「夜昼働きながら」弟子を作る
「あなたがたに優しい愛情をいだいたわたしたちは,神の良いたよりだけでなく,自分の魂をさえ分け与えることを大いに喜びとしたのです。あなたがたが,わたしたちの愛する者となったからです。……わたしたちは神の良いたよりをあなたがたに宣べ伝えましたが,それは……夜昼働きながらのことでした」― テサロニケ第一 2:8,9。
1 (イ)エホバの組織はどんな目的をもって働いていますか。(ロ)神のしもべは今どんなことを忙しく行なっているはずですか。
エホバの組織は緊迫感をいだいて働きます。成し終えねばならない仕事が一つあるからです。エホバのみ名が神聖なものとされますように,という祈りにふさわしく,天の献身的な被造物は,『昼も夜も休むことなくこう言います。「聖なるかな,聖なるかな,聖なるかな,全能者なる神エホバ」』。(啓示 4:8。マタイ 6:9)同じように,神の献身したしもべたちも,人間としての限界を持ちながらも,この「終わりの日」にあって世界中で,「聖なる行状と敬神の専念」に努め,「エホバの日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留め」ています。「その日のゆえに天は燃えて溶解し,諸要素は極度に熱して溶けるのです」。その激しい「日」のあとに来る正義の「新しい天と新しい地」に関する神の約束は,なんとすばらしいものでしょう。―ペテロ第二 3:11-13。ダニエル 12:1-4。
2 神への奉仕にはどんなことが関係していますか。
2 神への奉仕は,普通の世俗の仕事と違って毎日が単調なものではありません。それは昼勤だけとか夜勤だけといったようなものではありません。クリスチャンの愛をもって宣べ伝え弟子を作りなさい,というイエスの命令に従って「夜昼」できるだけのことをしたいという熱烈な願いから出た奉仕です。(マタイ 24:14; 28:19。ヨハネ 13:34)といってもそれは,休息や休養の必要も無視すべきだという意味ではありません。そのようなことをしているとやがて体力を消耗し,健康を害します。しかし人は「昼」であろうと「夜」であろうと,あらゆる機会に進んで他の人々を霊的に助ける熱意がなければなりません。
3 パウロとその仲間は,テサロニケの会衆をどのように考えましたか。
3 使徒パウロと彼の仲間はまさにその通りのことを行ないました。彼らは,関心を持つ人々に対して「優しい愛情」を感じました。彼らはテサロニケに新しい会衆を作りましたが,作るが早いかその会衆は試練と迫害を受けました。しかしそれら新しいクリスチャンたちは試練のもとで忠誠を守ったので,彼らと一緒に勉強した人たちにとって,彼らは「愛する者」となりました。パウロや神のしもべである彼の仲間は,テサロニケ人のために,「良いたより」のみならず「自分の魂」をさえ与える気持ちでいました。若い会衆と一緒にいた間,彼らは「夜昼」一生懸命に働いて自分の必要をまかない,それに加えて新しい弟子たちを教えるのに多くの時間を費やしました。このようにして彼らは,エホバに対する昼夜を分かたぬ奉仕に魂を注ぎ出しました。
4 わたしたちは今日奉仕に対してどんな現実的な態度を取るべきですか。
4 わたしたちも,自分の区域内にいる「羊のような」人々に,これほどの深い関心をいだいているでしょうか。わたしたちは,神から割り当てられた仕事が自分にあることを知っています。わたしたちのほとんどは,他の人たちに負担をかけないよう世俗の職場で働きます。あるいは家族の世話をします。または学校に行きます。ほかの時には野外奉仕に参加します。しかし,宣べ伝える際に会う興味を持つ人々にどれほどの関心を持っているでしょうか。その人たちに対してわたしたちは本当に「優しい愛情」をいだいていますか。わたしたちは野外奉仕に相当数の時間を費やし,親切な性質の人々に本や雑誌を配布する喜びを味わいます。その人たちを幾度か訪問することもするでしょう。しかし時には,その興味を持つ人がどうしているか一,二か月も見にゆかないこともあるかもしれません。わたしたちは本当に命のことを考えているでしょうか。その人たちが命の道を見いだすように,「神の良いたよりだけでなく,自分の魂をさえ分け与えることを大いに喜び」としているでしょうか。
5 パウロの模範からわたしたちは何を学ぶことができますか。
