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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1954
塔54 9/15 346–352ページ

宣教に対する要求

『兄弟たちにこれらの教訓を与えることより,あなたはキリスト,イエスの正しい奉仕者になる。』― テモテ前 4:6,新世。

1,2 ヱホバが,その目的を達成するのに用いるいくらかの手段は何ですか?

生ける神であるヱホバは,無限の智恵を持つておられ,多くの力と創造したものを用いることにより,その永遠の目的を果し,時に応じて特別な仕事を達成されます。ヱホバは過去の時代に火の燃える焔,暴風で浪立つ海,大魚,野の獣空の鳥,昆虫,人間,天使,そして天使長であるミカエルすら用いました。そしてまたこれらのものたちは,大いなる創造者の御意をするのに良く働いております。

2 天使長は聖書の中で言葉とも表し示されていますが,ヱホバは最初にそして全く直接に彼を創造しました。ヱホバが他のすべてのものを創造するのに,『主なる働き手』として用いられたものは,他ならぬこの天使長でした。(シンゲン 8:30。黙示 3:14)『すべてのものは彼によつて存在するようになつた。彼によらないでは何一つとして存在しなかつた。』(ヨハネ 1:3,新世)彼は宣教に対して必要な要求を割り当てられましたが,天の父に常に従つて父をよろこばせ,父の御意をするのをよろこんで行いました。地上の人間で救いの相続者たちを援助するため,他の忠実な天使たちがどのように奉仕するかは十分に知ることができません。しかし,それらの天使たちはヱホバの僕たちであり,その宣教を達成するのに必要な要求にかなつている者たちであるということは,まつたく確かなことです。ヱホバは『「その天使たちを霊となし,公やけの僕たちを火の焔となす。」……天使たちはみな公やけの奉仕のための霊であり,救いを相続しようとする者たちに奉仕するため遣わされているものではないか?』― ヘブル 1:7-14,新世。詩 104:1-4。

3 アベルとエノクは,どのようにしてヱホバの奉仕者であると明白に示しましたか?

3 昔しの時代に男も女もヱホバに良く奉仕しました,というのは,彼らはその課せられた宣教に対しての要求にかなつていたからでした。ヘルブ書 11章の中には,16名のそのような人々の名前が名誉を与えられ聖なる記録の中に記されています。最初の人アベルは,ヱホバの忠実な証者であつて,その嫉妬に狂つた兄カインによつて殺された時でも,アベルは沈黙しませんでした。ヱホバはカインに向つて話しかけられ,こう言いました。『聞きなさい! あなたの兄弟の血は,地から私にむかつて叫んでいる。』(創世記 4:10,新世)『信仰によつてアベルはカインよりも,より大きな価値ある犠牲を神に献げた。アベルはその信仰によつて,正義である方,すなわち彼の供物について証しを守られる神にたいして証しを立てた。それを通して,彼は死んではいるが,いまでも語つている。』(ヘブル 11:4,新世)エノクもまたその割り当てられた宣教に対する必要な要求にかなつており,その表の中に述べられています。アダムから7代目の人であるエノクもまた予言し,……次のように言つた『みよ! ヱホバはその千万の聖い者を率いてこられた。それはすべての者に裁きを行うためであり,すべての不敬虔な者が不敬虔な仕方で行つたすべての不敬虔な仕業と不敬虔な罪人らがヱホバに反対して語つたすべてのはげしいことがらを処罰するためである。』― ユダ 14,15,新世。

4 ノアのどんな活動は,彼がヱホバの奉仕者としての要求にかなつたことを証明しますか?

4 アダムとエホバは反逆と不従順のために,その楽園の家から追い出されましたが,その時から約16世紀後には,子孫たちの道徳は非常に悪くなり,その考えるところも想像することもみなたえず悪のみだけでした。それでヱホバは大洪水を地にもたらして,その悪い制度と,それを支持するものたちすべてを亡ぼそうと決心されました。ヱホバは,地上にいた正義の人々とある動物を救い生存させるために,難避所をつくるようにと命じました。それは異常の構造物であつて舟とも呼ぶことのできるものです。ノアは舟造りではありませんでしたが,ヱホバは彼にこの仕事を割り当てました。ノアはヱホバとその目的を成しとげるヱホバの完全な能力に大きな信仰を持つていて,その仕事を行い,時間通りに完成しました。ノアは建造する以外に,ヱホバの目的について口でもつて伝道しました。(ペテロ後 2:5)彼もまた宣教に必要な要求にかないました。

5 アブラハムは,その長い生涯のあいだに,認められた奉仕者としての要求をどのように果しましたか?

