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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1960
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ヱホバをたたえることを招待する

宇宙の最高至上者ヱホバ神に仕える特権にまさる大きな特権があるでしようか。その特権に比較できるものは一つもありません。ヱホバ神を愛するすべての者に対して,次のような招待の言葉がさしのべられています,『全地よヱホバにむかいて歌え。日ごとにその救をのべつたえよ。もろもろの国の中にその栄光をあらわし,もろもろの民のなかに,その奇しきみわざをあらわすべし。』ヱホバをたたえる,というその招待にあなたは答え応じましたか。―歴代志略上 16:23,24。

ヱホバは,人類を罪と死から救う御準備を設け給う御方です。ヱホバは『その独り子を与えるほどに世を愛された。それは御子に信仰を働かす者はみな滅ぼされず,永遠の生命を持つためである。』ヱホバは御自分の僕たちを守り,彼らが敵によつて滅ぼされるのをふせぎます。それで,ヱホバの僕ダビデは感謝の念を持つて次のように叫びました,『なんじはわが避所,われを仇よりのがれしむる堅固なる櫓なればなり。』間近かに迫つているハルマゲドンの滅びの戦いが行なわれる最中でも,ヱホバは御自分の民の避け所,堅固な櫓であります。ヱホバの御準備にあずかるすべての人に対して,『日ごとにその救をのべつたえよ』という命令が与えられています。―ヨハネ 3:16,新世。詩 61:3。

神がこの不義の世を終らせ,悪く代表された御自分の御名を立証し,そして彼を崇拝する者たちに永遠の祝福を注がれる時に私たちは生活しています。神は御自分の御国によつてこれらのことを成し行ないます。神の御国は,油注がれた王なる御子イエス・キリストの下にあつて,いま天で運営されています。御国の設立という重大な発表に答え応じて,天廷の忠実な者たちは神を崇拝して次のように語りました。『今います方,昔いました方,ヱホバ神,全能者よ,あなたが大いなる権力をとつて王として治めはじめられたことを感謝します。』地上にいる私たちは,神の御国が支配するという良いたよりを聞いて,同じように神を崇拝し,神に感謝を捧げ,そして次のようなよろこびの言葉を告げることができますか,『この世の国は,私たちの主と彼のキリストとの国となつた。そして彼は王として永遠限りなく治め給うであろう。』私たちは,そうするように招待されています。そして,いまその招待に答え応ずることは,なんとすばらしい特権でしよう!―黙示 11:15-17。

聖書研究の理由

自分ひとりでするにせよ,またはヱホバの証者といつしよにするにせよ,聖書を研究するときには,その理由を留意していなさい。それは『あなた方が知恵においても,霊的な分別においても,神の御心の正確な知識にみちることである。それはヱホバにふさわしく歩み,そしてあらゆる良きわざを行なつて実をむすび……ヱホバを全くよろこばせるためである。』『ヱホバにふさわしく歩』もうとするなら,私たちの生活は影響をうけ,必要な変化をしなければならないでしよう。『だから,すべての汚れや,はなはだしい悪を捨て去つて,心に植えつけられている御言を,すなおに受け入れなさい。御言には,あなたがたの魂を救う力がある。』そのように神の言葉に答え応じ,すべての道徳的な汚れを捨て去り,心に植えつけられている御言をすなおに受け入れ,神とその約束を真実に信ずるなら,ヱホバとその御国の証者になれ,という神の招待に答え応ずるのは私たちの特権,私たちの責任であります。私たちがそうするなら,神をよろこばします。なぜなら,私たちは『さんびのいけにえ,すなわち彼の御名をたたえるくちびるの実』を神にささげるからです。―コロサイ 1:9,10,新世。ヤコブ 1:21。ヘブル 13:15。

このことの重大性を決して忘れてはなりません。私たちの生命と,私たちが伝道すべき者の生命は,私たちが答え応ずるか否かに依存しているのです。(エゼキエル 3:17-21)信仰を一度だけ告白するというのでなく,私たちの信仰を証明するため,神の道を日々宣べつたえねばなりません。『なぜなら,人は心に信じて義とされ,口で告白して救われるからである。』(ロマ 10:10,新口)神,神の御子,そして正義の新しい世に信仰を持つことは大切です。しかし,それと同じく大切なことは,神のめぐみ,罪と死からの救い,そして新しい世における生命を得るために必要な神の要求にもかなわねばなりません。聖書から学んだことを公に宣べ伝えて神の御こころを定期的に行なうなら,『あなたは,自分自身とあなたの教を聞く者たちとを,救うことになる。』(テモテ前 4:16,新口)神の正義の要求を学んで,それに従うなら,この古い世がハルマゲドンで滅ぼされるときでも,その滅びから救われるでしよう。

