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目ざめよ! 1975
目75 11/8 28–29ページ

聖書はそれをどう見ていますか

誓いを立てる

誓いは,「真実を語る,あるいは約束を守るという決意を証明するため,神あるいはある尊崇されている人もしくは物に対してなされる厳粛な訴え」と定義されています。あなたは誓いを立てることに関してどのように考えておられますか。メノ派教徒やクエーカー教徒など,ある宗教団体に属する人々は誓いを立てることを拒みます。また中には,良心的な理由から,誓いを立てることに異議を申し立てる人がいるので,誓いの代わりとして確約という方法が用いられる場合もしばしばあります。

イエス・キリストが山上の垂訓の中で語った言葉は,誓いを立てることを自分の追随者に禁じたものであると主張されてきました。イエスは次のように語りました。「さらにまた,古代の人びとに対し,『誓いをして履行しないことがあってはならず,あなたはエホバに対する自分の誓約を果たさねばならない』と言われたことをあなたがたは聞きました。しかし,わたしはあなたがたに言いますが,いっさい誓ってはなりません。天にかけても,なぜならそれは神のみ座だからです。地にかけても,なぜならそれは神の足台だからです。エルサレムにかけても,なぜならそれは偉大な王の都市だからです。また,あなたの頭にかけて誓ってもなりません。あなたの髪の毛一本さえ白くも黒くもできないからです。ただ,あなたがたの“はい”ということばは,はいを,“いいえ”は,いいえを意味するようにしなさい。これを越えた事がらは邪悪な者から出るのです」― マタイ 5:33-37。ヤコブ 5:12と比べてください。

イエスは,どんな種類の誓いであってもご自分の追随者が誓いを立てることは不適当であるという意味で語られたのですか。いいえ,そのように結論することはできません。理由は様々ありますが,次の事柄を考慮してください。聖書の中で,エホバ神ご自身が誓いを立てたと述べられている箇所が50回余あります。例えば,ヘブライ人への手紙を書いたクリスチャンの記述者は,このように指摘しています。「神は,アブラハムに約束をされたさい,ご自分より偉大な者にかけて誓うことができなかったので,ご自身にかけて誓い,『わたしは確かに,祝福することにおいてはあなたを祝福し,殖やすことにおいてはあなたを殖やす』と言われた」。(ヘブライ 6:13-18)聖書は人間もまた,エホバに受け入れられる誓いを立てたことを示しています。アブラハムは神にかけて誓いをしましたし,モーセの律法は,一定の状況のもとである人々が誓いを立てることを要求していました。(創世 21:23,24。出エジプト 22:10,11。民数 5:21,22)イエス・キリストでさえ,ユダヤ人の大祭司が「生ける神にかけて誓って言え,あなたは神の子キリストなのかどうか」と述べた時,その言葉に対して何の反対もせずに答えました。(マタイ 26:63,64)それでは,誓いに関するイエスの言葉をどのように理解すべきでしょうか。

キリストが述べたのは,天や地やエルサレム,また人の頭にまでかけて誓う誓いであったことに注目してください。イエスの地上の宣教期間中に生きていた人々の中には,語ることすべてを誓いによって強調する人が,少なくなかったことは明らかです。自分が述べたことを信じてもらうためには,あたかも,誓いを立てなければならないかのように考えていました。しかし,もし人が正直にしかも本気で語るなら,そうした誓いは不必要です。従って,キリストが,「ただ,あなたがたの“はい”ということばは,はいを,“いいえ”は,いいえを意味するようにしなさい」と語った時,人は皆,話す言葉において正直であるべきだという意味で語られたのです。それでイエスの言葉は,法廷で厳粛な誓いを立てることを禁じるものではないようです。