5 ヱホバは,大洪水後に別の人に仕事を割り当てましたが,その人はその仕事をなしとげるのに必要な信仰を持つていました。この人は忠実な奉仕をし,また変ることのない従順を示しましたので,ヱホバはこの人にすばらしい約束をされました。この約束は契約となり,信仰を持つすべての人類への希望を含んでいました。『聖書は,神が信仰の故に諸国民を正義と言明すると先見し,アブラハムに前もつてこのような良いたよりを与えた。「お前によつて,すべての国民は祝福されるであろう。」』(ガラテヤ 3:8,新世)神がアブラハムに命じて,その愛した子イサクをモリア山の祭壇で犠牲として捧げるように告げた時,彼にとつて最もつらい試験が課せられました。このことは,聖なる記録のために一つのことを予表していたのです。すなわち,信ずる人類を贖うための犠牲として,ヱホバ神がその愛せられた子イエスを捧げられたことです。アブラハムは信仰を持つていて,従順に従い,必要な予表はつくられました。しかし,ヱホバの恵みある御親切により,イサクは生命を助けられ,忠実な父親アブラハムのところに戻りました。―創世 22:1-18。

6,7 モーセの生涯において,良い奉仕者に対するどんな要求が明確に示されていますか?

6 時がたつて,モーセもまた宣教のための資格と力を持つ人の手本となりました。しかし,彼は最初必要な要求にかなう者とは考えませんでした。モーセがヘブル人の両親より生まれた時,幾万というイスラエル人たちはエジプトの束縛の下にいました。生まれた時から死んだその日に至るまで,信仰はモーセの生涯にあつて非常に重要な役割を果しました。エジプト王の命令の下にあつて,モーセはイエラエル人の他のすべての男の幼児と同じく,生まれた時に殺される筈でありました。彼の両親は,信仰を持つていましたので,その愛らしい子供を殺すのを拒絶しました。ヱホバの指示をうけて,子供はパロの娘にとりあげられ,王室で育てられました。モーセはそこで,エジプト人のすべての智恵を学びました。しかし,モーセはこれらの異常な環境の下にあつても,イスラエルの神であるヱホバの清い崇拝を棄てませんでした。モーセは,エジプト人の監督がくるしめていた彼の兄弟を救けようとしましたが,そのとき王<パロ>とのあいだに面倒なことが起り,その生命を守るためにミデアンの地に逃げなければなりませんでした。彼はそこに40年住み,エテロの牧者として働き,後にその娘と結婚しました。モーセは80歳になつて,正義という点で全く円熱し,ヱホバがいま彼に割り当てた宣教を行うのに全く充分の資格を備えました。ヱホバはこう申しました。『私はエジプトにいる私の民のくるしみを間違いなく見ており,彼らを働かせる者たちのために彼らの叫びを聞いている。私は彼らが悩んでいる痛みを良く知つている。……さて,私はお前をパロのところに送り,イスラエルの子孫である私の民をエジプトから導き出させよう。』(出埃 3:7-10,新世)ヱホバからこの話しを聞いて,モーセは大いによろこぶべきでしたが,しかし彼はエジプト人たちやその王の気質を知つていたので,その仕事を行うのを恐れました。その任務をする資格または力がないとモーセは言いました。ヱホバはこれを聞いて不快に感ぜられました。というのはヱホバはモーセの能力については,モーセ自身よりもよく知つていたからでした。ヱホバは,彼と共にいるであろうとモーセに告げましたので,モーセはこの確信を力にして頼り,その任務をなしとげようと出かけました。

7 モーセは,この割り当てられた仕事を果すのに必要な要求にかないました。その仕事を行つた時,彼は豊かに祝福されました。私たちすべてにとつて,これは良い教訓です。その制度を通してヱホバより割り当てをうける時,それはできないという言い訳をしてはならず,また不平を言つてはなりません。ヱホバは言い訳をうけいれません。ヱホバが言い訳をうけるとするならば,彼はその僕たちの分限を知らないということになります。無限の智恵を持つ神にとつて,そのようなことは全くあり得ません。私たちが従順であることは,言い訳をするよりも良いものです。従順は生命に導きます。言い訳は終りない死に導きます。

8 エレミヤは忠実な奉任者として働きましたが,そのことはどんな面で私たちを援助しますか?

