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  • 「生ける希望」を抱いて大会に集まった人々
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1980
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1980
塔80 2/15 4–8ページ

「生ける希望」を抱いて大会に集まった人々

『エホバの食卓の宴に再び集い,大きな幸せをもたらす交わりを楽しみ,「心からの決意をいだいて主のうちにとどまるように」励まされることは喜びです』。(使徒 11:23)「生ける希望」大会の司会者によるこの開会の言葉は出席者たちの感慨をよく表わしていました。事実,これらの人々が大会会場にいること自体,それを示していました。

多くの大会が開かれていた期間に,米国ではガソリンの入手が困難になり,旅行することが一つの問題となりました。あるエホバの証人は次のように語りました。「一軒の営業中のガソリンスタンドを見付けたので,大会までまだ日がありましたが車を満タンにしておきました。それから車を駐車させておき,大会に出発するまでは車を使わず歩くことにしました」。自分の選んだ大会開催都市に行けるだけのガソリンを確保するため,他の人々も事前に同様の準備を行ないました。

見逃すべきでないのは,母親が赤ん坊や幼い子供を連れて大会に出席するために払った賞賛に値する努力です。大会のプログラムから益を得ようと真剣に努力する一方で,幼い子供たちを優しく世話しているその姿は本当に励みになります。家族が出席していることは,希望が人々の生活に健全な影響を及ぼしていることを実証するものでしたから,これは大会を観察する人々に対する立派な証言ともなりました。米国,メーン州ポートランドの商業地区で,一人の婦人はこう語りました。「皆さんが子供を連れている様子はすばらしいことだと思います。自分の名前を記入したバッジをピンで止めた幼い子供たちもそうです。皆さんが大会に行く様子を毎朝見ていますが,本当に麗しい光景です」。同じ市の一人の郵便集配人は,エホバの証人の夫婦を呼び止めて,「皆さんには全く感心させられます。すべての人,それも幼い子供たちまでがきちんとした身なりをしていますね」と言いました。

誤っていなかった希望

ある人々にとって,大会に出席できたという事実は,神に対して抱いている自分たちの希望が確固とした土台に基づいていることをいっそう確信させるものとなりました。ロビンとその二人の娘,キムとカリの場合を考えてみましょう。ロビンの夫はエホバの証人でなかったので,三人が「生ける希望」大会に出席するつもりであることを知ると,「我が家には,お前たちを四日間の休暇の旅行にやるほどの余裕はない」と言いました。その後の事態の成り行きを,ロビンは次のように語っています。

「私たちは途方に暮れて,祈りを捧げました。うちの小さな畑で栽培したイチゴで,大会開催都市に滞在するだけのお金が得られるでしょうか。隣の畑を見ても,がっかりするばかりです。そこのイチゴは,うちの畑のイチゴよりずっと丈夫でよさそうに見えたからです。……

「ところが,うちの畑のイチゴはとてもよく実を結び,私たちが大会に出席できるだけでなく,他の二人のエホバの証人が出席するのを援助できるほどのお金が得られました。事実,とても多くの実を結ぶので,そのイチゴを見ようと,付近一帯から人々がやって来ました。イチゴの実を摘んでいる間中,私たちはイチゴの買い付け人に,大会やそこで得られる励ましについて話しました。隣の畑の持ち主は,うちの畑の貧弱なイチゴが自分の所のイチゴよりずっと多くの実を結ぶことに,ただ首をかしげるばかりでした。

「しかしこれによって,私たちの抱える問題の一つが解決されたにすぎませんでした。大会に行く交通手段がありませんでした。時たつうちに,私たちの祈りは再び答えられたのです。娘のカリは今年高校を卒業しました。ある日,郊外に住むカリのおじが卒業のプレゼントを携えてやって来ました。そのプレゼントは一台の自動車でした。

「このようにして,すべての障害が取り除かれ,私たちは大会に出席することができました。そしてこの大会で,私と娘のキムはバプテスマを受けて,自分たちの献身を公に表わしました」。

希望によって支えられる

希望には実に大きな力があるという事実は,大会に出席した体の不自由な人々の間に特に顕著に認められました。車いすに座ったきりの人や自分ではほとんど身の回りの用の足せない人,聾唖者で目も見えない人などが出席していました。それらの盲聾唖者も,タッチ法を用いる通訳の助けによってプログラムから益を得ていました。

