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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1969
塔69 8/1 451–452ページ

常に先を見なさい

注意深い運転者は,バックミラーに絶えず目をやります。他の車線に移るとき,わき道にはいるとき,停車するときはとくにそうです。しかしバックミラーだけに注意を集中していますか。そうではありません。彼の目,彼の注意は,おもに前方にそそがれています。

この注意深い運転者のやりかたは,だれもが見習えるよい模範です。とくに過去の暗いできごとをくよくよしがちなときに,この助言を心にとめておくのはよいことです。時々過去を振り返ってみることにも益はあります。しかし将来にあることが見えなくなるほど,そういう事柄に心を悩ますべきではありません。

たとえばあなたは,火事とか,洪水とか,たつ巻などの災害で家を失ったかもしれません。あるいは破産して一文なしになるとか,愛する者に急死されるといったことがあったかもしれません。しかしそういう不幸をいつまでもくよくよ考えることにはなんの益もなく,ただ悲しいだけです。こうしていたら災いは避けられた,ということが今わかったところで,みじめな気持ちでいれば,そのまちがいが償われるかのように,そのことばかり考えて,自分を責めさいなむ法はありません。できることなら,過去のにがい経験から益を得ましょう。より良い判断,より良い注意力を養うために,それを役だたせましょう。そして現在ある祝福を楽しみましょう。

ヘブル語聖書は,過去の不幸をいつまでも嘆くというまちがいをした人々のことを伝えています。ひとつの例をあげますと,バビロンの流刑からもどった一部のユダヤ人は,自ら断食のおきてを定め,それを定期的に守りました。それは明らかに,彼らと彼らの土地が,バビロニヤ人の手で苦しめられたことを嘆くためでした。しかしエホバは,預言者ゼカリヤをとおし,そのことで彼らを叱責されました。彼らは,将来くることになっていた喜びと繁栄,「町の街路には,男の子,女の子が満ちて,街路に遊び戯れる時」を待ち望みなさいと告げられていたからです。―ゼカリヤ 7:1–8:15,口語。

また,だれかにひどい仕打ちをされたとき,たとえば感情をひどく傷つけられたとき,前を見ないで,うしろを見るという不健全な傾向があるかもしれません。いつもそのことを思い出してみじめな気持ちになるのは賢いことですか。決してそうではありません。それよりもむしろ許して忘れるほうが親切であり,賢明です。その人との関係がよくなることを心当てにして待つことです。そうすれば自分も気持ちがよく,相手のためにもなります。

このことに関連してエホバ神はたしかによい模範を示してくださいました。「東が西から遠いように,主はわれらのとがをわれらから遠ざけられる」。エホバ神がわたしたちのとがを絶えず振り返って見ることをされないのであれば,わたしたちも他の人が自分に対してした不当な行為をいつまでも振り返って見るべきではありません。―詩 103:12,口語。エペソ 4:32。

常に先を見なさいという助言はイエス・キリストの足跡に従いはじめた人すべてに,とくに当てはまると言えるかもしれません。イエスは警告されました。「手をすきにかけてから,うしろを見る者は,神の国にふさわしくないものである」。だれにせよ,イエス・キリストの弟子になるために捨てたものを,慕わしそうに振り返ってみるならば,それはキリストの弟子になったことを後悔しているしるしです。そういう人はたしかに神の国にふさわしくありません。―ルカ 9:62,口語。

使徒パウロは,先を見るという点でりっぱな手本を残しています。ユダヤ教の事物の体制に属していたときの特権と資格について述べたあと,彼はさらにこう言っています。「わたしは,更に進んで,わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに,いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに,わたしはすべてを失ったが,それらのものを,ふん土のように思っている。……後のものを忘れ,前のものに向かってからだを伸ばしつつ,目標を」,つまり前方にある目標を「目ざして走(って)いるのである」― ピリピ 3:8,13,14,口語。

これは,記憶力という賜物を高く評価すべきでない,という意味ではありません。使徒パウロはローマの獄中で多くの日を,月を,年をすごす間,諸国の人々に神の国の良いたよりを伝道したときの喜ばしい,実りの多い経験を思い出して楽しんだにちがいありません。(テモテ後 4:7)多年,神に奉仕してきた人々もみな,神が導いてくださった道を,喜びをもって回顧することができます。しかしそれと同時に彼らは,最も祝福されるとき,つまり神のみこゝろが天で行なわれるように地でも行なわれ,死も,悲しみも,叫びも,痛みもなくなるときが,これから来るということを考えて感謝します。―マタイ 6:10。黙示 21:4。

クリスチャンには先のことを考える理由が常にありました。今日,その理由はいつの時代にも増して大きいといえます。事実,緊急でさえあります。イエスは,1世紀にエルサレムに臨んだ災厄について弟子たちに告げた時,こう言われました。「屋上にいる者は,家からものを取り出そうとして下におりるな。畑にいる者は,上着を取りにあとへもどるな」。(マタイ 24:17,18,口語)現体制の「終りの時」である現在はさらに危急なときではないでしょうか。「ロトの妻のことを思い出しなさい」というイエスの警告にも同じ意味が含まれています。彼女はうしろを振り向いてはいけないと言われていたにもかゝわらず,その警告を無視して命を失いました。彼女はきっと愛着を感じてうしろを振り返ったにちがいありません。わたしたちも彼女と同じまちがいをしないように気をつける必要があります。―ルカ 17:32,口語。

賢明でありましょう。神のことばの助言に従い,常に先を見ましょう。不幸であろうと,あやまちや侮辱や必要以上の物質のことであろうと,うしろのことは忘れましょう。現在の祝福を楽しみながら,義が勝利を得るとき,そして「さきの事」を「心に思い起すこと(の)ない」ときがくるのを希望をもって待ちましょう。―イザヤ 65:17,口語。

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