8 イスラエルの国民は,エジプトを去つて約束の地に入つてから,繁栄して,非常に多くなり,富み栄えました。しかし,彼らは間もなくヱホバの真の崇拝から離れそむき,そのまわりにいた異教の国民の悪鬼崇拝を行いました。ヱホバはこのことで非常な不快を感ぜられました。ヱホバは,宣教に対して充分の力あつた予言者エレミヤをエルサレムに遣し,信仰を失つた祭司たちや,偽りの予言者たちや,またユダの王たちにヱホバはバビロンの王を用いてその都と壮大な宮を亡ぼすと警告を与えました。そしてまた更には,イスラエル人たちは奴隷としてバビロンに連れ去られ,彼らはバビロンで70年のあいだ他の神々に仕えるであろうということをも警告しました。(エレミヤ 25:8-13。ダニエル 9:1,2)これらの祭司たちや,偽りの予言者たちはエレミヤを迫害しました。しかし,彼はその任務をなしとげ,宣教に必要な要求にかなつた者であるということを全く証明しました。彼らはある時に,エレミヤを君候たちのところに連れ来り,彼は暴動を起していると訴え,死刑にあたるべき者であると言いました。なぜ? 彼は,バビロンの王に都を譲り渡すよう人々に告げていました。エレミヤは何をしましたか? その事がらを処理するのに,彼は用意していましたか? 訴えた者たちに対して,エレミヤは次のように言いました。「我は汝らの手にあり,汝らの目に善と見ゆるところ義しと見ゆることを我に行え。されど汝ら良くこれを知れ,汝らもし我を殺さば,必らず罪無きものの血,なんじらの身とこの邑とその中に住める者に帰せん。ヱホバ我を遣してこのすべての言葉を汝らの耳につげしめ給いしなればなり。」偽りの祭司たちや告訴者たちにとつて,いまや局面は変りました。これを聞いて,人々は次のように言いました。「この人は死にあたる者にあらず,これは我らの神ヱホバの名によりて我らに語りしなりと。」(エレミヤ 26:14-16)祭司や偽りの予言者たちの言つたこと,またそそのかしたことによつてどのように昔しのヱホバの証者たちが,迫害されたかということをこれは説明しています。今日でもその通りです。サタンには新しい策略がありません。新しい衣服の中に古い策略を盛りこむだけです。パウロが次のように言つている通り,私たちはサタンの手段を知つています。『私たちがサタンによつて騙されないようにするためである。というのは私たちはサタンの企みを知らないのではないからだ。』(コリント後 2:11,新世)パウロは,これと対照をするものとして,次のことを私たちに思い起させています。『神の富と知恵と知識は何と深いのであろう! その裁きは何と測り難く,その道は何と探り難いものであろうか?』― ロマ 11:33,新世。

最大の奉仕者を紹介す

9 洗礼者ヨハネは,奉仕者としてのどんな特別無比の特権を正しく用いましたか?

9 ヱホバは,その予定の時にメシヤが表れ,まず最初にイスラエルに紹介されるよう目的を立てられました。ヱホバはメシヤを紹介するというこの貴重な宣教を行わせるのに,学者とかパリサイ人の中からは全く選びませんでした。ヱホバが選ばれたのは,辺鄙な田舎の人で,エレサレムにいた宗教支配者たちの言い伝えとか間違いに教えこまれていない人でした。ヱホバは,メシヤの道を準備するために洗礼者ヨハネを選び,ヨハネはメシヤが来たときに彼を人々に紹介しました。ヨハネは生まれる前からヱホバの奉仕に献身されていました。ヨハネが子供であつた時,献身した両親は彼を育てて訓練し,そして若い頃は,荒野で孤独な生活をいたしました。ヨハネはその荒野で,ヘブル語聖書に書かれているものを読み,また深く考え,自分の前にある仕事について自ら準備することができました。このようにして,彼は宣教に必要な要求にかなうようになりました。ヨハネの伝道の活動についての記事を読むならば,彼は恐れを持たない人であつて,何事をもかくさなかつた人であつたことが分ります。彼の話しを聴いていた聴衆の中には,多くの場合に学者,パリサイ人,そしてサドカイ人がいましたが,ヨハネはそれらの者に目立つような地位を与えて彼らを尊びませんでした。その代りに,彼らにむかつてこう言いました『あなた方まむしの子孫よ,来るべき怒りからどのように逃げるべきかを誰が示したか?』― マタイ 3:7,新世。

10 地上におけるイエスの短い期間の奉仕に,良い奉仕者としてのどんな正しい行いが特別に顕著ですか?