そのような人の中にマービンがいました。55歳のマービンは,これまで幾年にもわたって数多くの大会に出席してきました。マービンは,感謝の気持ちを込めて次のように語りました。「このように大会に出席できるのは,母が私の身支度を整え,親切で愛に満ちた信頼の置ける仲間のエホバの証人が私を車いすに乗せたり降ろしたりする骨の折れる仕事をしてくれているからにほかなりません。脳性麻痺に冒されたため,ここ9年間は,車いすの生活を送っています。これまでの32年,エホバの証人として生活してきましたが,その間,国際,地域,巡回大会など,数多くの大会に出席する特権と喜びを得てきました。それぞれの大会で,新しい事柄,異なった事柄を学んできました。大会で与えられる優れた教えや助言のおかげで,人はエホバのより良い僕となっていきます。もちろん,昔からの親しい友人と会い,新しい人々と知り合いになる喜びも忘れてはなりません。私は,『足なえが雄鹿のように駆け登り,口のきけない者の舌がうれしさの余り叫ぶ』日を待ち望んでいます」。―イザヤ 35:6,新。

ウェーンという名の別のエホバの証人は生まれた時から体が麻痺しています。しかし,このウェーンも「生ける希望」大会の一つに出席しました。ウェーンの家族は音響装置を備えた移動住宅<モーターホーム>を所有しています。ウェーンは,この中でベッドに横たわったまま,大会のプログラムを聞くことができます。ウェーンの母親は,息子が神の差し伸べる希望を抱くようになったいきさつをこう語りました。

「息子のウェーンは,分娩の時に使用した器具で傷つき,けいれん性麻痺にかかってしまいました。それは大脳性麻痺の一種です。息子が成長を始めたころ,息子には物事を覚える能力があるが,幾度も繰り返し教える必要があると言われました。

「戸別に聖書の真理を伝える時は,ウェーンを一緒に連れて行きました。重くなってどうしようもなくなるまで,両手に抱いて出掛けたものです。ウェーンは,幼い時分から真理に対する愛を示し,学んでいる事柄はその心に達しているようでした。知識欲は旺盛で,単語のつづりを言っては,その発音を尋ねたほどです。一つの単語を覚えて,その意味を理解できるようになるまで,その単語を私に向かって繰り返し言うこともありました。ウェーンは,1960年に,19歳でバプテスマを受けました。

「ウェーンは,家の中に置かれている治療用ベッドに寝たきりのため,王国会館の集会にみずから出席することはできません。しかし,家には閉回路テレビがありますから,それで王国会館の様子を見ることができます。また,王国会館と家の間に通信回線が結ばれているので,集会に定期的に参加することができます。ウェーンは,ベッドに横たわったまま,二年以上も会衆の長老として奉仕してきました。現在,移動住宅に来てくれる人々と5件の聖書研究を司会しています。11件の研究を司会したこともありました」。

ウェーン自身,次のように語りました。『知識を取り入れることができれば,あとはエホバが,その知識を人々に伝え,神に仕える道を開いてくださるという確信があります。たとえ,語をしたり聞いたりすることができなくても,その人の幸せそうな様子や信仰や忍耐が他の人々を助けるものとなり,それによって証言がなされます』。

大会の際,ある聖書劇の出演者全員が衣装をまとったままウェーンに会いに来ました。訪れた人々は,信仰と希望の驚くべき模範を目にして,大きな励みを得て帰りました。

希望を得た人々

「生ける希望」大会の出席者の中には,真理の正確な知識を得る前に,自分たちの置かれている状態がいかに悲しむべきものであるかに気付いていた人が少なくありませんでした。真理を切望していながら,老境に至るまでその願いを満たされなかった人もいます。

モンタナ州ビリングズの大会でバプテスマを受けた人の中に77歳のクリスがいます。「1934年にカトリック教会を去って,真理を探し求めるようになりました」とクリスは語りました。その後,教会から教会を訪ね,幾千幾万ドルも費やし,米国の各地を旅行して回りました。幾度か,真理を見付けた,と考えたことがありました。しかしそのたびに,これは『やっぱり十分ではない』と感じ,真理の探究が続きました。クリスはこう話しています。「最後に,『テレビ宗教』に加わり,多額のお金を送ったり,世界の様々な土地にクルセード旅行に赴いたりしました。『テレビ牧師』の一人から私の会費が月295㌦(約5万9,000円)に引き上げられたという通知を受け取った後,このようなものが真理であるはずはないと悟るようになりました。これではまるで追いはぎです。私は『手を切る』ことにしましたが,それでもしつこくつきまとわれました。私のきげんを取って,お金を得るために,幾度も手紙が送られてきました。

「私は,自分の年のことを考えて,真理の探究をやめ,農場にある家に引きこもることにしました。そのころ,人里離れた所にある私の家にエホバの証人が訪れ,農場で一緒に住んで仕事をしていた義理の息子と話を始めました。息子は関心を示しませんでしたが,私にはエホバの証人が王国について語る事柄は道理にかなっているように思えました。そこで,またやって来て,もう少し話を聞かせてくれるよう,その証人に頼みました」。

結果ですか。聖書研究が始まりました。「聖書から真理を学ぶことによって,私は将来に対する真の希望を得ました」と,クリスは最後に語っています。

耳が聞こえず,法律の上では盲人とみなされている一人のエホバの証人は,自分が聖書の音信から希望と生きていく真の目的をどのように得たかについて,非常にはっきりと,次のように語りました。

