-
十戒の原則は永遠に有効ものみの塔 1961 | 8月1日
-
-
だから,愛は律法を完成するものである」。これらの五つのいましめは,ふつう「黄金律」と言われるイエスの言葉によってまとめられます。「だから,何事でも人々からしてほしいと望むことは,人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である」。―ロマ 13:8-10。マタイ 7:12,新口。
これらの律法をひとつづつしらべると,それぞれはこの一般的な原則の他にひとつかそれ以上の原則を持っています。それで,第6番目のいましめ,「あなたは殺してはならない」に含まれている原則は,生命と血の神聖さについての原則です。そのことは,ノアとその家族に与えられた次のいましめの最初の言葉からも分かります,「肉を,その命である血のままで食べてはならない。あなたがたの命の血を流すものには,わたしは必ず報復するであろう。いかなる獣にも報復する。兄弟である人にも,わたしは人の命のために,報復するであろう。人の血を流す者は,人に血を流される,神が自分のかたちに人を造られたゆえに」。―出エジプト 20:13。創世 9:4-6,新口。
このいましめの原則を拡大すると,隣人を憎むことが一切禁ぜられます。イエスは,山上の垂訓の中でそのことを示しています。使徒ヨハネは,次のように述べました,「すべて兄弟を憎む者は人殺しであり」。そのわけでこの世の諸国家は憎しみをかき立てる偽りの宣伝によって敵を殺すように兵士をはげますのです。―マタイ 5:21,22。ヨハネ第一書 3:15,新。
「あなたは姦淫してはならない」という第7番目のいましめの中には,契約を守ることと,神聖さについての二つの原則が含まれています。興味ぶかいことですが,ある国語では姦淫という言葉は「婚姻を破ること」という意味です。聖書の中では,すべての不道徳は汚れと示されています。クリスチャンにとっては,このいましめには三つの強調が置かれています。「神は不品行な者や姦淫をする者をさばかれる」とは実際の行いに言及します。「だれでも,情欲をいだいて女を見る者は,心の中ですでに姦淫をしたのである」。これはむさぼりの気持に言及しています。そして,霊的な姦淫については,「不貞のやからよ。世を友とするのは,神への敵対であることを,知らないか」。この世を友とすることは,神との契約を破ることを含みます。またその人は汚れた者になります。クリスチャンは世の汚れに染まらぬようにとヤコブは助言しています。―出エジプト 20:14。ヘブル 13:4。マタイ 5:28。ヤコブ 4:4; 1:27。
正しいクリスチャンの原則,「働こうとしない者は,食べることもしてはならない」は,盗むことを禁ずる第8番目のいましめの中に含められています。私たちは,必要とするものを稼いで得ねばなりません。「盗んだ者は,今後盗んではならない。むしろ,貧しい人々に分け与えるようになるために,自分の手で正当な働きをしなさい」。―出エジプト 20:15。テサロニケ後 3:10。エペソ 4:28,新口。
第3番目のいましめの中に含まれている原則は,神に対しての舌の正しい使用に関係します。それと同じく,9番目のいましめ,「あなたは隣人について,偽証してはならない」は,人間に対しての舌の正しい使用に関係します。気をつけるべきことは,真理そのものを口外することに必ずしも強調が置かれているのではありません。むしろ,隣人に対して偽証を立てない ― 利己主義が原因で偽証を立てることもあるので ― ということに強調が置かれているのです。しかし,隣人の益をはかるために真理をかくすことが正しい時もあるでしょう。たとえば,ラハブは神を恐れるイスラエル人を追跡してきた異教徒をまいてしまいました。彼らが彼女の言葉に従ったからです。また,「愛は多くの罪をおおう」というのは沈黙を守るからではありませんか。まったく,その通りです!―出エジプト 20:16。ペテロ前 4:8。
そして最後は隣人のものを「むさぼってはならない」といういましめの中にふくまれる原則は,「あなたの心を守れ,命の泉は,これから流れ出るからである」ということです。そのわけでイエスもこう言われました,「悪い思い,すなわち,殺人,姦淫,不品行,盗み,偽証,そしりは,心の中から出てくる」。もし私たちが心を守るなら,隣人のものをむさぼるということもなく,またイエスがここで述べているような不道徳な行いをしないでしょう。それどころか,他の者の「福利に」興味を持ち,彼らの益をはかります。そしてまた,他の人のうける誉をむさぼるようなことをせず,私たちはむしろ「進んで互いに尊敬し合い」ます。―出エジプト 20:17。申命 5:21。箴言 4:23。マタイ 15:19。コリント前 10:24。ピリピ 2:4。ロマ 12:10,新口。