10 ヨハネがその宣教を初めて6ヶ月後に,イエスが洗礼をうけようと彼のところに来ました。ヨハネは躊躇して,こう言いました。『私こそあなたから洗礼をうけるべき者であるのに,あなたは私のところに来るのですか?』 イエスは答えて,『いまはそうおつしやるな。そのようにして正しいことをするのは,適当なのである。』(マタイ 3:14,15,新世)イエスの幼い時の生活については,彼がヱホバの霊によつて生まれ,ベツレヘムで誕生したということ以外には,聖書には殆ど記録が書かれていません。イエスはダビデの支族に属する処女マリヤから生まれました。今日ローマとコンスタンチノープルの図書館にある記録によると,若者イエスはその当時の政治や,国民の問題,論争に全然関心を払わなかつたと言われています。イエスは,ローマ人たちによるひどい束縛の絆から国民を解放する努力をしませんでした。イエスは,ヘブル語聖書を研究し,人々に天の御国について語るのに時間を費しました。またそれらの記録によると,誰も彼に読み方を教えなかつたが,彼は記憶でもつて聖書を知つていました。それで,当時の学者たちは驚きもし,また困りました。イエスがイスラエルの国民の問題に関心を持ちませんでしたので,彼の母親もまた困惑しました。それで彼女は天使ガブリエルが,その子は父ダビデの御座を相続し,その御国には終りがないと彼女に告げたことを思い出しました。ある時母親はそのことを子に話しました。しかしイエスはこう答えました。『女よ,あなたは私が誰であるかを知らない。』しかし,これらの記録は,聖書の一部ではありません。聖書によると,イエスは自分が誰であり,どんな任務を行うように運命づけられているかを知つていました。彼はこの任務をなしとげました。

11 その宣教の活動の時に,洗礼者ヨハネとイエスはどんな障害に会いましたか?

11 洗礼者ヨハネもイエスも,伝道に行つた時に多くの困難や障害に会い,それらを克服して行きました。『天の御国は近づいている! 悔改めて,罪のゆるしを得るために,洗礼をうけよ。』その待つていたメシヤは,この地上にダビデやソロモンの統治したような御国を設立するであろうとユダヤ人たちは期待していました。しかし,ヨハネもイエスも天的な,霊的な御国について語りました。ユダヤ人たちは,モーセよりも偉大な支配者でありまた予言者を待ち望んでいて,その者は来て彼らを圧迫していた異邦人の国民より救い出し,イスラエルを地上で最大の国民にすると期待していました。それで,すべての人々はその者に求めるであろうと彼らは考えていました。彼らの予言者イザヤが次のように記録したのを思い出していました。『その日エツサイの根たちてもろもろの民の旗となり,もろもろの邦人はこれを求め,栄光はそのとどまる所にあらん。』(イザヤ 11:10,ア標)また別の教えを聞いて,多くのユダヤ人たちは困惑しました。ヨハネは悔改めて罪のゆるしを得るようにと伝道しました。彼らはこの教えを聞いて不思議に思いました,というのは15世紀以上に亘つて,ユダヤ人たちは幕屋で,また後には宮で,こみいつた奉仕制度や犠牲を守つてきたからでした。それらの奉仕や犠牲の目的は,人々の罪を取り除くことであり,モーセを通して紹介された律法契約の取り極めの下にいて,ヱホバと常に調和を保つことでした。それですから,宗教指導者たちにとつて水による洗礼で象徴される悔改めを通して,罪が許されるなどということは,とうてい受けいれることができなかつたものです。しかし,多くの一般大衆はヨハネを予言者と認めて信じ,彼のところによろこんで来て洗礼をうけました。

12 偽りの教えのために生じている今日のどんな結果は,イエスの直面した状態とは反対のように見えますか?

