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  • 生活上の思い煩いに対処できる人がいますか
    ものみの塔 1980 | 10月15日
    • 生活上の思い煩いに対処できる人がいますか

      「どうして世界中の国々で一番頭の切れる人たちが一堂に会し,知恵を出し会って平和な世界を作れないのかしら。いつもどこかしらに紛争や緊張があるのはなぜかしら」。ある有名な女優はこうした疑問に心を悩ませました。同じような考えを抱いたことのある人は少なくないことでしょう。ほとんどの人の目に,生活は,解決の糸口の見つかりそうにないこうした疑問や数々の思い煩いで満ちているように映ります。

      指摘するまでもなく,今日の人類は数々の深刻な問題を抱えています。生活費の急騰という問題があります。家族生活の破綻に伴い,分裂した家庭や離婚が増えており,そこまでゆかなくとも子供に対する監督の手が幾分緩むといった事態が生じています。健康上の問題を抱えている人は数知れず,食糧や物資,エネルギーなどの不足に悩む人もいます。世界中の人々が将来のことを思って不安に駆られ,恐れを抱き,思い煩っています。

      例えば,生活費のことについて考えてみましょう。1979年度のインフレ率は,アルゼンチンで172.6%,フィリピンで32.4%,ギリシャで27.5%でした。(US・ニューズ・アンド・ワールド・リポート誌,1979年10月1日号)こうした事情を考慮するなら,生活必需品を手に入れることについて思い煩うのも無理のないことです。

      家庭の崩壊についてはどうでしょうか。米国では,3件の結婚につき1件が離婚に終わっています。ソ連の情況も似たようなものです。ソビエト・ライフ誌は,「平均3件に1件の結婚は正式に解消されている」ことを認めているからです。今日の家族生活の破綻が多くの思い煩いを生んでいることは明らかです。

      事情に通じている人なら,世界の各地で食糧や物資が不足していることを否定しないでしょう。また,世界中でエネルギー問題が取りざたされています。こうした事柄すべてに加えて,核兵器の貯蔵といった問題があります。将来を思い煩うもっともな理由があるようです。そこで,生活上の思い煩いに対処できる人がいるのだろうかと尋ねたくなることでしょう。

  • 苦しみを伴う思い煩いがもはやない時
    ものみの塔 1980 | 10月15日
    • 苦しみを伴う思い煩いがもはやない時

      思い煩いとは,「苦痛もしくは不安をもたらす精神の動揺で,通常,差し迫った,あるいは予期される災難に対するもの」と定義されます。ですから,思い煩いが高ずると,心痛を味わいます。苦しむことを喜ぶ人がいるでしょうか。

      思い煩いを克服する努力

      生活上の思い煩いに対処しようとして,精神安定剤に頼る人が少なくありません。例えば,最近のある一年間に米国だけで,わずか1種類の薬つまり精神安定剤のために5,700万枚もの処方箋が書かれました。しかしそれには,憂慮すべき危険が伴います。1978年4月26日付のニューヨーク・ポスト紙の記事の中で,ハリエット・バン・ホーンはこう述べました。「[全米薬剤乱用対策協会の]報告によると,約3,000万人の女性が精神安定剤を使用しており,1,600万人がバルビタール剤を服用している。昨年,20万人のアメリカ人が薬剤乱用対策計画の対象となったが,そのいずれも処方された薬剤を服用していた」。思い煩いに対処するはずのこうした努力も,実際には思い煩いを増やすことになってしまいます。

      思い煩わずにすむようにと,お金をため込む人もいます。しばらく前のこと,カナダのトロントに住む電子工学の一技師は,宝くじの広告につられて,家を売り払い,その代金(5万カナダドル: 約950万円)を全部はたいて宝くじを買いました。わずか1,500㌦(約28万5,000円)と受け取ったその日に有効期限の切れた旅行券2枚が当たったにすぎませんでした。望みを託してお金をためても,思い煩いがなくなるどころか,思い煩いの種になる場合があることは明らかです。

