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「生命の言葉」を一致してひろめる者たちものみの塔 1962 | 3月15日
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は「神の言」と呼ばれています。天におけるその公の称号は「言」でした。(黙示 19:11-13。ヨハネ 1:1,新口)神の新しい組織制度で永遠の生命を受けつぐ人々にむかって使徒ヨハネは,19世紀前のイエスの地上の臨在について次の事を書いています,「初めからあったもの,わたしたちが聞いたもの,目で見たもの,よく見て手でさわったもの,すなわち,いのちの言について ― このいのちが現れたので,この永遠のいのちをわたしたちは見て,そのあかしをし,かつ,あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは,父と共にいましたが,今やわたしたちに現れたものである ―」。(ヨハネ第一 1:1,2,新口)地上でイエスは言われました,「わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は,いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは,世の命のために与えるわたしの肉である……わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう」。(ヨハネ 6:51,57)神の御子は,利己的にも自分だけが生命を楽しむことをしませんでした。彼は私たちに生命を与えるために遣わされて来たのです。
27 (イ)「いのちの言葉」をどうすべきかについて,イエスはどんな最後の命令を与えましたか。(ロ)このように世界的にひろめる事自体は,なぜほめるべきことですか。
27 イエス自身,天から遣わされて,ご自分の中に宿る生命を与えるために来られました。そのようにイエスは「いのちの言葉」を持つ人々を遣わして,他の人々にその言葉を与えさせます。書かれた神の言葉の中から最後の教訓を弟子たちに与えたとき,イエス・キリストはこう言われました,「こう,しるしてある。キリストは苦しみを受けて,三日目に死人の中からよみがえる。そして,その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが,エルサレムからはじまって,もろもろの国民に宣べ伝えられる。あなたがたは,これらの事の証人である」。(ルカ 24:46-48,新口)「ただ,聖霊があなたがたにくだる時,あなたがたは力を受けて,エルサレム,ユダヤとサマリヤの全土,さらに地のはてまで,わたしの証人となるでしょう」。(使行 1:8,新口)イエスの追随者は,一致して「いのちの言葉」を地のはてにまで,宣べ伝えることを命ぜられました。このように宣べ伝えるのは全く正しいことでした。この言葉は全人類にとって生命の言葉だからです。
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反対に耐える ― イスラエルでものみの塔 1962 | 3月15日
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反対に耐える ― イスラエルで
ある善意者は,特別開拓者と1年余り聖書の研究をして,それが真理であることを認識するようになりました。そして,夫がどんなにひどく反対しても,集会に定期的に出席し,週に1回戸別伝道をするようになりました。夫は,いつか御国会館に行ってあばれて困らしてやるんだ,ということまで言っていましたが,ほんとうに5人の友だちと一緒にめんどうを引き起こしました。おもしろくないお客さんが来るということをある善意者から知らされていたその特別開拓者は,いつもと違った気配を外に感じたときすぐにへやを出て行きました。そして男の腕をとらえて中にはいらせないようにしました。その間に兄弟たちは,ドアにかぎをかけました。男はかんかんに怒って窓をこわしはじめました。女家主が警官を呼びました。警官たちは兄弟たちにも家主にもよい態度は示しませんでしたが,私たちの味方をした家主のむすこさんとその男を警察に連れて行きました。そうしているうちに集会もすんで,3人の兄弟が警察に行きました。夫は警官のまえで妻をなぐりましたが,警官は間にはいろうとしませんでした。警官のくわしい調査と,兄弟たちのよい証言のあとで,その男は,そのようなことをする権利は全くもたないことを告げられました。彼はついに,めんどうを起こしたこと,損害を与えたことをわび,妻にキスをして,一緒に家に帰るように頼みました。妻は,警官のまえで,夫がふか酒をやめることと,すべての集会に行くことおよび週に1回奉仕に行くことを許すという条件に同意しない限り帰らないと答えました。夫はそうすることを約束し,将来自分が集会に連れて行くと言いました。約束通り彼はいま定期的に妻を集会に連れてきています。また,家主と兄弟たちに乱暴をしたことをわび,損害をすべて弁償しました。―1962年のエホバの証者の年鑑(英文)より
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