12 大祭司たちは,年毎に動物の犠牲を捧げましたが,それらの犠牲は人々の罪を取り除くことができないということについて,ユダヤ人の宗教指導者たちは,理解できませんでした。人類に対するヱホバの律法の要求にかなうためには,完全な人間の犠牲が必要でした。エデンでアダムの罪のために失われたものを買い戻すためには,完全な人間の生命を犠牲にすることが必要です。イエスの弟子たちでさえも,御国が設立される前,また,すべての従順な人々に祝福が注がれる前に,なぜイエスが死なねばならなかつたかを理解できませんでした。弟子たちは,イエスを直ちに王とし,イスラエルの地的栄光を再び回復しようと欲しました。偶然なことですが,それは今日にある状態とは反対の状態であるということが分ります。偽りの宗教は,救われる者たちとは天に行くよう運命づけられている者たちであつて,神の御国はただ天での祝福を意味していると長いあいだ教えてきているからです。しかし今日,地の人々にたいする神の音信は,天の御国についての音信ですが,その御国は地に祝福を降らし,地をヱホバの栄光で充たし,地をよろこびの楽園とし,その地で従順な人々が幸福のうちに終りなく生活し,ヱホバを讃美してよろこびのうちに奉仕するようにいたします。

13 地上にいた時に,イエスは正しい奉仕者としての他の大切な要求をどのように成就しましたか? そして,どんな結果が生じましたか?

13 それで,イエスもまたその宣教にたいして十二分に資格と力を備えていたことが確かに認められます。イエスは神の言葉を非常に注意して研究しました。その読んだところを記憶し,彼のために書かれてある教訓に従いました。イエスはまた多くの弟子を集め,宣教させるために彼らを訓練しました。イエスは,譬えでもつて一般大衆に話しをしましたが,弟子たちには健全な教理を明白に説明しました。イエスは仕事について弟子たちを訓練した時,非常に実際的であつて,町から町へ,村から村へ,そして家から家へと彼らを連れて行き,人々にどのようにそしてまた何を教えるかを示しました。後にそのような訓練をしてから,彼は弟子たちを二人づつ組ませて遣わしましたが,それは彼らが個人的な経験をすることによつて貴重な実際の見聞を得るためでした。イエスが訓練した人々は,奉仕をするのに必要な要求をそなえていた力ある奉仕者になりました。

14 象徴を表わす洗礼について,ペテロは真の理解を持ち,また行いましたが,それは宣教についての別の重要さをどのように説明していますか?

14 例えば,ペテロを見てごらんなさい。五旬節<ペンテコスト>の日にペテロは一般大衆の大群集に伝道しましたが,その群集は彼がその時までに話しをした群集の中でも一番大きなものであつたということは疑いありません。その伝道の結果3000人は改宗し,後に洗礼をうけました。(使行 2:14-41)水に浸水して行う洗礼の代りに,水をふり注ぐことを信ずる者たちは,エルサレムにはそんなにも多くの者を浸水させる方法が無かつたのであるから,ペテロはその大群集に水をふり注いだに違いないと教えます。しかし,そのような事を教える者たちは間違つています,というのは当時にエルサレムの中とそのまわりには多くの池がありましたから,その池で大群集でも容易に洗礼をうけました。自分の庭園に水を灌ぐためにソロモンは池をつくりその池についてこう説明しています。『我はわが為に家を建て,葡萄園を設け,園を作り,庭をつくり,また果のなるもろもろの木を其処に植え,また水の塘池をつくりて樹木の生い茂れる林にそれより水を灌がしめたり。』(伝道之書 2:4-6)今日では,エルサレムにそれらの池の中三つの池が存続しています。それらの池は赤土焼きの管で共に結合されており,長さ約50尺,広さ20尺,そして深さは約12尺で,両端には石の踏段がつけられています。これらの池だけでなく,シロアムの池もあつたのですから,そこで大群集の浸水は容易に行われたことでしよう。ペテロはそれら幾千という人たちに水をふりかけませんでした。彼らが水で浸水をうけたことは疑いありません。その忠実な使徒は,宣教に対して本当に良く訓練をうけていて,またヱホバの霊の助けを得て,彼は最初の『御国の鍵』を用い,ユダヤ人たちに御国の特権を開きました。―マタイ 16:19。

パウロの宣教

15,16 (イ)イエスは何時そしてどのようにして12使徒の最後の者を選びましたか?(ロ)パウロはどんなことをしたために,真の奉仕者であるということが示されますか?