5 パウロは,新しい兄弟たちや関心を持つ人々のために自分の身を費やす優れた模範を示しました。エフェソス会衆の長老たちに最後の別れを告げる時に,彼は言いました。「ですから,目ざめていなさい。そして,三年の間,わたしが夜も昼も涙をもってひとりひとりを訓戒しつづけたことを覚えていなさい。わたしはこのように労して弱い者たちを援助しなければならないこと,また,主イエスご自身の言われた,『受けるより与えるほうが幸福である』とのことばを覚えておかなければならないことを,すべての点であなたがたに示したのです」。(使徒 20:31,35)もしわたしたちがパウロのように,「羊」に対して純粋の関心をいだいているなら,わたしたちは心身を打ちこんで,その人たちを助けるためのいろいろな方法を考えるでしょう。もしできれば数日のうちに再び訪問するか,あるいは電話をかけて相手の関心を刺激します。悪魔とその手下はその関心をなくさせようとしますから,わたしたちはそれらの「羊」を助けるのに機敏でなければなりません。―ルカ 8:11,12。
「夜昼」忙しく働く
6,7 (イ)どんな拡大が生じていますか。これはどんな挑戦を投げかけますか。(ロ)わたしたちはなぜ区域内で人々の家を訪問し,さらに再訪問をしなければなりませんか。
6 良いたよりの伝道をつづけていると,関心を持つ人々が新たに見つけ出されます。したがって仕事の量は常に増大しています。多くの新しい会衆がつくられ,さらに多くの聖書,書籍,雑誌などが配布されています。1974奉仕年度中には,合計3億1,322万9,157冊の出版物が配布されました。これに加えて,238万7,904もの「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌の新予約が得られました。この文書を受け取る人々を至急再訪問することが必要です。
7 家の人のなかには文書を求めることすらしない人もいるでしょう。しかし,そういう人でも,足しげく訪問するエホバの証人の熱心さについて好意的な意見を述べるかもしれません。悪化の一途をたどる世の腐敗や不正に対してその人たちがいだいている憂慮は,その人たちに一層の援助を与える道を開きます。正義愛好者たちは,利己的で無情な現代社会が,将来に対する希望を何一つ差し伸べてくれないことをしだいに深く認識するようになっています。(詩 92:7)そのような人たちを重ねて訪問することにより,わたしたちは真実の希望をその人たちに確信させることができるかもしれません。この目的でわたしたちは,「ほねおって働き,また努力しているのです。わたしたちは生ける神に希望を託しているからです。神はあらゆる人,特に,忠実な者の救い主です」― テモテ第一 4:10。
8 伝道の書 11章6節に従うことからどんな結果が生ずることがありますか,
8 「夜昼」忙しく働いているなら,仕事仲間,隣人,学生仲間などに話すときに良い反応を得るでしょう。
ある大学都市の一会衆の報告によると,最近六人の学生が,定期的に集会に出席して交わるようになりました。そのうちの一人は現在,大学に通いながら開拓奉仕を楽しんでいます。この新しい証人から真理を紹介された別の学生は,開拓奉仕を行なうために故郷の町に帰り,彼女が教えたさらに別の一人は,つい最近バプテスマを受けました。
伝道の書 11章6節に次のようなりっぱな助言があります。『なんじ朝に種をまけ 夕にも手をやすむるなかれ そはその実る者はこれなるか彼なるか または二者ともによくなるや なんじこれを知らざればなり』。ですから訪れるあらゆる機会を利用して,他の人たちと「この王国の良いたより」に含まれる輝かしい希望について話すなら,そこ,ここに,そして多くの場合思いがけないところに,王国の音信に答え応ずる人たちを見いだすことができるでしょう。
9 なぜわたしたちはエホバの祝福を確信することができますか。
9 エホバは『すべての者の心を知っておられます』。もしわたしたちが勤勉に宣べ伝えまた教えるなら,音信は正直な人々の心に根をおろし,そしてエホバがそれをずっと「成長させてくださ(る)」でしょう。(使徒 1:24。コリント第一 3:6)わたしたちはその途上で嘲笑や落胆させられるような事柄に遭遇するかもしれません。しかしわたしたちはソロモンの次のことばの成就を,確信して待ち望むことができます。『なんじの糧食を水の上に投げよ 多くの日の後になんじふたたびこれを得ん』― 伝道 11:1。
10 わたしたちは目的を持ってどのように働きますか。
