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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1979
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背教分子に対する使徒ヨハネの闘い

クリスチャン会衆は西暦33年のペンテコステの日に設立された後ほどなくして,偽教師と闘わねばならなくなりました。しかし使徒たちは,健全なキリスト教の教義や慣行に対するいかなる反逆をも阻止し続ける,一つの抑制力となっていました。それにもかかわらず,早くも西暦51年ころには背教分子がその姿を現わし始めました。そこでクリスチャン使徒パウロは,テサロニケにいる仲間の信者にあてた手紙の中で,「この不法の秘事はすでに作用しています」と語りました。―テサロニケ第二 2:7。

第一世紀の終わりころ,最後まで生き残っていた使徒ヨハネは51年当時よりもはるかに多くの背教分子が会衆内に存在するのを目撃しました。西暦98年ころ書かれた霊感によるその手紙の中で,ヨハネはこう語っています。「いまは終わりの時です。そして,あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり,今でも多くの反キリストが現われています。このことから,わたしたちは今が終わりの時であることを知ります」。(ヨハネ第一 2:18)使徒時代は今や終わろうとしていました。真のキリスト教に対する背教が始まることになっていたのです。

年老いた使徒ヨハネはそうした「終わりの時」に一体どのような事柄に直面していたのでしょうか。彼が暴露する必要のあった誤りの一つは,イエス・キリストが到来されたその様に関連するものでした。例えば,ケリントゥスという名のあるユダヤ人は次のように教えていました。『イエスは処女から生まれたのではなく,ヨセフとマリアから普通の方法で生まれた子供である。しかし,イエスは他の人間より賢く,その行ないは正しく,判断力や理解力において優れていた。彼のバプテスマの際,キリストははとの形をとって至高者のもとから彼の上に下って来た。その後,キリストがイエスから離れたとき,イエスは死を経験し復活させられた。しかしキリストは霊者であるため,何の害も被らなかった』。こうしてケリントゥスはキリストが天から下られ,人類を贖うために肉体となられたことを否定しました。

それで使徒ヨハネがその福音書及び霊感によるその最初の手紙の中で,言葉すなわち神のみ子であるキリストが実際に肉体となられたことを強調しているのは注目に値します。このように書かれています。「[天で神と共にいた]ことばは肉体となってわたしたちの間に宿り,わたしたちはその栄光,父の独り子が持つような栄光を目にしたのである」。(ヨハネ 1:14)「初めからあったもの,わたしたちが聞いたもの,自分の目で見たもの,念入りにながめ,自分の手で触れたもの,すなわち,命のことばについて,(そうです,その命は明らかにされ,わたしたちは,父のもとにあって,わたしたちに明らかにされた永遠の命を見,それを証しし,あなたがたに伝えているのです)わたしたちは自分が見,また聞いたことをあなたがたにも伝えます」― ヨハネ第一 1:1-3。

こうした言葉を読んだりまた聞かされたりしたクリスチャンはだれでも,これがケリントゥスのような背教者によって主張されていた偽りの教義を暴露するものであることを理解しました。人間イエスは確かにキリスト,神の独り子でした。彼は最初,宇宙が創造される以前には,目に見えない霊の領域で父と共におられました。年老いた使徒ヨハネは個人的な経験に基づいてその手紙を書いていました。キリストが五感によってその存在を確かめられないような方ではないことをヨハネは知っていたのです。ヨハネは「命のことば」,すなわち命を与える力を父から授けられ,永遠の命を可能たらしめる経路となる方と共に個人的に時を過ごしたからです。

使徒ヨハネは毎日イエス・キリストの声を聞き,その姿を見ていました。イエスと共に歩き,共に食事をし,イエスが休まれるところを見ていました。もちろん,見たり聞いたりすることは,感覚を刺激されている人自身の意識的な選択とは無関係に無意識のうちに行なわれる場合があります。「命のことば」を念入りにながめたと述べてヨハネが見るという問題を一歩進めた理由はこの点にあるのかもしれません。そうです,使徒ヨハネは,一生懸命にまた念入りに神のみ子をながめることを願い,彼を見ることに喜びを感じていました。ヨハネが見たり聞いたりしたものは超自然的な現象ではありませんでした。彼は自分自身の手で神のみ子に触れました。―ルカ 24:39,ヨハネ 20:25,27と比較してください。

使徒ヨハネがイエス・キリストに関する真理を述べることによって背教と闘ったのはどんな目的のためだったのでしょうか。ここにヨハネの答えがあります。「それは,あなたがたもまた,わたしたちと分け合う者になるためです。さらに,わたしたちのこの分け合う関係は,父との間,またみ子イエス・キリストとの間にもあります。それで,わたしたちは,わたしたちの喜びが満ちるようこれらのことを書いているのです」― ヨハネ第一 1:3,4。

これらの言葉からすると,使徒ヨハネは神のみ子を見たり聞いたり触れたりした自分や他の使徒たちと全く同様,仲間の信者たちもイエス・キリストについて十分に確信することを望んでいました。ヨハネは,イエス・キリストと親しく交わることから得られた喜びに彼らが使徒たちと共にあずかることを望んでいました。それで,ヨハネの書いた事柄の目的は,エホバ神とイエス・キリストの前に是認された立場を得ることによってもたらされる喜びを引き続き享受できるよう仲間の信者を助ける点にありました。

一方,背教分子はクリスチャンたちからそうした喜びを奪おうとしていました。そこで使徒ヨハネは適切にも,キリストが肉体で来られたことを示す動かし難い証拠について語ることによって背教分子を暴露したのです。

このことは,キリスト教の教義の純粋さを決して軽視すべきではないことを強力に示しています。イエス・キリストとみ父に関してゆがんだ見方をするなら,このお二方との密接な関係を持つことから得られる喜びは経験できません。また,神とキリストの前に是認された立場を得ていない人々は有罪の裁きを受けることになります。(テサロニケ第二 1:6-10)このことからクリスチャンと唱える人々すべては,使徒たちの死後栄えるようになった教師など背教した教師たちの影響を受けていないことを確かめるため,自分の信条や活動を聖書に照らして調べることの重要性を銘記するはずです。さらに使徒ヨハネに倣って,真の信者は引き続き真理を擁護し,宗教上の誤りを暴露してゆかねばなりません。彼らの命や,彼らの言葉に耳を傾ける人々の命はそのことにかかっているのです。―テモテ第一 4:16。

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