15 五旬節<ペンテコスト>の後に,イエスの敵にとつては腹立たしいことでしたが,御国の音信は急速に拡がりました。当時の著名なある人々は,御国の音信を認めて信じ,その音信を他の人たちに伝道し始めました。それらの人々の中に,サウロと呼ばれたタルソ人で才智ある若者がいました。彼の名前は後にパウロと変り,イエスの12使徒の一人になりました。

16 パウロはすばらしい経験を持つていましたが,その経験によつて彼は真理に改宗したのでした。彼はクリスチャンたちを迫害するためにダマスコに行く途中でしたが,その時奇蹟的にも栄光化されたキリストを一瞬の間だけ見ることができました。キリストはパウロに告げて,彼は選ばれた器であつて御国の音信を多くの人々に伝える者であると言いました。パウロは非常な熱心をもつて宣教に入りました。ある期間のあいだ注意深く研究して,宣教についての要求を学んだ後,パウロはヱホバ神奉仕のために自分自身のすべてを捧げました。彼は遠い国々に旅行し,行つた先々何処であつても良いたよりを伝道し教えました。パウロはある時ギリシヤのアテネの町を訪問しましたが,そこで宣教での彼の仲間たちと会う筈でありました。パウロはそのアテネの会堂で,ギリシヤ語を話すユダヤ人たちにメシヤの音信についての関心を起させようと努力しましたが,誰一人としてパウロの言葉に耳を傾けませんでした。彼は後になつて市場で,ある哲学者たちと聖書を討議する機会を持ちました。またエピクロス派の哲学者たちや,ストア派の哲学者たちと接するようになりました。エピクロス派の哲学者たちは,彼らの多くの神々は人間の事柄に関心を持つていないと考えました。生命に対する彼らの中心の目的は,感覚を満足させることでした。ストア派の哲学者たちは,生命のすべての利害は運命により支配され指示されていると信じていました。

17 アテネで,好奇心をもつたある聴衆たちのどんな態度にもかかわらず,ヱホバの奉仕者としてのパウロの責任感は曇らず,またなくなりませんでしたか?

17 パウロが屈せずに話すために,これら両方の群の者たちは明らかに悩まされましたが,遂にパウロに対して嫌悪の気持ち,ある者は彼のことをおしやべり屋と呼び,他の者たちは,一体彼が何物であるか不思議に思いました。(使行 17:18,新世)彼らは『おしやべり屋』という言葉を嘲笑するために用いましたが,それはパウロが道に沿つて食物の餌をあさつて集めるニワトリのようであるということを意味しました。というのは,パウロはここかしこで知識をとり上げ,それをこんどは自分のものとして他の者たちに伝えようとしている者のようであると思われたのでした。ああ,しかしこの哲学者たちは,パウロの質問に答えることができず,またイエスとよみがえりについてのパウロの議論を論破することができませんでした。彼らはしまいには捨鉢となり彼を捕えて,アレオパゴスに連れて行き,こう言つた「この新しい教えが何であるか知らせてもらえまいか?」 当時のローマの法律によると,「いかなる人といえども違つた神々や新しい神々を持つてはならず,また公やけに許されないならば外国の神々を自分勝手に崇拝してはなりませんでした。」パウロはピリピで初めてこの法律とぶつかつたのですが,そのピリピで,パウロを訴えた者たちは長官にこう言つたのでした。『これらの者たちは,町を非常にかき乱している。彼らはユダヤ人であるのに,ローマ人である私たちが取りあげてもならず,また行つてもならないような習慣を言い広めている。』― 使行 17:19; 16:19-40,新世。

18 アテネとエルサレムは,対称する時,ここでどのように見えますか?