      将来に対する思い煩いは多くの人にとって重苦しい圧力となっています。一例を挙げると,強力な兵器を備えた諸国家がいつかはその恐ろしい兵器を使用し,人類に大惨害が臨むのではないかという不安が常にあります。トゥー・ザ・ポイント・インターナショナル誌はその論説記事の中でこう述べました。「西側の大方の軍事観測筋は,東西両陣営の決定的対決が不可避であるとしている。……米国の主要都市に対するソ連の核攻撃のもたらす影響について綿密な計算がなされている。……理論家は,1回の破壊的な攻撃で7,000万人の死者が出るといった肝をつぶすような数字を並べたてている」。こうした言葉はいやがうえにも将来に対する思い煩いをかきたてます。

      このように,思い煩いの種は増えるばかりで,一向になくなりません。他にも個人的な悩みの種があることでしょう。人生とはこのようなものなのでしょうか。

      思い煩いは神の意図された事柄か

      そうではありません。人間が思い煩いに押しひしがれることはエホバ神の当初の目的ではありませんでした。人類の最初の親となったアダムとエバは生活必需品を得るのに少しも困難を感じませんでした。人類の最初の住居は食物の豊富な楽園だったのです。エホバは「見て好ましく食物として良いあらゆる木を地面から生えさせ」ておられました。楽園が全地に広がり,人間の子孫が罪のない完全な状態を受け継ぐ可能性がありました。何不自由なく安全に永遠の命を享受する見込みがあったのです。ところが,神に対する不従順によって,最初の人間夫婦は永遠の命とそれに伴うものすべてを失ってしまいました。―創世 2:9,16,17; 3:1-7,17-24,新。

      人間が罪のある不完全なものとなったにもかかわらず,神は人類のために種々の備えをしてくださいました。エホバは昔のイスラエルの人々に,彼らが忠実であれば,あまりの豊作に種まき時まで収穫が続くほどの豊かな祝福を与えると約束されました。(レビ 26:3-5。アモス 9:13と比較してください。)また,使徒パウロはルステラの住民に次のように語ることができました。「ご自分は善を行なって,あなたがたに天からの雨と実りの季節を与え,食物と楽しさとをもってあなたがたの心を存分に満たされたのですから,[神は]決してご自身を証しのないままにしておかれたわけではありません」。(使徒 14:15-17)この点で神は,良い食物が尽きることなく供給されるように,地球の気象上の循環系を定めてくださいました。(伝道 1:6,7)こうした環境の下で,生活必需品について思い煩う必要はないでしょう。

      エホバは,ご自分の僕たちの必要を豊かに満たしてくださるだけでなく,「詐取される者たちのために裁きを執行される方」でもあります。(詩 146:7,新)『人が人を支配してこれを害する』ことは決して神の意図されたことではありませんでした。(伝道 8:9,新)それで,神のご意志が天で行なわれるように地上においても行なわれるなら,生活必需品や神を愛する人々の安全と福祉について思い煩い,心を悩ませる理由がどこにあるでしょうか。(マタイ 6:9,10)確かに思い煩う必要はありません。人間が思い煩いで押しひしがれることはエホバの意図された事柄ではありませんでした。

      世界に災いが臨んでいる理由と救済策

      人類を悩ませる思い煩いの源はエホバ神ではありません。そうした思い煩いは,最初の人間夫婦アダムとエバの不従順の結果です。神に対する不従順により,二人は初め享受していた神との親密な関係のみならず平安をも失いました。罪深いアダムが子孫に伝えたものと言えば罪と不完全さだけであり,こうして,人間の生活を損なうありとあらゆる思い煩いが生じるようになりました。(ローマ 5:12)しかし,この背後には一人の霊の被造物,サタン悪魔がいました。この「初めからのへび」がそもそも人を唆して罪を犯させたのです。―創世 3:14,15。啓示 12:9。

      クリスチャンの使徒ヨハネは,ミカエルつまりイエス・キリストがその使いたちと共に悪魔と配下の悪霊たちを天から放逐する時のことについて書きました。(啓示 12:7-9)使徒はその時,一部次のように告げる,天の大きな声を聞きました。「天と天に住む者よ,喜べ! 地と海には災いが来る。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りをいだいてあなたがたのところに下ったからである」― 啓示 12:12。

