ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目80 3/8 16–20ページ
  • 生ける希望はどのように人々の生活に影響を及ぼしますか

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 生ける希望はどのように人々の生活に影響を及ぼしますか
  • 目ざめよ! 1980
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 挑戦
  • 出席するための努力
  • 悲劇に遭っても落胆しない
  • 不測の事態が起きるとき
  • 様々なところからもたらされた,プログラムのための助け
  • プログラムの益
  • バプテスマを受けた人々のうちに働く希望
  • 1983年「王国の一致」地域大会
    わたしたちの王国宣教 1983
  • 1987「エホバへの信頼」地域大会
    わたしたちの王国宣教 1987
  • 1988「神の公正」地域大会
    わたしたちの王国宣教 1988
  • 1998年「神の命の道」地域大会
    わたしたちの王国宣教 1998
もっと見る
目ざめよ! 1980
目80 3/8 16–20ページ

生ける希望はどのように人々の生活に影響を及ぼしますか

現在の世界情勢には希望がないと考える人は少なくありません。確かに,急激に良い変化が起きるという保証はどこにもないように思えます。しかしこうした事実にもかかわらず,幾十万もの人々は輝かしい将来を望み見ています。なぜでしょうか。

それは,エホバ神がみ言葉聖書の中で約束しておられる事柄を受け入れたからです。彼らは,神があらゆる犯罪,暴力,抑圧,不正を除き去るために行動される時を心待ちにしています。(ダニエル 2:44。ペテロ第二 3:13)でもそれがすべてではありません。至上者が人類のために用意しておられることについて,啓示 21章4節は次のように述べています。「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。死者でさえ,復活させられることにより,このような祝福を受けることができます。(ヨハネ 5:28,29)何と壮大な希望なのでしょう。これは神に源を発するものですから,確かに実現します。

聖書の中に記されているこの壮大な希望を認識しそれを自らのうちで強化するよう他の人々を助けるために,エホバの証人たちは一連の「生ける希望」大会を開催してきました。予定では,この大会は1980年の初めにそのすべてを完了します。この大会は,聖書に基づく希望には絶大な力があるという証拠を,豊富に提供してきました。

外部の観察者でさえ,この希望が及ぼす良い影響力に気付きました。例えば,高い地位にあったオランダのある警察官は,日曜休みだったにもかかわらず,交通整理の仕事を手伝うため大会会場に行くことを願いました。その警察官はエホバの証人の秩序正しさと立派な精神態度に非常な好感を抱いたため,休みの日に出勤することをかって出たのです。

挑戦

希望によって純粋な兄弟の絆を得た人々が,思わぬ障害にどのように対処することができたかは,米国フロリダ州のハリウッドで開かれた「生ける希望」大会のときに示されました。競技場での集まりが開かれる2週間ほど前ですが,一人のエホバの証人は戸別訪問をしているときに,その競技場の補修作業をしている男の人に会いました。その人はけげんそうに,エホバの証人は7月5日の木曜日の朝からどうして大会を開けるのか,ロックコンサートがその前夜の11時まで計画されているというのに,と言いました。この証人はすぐさま,準備担当者のところへこのことを伝えました。

これは深刻な問題となりました。エホバの証人たちが夜を徹して大会会場の準備を行なわなければならないとしたら,幾百人もの証人たちはどのようにプログラムを楽しむことができるでしょうか。

同じ会場で,しかし別の週に大会を開くことになっていたスペイン語を話す証人たちが,すばらしい兄弟愛を示し,答え応じてくれました。1,000人ではきかない自発奉仕者が熱心に協力し,7月5日の午前2時半から仕事を始めたのです。大きながらくたの山をかたづけ,ちらかったごみくずを掃き出し,1万4,000の座席全部を洗いました。床掃除機が故障したときには,手を使って全体を拭きました。午前5時に会場はごみ一つなくなり,ステージ作りが始まりました。最後の拡声器がとりつけられたのは,プログラムの始まるわずか7分前でした。