たしかにクリスチャンである私たちは,「律法の下にあるのではなく,恵みの下にある」。しかし,十戒は私たちを教えるために以前に書かれたものの一部です。十戒の中に含まれる原則は永遠に有効です。「もしこれらのことがわかっていて,それを行うならあなたがたはさいわいである」。―ヨハネ 14:17,新口。
-
-
熱心な若い奉仕者ものみの塔 1961 | 8月1日
-
-
熱心な若い奉仕者
英領ギアナ
あるいなかの会衆の12歳になる若い兄弟は,三つの家庭聖書研究を司会しています。聖書研究においては彼は,あるふるい伝道者と同じほどの成果をおさめています。彼と研究している人のうちのひとりは最近伝道をはじめました。巡回大会でインタビューされた時,聖書研究活動における成功の理由として,協会の提案通り最初の訪問で勉強をはじめることと,勉強の前後に10分の復習をすることをあげています。―1961年のエホバの証者の年鑑より
-
-
神の目的とエホバの証者(その23)ものみの塔 1961 | 8月1日
-
-
神の目的とエホバの証者(その23)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10,新世訳
第17章 拡大した施設を用いて人々に自由を知らせる
ジョン: たしかに1927年は奉仕の年でした。大会のときでも,最初から終りまで奉仕が強調されました。そしてまたその年の初めには,文書を用いる日曜「運動」が,アメリカの各会衆によって始められました。それは文書を配布するときにその寄付をうける運動でした。それについては,たぶん来週,もうすこしお話しします。
その年,聖書文書の印刷は急速に進歩しました。その年に,ベテルから徒歩で約10分の117番アダムス街に特別に建てられた工場で印刷が始められたからです。2月に工場に移転し始め,3月1日までには完了しました。1928年の「年鑑」(英文)に出版された協会長の年次報告は,この拡大を示しています。私はいまその詳細な報告を読みたいと思います。それには制度とともに進歩していたこれらの兄弟たちの献身した精神が示されているからです。
ついでですが,1926年の年間報告を載せた1927年版の年鑑は,協会が装ていした最初の本です。これ以前には,協会会長の年間報告は,毎年の終りに「ものみの塔」誌に出されました。冊子の形式で出版された1922年後でもそのようになされていたのです。1926年の報告からは,それは装ていされた「年鑑」(英文)として発行され,しかもきわめて詳細な報告がなされたのです。また1年の毎日のためと,週1度の祈りの集会のための聖句と注解も載せられました。聖書研究の資料出版についての次の報告は,その進歩を示すものであり,私たちをはげまします。いま,その報告に耳を傾けてみましょう。これは1928年の「年鑑」(英文)から取られています。
1926年の年次報告の中で,協会は土地を買って,新しい工場の建築を始めたことが述べられていた。a この建物は,完成して2月には使用を始めることができた。印刷機や製本の機械類が運びこまれて,仕事が始まった。この工場は,約30メートル平方の土地に建てられて8階建である。荷物を運ぶエレベーターと人を運ぶエレーベーターもあり,明るくまた換気も良い。本や冊子の製造と発送にはもってこいの工場と言える。また,この工場内にある事務所の仕事をするにもたいへん具合が良い。過去6年間,本部で働いていた人々にとって,この建物と設備は実によろこばしいものであった。
過去数年間の兄弟たちの本の印刷術と製本術の進歩は目ざましいものである。始めたときには,兄弟たちは機械の使用について何ひとつ知っていなかった。彼らは学ばねばならなかった。始めたばかりのときといまとを比較してみると,次のような例がある。協会のために大きな印刷機がドイツでつくられ,ブルックリンに送られてきたが,bその機械をすえつけるためにドイツから専門技師を招くことが必要であった。この専門家と数人の他の助手たちは,2ヵ月かかってこの機械をすえつけて,機械の使用を始めた。それから2年たたぬ中に,協会はそれと全く同じ型の印刷機をドイツで買い,アメリカにもってきた。工場内の一兄弟と数人の助手は,その機械を組立てたが,その仕事は3週間で行なわれた。多数の人々は,兄弟たちの為し得ることに驚嘆している。この世の人々は理解できない。
-