どのように奉仕するか

神に奉仕することについては,主イエスは模範を残されました。イエスは,地上の宣教を始めるにあたつて,預言者イザヤの巻に記録されている自分の使命を引用しました。その一部は,次のように述べています,『ヱホバの御霊は私にのぞんでいる。ヱホバは貧しい者に良いたよりを宣べ伝えるために私に油を注いだ。……ヱホバの受けいれ給う年を宣べ伝えるために,ヱホバは私をつかわした。』(ルカ 4:18,19,新世)彼は聖書に記録されている神の御言葉を研究し,御霊の注がれるよう御父に祈り,そして神のみちびきに従いました。この世の富んでいる人々にも,彼は良いたよりを伝えました。彼は金持のザカリヤや支配者のニコデモのような人々に伝道しました。しかし,イエスは『金銭を愛して』他の人間を低い者と見なしたパリサイ人とはちがつていました。イエスは身分の低い者や貧しい者にも心を向けられました。彼は,『失われたもの』,すなわち『イスラエルの家の失われた羊』を『尋ね出して救うため』に来ました。『群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて,倒れているのをごらんになつて,彼らを深くあわれまれた。』彼は教えるために人々の家に行きました。イエスは,神の御言葉の中に示されている約束を忍耐づよく彼らに説明しました。彼は事態の緊急性を認めました。それは裁きの時だつたからです。それは,ヱホバのメシヤを認めて従い,救いについてのヱホバの御準備に答え応ずる正しい時でした。多数の人は,イエスからパンをいただくため,いやしを受けるため,そしてイエスの教えを聞くために,彼に従いました。しかし,『私の弟子になりなさい』というイエスの招待に答え応じた人の数は,ごく僅かでした。しかし,神に奉仕して,他の者に良いたよりを伝えたいと願つた者たちもいました。イエスは,それらの者を伴つて伝道に出かけたので,彼らは宣教の経験を得ることができました。このすべてにおいてイエスは私たちの従うべき手本を残しています。―ルカ 19:10。マタイ 10:6; 9:36。ヨハネ 1:43。

イエスの弟子たちは,地のはてにいたるまでイエスの証者でなければならぬ,とイエスは命じました。そして,イエスは彼らと共にいる,という保証の言葉を告げられたのです。イエスの命令に答え応じて,今日175の国々で,イエスの行なつたごとく神の御言葉を研究し,イエスの行なつたごとく御父の霊を祈り求め,そしてイエスの足跡に従い,イエスの行なつたごとく証者として神に奉仕する人々がいます。それらの人々はヱホバの証者です。イエスは,御自分の約束通り,彼らと共にいます。イエスの言葉は,聖書の中に記録されており,彼らはそのイエスの言葉に注意を払います。彼らは御国会館で定期的に集まります。それは,聖書を研究するためであり,また御国の音信を宣べ伝える者および教える者として備えを身につけるためです。イエスが約束したごとく,二人または三人がイエスの名によつて集まるなら,イエスは聖霊によりそこに居られます。(使行 1:8。マタイ 28:20; 18:20)このような備えを身につけた彼らは,何ものにも恥じない働き人で,真理の言葉を正しく取りあつかうことができます。善意者が神の言葉を他の人々に教えたいと願うなら,同じ訓練を無料で受けることができ,また実際の野外奉仕では資格のある奉仕者から個人的な指導をうけることができます。それはイエスの残した型であつて,今日のヱホバの証者もその型に従つています。昨年中の毎日,全世界のあらゆる場所で平均して236人以上の人々は,ヱホバに奉仕したいという気持を表わし,資格のある奉仕者になるためのこの訓練をうけました。その中のある者は,奉仕に多くの時間をついやすことができました。しかし,他の人の場合には,その環境のために1ヵ月に数時間だけ,御国の良いたよりをたずさえて他の人々を訪問することができました。しかし,重要なことは,彼らが証者になるようにとの召に答え応じて神への愛を証明していることです。

しかし,音信を聞くすべての人は,奉仕をすすめる神の招待に答え応じるわけではありません。なぜですか。預言者エゼキエルは,彼らのことをこのように述べています,『彼ら……なんじの前に坐して汝の言葉を聞かん。されども,これを行なわじ。彼らは口によろこばしきところのことをなし,その心は利にしたがうなり。彼らには,なんじ,よろこばしき歌,美しき声,よく奏ずる者のごとし。彼らなんじの言葉を聞かん。されどこれを行なわじ。』(エゼキエル 33:31,32)彼らはイエスの言葉に耳を傾けながら,『私の弟子になりなさい』とすすめたイエスの招待に答え応じなかつた人々のようです。彼らはなんという間ちがいをしているのでしよう! 神の命ずる言葉を聞きながら,それに従おうとしないことは,なんと愚かなことでしよう! ヱホバは愛を要求します。口先だけの愛でなく,ヱホバのいましめに従う行ないによつて,愛を表わさなければなりません。

いまこそ終りの時についてイエスが預言したごとく,終りが来る前に『御国のこの良いたより』を,全国民への証として全地に伝道するときです。いまあなたに開かれているこのすばらしい機会をとらえなさい。全き終りの来る以前のいま,神の救いを宣明しなさい。そうすればあなたは,その恩恵を受けるでしよう。神の御国が設立されたことを宣明しなさい。そうすれば,あなたは御国の民の一人になつて,その益を永久に受けるでしよう。―マタイ 24:14。

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