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  • エホバへの賛美を歌うことを学んだユダヤ教の聖歌隊の先唱者
  • 目ざめよ! 1972
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目ざめよ! 1972
目72 1/22 12–15ページ

エホバへの賛美を歌うことを学んだユダヤ教の聖歌隊の先唱者

イスラエルの「目ざめよ!」通信員に語られた経験

私は17歳の時,イスタンブールにあるラビの大学に在学していた。これは全トルコのラビを養成,訓練する神学校である。トーラーとタルムッドの学習も進んで,私はある有名なユダヤ教会堂の先唱者(宗教的な歌を詠唱し,会衆を導いて祈祷する係り)に任命された。私はまた,トーラーを学ぶ下級生の二つのクラスの教官として任命された。この二つの仕事のおかげで給料も安定した。

両親は私の考えにそれほど乗り気ではなかったが,私自身はトルコでの勉強を終えたら,自分の教育の仕上げをするためにイエシバ(タルムッドの進んだ勉強をする学校)に移る計画でいた。

余波を残したある聖書の討論

しかしこの段階で転機がやってきた。ある日,友だちの二人の姉妹から,いっしょにある家族を訪問してくれと頼まれた。「毎週その家にきて,ユダヤ教の教理に反論する者がいるのです」と彼女たちは言った。「でも,あなたがきてくだされば,きっと議論に勝てます」。それで私は行くことを承諾し,時間を打ち合わせた。

ヘブル語の聖書をもち,伝統の「キッパ」― ずきん ― をかぶり,夜9時に約束の場所に出かけた。家には人がいっぱいいた。その多くは好奇心に満ちた傍観者であった。彼らの中にすわっていた,回教徒の家の出の若い男が,トルコ語の聖書を取り出した。回教徒の家に生まれた者が聖書をもっているのを見て私は,はっとした。聖書はユダヤ人から出た聖典だと私は考えていたからだ。が,私はすぐにその驚きを克服した。やがて,聖書のもろもろの主題にかんする討論がはじまった。

聖書のことならよく知っていると思っていたので,私は自信をもっていた。しかしあとになって,聖書の内容をただ知っているだけでは不十分で,内容を理解していなければならない,ということがはっきりしてきた。そればかりではない。聖書に基づくものと信じていた多くの教理が,実は聖書とは全く関係がなく,いろいろなラビにより,あとで付加された伝統であることがわかり,私は驚いてしまった。

正直なところ,自分の信仰を聖書を用いて擁護するのに私はかなり苦戦し,討論は午前3時までつづいた。しかし私は,自分の答えられなかった点を,教師のラビなら必ず知っている,と考えた。そこで翌日,ラビのひとりに質問することにした。

ユダヤ教の信仰の基本的な教義のひとつは,たとえば,エルサレムに神殿が再建されるという信仰である。しかしこのトルコ人の言うところによると,聖書そのものは,神のために物質の神殿を建てる必要をまったく示していない。その証拠として,彼はイザヤ書 66章1節を引用した。「エホバかくいひたまふ,天はわが位地はわが足だいなり,なんぢら我がためにいかなる家をたてんとするか,またいかなるところかわが休憩の場とならん」。

翌日,私は授業中にこの問題についてラビに質問した。「私たちはどんな根拠にもとづいて,エルサレムに神殿が再建されると信じているのでしょうか。イザヤ書 66章1節によると,神はそのような建物に関心をもっておられないのですが」と私は尋ねた。

ラビは怪しむような表情で私をにらみつけ,声を荒だてて,「君は『エホバ派』[エホバのクリスチャン証人]のところへ通っているのか。そんなばかなことをするんじゃない」と言った。その言いかたは,私が大罪を犯したかのようにひびいたので,私は,「ちがいます! ちがいます!」と一生懸命に否定した。しかしラビは私の問いには答えずに,そのまま授業をつづけた。

それにしてもラビは,この質問一つで,私がエホバのクリスチャン証人に会ったことがどうしてわかったのだろうと,私は頭をひねった。あとで気づいたのであるが,市内のユダヤ教のラビや,キリスト教の牧師たちは,エホバの証人にがまんならなかったのである。彼らの群れを去って,エホバの証人と交わる人がふえていくのを恐れていたのである。

聖書研究によって聖書の真理を確信する

それから2週間ほどたって,私は生徒のひとりに個人教授に行く途中,だれかが私の名前を呼ぶのを聞いた。それは,2週間前,私が長い討論をした家の主人だった。「ところで,彼のことをどう思うか」とその人は尋ねた。

