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火に耐えるものを用いて正しい土台の上に建てるものみの塔 1967 | 1月15日
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24 コリントのような異教哲学のとりでにはいりながら,パウロはだれを宣べ伝えつづけましたか。なぜ?
24 福音を伝道するためにコリントに来たパウロが,異教ギリシャ人の世俗的な知恵に圧倒されることはありませんでした。彼は世俗的な知恵を誇示してギリシャ人の哲学と対抗し,それによって追随者を得ようとはしませんでした。また彼は,世俗的な知恵,人間の論説や哲学などを求める者たちの耳をくすぐろうともしませんでした。彼はクリスチャン会衆の土台としてイエス・キリストをすえるためにそこに来たのです。それでパウロはコリント人への第一の手紙 2章1-5節でさらにこう語ります。「兄弟たちよ。わたしもまた,あなたがたの所に行ったとき,神のあかしを宣べ伝えるのに,すぐれた言葉や知恵を用いなかった。なぜなら,わたしはイエス・キリスト,しかも〔刑柱〕につけられたキリスト以外のことは,あなたがたの間では何も知るまいと,決心したからである。わたしがあなたがたの所に行った時には,弱くかつ恐れ,ひどく不安であった。そして,わたしの言葉もわたしの宣教も,巧みな知恵の言葉によらないで,霊と力との証明によったのである。それは,あなたがたの信仰が人の知恵によらないで,神の力によるものとなるためであった」。〔新世訳〕
25 コリントのパウロと同じような環境におかれる時,開拓をするクリスチャンはどのように感ずることがありますか。しかし,どうすればよいですか。
25 こうして,昔の使徒パウロのごとく,宣教の面で開拓をする今日のクリスチャンは,世俗の哲学的な知恵のとりでにはいる時,自分が弱いことを感ずるかも知れません。しかし,神の霊と力とを証明して,神に対する信仰をかためることができるのです。
26 (イ)主はコリントにいたパウロをどのように力づけましたか。それでパウロは何をしましたか。(ロ)コリント会衆がその何年後にもしっかりと立っていたのはなぜですか。
26 主がコリントにいたパウロを激励したのも不思議ではありません。「ある夜,幻のうちに主がパウロに言われた,『恐れるな。語りつづけよ,黙っているな。あなたには,わたしがついている。だれもあなたを襲って,危害を加えるようなことはない。この町には,わたしの民が大ぜいいる』。パウロは1年6カ月の間ここに腰をすえて,神のことばを彼らの間に教えつづけた」。(使行 18:9-11)神の言を世俗的に賢い異教の哲学の前に敗退させてはなりません。パウロがコリントに設立した会衆はしっかりと足場を定め,何年かのちパウロがこの地のクリスチャンに第一と第二の手紙を書いた時にも繁栄していました。それは正しい土台の上に設立されていたゆえにしっかりと立つことができました。
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ユダヤ教徒に証言ものみの塔 1967 | 1月15日
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ユダヤ教徒に証言
● 時おり兄弟たちはいろいろな問題が原因で,世間から非難を受けることがありますが,そのような非難がもたらすことになった良い結果を知るのも興味深いことです。奉仕年度中にオーストラリアのある姉妹は血の問題に関して神への忠誠を守って死亡しました。そのニュースは国中に伝わりました。このことに関連した経験が監督から協会へ送られてきました。その地方のラビは監督の名を電話帳でしらべ,エホバの証人が死に至るまでもその立場を守る理由をユダヤ教の婦人会で説明してほしいと電話で依頼してきました。エホバの証人のとる立場に関してユダヤ教徒の婦人たちから同じ質問をされたラビは答えることができなかったのです。この会衆のしもべは招待に応じて補佐とともに出かけました。そしていささか驚いたことに集会所には70人の婦人がいました。監督はユダヤ教の聖書を使って約20分間にわたり血に関するエホバの証人の立場を説明しました。それから質問の時間が設けられましたが,質問の多くはラビ自身から出されました。質問が出つくした時,訪問に対する人々の心からの感謝を示す拍手がひとしきり起こり,兄弟たちが立ち去る時には多くの人が微笑して手を振っていました。兄弟たちはよく準備してこの場にのぞみ,また小冊子も携えてきていました。そしてラビの許可を得て出席者に1冊ずつ手渡しました。このように,非難がその時は不利なものに思えても,それがエホバの聖なる御名に誉れとなる良い結果になることもあります。
― エホバの証人の年鑑より
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