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  • エホバの証者が困難な状態下で働く国々からの報告
    ものみの塔 1963 | 8月15日
    • ことがあります。ある葬儀に出席していたギリシャ正教の婦人は,エホバの証者によるこのような葬儀なら,自分の時にもしてもらいたいと言いました。そばでその言葉を聞いていた兄弟は早速話しかけ,その婦人と聖書研究をするとりきめを作りました。その後,この婦人は死について考えたりするのを止め,神に善意を持つすべての人にさしのべられた永遠の生命の希望を知って喜びました。彼女は,今,献身し,バプテスマを受け,共なるエホバの賛美者の一人になっています。

      工場で働く一人の若い兄弟が事故で死にました。そのニュースを聞いた他の兄弟たちは初め気を落としました。しかし,葬儀は真理を証言する大きな機会になりました。近くからたくさんの人が集まってきました。一般の人々も多勢でしたが,出席した伝道者は800人近くもありました。集まりの事を聞いた警察は葬儀を中止させようとしました。しかし,出席者が非常に多いため,警察も手を下すことができず,ただ周囲に立って葬儀の様子を見るだけでした。遠くからも数多くの伝道者が集まっていたので,葬儀ではなく,大会だと言った者もありました。兄弟たちは御国の歌をうたい,そのうちの一人が葬式の話をしました。公衆に対する良い証言になっただけでなく,ほんの数人のエホバの証者の集りしか見たことのない真理に新しい人にとって,強い励ましともなりました。

      その葬儀のしばらく後,若い姉妹が心臓の病気で死にました。この時にも多くの人が遠くから集まり,一般の人も沢山まじっていました。警察当局は集会の出席を妨げることを目的に,バスや汽車の検問を始めました。それがあまりうまくゆかないのを知って,今度は,白衣を着せて医者をよそおわせた秘密警官をその姉妹の家に派遣し,患者は伝染性の病気を持っていたから,公の埋葬をしてはならないと言わせ,さらに,強引に遺体を運び出して,遠くの別の町に持って行きました。

      ソビエト社会主義共和国同盟憲法第124条には,次の一文があります。「宗教的礼拝の自由および反宗教的宣伝の自由は,すべての市民に対して認められる」。しかし,ある地方において,伝道者は警察に呼び出され,信仰を棄てないならシベリヤへ放逐するとのおどしを受けました。エホバへの忠誠を保つことのゆえに,どれだけの苦難がもたらされているかは殆んど信じ難いほどです。

      70才になる一姉妹も召喚され,信仰を否定する旨したためた書類に署名をせまられました。それをことわった彼女がうけた仕うちはおよそ人間のものとは思われません。強迫者はさらに強暴な獣に変わりました。翌朝帰宅した彼女の姿は受けた仕うちのほどをしのばせました。歯1本を失い,からだ全体にうちきずがありました。頭皮の一部ははぎとられ,口びるはむらさき色にふくれていました。病院の医師は同情的な態度で彼女を診察しましたが,その言葉によると,頭のきずのために残った毛髪もだめになるかもしれないとの事でした。頭のきずが痛く,彼女はあごで首を支えて,うつむけになって眠らねばなりませんでした。

      昨奉仕年度中に,強制労働収容所から釈放された兄弟たちもたくさんあります。残った兄弟たちはいくつかの収容所にまとめられました。

  • 初期の目録とクリスチャン・ギリシャ語聖書の正典
    ものみの塔 1963 | 8月15日
    • が大勢に影響を及ぼしたわけではなく,黙示録は一般に受け入れられました。またごく初期においてさえ,正確な写本の重要性が認められ,アイレニウスは黙示録 13章18節について「この数字は信頼できる古い写本すべてにしるされている」と書いています。―ユーセビウスの教会史,188頁。