二番目のスペイン語の大会が終わった後で,この競技場の一管理者は,思わず次のように語りました。「皆さん方すべてがほほえみを浮かべ,非常に温かな愛のこもった仕方であいさつを交わす光景を見て,本当に元気づけられました。皆さんの二つの大会期間中には親切な言葉しか聞かれませんでした。座席や場所を奪い合うこともなく,いつも整然としていました。この場所がこれほどきれいに整とんされたことは今まで一度もありません」。

確かに,同一の希望を抱くことからもたらされる愛や一致があれば,大きな挑戦を首尾よく克服することができます。

出席するための努力

大会に出席することが,個人的な挑戦となることもしばしばあります。しかし多くのエホバの証人は,その挑戦に進んで応じました。なぜでしょうか。聖書に基づく希望,その希望をしっかり保ちたいという願い,他の人々の霊的な福祉に対する関心がそうさせているのです。

エホバの証人ではない夫を持つアニタの場合を考えてみましょう。配偶者が家庭で普段と変わらない生活を送れるよう,アニタと3人の子供たちは,オレゴン州コーバリスの最初の大会に2日間だけ出て,もう2日間は同市の2番目の大会に出る計画を立てました。毎日320㌔以上の道のりを車で走ることにより,アニタは夕方に夫や家族の必要な世話をすることができました。このような計画を立てたことにより,アニタは大会プログラムすべての益にあずかれただけでなく,同じような境遇にある別の証人たちが一緒に出席できるよう助ける喜びも味わうことができました。

「生ける希望」大会に出席するために払った努力について,ある出席者はこう語りました。「私はこの大会に出席することに決めました。私には夫もなく,あまりお金がある方でもないので,頭を使うことにしました。私は勤めていた銀行から融資してもらい,友人のエホバの証人から4.6㍍の旅行用のトレーラーを購入しました。長距離を旅行しなければならなかったので,自動車整備についても勉強しました。その知識を活用して車を整備し,新しいブレーキを取り付けました。もう一人のエホバの証人とその子供たちが同行しました。4人の子供たちと一緒に,そしてエホバに依り頼み続けて,わたしたちは高い山々を越えてこの800㌔の旅を無事に終えることができました」。

悲劇に遭っても落胆しない

多くの場合エホバの証人たちは,聖書に基づく希望が試されるような,ひどく気落ちさせられる状況に直面しました。例えば,ワシントン州プヤラップ市で最初の大会が開かれる約1か月前のことです。ある証人は夫を亡くし,三人の幼い子供と,一人の年長の息子を抱える未亡人になってしまいました。大会が始まった木曜日の朝に家が火事になり,着る物をすべて失ってしまいました。この家族はバスローブだけを身に着けて火を逃れました。しかし仲間の証人たちはすぐさまこの母親と子供たちの必要を満たそうと,たくさんの衣服を与えました。そのため家族は金曜日のプログラムに出席することができました。

この婦人は,大会の最初から出席したかったとの自分の願いについて次のように語りました。「私は自分がまだ生きているということを兄弟姉妹たちに知って頂くため大会に行きたいと思いました。でもどうしても都合がつきませんでした。金曜日以降ずっと出席できたことを私はエホバに感謝しています。本当に有益でした。エホバが,『お座りなさい。話したいことがあります』とおっしゃっているような感じでした。私はその通りにし,耳を傾けました。そしてそれは非常に大きな励ましとなりました」。

不測の事態が起きるとき

同じように,エホバの証人の中には,思い煩いをエホバに委ねるという賢明な見方をより深く認識するようになった人もいます。例えば,オレゴン州ウッドバーンの大会の際,その二日目に食料の在荷に不足が生じるようになりました。そのため食料購入を担当していた証人たちはその晩集まりを開き,ポートランドの幾人かの業者と交渉することを取り決めました。この問題について祈りをささげることが全員に勧められました。しかし食料獲得の努力は実を結ばなかったのです。