18 当時においてもまた幾世紀もの昔しからも,文化と教育の中心であり,独立自由の町で,模範的民主主義であると自ら誇つていたその場所に,いまパウロは立つていました。その自称の智恵を言い拡めていた偉大な哲学者たちは,全世界の有識者たちの注意をひきつけました。アテネ人は誇りを持つ富める人たちでしたが,いまアテネもまた第6の世界勢力ローマに服従するようになりました。一方にパウロはエルサレムから来た者でしたが,そのエルサレムとはヱホバが御自身の御名をよろこんで置かれた町であり,またイエスが人々を教え,そして真の宗教を始められた町でした。それだけに止まらず,パウロは真に自由な『上なるエルサレム』すなわちヱホバの制度の活潑な市民でした。(ガラテヤ 4:26,新世)上からの智恵を示すように,といま招待されましたが,このことからこの世の智恵を言い広める者たちにどんな結果が生ずるでしようか? 見てみましよう。

19-21 (イ)マース神の丘でのパウロの聴衆は誰でしたか? 彼は彼らに奉仕するのにどのように力を備えていましたか?(ロ)聴く者たちを啓発するために,パウロは,どのように話しをすすめて行きましたか?

19 幾世紀も年数を経たアレオパガス,またはマース神の丘は,昔しは町の有名な最高法廷の野外集会所でしたが,当時ではただの公共討論場にすぎませんでした。そこに,誇らし気な,身なりの良い,栄養の十分まわつたエピクロス派の者たちは良い席に腰かけました。その後ろには,重々しい顔付きをしたストイツク派の者たちがつめかけ,遠近から来た弟子たちが続いて従いました。裁判官であつたデオヌシオもまた来て,パウロの言葉をみな聞こうと席を取りました。終りに,ダマリスという婦人も席をしめました。(この時のパウロの話しで,この婦人は改宗してキリストの弟子になりました。)なんという聴衆なのでしよう! 司法関係の代表者たち,また有識者たちやこの堕落した学問と文化の世界都市の社会の人々が詰めかけていました。

20 さて,招待された講演者,すなわちヱホバの僕である使徒パウロを見てみましよう。パウロは小柄で,これといつて見栄えのすることもなく,ぜいたくな衣服を身につけていませんでした。アテネに来る前牢獄に入つていたこともあり,また旅行もしていましたから,その衣服は多分古くさくなつていたでしよう。いまそこで,パウロは人間の助けも慰めもなく,ただ一人だけで立つていました。勇気を失つて,すつかり滅入つていましたか? いいえ,そんなことはありません。実際の物の剣よりも鋭い『霊の剣』でパウロは装具をつけていたからです。それに宣教に必要な要求にかなつていましたから,彼はその『霊の剣』の使い方を知つていました。彼を導くヱホバの霊をうけて,パウロは次のように語りました。

21 『アテネの人々よ,あなた方は,あらゆる点において,他の者たちよりも宗教心に富んでいると,私は見ている。例えば,道を通りながら,あなた方の拝むものを注意深く見ているうちに,「知られない神に」と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。それで,あなた方が知らずに拝んでいる方について,私はあなた方にひろめ伝えているのである。』(使行 17:22,23,新世)なんという紹介の言葉なのでしよう! 哲学者たちのこの集まりに話しかけるのに,なんという仕方なのでしよう。『おしやべり屋』から出てくるこれらの言葉は,好奇心を持つ単純な聴衆たちにとつては,びつくりさせる驚きの効果を与えました。聴衆は,このようなことを全然期待していませんでした。全くパウロは少し話しただけで局面を変えました。いまでは,学問ある哲学者たちは,愚かで無智に見える『おしやべり屋』になりましたが,エルサレムから来た小さなツマらない人間は学問ある教師となりました。誇りを持つていたこれらアテネ人は,何も知らない一人の神を無智のうちに崇拝していたとはつきり認めましたが,パウロはその神について良く知つており,よろこびの心に満されながら,人々にその神を知らそうとしていました。パウロは,市場では,このような事を人々に話すことができなかつたのです。人々は市場で定期的に集まり,他の者たちを教えていたからです。しかしここではパウロは招待された講演者であり,思うことを何でも言うことができました。

22,23 パウロは,どのように巧みに生ける神を表し示しましたか?