思慮深いクリスチャンは,どんな場合でも,誓いを立てる前に問題を聖書の原則に照らして慎重に考慮します。そうするとき,ある誓いは聖書的に受け入れられないことが分かります。例えば,ナチ政権下のドイツでは,すべての兵士にこのような誓いを立てることが要求されました。「私は,ドイツ国家及び人民の総統であり,軍隊の最高司令官であるアドルフ・ヒトラーに無条件に服従し,またそのためには勇敢な兵士として常に自らの命を危険にさらす覚悟でいるという神聖な誓いを神にかけて誓います」。全能の神に献身している人は,無条件に罪深い人間の束縛を受けることはできません。なぜなら,エホバは『専心の献身』を要求されるからです。(申命 5:9)それに加えて,イエスが『世のものではない』と言われた真のクリスチャンが,この世の論争に巻き込まれるのはふさわしいことでしょうか。(ヨハネ 15:19。ヤコブ 1:27。イザヤ 2:4)従って,ドイツの忠実なエホバのクリスチャン証人は,厳しい迫害にもかかわらず,アドルフ・ヒトラーの束縛を受けるような誓いをしませんでした。

それで,真のクリスチャンは,自分を世の論争に巻き込むような誓いや,他の人間の意志に絶対的に服従させるような誓いは立てません。しかしもし国家が,国民となることを望む者はそのような誓いを立てなければならないと要求するならどうでしょうか。性別,年齢,あるいはその他の要素により誓った事柄が実際に要求されそうもないと考え,都合の悪い要求に対しては黙秘していれば,神に献身したクリスチャンでもそのような誓いを立てることができるでしょうか。これは個人が決定すべきことですが,もし拒むなら市民権を受けられないような誓いであっても,偽りの誓いを立てることはクリスチャンにふさわしくありません。―エフェソス 4:25。ホセア 10:1,4と比べてください。

米国の住民で外国に旅行したいと思う人は,旅券の申請書に誓いの言葉が記されているのに気付かれるでしょう。その誓いの言葉に異議を感じる申請者がいるなら,旅券申請書からその部分を削除することは許されており,その理由で申請が却下されることはないでしょう。

また,「カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」というイエスの言葉に基づいて,問題を慎重に考慮するのは,神を敬う人にとって適切なことです。(ルカ 20:25)神の律法と相入れない誓いであれば,クリスチャンは良心的にそれを誓うことができません。しかし国家の法律上の規定で,神の律法に矛盾しないものを『支持し弁護する』ことを誓うのは,差しつかえないでしょう。国民に崇拝の自由を認める文化の進んだ国では,聖書の教義や全能の神に対する義務に相反することをクリスチャンに要求することはありません。

ところでクリスチャンは,宗教の自由を認める国の法律や憲法をどのように『支持し弁護する』ことができるでしょうか。それは,神の律法とも調和する正当で合法的な行為にのみ従事することによります。また,法廷で真実な証言を述べることを含めて,話す言葉によっても国の法律や憲法を『支持し弁護する』ことができます。神が要求しておられる事柄を行なうためクリスチャンが誓いを立てることに正当な理由をもって反対できる人はいません。それに,政治上の権威者に対する相対的な服従は,キリストの追随者に求められている事柄です。―ローマ 13:1。

もちろん誓いには,様々のものがあります。例えば,ある労働組合は組合員に次のような誓いを立てるよう求めます。「私はこの組合に真の忠誠を示し,いかなる方法によってもこの組合の利益を犠牲にするようなことはしません」。普通適用されているように,これはストライキ破り行為や,組合にとって有害とみなされる同様な活動に従事しないということを意味しています。もし神を敬う人が,そのような誓いに従っても自分のクリスチャンとしての活動と矛盾することはないと判断したなら,そうした誓いを立てようと思うかもしれません。

ですからどんな誓いが考慮される時でも,無視できないのは個人の良心です。もちろん,エホバに献身した人は聖書の原則を考慮に入れます。結局,そのような人が神との親密な関係を保ち続けるために聖書の原則を考慮に入れるのは非常に肝要なことです。

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