ところがそうしている間に,ある一人のエホバの証人が大会会場に思いがけずやってきました。その人は高速道路の出口を間違え,気がついた時には約19㌔も道からはずれていたのでした。そんなことになったのは,この男の人がワシントン州バンクーバーの食料卸売業者の下で働くようになって間がなかったからでした。この人は大会会場の近くにいることに気付き,食料の在荷に不足がないかどうか尋ねてみることにしました。この問題のことを知るや,この人は自分の会社にあたってみました。そして会社には必要とされる主要品目が目下豊富に在庫しており,以前のものとほぼ同じ,ないしはもっと安い値段で手に入ることが分かりました。しかし不思議なのは,どうしてこの証人はちょうどよい時に出口を間違えたのか,ということです。

様々なところからもたらされた,プログラムのための助け

大会の話を聞き,聖書劇を見ていた証人たちのほとんどは,自分の見聞きしているものの中には,様々なところからの助けがあって始めて可能になったものがあることに気付きませんでした。

テキサス州の洪水が災いして,多くの証人たちはヒューストンでの大会に行くために種々の問題に直面しました。こうした事情により,午前中のある話し手の話は割愛され,午後2時に変更になりました。この話し手とその息子は大会に行くため,深さ1.4㍍もの水をかきわけて進み,父親はプラスチックの袋に着替えを入れて運びました。二人を乗せてゆくはずの車が来なかったので,二人はヒッチハイクを行ないました。途中まである車が運んでくれ,それから次の車に乗り込むことができました。その運転手というのがアマチュア無線家だったためこの息子と話が合い,二人を大会会場まで直接運んでくれました。

「生ける希望」大会の劇の一つは,モーセの時代のエジプトの生活を描いたもので,その中にはモーセと燃える柴の場面が含まれていました。ある夫婦が,必要なこの小道具を準備する係でしたが,会衆の内外からどのように援助が与えられるかを知って驚かされました。柴が燃えている感じを出すために,アルミニウムのポリ炭酸エステルを風ではためかせ,その上に光を照らすことになっていました。一人の証人は,かまど用の扇風機を寄付し,別の人は柴を準備してくれました。さらに1,000ワットのフラッド形写真電球を二つ貸してくれた人もいました。その地区の商人たちは,手に入る小道具の最も良い使い方についてアイディアを提供してくれたり,援助を与えたりしてくれました。

劇で使う装身具を手に入れることのできたある主婦は,その間の事情を次のように説明しています。「私たちの会衆にはエジプト人全員の分は言うまでもなく,一人分の美しい装身具さえありませんでした。ところが,小さな食料品店のおばあちゃんに劇のことを話したところ,驚いたことに,たくさんの装身具を持っている女の人を知っていたのです。その装身具の持ち主は私と会ってくださり,350㌦(約7万円)相当の衣裳と本物の宝石を貸してくださっただけでなく,その最も効果的な使い方も教えてくださいました」。

プログラムの益

現在までのところ,世界中の一連の「生ける希望」大会に134万2,117人が出席しました。そのプログラムから大きな励ましを受けたという声は幾度となく聞かれました。長年の経験を持つ一長老はこのように評しました。「プログラムは思いだけでなく心に染み渡りました。すべての人が深い感銘を受けました」。

別の長老は,「プログラムは個人個人を対象にしたものです。神や仲間の人間との関係だけでなく,自分自身つまり内なる人との関係を改善する必要のある人間の問題が扱われています」と述べました。

「父なし子に必要なもの」と題する劇に関してある証人は言いました。「この劇には重要な点がたくさんあり,世の人々が考えることさえしないような問題について見識が高められました」。

バプテスマを受けた人々のうちに働く希望

「生ける希望」大会の際立った特色となったのは集団バプテスマです。これらバプテスマを受けた人々とのインタビューは,彼らを行動へと動かしたのが聖書に基づく希望であったことを明らかにしました。

ドイツのザールブリュッケンでバプテスマを受けた人々の中に,一組の夫婦と男の子がいました。この夫婦は病気と事故で二人の子供を失いましたが,僧職者が父親に語ることのできた慰めは,「主よ,あなたのみ心がなりますように」という言葉だけでした。「これは私にとって大した慰めとはならないように思えました」と父親は語りました。しかし後に,エホバの証人との聖書研究を通して,この家族は大変力付けられました。「現在,わたしたちは神の言葉聖書によってすばらしい希望を得ています」という父親の言葉がそのことを物語っています。