22 それら不機嫌な哲学者たちが「この男をつれて来て,私たちをこんなにも困らすとは,一体誰が考え出したのだ」と言い合つているのをあなたは想像できますか? ああ,しかし待ちなさい! パウロは人々の無智を暴露し始めたばかりなのです。このように続けています『世界とその中のすべてのものをつくられた神は,天と地の主であられ,手でつくつた宮に住まわれず,また何か不足しているかのように人の手によつて仕えられる必要もない。神はすべての人に生命と息と万物を与えられるからである。神はまた一人の人よりすべての国民をつくり,地の全表面に住ましめ,そして指定した時代と人々の住む境界を定め命ぜられたのである。それは人々が神を求め……実際に神は私たち一人一人からは遠くはなれてはおらない。というのは私たちは神によつて生命を持ち,動き,存在するのである。あなた方のある詩人も言つたように「本当に私たちも神の子孫である。」』エルサレムから来た小さな『おしやべり屋』からなんという言葉が発せられるのでしよう。そうです。生命の言葉です! ―使行 17:24-28,新世。

23 パウロはその時シリシアのアラタスとまたクリンテスの詩から引用して次のように言つたのだとある人々は主張しています。『神より始めよう。すべての人の声をあげさせ,神の永遠の讃美に調子を合わさせよう。神は天,地,海,空気を充たされる。私たちは神の霊をここにもまたいたるところに動くのを感ずる。私たちは神の子孫である。』講演者は,その驚くべき論議を支持するのに,聴衆が権威あるものとは認めないヘブル人の予言者からではなく,人々の知つている人が書いたものを思い起させることによつてしたのでした。彼が続けて言う言葉を聴いてごらんなさい。『このように私たちは神の子孫であるからには,神たる者が金または銀または石のように,人の技巧や考案で彫んだもののようであるなどとは想像すべきではない。』誇りを持つていたそれら哲学者の自我はなんと縮こまり,また彼らはなんと不機嫌になつてきたのでしよう。パウロが語るのを止めるようどれ程に願つたことでしよう! 人に見られずにその会堂を出ることができたならば,非常によろこんだに違いありません。―使行 17:29,新世。

24,25 (イ)パウロは続けて,ヱホバのどんな要求を強調しましたか?(ロ)聴衆にむかつて,健全などんな教理を語ることにより,異常な公開集会にどんな最高潮の発展が結果として生じましたか?

24 しかし,みなさん,我慢しなさい。パウロはまだ言い終らず,もつと言おうとしています。神権的巧みさを用いてのパウロの次の言葉は親切なものです。深い智識を持たないこれら自称の賢人たちは,生命を得ようとして,このパウロの言葉をよろこんで聞きました。彼はこうつけ加えています『神は確かにそのような無智の時代を見逃がされていたが,しかし今やいかなる所であつてもすべての人は悔改めるよう人類に語られている。なぜならば,神は日を定め,その任ぜられた一人の方によつて正義のうちに地を裁こうと目的されているからである。神は死人の中から彼を甦えらせ,すべての人に保証を与えられた。』― 使行 17:30,31,新世。

25 死人の甦えり? 全く驚くべきことです。その瞬間に,アテネの哲学者たちは口を切りました。『ある者は嘲笑し始め,他の者は「別の時にこのことについて聞こう。」と言つた。』それで,その民主的大多数は突然にまた無作法の儀式でもつて声の投票により会の終つたことを宣言しました。『賢人』とうぬぼれていた彼らは,アテネの身分の貴い人が一人として甦えりを信ずることはないだろうと考えました。しかし,例のごとくに彼らは全然間ちがつていました。『パウロが彼らの中から出た時,………ある人は彼に従い,そして信者となつた。』そのような者のなかに,裁判官デオヌシオとダマリスという婦人がいました。(使行 17:32-34,新世)アテネの会衆は組織され,またヱホバの恵みある御親切により今日であつても多くのヱホバの証者はアテネの町で伝道し続けています。神の言葉がパウロによつて,自由にまた恐れなく用いられましたので,アテネの哲学者たちがつくり初めた『智恵』は馬鹿らしいもので,真面目に考えるにも価しないということが示されました。しかし,ヱホバの言葉は生命への道を含むと示されました。ヱホバの言葉だけが永遠に存続します。パウロのこの経験により,彼はその割り当てられた宣教に対しての必要な要求にかなつていたということが分ります。中断されましたが,しかしパウロはこの力強い明白な話しをすることにより,世俗的に賢く好奇心に富んでいた者たちの詭弁を巧みに暴露し,そしてまた霊的な必要物を意識していた少数者の信仰を確立しました。

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この世の組織制度に従うのを止めなさい。あなたの心を入れ代えることによつて新しくなりなさい。そうすれば,あなた方は神の善き,受け容れられる全き意志を証明することができる。―ロマ 12:2,新世。

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