「私はいつでも,自分のハンディキャップに妨げられて幸福で満ち足りた生活を送れなくなるようなことがあってはならないと心に決めていました。高校では陸上競技チームに加わり,盲人ボウリングリーグでは第一位を占め,最後には身体障害者として優れた功績を残したとして賞を得ました。これによって,私は思い高ぶり,自信満々になっていましたが,幸せではありませんでした。私はポラロイド社に就職した最初の身体障害者となり,責任のある地位に就きました。女性の関心をひこうとして,大きな家と船を購入しました。しかし,物質の所有物も,不道徳な生活も,満足感を与えてはくれませんでした。人生には目標がなく,前途は真っ暗でした。カトリック教徒であった私は,天の命を得たかったので,典礼はきちんと守っていました。しかし,神の律法と私の生活の仕方との間の関連については何も説明されませんでした。こうした落胆を経験した私は懐疑論者になっていきました。

「一人のエホバの証人が訪れたとき,私はそうした状態にありました。翌週,その人は指話法を知っている証人と共に,再び私を訪ねてくれました。指で文字をつづるその婦人の手をつかみながら意思を通わせることができました。ほとんどどんな文章に対しても,私の反応は,『証拠はどこにありますか』というものでした。質問には常に,聖書から答えが与えられました。

「初めのうちは,聖書に真の関心があったわけではありません。エホバの証人も他の宗教の人々と同じであろうと考えて,試してみようと思ったのです。いつか,聖書の講義の教授料が請求されるものと考え,その日を待ち構えていましたが,教授料は一度も請求されませんでした。エホバの証人に,簡単な用事をよく頼んでみました。自分でできなかったからではなく,エホバの証人が聖書の研究以外のことも進んでしてくれるかどうかを知りたかったのです。エホバの証人の集会に出席した時は,人々に近付いて,アルコールやたばこのにおいがしないかどうか,息をかいでみました。家の中庭で野外料理会を開いては,おしのエホバの証人を招き,その後で家から物がなくなっていないかどうか調べました。ついに,私は,これらの人々が他とは異なっており,その音信が真理であることを認めるようになりました。

「善良な心を培うための時間と将来に対する真の希望を与えてくださったエホバに,私は深く感謝しています。私たちの地域に住む耳の聞こえない人々だけでなく,戸別訪問をして『良いたより』を伝える業に定期的にあずかるのは喜びです。私は,耳で聞き,目で見ることのできるようになる時を待ち望んでいます。偽ることのできない神の約束に全幅の信頼を置いています」。―ヘブライ 6:17,18。

大会出席者は時間を割いて自分たちの希望を人々に伝えた

大会の金曜日の午前中,多数のエホバの証人は,大会開催都市に住む人々に自分たちの希望を伝える機会を活用しました。報道機関は,この公の証言活動に大きな関心を示しました。何人かの新聞記者は,この活動に携わるエホバの証人に同行して,その様子を見学したほどです。

ロードアイランド州のプロビデンスで,新聞記者は,72歳になる一人の婦人がエホバの証人に向かって,「今朝はあまり腹が立ったので,ワシントンに行って,爆弾を仕掛けてやろうと思いましたよ」と語るのを聞きました。エホバの証人が婦人の注意を世界の諸問題に対する聖書の答えに向けると,その婦人はこう言いました。「おっしゃるとおりだと思いますよ。あなたは正しい態度,つまり積極的な考え方を持っているのでしょう。おやまあ,どうしたことでしょう。ちょっと話していただけで,ずっと気分がよくなりました。ワシントンに行って,爆弾を仕掛けようなどという気持ちはもうなくなりましたよ」。

一連の「生ける希望」大会は,集まったすべての人々にとっても,大会開催都市で聖書の音信に接した他の多くの人々にとっても,確かに祝福となりました。将来に対する明るい希望を探し求めておられるかたには,エホバの証人がこの次ご近所を訪問する時,是非話をしてごらんになるようお勧めいたします。神の差し伸べる希望があなたの生活にどれほど大きな力を与えるものとなるかをご自身でお調べになってはいかがですか。

「わたしは歓んだ。人々がわたしにこう言っていた時。『さあエホバの家へ行こう』と」― 詩 122:1,新。

[5ページの図版]

ベッドに横たわったまま,「生ける希望」大会のプログラムを聞くウェーン・パトリック。生まれながらに体の麻痺しているこの人は,現在クリスチャンの長老である

[6ページの図版]

この家族は,親子五代で,米国,テキサス州サンアントニオの大会を楽しんだ

[7ページの図版]

三人の若いエホバの証人と一緒に,大会で発表された文書を調べる,ブルックリン・ベテルのジョン・C・ブース

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