10 エホバの証人はみな,純粋の関心をいだいて,自分が見いだした,音信に関心を持つ人を助けることに,あくまでも努力を続けるはずです。その場合には,その人の名前をただノートに書き込み,その記録をかばんの中にしまい込んであとは忘れてしまう,というようなことはありません。むしろ,それら新しい人たちが必要としている援助を与えることに深い関心をいだきます。したがって箴言 3章27節が教えていることを行ないます。『なんじの手善をなす力あらばこれをなすべき者になさざることなかれ』。そうです,これを行なってください。はっきりした目的をもってできるだけ早く再訪問をし,その関心を持つ人と聖書に基づく話を引き続き行なえば,いわば『鉄を熱いうちに打って』,反対者たちがその関心をかき消す時間と機会を得ないうちに,その関心を高めることができます。
ある王国伝道者は,最初の訪問からわずか一時間後に,一人の関心を持つ人を再び訪問しました。一週間足らずのうちにさらに三回訪問して聖書に関する種々の質問に答えました。そのあと一つの家庭聖書研究が始まりました。
11 人々が大いに必要としているのは何ですか。クリスチャンはその必要を満たすのをどのように助けることができますか。
11 毎年,エホバの証人は,160以上の言語の出版物を,世界中の関心ある人々の家に幾億冊も配布します。しかし,きたるべき「大患難」に救われて生き残るには,人々は,家に文書がある以上のことを必要としています。聖書の真理を思いと心に取り入れるための援助を必要としています。(ローマ 10:10-15; 12:1,2)真のクリスチャンの人格の「しるし」をひたいに付けられる必要があります。(エゼキエル 9:4。エフェソス 4:24)聖書の原則を学んでこの「新しい人格」を身につけるには時間がかかります。神のしもべであるクリスチャンは,新しく関心を持った人々が,永遠の命を得るための条件を本当に学び,思いを変えてクリスチャンにふさわしい生き方をするように,愛のこもった,忍耐強い,そして理解ある援助を与え続けなければなりません。あなたは進んでそのような助けを与えますか。時代の緊急性と,それが生死の問題であるということとを絶えず念頭に置き,わたしたちはまだ時間があるうちにその人たちのために,祈りを込めて身を費やしましょう。―ヨハネ 9:4。フィリピ 1:9-11。
12,13 (イ)使徒やそのほかの人々は,弟子を作るわざにあずかるためにどのような調整を行ないましたか。(ロ)今日わたしたちはどのように同様の祝福を得ることができますか。
12 「わたしには家庭聖書研究を司会する能力がありません」とか,「毎週定期的にだれかと勉強をするような時間はとてもありません」などと言う人がなかにはあるかもしれません。確かにわたしたちの中には新しい人,つまり経験のあまりない人もいます。またわたしたちは最高教育を受けてもいません。さらには,この現代社会の中で暮らしてゆくのは容易なことではないので,ほかのことをする時間などないというふうに感じている人もあるでしょう。それでもわたしたちは,使徒たちや初期の他の弟子たちがしたようにすることはできないでしょうか。彼らのうちのある者は漁業に携わっていましたし,他の者は世俗の職についていました。しかし彼らは,宣べ伝える方法や教える方法を学ぶためにイエスに従うことができるよう,生活の仕方を調整しました。彼らはそのための時間を作りました。―マルコ 1:16-20。
13 それらの使徒たちには,この世の高い教育や知識はありませんでした。しかし彼らは神の霊を持っていましたし,エホバが備えてくださった訓練を受け入れました。彼らが熱心に伝道し教えた結果,エルサレム市内の信者はわずかの期間のうちに「およそ五千」に増えました。反対する支配者たちは,どんなことをしてもそれを阻止することはできなかったのです。「さて,ペテロとヨハネのおくすることのない話し方を見,またそれが無学な普通の人であることを知った時,彼らは不思議に思うのであった。そして,そのふたりについて,彼らがいつもイエスといっしょにいたことに気づくようになった」― 使徒 4:4,13。ヨハネ 7:46。
14 (イ)今日わたしたちが持っている大きな関心は何ですか。なぜそれは急を要しますか。(ロ)預言を信じているわたしたちは何をするはずですか。
14 ペテロやヨハネや他の弟子たちは,命を救うことに関心をいだいていました。それはわたしたちが今日いだいている大きな関心でもあります。滅びに定められている世は「大患難」,すなわち「国民が存在するようになって以来その時までに起きたことがないような苦難の時」の来る寸前にあります。しかし,霊的イスラエルの残りの者はそれを逃れることを期待しています。また,流された子羊の血に信仰を働かせたゆえに,そして「神殿で昼も夜も」エホバを崇拝することによって,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た……大群衆が……大患難から出て来る」時にも,喜びがあるでしょう。(ダニエル 12:1。啓示 7:9-15)あなたはそのことを信じられますか。では,心の正直な人たちを訪問したり再訪問をしたりし,またその人たちが救いの道をしっかりした足どりで歩み始めるまでその人たちと一緒に勉強をすることに身を十分に費やすことができるよう,ご自分の生活に必要な調整を加えるのはいかがですか。時代の緊急性はこの努力を要求しています。―ローマ 13:11,12。
15 どんな方法で,弟子を作るわざに専念することができますか。
15 わたしたちはぜひとも,神のことばに純粋の関心をいだく人々を熱心に援助し続けなければなりません。もし何かの理由ですぐに再訪問ができないなら,別の王国宣明者に助けを求めるべきです。会衆内の長老や奉仕のしもべたちも,関心ある人々をみな正しく世話するように取り計らうのを,喜んで援助してくれるでしょう。王国のわざに従事している人々,もしかして「王国ニュース」の配布を初めて手伝った人々もみな,再訪問をしたり,聖書研究を司会したりして,野外奉仕の他の面で進歩するよう呼びかけられています。若い監督であったテモテのように,あなたも,パウロの次の勧めに従って進歩することができます。「これらのことをよく考えなさい。それに打ち込んで,あなたの進歩がすべての人に明らかになるようにしなさい。……これらのことをずっと続けなさい。そうすることによって,あなたは,自分と自分のことばを聴く人たちとを救うことになるのです」― テモテ第一 4:15,16。
関心をいだく人々の必要に適応する
16 「真理」や「平和と安全」の本をどのように用いることができますか。
16 神のしもべであるクリスチャンは,聖書研究を始めるにもまた司会するにも,融通性と洞察力が必要です。聖書についてある程度知っている人,あるいはキリスト教世界の宗教とつながりを持っていた人は,「とこしえの命に導く真理」という本を手引きにして聖書を勉強するのを喜ぶでしょう。また,世界の諸問題の解決策を知ることに深い関心を寄せている人や,人々の悪い振る舞いに当惑している人などの場合は,「真の平和と安全 ― どこから得られるか」という本を勉強するのが適当かもしれません。新しい人々は,イエス・キリストの弟子としてバプテスマを受ける前に,教理だけでなくクリスチャンの生活の原則をもはっきり理解することを目的として,それぞれ上記の本を聖書を参照しながら両方とも読んでおくと有益でしょう。―使徒 17:11。
17 世界中で,教えるわざはどのように状況に合わせて調節されますか。
17 世界のある地域では,人々はほとんど教育を受けていません。読み書きさえできない人たちもいます。しかし,そのような人々の間にも,「大患難」を生き残る特権を得るかもしれない人々が見いだされます。ある土地には書きことばというものがありませんが,そういうところでは神のしもべたちは絵を使って重要な聖書の教理を伝えるようにしてきました。またエホバの証人は多くの国で新しい人々に読み書きを教えています。ですから彼らは聖書研究において進歩します。目の見えない人々のためには,点字の出版物が用意されています。アフリカやキリスト教世界の多くの国々では,簡単に書かれた「御国のこの良いたより」という小冊子の明快な音信に,多くの人々が心を動かされました。アジアのある国々では,「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」という小冊子が,聖書や聖書の背景について何も知らない新しい人々を教えるのに大変効果的です。一つの例を挙げてみましょう。
銀行で高い地位にあったあるアジア人の紳士は,広い土地を購入してそこに美しい家を建てる計画を立てていました。しかしそのころ,その人の妻がエホバの証人と聖書の勉強を始めました。幾度か勧められたのちその人も「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」という小冊子を用いて勉強を始めました。四節まで勉強が進んだとき,その人は,エホバの新秩序こそ自分が関心を持つべきものだと考えました。その時からその人は聖書の勉強に非常に熱心になりました。家の新築計画を放棄しただけでなく,銀行での地位をも辞任しました。そのためにその人は聖書の勉強に一層の注意を集中できるようになりました。二か月勉強したのち,その人は野外奉仕を活発に行なうようになりました。その夫妻は小さなアパートに引っ越しました。それは,やがて資格ができて開拓奉仕に入るさいにいろいろな事柄に妨げられないようにするためでした。その夫妻と勉強している開拓者は,「こうした羊のような人々を助けるのはなんとすばらしい特権でしょう」と言っています。
18 聖書研究を司会するという目標に向かって努力する際に,わたしたちはどのように融通をきかせますか。
18 新しい人々の関心を捕え,その必要を満たすように書かれている聖書解説書はたくさんあります。科学を勉強した人や教育のある人たちは,批判の的となっている聖書の勉強をためらうかもしれません。しかし,「聖書はほんとうに神のことばですか」の本や,「進化と創造 ― 人間はどちらの結果ですか」などの本の資料を取り上げて話し合うなら,聖書が最高の教育を施すものであり,しかも決して非科学的でないことが分かるでしょう。また,子どもたちに関心を示し,「偉大な教え手に聞き従う」と題する本を子どもたちと勉強する方法を示すと心を動かされる親がいます。そしてやがて家族ぐるみの勉強が始まることもあります。ですからわたしたちは,聖書研究の司会というこの目標に向かって努力する際に,また最も適した聖書研究の手引きを選ぶ際に,融通をきかせることが必要です。
19 問題を含む状況にどのように適応しますか。
19 また,勉強をする時間を取り決める際にも適応性を必要とすることがあります。例えば,ある証人は漁師の人と勉強していたので,漁船が帰港する時には,自分の家族の聖書研究の時間を調節して,その人の勉強のために夜の時間をあけなければなりませんでした。ある人々は職場で昼食時間中に勉強しなければなりませんでした。時間が短いので勉強はおそらく一週間に二回行なわれたでしょう。勉強をする場所は,公園のペンチとか,駐車中の自動車の中などであったかもしれず,そのほかの場所で勉強をすることを反対されたなら,証人の家で行なわれたかもしれません。
弟子を作るこのわざにおいてあなたは何をするか
20 弟子を作るわざに成功するには何が必要ですか。例を挙げなさい。
20 個々の人に何ができるかは,家族を扶養する責任,健康その他,種々の状況に左右されるでしょう。しかし,あなたはどんな願いをいだいていますか。弟子を作るわざに本当に成功するように,野外奉仕を拡大することですか。では,エホバに心からの信頼を寄せて努力してください。次の例は,ある人がそのことを行なったために問題がどのように解決したかを示しています。
ある若い婦人は,名目だけのキリスト教の中で育ち,何かが欠けているのを感じていました。創造物のあらゆる美に感動してはいましたが,創造者をたたえるということはありませんでした。しかしエホバの証人から,神の驚くべき宇宙組織と王国に関する神の目的とについて学びました。彼女はバプテスマを受けて正規開拓者の資格を得るのが待ち遠しくてたまりませんでした。それ以前の彼女の生活は,夫に仕え,子どもたちの世話をするだけの生活でした。しかし今は,夫や子どもたちの協力を得て,彼らに仕え続けるだけでなく,エホバに対しても最善の奉仕をすることができるようになりました。彼女はエホバに頼りながら問題を一つ一つ解決してゆきました。夫の店で夫と共に働くのをやめることに,夫は賛成してくれました。その同じ日に夫は自分の収入が思いがけなく二倍になったということを知って驚きました。野外奉仕の長い一日が暮れると,妻は疲れてはいましたが,夫に喜びだけを見せるようにしました。その後夫は,彼女がちょうど必要としていた時に,奉仕用にといって一台の軽自動車を買ってくれました。彼女は必ず集会に出席し,また毎日聖書を読んで,エホバの昔のしもべたちの忠実の模範から大きな励ましを得ています。ある時など彼女は,子どもたちと一緒に1,600キロ以上も旅をして自分の生まれた島に行き,そこで伝道しました。彼女がそこで聖書に関心のある人を非常にたくさん見つけ出したので,あとを引き継いで奉仕するために特別開拓者が送られました。この若い主婦は確かに生涯の望みをかなえられました。―詩 145:16。