      思い煩いや世界的な災いにはそれなりの理由があるのです。では,救済策があるでしょうか。確かにあります。聖書はこう保証しています。「平和を与えてくださる神は,まもなくサタンをあなたがたの足の下に砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの過分のご親切があなたがたとともにありますように」― ローマ 16:20。

      苦しみを伴う思い煩いがなくなる時

      ですからエホバ神には,苦しみを伴う思い煩いに終止符を打つ全き力があり,実際そうしてくださるのです。今から19世紀の昔,使徒ペテロは仲間のクリスチャンに「エホバの日」を思いに留めているよう促しました。わたしたちもそれに続く使徒の言葉の成就に確信を抱いている必要があります。「しかし,神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」。確かにわたしたちの行状は,「エホバの日」がまさに「戸口に」近づいているとの認識を反映したものであるべきです。また,その備えをすべきです。というのは,その時,現在の邪悪な事物の体制が除かれ,神の約束しておられる驚くべき新秩序がそれに取って代わるからです。―ペテロ第二 3:10-13。マタイ 24:33,34。ルカ 21:34-36。

      その新しい事物の体制は,悲しみや苦難,また悩みを伴う思い煩いを除き去ることでしょう。メシアなる王イエス・キリストのもとに建てられる神の天の王国によって,その時,従順な人類には実に豊かな祝福がそそがれます。

      イエスは人間として地上におられた時,パンと魚を増やして幾千人もの人に食物を与えたことが2度あり,その際には残り物が出たほどでした。(マルコ 6:37-44; 8:1-9)ですから神の王国の支配下では,飲食物について思い煩うことはありません。

      衣服についてはどうですか。思い煩う必要はありません。イエスは弟子たちにこう言われました。「衣服のことで,なぜ思い煩っているのですか。野のゆりから,それがどのようにして育っているか,教訓を得なさい。労したり,紡いだりはしません。しかしあなたがたに言いますが,栄光をきわめたソロモンでさえ,これらの一つほどにも装ってはいませんでした。では,神が,きょうここにあってあすかまどに投げ込まれる野の草木にこのように衣を与えておられるなら,ましてあなたがたに衣を与えてくださらないことがあるでしょうか。信仰の少ない人たちよ」。(マタイ 6:28-30)答えは明白です。神にはその力があり,約束の新秩序の下で,それを実現してくださいます。

      その時,十分の住居を備えることに問題はありませんか。人間の最初の親に楽園の住まいを備えてくださったエホバ神にとっては少しも問題となりません。神は,ご自分に信頼を寄せる人々のために必ずふさわしい住居を備えてくださいます。新しい体制下の地の住民は神の民に昔語られた,『彼らは必ず家を建てて住む。彼らが建ててだれか外の者が住むことはない』という言葉を上回る祝福を享受することでしょう。(イザヤ 65:21,22,新)神のご意志が全地で行なわれる時,住居について思い煩う必要は少しもありません。

      多くの人が深刻に思い煩っている健康上の問題についてはどうですか。神の言葉は,エホバが病気を取り除く力を有しておられることを得心させてくれます。(申命 7:15)福音書の記録によれば,神のみ子イエス・キリストは「ぐあいの悪い者すべてを治され(まし)た。これは,預言者イザヤを通し,『彼はみずからわたしたちの病気を身に引き取り,わたしたちの病を担った』と言われたことが成就するため」でした。(マタイ 8:16,17。イザヤ 53:4と比較してください。)ですから,王国の支配の下で病気が取り除かれるかどうか過度に思い煩う必要はありません。

      しかし,イエスは幾度も人をいやされただけでなく,死に伴う苦悩を取り去ることもされました。どのようにですか。死者を命によみがえらせることによってです。例えば,イエスがナインのやもめの息子をよみがえらせた時,思い煩いや悲嘆からどれほど大きな救いが得られたかを考えてみてください。(ルカ 7:11-17)また,イエスがご自分の友であるベタニヤのラザロを復活させた時には大きな喜びがありました。(ヨハネ 11:1,30-44)キリストは,地上におられた時,『墓の中にいる者が彼の声を聞いて出て来る』ことを保証されました。(ヨハネ 5:28,29)イエスは地上におられた時,死者をよみがえらすことができたのですから,この約束が成就するのは確かなことです。―使徒 24:15。