自尊心を失いたくなかったので,「たいした印象は受けませんでした」と私は答えた。

「ユダヤ系のエホバの証人に会って見たいと思わないかね」と彼は尋ねた。

「かまいませんよ」と私は答えたが,急いでつけ加えた。「ただし,ユダヤ教の信仰は決してすてませんよ」。

私たちは会う日時を決めた。この約束は,そのあとつづいた一連の週ごとの討論の最初のものになった。討論はすべて秘密裏に行なわれた。私の教師,両親,そしてユダヤ人社会全体から必ず起こる反応を恐れたからである。それでも私は,神学校の伝統的ユダヤ教の勉強と,エホバのクリスチャン証人たちの聖書の教えとを十分かつ徹底的に比較してみるため,この討論をつづけたいと思った。

証人たちと交わり,彼らをよく知るようになればなるほど,私は彼らが聖書の真理をもっていることをますます確信するようになった。そのうちに,これ以上かくしておけない時がきた。私もかくしておきたいと思わなかった。私は学んだ聖書の真理について,大学の同級生や,その時教えていた生徒たちと討論することにした。たちまち四方から異論や反対の声があがった。学校では校長室に呼び出された。校長のことばはまちがえようがなかった。事実,それは脅迫にほかならなかった。もしエホバの証人との交わりをきっぱりと断たないなら放校する,というのである。校長はまた,「君の知っている証人の住所氏名を言いなさい。そうすれば警察に通報できる」と私に迫った。いうまでもなく,私は校長に何も明かさなかった。

私がエホバのクリスチャン証人になったというニュースは,イスタンブールのユダヤ人社会にいちはやく知れわたった。学校の仲間は私を避けはじめた。影響されて,「改宗者」になりかねないと恐れたからだ。嘲笑と戦かわねばならないことも多かった。それは愉快な経験ではなかったが,さほど悩まされることもなかった。

イザヤ書 9章6,7節に関する事件

ある日,学校で起きたひとつのできごとを私はよくおぼえている。上級生のクラスは小さかったので,聖書研究の時には3クラスがいっしょになった。生徒たちの年齢は17歳から21歳までまちまちであった。エルサレムのイエシバから来たラビM氏の授業中,私たちはイザヤ書 9章を勉強していた。同章の6節に関しては,その約束された「子」は,ほかならぬユダのヒゼキヤ王であったと説明された。ほかの学生たちはこの説明をなんの疑問もなく,そのまま受け入れた。しかし私は教師のことばをさえぎり,ヒゼキヤは確かに「大能の神」でも,「とこしへのちち」でも,「平和の君」でもなく,また「ダビデの位」を堅く立てることも,その王座に永久にすわることもしなかったのに,なぜこの預言の成就をヒゼキヤにあてはめることができるのか,と質問した。

彼の答えは,君自身はこの句をどう思うのか,という質問であった。それは永遠にわたってダビデの位に座し,永遠の平和を確立するメシヤをさすものに違いない,と私は自分の信じていることを説明した。これらの句のこのような適用は,そのラビにとっては全くの驚きであったようだ。また,こうした意見が出されることにも慣れてはいなかったようだった。

それまで眠ったようだったクラス全体が急に活気づき,ラビの答えを待ちうけたのはおもしろかった。「彼はまだ考えを変えていないね」。「まだ『エホバ派』に通っているようだね」と互いにささやき合うのが聞こえた。ラビの答えまで,「君がディビッド君かい?」であった。彼が私のことについて警告されていたことは明白だったが,私を直接には知らなかったのだ。「君の質問には,授業が済んでから答えよう」とラビは言った。

授業終了の鐘が鳴ったが,だれも教室から出ようとしなかった。みんな,イザヤ書 9章6,7節のすばらしい預言に関する私の質問にラビが答えるのを聞こうと待っていたのである。しかしラビは,教室がからになるまでは問題は扱わないと言ったので,みんな出て行かねばならなかった。しかしながら,生徒はみな,討論を聞こうとして,あいた窓の外に群がっていた。ラビは立ち上がり,彼らをしかって窓をかたく閉ざし,それから私の方に向いた。「『エホバ派』とかかわりをもっているというのは君のことかね。悪いことは言わない。彼らと手を切りなさい。そしてラビの説明を受け入れなさい」。私の質問に対する彼の答えはそれだけだった。それだけ言うと,彼は教室から出て行った。