ドイツのニュルンベルクの大会でバプテスマを受けるために立ち上がった一人の人は,少年時代を,非行少年用の施設をはじめ,様々な養護施設で過ごしました。わずか21歳の時に,路上でアルコール中毒のため苦しんでいる所を警察官に見つけられ,病院に運ばれました。しかしこの若者は飲み続け,振顫譫妄を起こすぎりぎりのところまで行きました。自分の人生のこの時期についてこの人は,「手も足もほとんど麻痺しており,なぜ自分が生きているのか分からなかった」と述懐しています。ところが聖書研究を行なった結果,この人は,本人の言葉を借りれば,「ついに人生の意義を見いだす」ことができたのです。聖書の希望から力を得て,この人は飲酒も喫煙もやめ,ずっと同棲していた女性と結婚し,この女性を虐待することもなくなりました。

米国メリーランド州ランドーバーでバプテスマを受け,新たにエホバの証人となった26歳の人は,次のように述べています。

「ワシントン・キャピタルセンターの中で,浸礼を希望する121人の人々と共にこうして座り,話し手に注意深く耳を傾けない人とてない,静かに座っている1万3,176人の出席者を眺めることは,私にとって非常に感動的な経験でした。私はバルチモアにあるメリーランド州立刑務所から,手錠をつけたまま二人の武装警官と共に大会に来たのです。私はこの刑務所で,宣告された25年の刑期のうち,すでに27か月以上服役しました。振り返ってみると,青年時代をいかにむだにし,浪費してきたかが分かりますが,エホバの過分のご親切により,今は明るく幸福な見込みを得ています。あと何時間かすれば,また獄舎に戻ります。もちろん私は仮出獄と釈放の可能性に大いに希望をかけていますが,この古い体制下でそれが実現しようとしまいと,私が霊的に自由を失うことはもはやないでしょう。キリストは間違いなく私を解放してくださったからです」。

ナイアガラ・フォールズ市で開催された大会では,バプテスマ希望者の中に87歳の老婦人が含まれていました。片方の足がなく,片方の目は見えず,もう一方の目の視力も弱い,しかも糖尿病をわずらっていた状態にありながら,この婦人は良い気質を保つことができました。この婦人を車いすから持ち上げ,バプテスマのため水中に静かに沈めるためには6人の男子が必要でした。バプテスマの後,また車いすに戻されて動き出した時,婦人の顔には晴れやかな笑みが浮かびました。

このことについてバッファロー・ニューズ紙は次のように述べました。「この婦人の行動は,年一回の地域大会の土曜日に出席した約1万人のエホバの証人の典型であった。この老婦人のバプテスマに匹敵する劇的な事件はほかになかったが,大会会場を歩いていた男女子供も同じように,一つの目的を持っていることがうかがわれた」。

87歳の婦人と「生ける希望」大会に出席した多くの人々が「一つの目的」を持てるように助けたものは何でしょうか。この婦人の言葉が答えとなります。「エホバは私に本当に良くしてくださいました。物を良く覚えられるよう助けてくださいました。体の方はすっかり衰えてしまいましたが,私はとても感謝しています。私はエホバを愛しております。兄弟も姉妹もみんな一つの大きな家族です。私にはずっと家族がなかったのですが,今は一つあります。それによって,ずっとエホバに近づけるようになっています。生ける希望は,忍耐し,自分の問題を克服できるよう私を助けてくれました」。

確かに,聖書に基づいた希望は動機づけを与えます。わたしたちの創造者エホバ神がわたしたちに深い愛を持たれ,壮大な将来を楽しめるよう心にかけてくださっていることを認識する助けになります。そのためわたしたちは神に引き寄せられ,その道に従って生活を形造るように促されるのです。エホバの証人が,聖書の中に描かれている希望を抱けるようできるだけ多くの人を援助することに熱心なのはそれが理由です。まだエホバの証人と聖書を学んでおられないなら,そうするようお勧めいたします。

[17ページの図版]

息子のことで悩むやもめ

聖書劇では,父なし子への愛ある関心と,命をどのように用いるかを決定することに重きが置かれていた

燃える柴とモーセ

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする