愛する者を亡くした時の悲しみにどのように耐えるか
死は思いがけなくやってきます。あなたは,長年愛してきた人に死なれたばかりのかたでしょうか。そのショックは,耐えられないほど大きく思えるかもしれません。苦痛のあまり夜も眠れず,寂しさと悲しさがひしひしと身に感じられるかもしれません。涙があふれ出てとめどがないように思えるかもしれません。その喪失感は,あなたの生涯のうちで最もきびしい感情的な経験かもしれません。どうすればそれに耐えられるでしょうか。どこに励ましと助けを求めることができますか。どうすればこの苦しい時を切り抜けることができますか。
こらえきれなくて泣きくずれるのは自分が弱い証拠である,とお考えにならないでください。涙を流すと気持ちが楽になります。聖書の告げるところによると,アブラハムも,大いなる信仰の人ではありましたが泣きました。妻のサラが死んだ時,「アブラハムは中にはいってサラのために悲しみ泣いた」とあります。(創世 23:2,口)アブラハムの孫ヤコブも,息子のヨセフを失ったことを嘆き悲しみました。(創世 37:35)イエス・キリストでさえ涙を流されました。(ヨハネ 11:32-35)涙を流すことは心の痛みを和らげる正常な方法です。といってもむろん,いつまでも際限なく涙を流していてはいけません。
心に悲しみを抱いている人は,すわって自分の不幸をくよくよ考えこもうとする気持ちを避ける必要があります。くよくよしたところでそれは問題の是正にも改善にもならず,また自分をあわれむことも何の役にも立ちません。かえって感情があおられ,失望感は持続します。それよりも,なんらかの生産的な肉体活動,または精神活動に携わるほうがずっと有益です。思いを集中させなければならない活動や,心労をまぎらす仕事を忙しく行なっていると,ある程度気持ちが楽になります。
多くの人は,感情の傷をいつまでも開いたままにしておき,追憶の世界で生きようとしていらだちます。ほかの時ならごくあたりまえの模様替を一切しようとせずに,家の中を何年間も,愛する者が生きていた当時のままの状態にしておいて,追憶の世界に生きようとする人もあります。過去に生きようとするのはむだな試みです。それは悲しみを長びかせるだけのことです。それよりも,次のことに気づくほうがずっとよいでしょう。つまり,現在を楽しみ,将来に生きるほうが自分にとってずっと幸福である,ということです。できるかぎり普通の生活を続けること,これが愛する者の死に耐え,異常な悲嘆に陥らないようにする一つの方法です。もとの仕事に戻り,もと果たしていた責任を果たすなら,自然にいえるのが早くなります。
愛する者の死ゆえの悲しみに耐えるのを妨げる最大の障害は,その死によって自分が失ったものをいつまでもくよくよ考える傾向です。今の自分の寂しさや,以前愛する者がしてくれていたことをこれからは自分がしなければならないといったことなどを考えると,悲しみは耐えがたいものになります。しかし,自分のことを忘れ,他の人々に何をしてあげられるかを考えるなら,感情の傷はいえ,生活の中の空白も徐々に埋まってゆくのを感じるでしょう。ほかの人々のことを考え,自分が他の人から示してもらいたいと思う愛を自分も他の人に対して持つなら,自分にできることはたくさんあり,生活は価値のあるものになります。
最善の方法
遺族に対する最も良い励ましが神のことばから来る励ましであることはまちがいありません。「人間はなぜ死ぬのか。死者にはどんな希望があるか」などの疑問に対して,聖書は最も満足のいく答えを与えています。この方法で聖書の真理は,悲しみと嘆きを少なくするのを助けます。聖書の真理は希望を与えます。そして希望は悲しみを抱く人が自己抑制力を保つのを助けます。聖書からそのような知識を得るなら,愛する者がどうなったかを知らないための心配はなくなります。創造者は,聖書のページを通して,もう一度命を得ることに関し,死者にどんな希望があるかを教えてくださいます。―使徒 24:15。ヨハネ 5:28,29。
クリスチャンは,涙と悲しみに打ち負かされることはありません。復活というすばらしい希望があるからです。クリスチャンの悲しみは,聖書が与える希望についての知識を持たない人々の上に臨む悲しみほど大きくも,深くもありません。このことについて使徒パウロが述べていることに注意してください。「兄弟たち,死んで眠っている者たちについてあなたがたが知らないでいることを望みません。希望を持たないほかの人びとのように悲しむことのないためです。イエスは死んでよみがえったということがわたしたちの信仰であれば,神はイエスにより死んで眠っている者たちをも彼とともにやはり連れ出してくださるからです。……これが,エホバのことばによってわたしたちがあなたがたに伝えるところなのです。……それで,このことばをもって互いに慰め合ってゆきなさい」― テサロニケ第一 4:13-15,18。
愛する者の死を悲しんでいる人たちは,祈りのうちに心を神に向けることにより,神の中に力を見いだすことができます。神はいやす力を持つ,必要な慰めを与えることがおできになります。神に近づき,それと同時に神のご意志を学びかつ行なうことを願うなら,心の痛みは確かにいやされるでしょう。―詩 86:6,7。
エホバの証人が無料で家庭聖書研究活動を行なっていることを聞いて,悲しみの時にその援助を求める人は少なくありません。ある人は,「最近家族の一人を亡くし,たいへん悲しい思いをしましたので,人生とはただこれだけのものか知りたいと思っています」と,手紙に書いています。言うまでもなく,エホバの証人はそのような人々がみな,死の原因,死者の状態,復活して世界的な楽園に住むという死者のための希望などについて理解されるよう,聖書の助けを借りて援助することを特権と考えています。
そのようなわけで,愛する者の死は,人生における最もつらい感情的な経験であるかもしれませんが,耐えることはできます。体を動かす健全な活動に忙しく携わってください。祈りのうちに神に近づいてください。神のことばである聖書を勉強し,人が死ぬ理由や死者のための希望について学んでください。あなたが失望し悲しんでおられる時に,エホバの証人は喜んであなたをお助けすることを,どうぞお忘れにならないでください。この次に証人があなたのお宅をお尋ねする時,彼らが誠実な気持ちでお勧めする聖書研究の援助を受けられるのはいかがですか。それとも,証人たちがお宅を訪問するまでお待ちになる代わりに,王国会館に彼らを尋ねてご覧になるのはいかがでしょうか。あなたはたいへん歓迎されるでしょう。