      「エホバの日」は悪と深刻な思い煩いに終止符を打ちます。それは本当にすばらしい祝福となることでしょう。衣食住について思い煩うことのない時代に生活するのはなんとすばらしいことでしょう。輝くばかりの健康が病気に取って代わり,死のふちに向かう人類の行進に復活が取って代わるのです。苦しみをもたらす思い煩いがない時に生活するのは実に喜ばしいものです。

  • 生活上の思い煩いに対処する方法を見いだした人々
    ものみの塔 1980 | 10月15日
    • 生活上の思い煩いに対処する方法を見いだした人々

      生きている者には例外なく自分なりの思い煩いがあるものです。しかし,そうした苦悩や精神の不安に対処する上で助けとなる生活の仕方があります。思い煩いに対処することは確かに可能なのです。どのようにすればよいのでしょうか。クリスチャンの生き方を追い求めるのです。

      病気のことを深刻に思い煩っている人は少なくありません。英国のある婦人はこう語りました。「エホバの証人が初めて訪問してくれた時,私の健康状態は惨たんたるものでした。神経がひどくまいってしまって,神経の薬を毎月140錠も飲んでいました。そのほかに,毎日たばこを40本吸っていました。希望を与える聖書の音信はこうした習慣を捨て去りたいという強い願いを私の内に生じさせました。しかし,それは容易ならぬ闘いでした」。それでも,この婦人は首尾よくこれらの習慣を断ちました。そして,こう語っています。「エホバの助けとその霊によって,神のご要求にかなった生活を送れるようになりました。神の新秩序の下で完全な健康の得られる日を待ち望んでいます」。

      平安は非常に捕らえどころのないものであるため,中にはそれを得ようとして思い煩ってきた人がいます。「私は平安を探し求めてきました」とカナダに住むある青年は語りました。この青年は「真の兄弟愛」も求めていました。様々な宗教を調べましたが失望させられ,やがて「麻薬におぼれるようになってゆき」,2度も自殺を図りました。その2度目の自殺未遂の後,病院で健康の回復を図っている時,その青年はエホバの証人と聖書を研究しているある人と話をしました。聖書を読みたいという気持ちになったこの青年はヨシュア 1章8節の言葉に感銘を受け,聖書に書かれている事柄に従う決意を固めました。「そこで,体を洗い,髪を切り,すぐに麻薬をやめました」と青年は語っています。エホバの証人が定期的に訪問し,やがてその青年はエホバに対する献身の表われとしてバプテスマを受けました。バプテスマを受けた日,その青年は大会のインタビューで,「私は平安と真の兄弟愛を見いだしました」と聴衆に語りました。平安と兄弟愛を切に探し求めていたこの青年の努力は,クリスチャンの生き方を追い求める人々との幸福な交わりによって確かに報われました。

      結婚生活の破綻という問題は,米国のある若い女性にとって思い煩いを生む様々な原因の一つにすぎませんでした。破綻をきたした家庭でアルコール中毒者の母親に育てられたその女性は,わずか10歳の時に自殺を図ったのです。何年も後のこと,その女性は,『自分の人生にはどんな意義や目的があるのだろう』と疑問に思うようになりました。ある男性との結婚が最終的に解消された後,その若い女性は再婚し,エホバの証人である義母を通して聖書の音信に接するようになりました。これがきっかけとなって,この女性はやがて神に献身し,バプテスマを受けました。会衆の成員の示す愛ある関心と,あるクリスチャン姉妹の個人的な援助を受けたこの若い女性は次のように語ることができました。「生まれて初めて,自分がまともな人間であることを感じています。以前の私の人生は,悪い環境の犠牲になったごみくずのようなものでした。でも今は,新しく生まれ変わったのです。自殺を図ることなどもう考えません。私には他の人に分け与えるものがあります。……エホバ神との個人的な関係が生ける希望の源になっています」。確かにこの女性は,「生ける希望」を見いだして人生の意義を探し当てました。

      先に述べたように,聖書は,苦しみをもたらす思い煩いがもはやなくなる日の到来を約束しています。しかし,現在でも,エホバの備えを通して,生活上の思い煩いに対処する霊的な助けをすでに見いだしている人が数多くいるのです。

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