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  • 悪が許されている間,そのことからどんな教訓を得られますか
  • 目ざめよ! 1981
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    目ざめよ! 1980
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    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1968
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目ざめよ! 1981
目81 7/22 8–9ページ

悪が許されている間,そのことからどんな教訓を得られますか

まいたものを刈り取る

小麦の種をまけば,小麦を刈り取ります。ライ麦をまけばライ麦の芽が出ます。大麦をまけば,大麦を収穫することになります。当然のことです。異なった結果を予期する人はいません。ところが,行動ということになると,悪い種をまいても,良い結果を刈り取れると考える人が少なくありません。そうした考えは,ガラテア 6章7節の示す通り正しくありません。「惑わされてはなりません。神は侮られるようなかたではありません。なんであれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです」。まいてから刈り取るまでにかなりの時間が経過するかもしれませんが,刈り取る日が必ず来ます。それはわたしたちの学べる教訓です。

経験から学べる

エホバはみ子イエスが邪悪な者たちの手にかかって苦しみ,その経験から学ぶことをよしとされました。「彼はみ子であったにもかかわらず,苦しんだ事がらから従順を学ばれました」と記されています。またこの経験を通して,イエスは「わたしたちの弱いところを思いやる」ことのできる大祭司になるための備えをすることになりました。(ヘブライ 4:15; 5:8)イエスの場合と同様,邪悪な事柄に耐えるなら,忠誠心や神への従順が深まり,苦しんでいる人々に思いやりを示せるようになります。今日の親たちは,子供がつらい経験を通して学ぶに任せることがしばしばあります。子供がその愚かさの結果を味わうことを許します。それを通して,ほかの方法では学べないような事柄を子供が学ぶことを知っているからです。エホバが悪を許しておられることにより,わたしたちは貴重な教訓を学べます。

感謝の念を深める

わたしたちは祝福となっている事柄の多くを当たり前のものとみなします。若い人はその活力や健康を深く考えることもなく満喫します。しかし,それも年を取ってそうしたものが失われてしまうまでのことです。よく見える目,よく聞こえる耳,おいしい食べ物,温かい衣服,快適な住まいなどの様々な祝福に慣れてしまうと,人々はそうした祝福を当たり前のものとみなします。しかし,目や耳が不自由になったり,寒さや飢えに悩まされたり,足を失ったり,愛する人を亡くしたりすると,自分の失ったものをかつてないほど高く評価するようになります。目かくしをして1週間,あるいは1日だけでも過ごしてごらんなさい。目がいかに大切なものかよく分かるでしょう。悪い状態を経験すると祝福が幾らか損なわれるかもしれませんが,自分の持っているものに対する感謝の念を教えられます。

知恵の道

今日の無数の人々は神がわたしたちに与えておられる指針を評価しようとしません。それは,そうした指針を無視して,その結果を刈り取るまでのことです。最初からそうした指針に従って,苦しみを味わわずにすんだらその方がはるかに良かったのではありませんか。何も苦い経験から学ぶ必要はありません。「エホバの諭しは信頼に値し,経験のない者を賢く」します。(詩 19:7,新)他の人々のつらい経験を観察することによって,経験のない人は学ぶことができます。こう書かれています。「あざける者に科料を課すことによって,経験のない者は賢くなる」。自ら苦しみを味わう必要はありません。次のようにも書かれています。「災いを見て身を隠す者は明敏である」。(箴 21:11; 22:3,新)邪悪な行為の結果を見て,わたしたちはそれを避けるべきであることを学べます。

つらい方法

エホバの国民であった古代イスラエルは神の指針を受け入れようとしなかったため,その指針の価値をつらい方法で学ぶことになりました。その結果を身をもって体験したのです。こう記されています。「神は難儀をもって彼らの心を屈服させるようになった……愚かな者たちは……そのとがのために,ついには自らに苦悩をもたらすことになった」。(詩 107:11-17,新)『あなたの悪はあなたを正すべきであり,あなたの不忠実の行為があなたを戒めるべきである。では,このことを知り,そして見よ。すなわち,あなたがあなたの神エホバを捨てるのは悪く,苦々しいことを』とエホバはイスラエル人にお告げになりました。(エレミヤ 2:19,新)しかし,矯正不能な者たちの多くは,次の言葉からも分かるように懲罰から学ぼうとはしません。「たとえ,愚かな者をつき臼の中に入れ,ひき割った穀物と一緒にきねで細かく突き砕いたとしても,その愚かさは彼から離れない」― 箴 27:22,新。

どれほどの苦しみ?

何の罪もない人が現在多くの苦しみを味わっています。多くの人はそのことで心を乱していますが,そのことから邪悪な体制が無数の人々を苦しめているという教訓を学べるはずです。しかし,一人の人が苦しんでいる以上に苦しみを大げさなものにしないようにすべきです。人間の惨めな状態を全部合わせるとぞっとするほどだと言う人がいますが,次の点を忘れてはなりません。千人が頭痛を訴えても,千人分の頭痛を一人で味わっている人はいないということです。一人分の頭痛以上の痛みを味わう人はいません。どの人も全体の千分の一の痛みを味わっているだけです。また,悪は6,000年間許されていますが,6,000年間ずっと苦しんだ人はいません。各々一生の間その悪に耐えています。それだけで十分です。

人間の手では解決できない

重要なのは,悪が続いている事態から教訓を学ぶことです。悪い種をまけばそれを刈り取ることになります。国家がそれを行なうと,無数の人々が苦しみます。6,000年間に人間は数々の政治形態を試みましたが,どれも平和と幸福をもたらしませんでした。『その歩みを導くことさえ,歩んでいる人に属してはいない』ことが繰り返し実証されました。(エレミヤ 10:23,新)政治家も軍国主義者も財政家も僧職者もみな人類の期待に背いてきました。幾千年もこうして悪を刈り取ってきたことから,異なった仕方でまく必要を学べるのではないでしょうか。そして,人間の努力だけでは十分でないことを学ばせられるのではありませんか。

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