21 今日,野外奉仕に真の喜びを見いだすのはだれですか。
21 この経験や他の多くの体験が示しているように,王国を宣べ伝えるわざや弟子を作るわざは,わたしたち自身の力で行なわれるものではありません。わたしたちはエホバに頼り,エホバの導きを求めつづけなければなりません。エホバはわたしたちが能力を養うのを助けてくださいます。パウロは一世紀のクリスチャンたちに書き送りました。「兄弟たち,あなたがたが自分たちに対する神の召しについて見ていることですが,肉的に賢い者が多く召されたのでは(ありません)」。そうです,「むしろ,神は世の愚かなものを選んで,賢い人びとが恥をこうむるようにされました」。(コリント第一 1:26,27)今日でも同じです。高度の神学教育を受けた人々ではなく,神と仲間の人間を愛するへりくだった人々 ― これらの人々こそ奉仕によい成果をあげまた喜びを持っている人々です。他の人々に対する純粋の関心は神のみ力によって輝き渡り,彼らがその心に持つ「神の栄光ある知識」も他の人々に輝き出て,神の真理を推薦します。―コリント第二 4:6,7。
22 (イ)コリント第一 15章58節は,努力する人々にどんな保証を与えていますか。(ロ)夜昼奉仕することに喜びがあることを,土地の経験や他の経験を挙げて説明してください。
22 わたしたちの働きは,相手の反応がどうあろうとも,むだにはなりません。(コリント第一 15:58)わたしたちの最も大きな喜びの中には,弟子を作ることから来るものもあります。姻戚の人々に反対されながらも,全時間開拓奉仕を始めるために,勇気を奮って,彼らの経営しているレストランで働くのをやめたある主婦は,その喜びを次のように書いています。
両親は気を落としましたが,それでも息子の家族が前よりも一致し幸福になったこと,また嫁が何もせずにぶらぶらしているどころか朝から晩まで一生懸命に働いていることを知りました。また,私の活動は私の家族にとっても祝福となりました。最初の年に私の七歳の息子が伝道者になり,九歳でバプテスマを受けました。今も熱心に奉仕しています。開拓奉仕を始めてからまる五年たたないうちに私は19人の人々をバプテスマまで援助しました。1974奉仕年度の最初の二か月間に,私が勉強を手伝った人が三人バプテスマを受け,今では私と勉強をしている人八人が全員集会に出席しています。そのうちの三人は,近い将来に伝道を始めるでしょう。私は,喜んで勉強する人を見つける時,エホバがご自分の羊をよく知っておられ彼らを集めることを望んでおられるということを感じます。そのために本当に喜びでいっぱいになります。時には非常に忙しいこともあり,疲れ果てることもあります。しかしそのような時にはイザヤ書 40章25節から31節を繰り返し読みます。私は,弟子を作る特権を感謝しています。充実した生活ができることに満足しています。もしもう一度人生を繰り返すとしたら,私は同じ仕事と生き方を選ぶでしょう。
23 (イ)世俗の職業についている人々は,パウロとシラスの模範からどんな励ましを得ますか。(ロ)新しく弟子となった人々は,どのように「わたしたちの栄光また喜び」となりますか。
23 わたしたち皆が皆,同じ程度まで奉仕を拡大することはできないかもしれません。また地域によっては比較的に反応が弱いかもしれません。しかしわたしたちは皆,エホバがご自分に属する者のところへわたしたちを導いてくださるということを確信して,宣べ伝えることと教えるわざとに心身を打ちこむことができます。わたしたちの多くは,パウロやシラスのようになることができます。彼らは,世俗の仕事をする時だけでなく,愛する新しい弟子たちに『神の良いたよりとともに自分の魂をさえ分け与える』ことにも,「夜昼」喜んで働きました。そしてそのような人々についてはわたしたちは使徒たちと同じように言うことができます。「わたしたちの主イエスのみまえ,その臨在のさいに,わたしたちの希望,喜び,また歓喜の冠となるものはなんでしょうか ― それは実にあなたがたではありませんか。確かにあなたがたは,わたしたちの栄光また喜びなのです」。(テサロニケ第一 2:7-9,19,20)そしてそれは持続する喜びとなるでしょう。「大患難」が過ぎ去ったあと,エホバを知るようにわたしたちが助けた人々と,新秩序において永久に楽しい交わりを持つのですから,それはどんなに大きな喜びとなることでしょう。