しばらくして私は,私の住んでいた地域のユダヤ教共同体の委員会の前に呼び出された。それは私の立場をはっきりさせるためであった。私はその機会を利用して,自分の見方や信念をあますところなく説明した。私の問題にかんする委員会の決定は次の安息日,委員長がユダヤ教徒の中央会堂で演説を行なったときに公にされ,私のキリスト教への「改宗」に関する彼らの遺憾の意が表明された。委員長は私を先唱者また教師としての地位から除くことを発表し,私をもはやユダヤ教社会の成員ではないとみなして,全員,とりわけ私の友だちに私との交わりを断つよう警告した。

ラビたちとの集まりの結果

もちろん私は,いずれはこういう処置が取られるだろうと考えていたので,少しも驚かなかった。しかし,この公の発表は両親からの激しい反対をもたらした。両親は一時私を家から追い出すことさえした。あとで,私が戻るのを許してはくれたものの,私の針路があやまっていることを私に信じさせようとして,あらゆる努力を集中した。納得のゆく論議を述べられるラビがいれば,いつでも会いましょう,と私は両親に言った。ひとりのラビは私と話し合ってもいいと言って,土地の会堂で討論を行なう約束をした。

この討論には,追放以来私と口をきくのをやめた友人がいく人か出席していた。討論はエホバという神の名前をめぐって行なわれた。神の名前は口にしても用いてもいけない,またユダヤ教の崇拝にとってそれは重要ではないというラビの主張に対し,私は,神の名前を呼び,神の名前を他の人に教え,祈るときに神の名前を用いる義務が人間にあることを明確に述べた句をいくつか聖書から引用した。そのため彼は憤慨し,私に向かってどなりはじめ,はてはエホバ神の名前そのものをのろうことまでした。それで,私は,国民の霊的指導者を自任しながら,同時に自分の創造者エホバ神の名前をのろうことがいったいどうしてできるか,と問わずにはいられなかった。私はラビに,エホバを認めようとせずにエホバをのろい,悲惨な最後をとげたエジプトのパロの例を思い出させた。彼は自分のしたことの重大さに気づいたらしく,それまでに言ったことをみな否定し,エホバの名前をのろったことなど絶対にないと言い出した。

その晩,会堂を出て家に帰る途中,私はうしろからだれかがついてくるのに気づいた。それは討論に出席していた友だちのひとりだった。彼は私に追いついて,「君に真理があることがこれでわかった。エホバの名前をのろった覚えはないと言って,ラビがうそをついたのをこの耳で聞いた」と言った。やがて彼もエホバのクリスチャン証人と聖書の研究をはじめ,クリスチャン会衆の集会に出席するようになった。

私の考えを『矯正する』ための最後の努力としておじは,私を,全トルコのラビの長に会わせる手配をした。この会合には,ほかに二人の,ユダヤ教共同体の指導的な成員も出席していた。それはいなかにあるラビの夏の家で行なわれた。その時ラビはそこで暮らしていた。彼は最初から,アムハアーレツ(文字どおりの意味は『地の人々』)ということばを用いて,エホバの証人は,単純で無知な人間にすぎないとして,証人のことをあざけった。しかし,彼がやっと私に,自分の考えを述べる機会を与えたので,私が彼に聖書を持ってきてもらいたいと頼んだところ,彼は家には聖書が一冊もないと答えた。聖書には,「律法のこの書をあなたの口から離してはならず,あなたは昼も夜もそれを小声で読まねばならない」と命じられているのに,全国のラビの長ともあろう人の家に聖書が一冊もないと言われたとき,私はあきれはてた気持ちを包み隠せなかった。(ヨシュア 1:8,新)次いで,彼はほかの人々の手前,町にある冬の家から聖書を持ってくるのを忘れたのだ,ととっさに言いわけして体面をつくろおうとした。

その会合が終わるころ,居合わせた人々は,イスラエルに行くのが最善の方法だ,そうすれば,きっと正しい道に引き返せるから,と私に助言した。しばらくのちに私は,移民として実際にイスラエルに移住した。しかし彼らの期待とはうらはらに,私は依然エホバの証人のひとりとしてエホバにつかえ,定期的にクリスチャンの奉仕を行なっている。

ユダヤ教の会堂の先唱者として,安息日にトーラーの所定の箇所を歌うかわりに,エホバの名前と王国を関心ある人々の家々で布れ告げることにより,日々エホバへの賛美を歌うことを楽しんでいる。これこそ,「エホバに向ひて歌ひその御名をほめよ」という聖書の招きに対する私の応答なのである。―詩 96:2,3。

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