記録に残っているのは,宗教的な事柄を中心にした論議。(使徒 17:18-31)コロサイが位置するローマ帝国の東部では,哲学のいろいろな学派が活動していた。コロ 2:8の文脈と文法構造からすると,パウロが特に懸念していたのはユダヤ主義者のことだった。その人たちは,割礼や祭りの日やある種の食物を断つことなど,モーセの律法を守ることを奨励していた。(コロ 2:11,16,17)
欺き: または,「魅惑」。ここで使われているギリシャ語は,「誘惑」(マタ 13:22),「人を欺く……力」(ヘブ 3:13),「欺きの教え」(ペ二 2:13)とも訳されている。
捕らわれて: または,「餌食として連れ去られて」。ある辞典はこのギリシャ語を「戦利品として運び去って掌握する,捕虜にする」と定義し,「人を真理から連れ去り罪の奴隷にすることの描写」と説明している。
世の理念: または,「世の基礎的な事柄」。パウロはガラテアの手紙で同じ表現を使っている。ガラ 4:3の注釈を参照。
キリストを源とするものではありません: パウロが言及した哲学は人間を源とするものだった。パウロは真の知識に反対していなかった。コロサイのクリスチャンが神の意志についての「正確な知識を十分に持」つよう祈っていた。それでもパウロが示したように,そのような知識と真の知恵を得るには,神の目的におけるイエス・キリストの役割を認識しなければならない。(コロ 1:9,10; 2:2,3)
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