      これであと残るのはヤコブ書,ユダ書,ペテロおよびヨハネの手紙です。ペテロ前書とヨハネ第一書は,正典として初めから問題なく認められ,その真実性を証言している初期の人の中にはパパイアス,ポリカープなどがあります。(パパイアス未完遺稿6。ピリピ人へのポリカープの手紙2,7)これ以外の五つの書はクリスチャン・ギリシャ語聖書の36分の1を占めるに過ぎない小さいものであり,その事を考えれば,これらの本のことがそれほど言われてなくても,不思議ではありません。その全部は2世紀のクリスチャンの書いたものに出てはきますが,短いだけに引用されることも少ないのは当然です。また流布されることもおそかったので,あるところでは知られ,他のところでは知られていないといった事も起きました。批評家がいちばん問題にしてきたのはペテロ後書ですが,アイレニウスはそれを使っており(異端反対論,5,23,2および5・28・3),また内面的な証拠から見ると,それは早くから書かれたものであり,2世紀のものではありません。

      経外書の存在

      しかしシナイ写本が黙示録のあとにバルナバの書簡とハーマスの羊飼を含み,アレキサンドリア写本がクレメントの手紙2通を含むのはなぜですか。聖書の一部と言われる類似の書が,このほかにもいろいろ発見され,中でもトマスの福音書といわれるものは議論の的となりました。これは聖書に含まれるべきものですか。

      歴史家ユーセビウスは,これらの書を三つに類別し,まず問題なく認められているもの,次に論議の対象になっているものをあげていますが,この二つの部類にはいるのは正典と認められている書です。第三の部類にはいるのは,たとえ会衆で読まれたことがあっても経外書であって,ユーセビウスはこの中にハーマスの羊飼,バルナバその他を入れています。(ユーセビウスの教会史,110頁)ミュラトリアン写本の断片はハーマスの羊飼について,それを読むことはできるが正典として認めることはできないと述べています。4

      2世紀の末頃,公に読まれた経外書ペテロの福音書は,外典として禁ぜられました。(ユーセビウスの教会史,231頁)ターツリアンによれば,「パウロ行伝」の著者はそれが1世紀のものであるかのように見せかけたかどで罰せられました。(デ・バプティズモ,17)4世紀にエジプトのテオドールはその手紙の中で,経外書を指して「多くの人が飲んだ偽りの水」7「という表現を使っています。またミュラトリアン目録の言葉を借りれば,経外書は蜜と混じてはならない胆汁です。4 それでクリスチャンは外典に警戒しました。

      便宜上,1冊の写本の中に外典をとじ込むことが,よく行なわれました。それは外典を読む人があったからですが,正典と外典の区別は知られていました。シナイ写本とアレキサンドリア写本を見ても,正典の最後の本である黙示録のあとに外典がついています。しかし外典を重視した背教の人々の写本もあり,アンテオケのセラピオンはこのような写本を2世紀末に発見しています。

      正典と外典は内面的な証拠によっても明らかに区別されます。外典の内容は正典にはるかに劣り,しばしば幼稚で空想的であり,不正確です。経外書について学者が述べた次の言葉に注目して下さい。

      「外典が新約聖書から除かれたことに疑問の余地はない。彼ら自らが外典を削除した」。―M・R・ジェイムス,新約聖書の外典,12頁。

      「新約聖書を他の類似の書とくらべると,両者の相違はきわめて明らかである。それで外典の福音書が正典のいちばん良い証拠になっている」。―G・ミリガン,新約聖書の記録,228頁。

      「トマスの福音書の大部分は後代のものであり,伝説であって,イエスの言行の記録としての価値はない」。―F・V・フィルソン,聖書考古学者,1961年,18頁。

      「正典以外の福音書というものは,真実性の疑わしいものばかりである」。―C・F・D・モール,新約聖書の誕生,192頁。

      「初期教会から伝えられた書物の中で,新約聖書を別にして,正典に加えるべきものは一つもない」。―K・アランド,新約聖書の正典の問題,24頁。

      神の霊感による

      霊感の証拠は,正典であるかどうかの決め手となります。(テモテ後 3:16)クリスチャン・ギリシャ語聖書の27冊の本は,人間の考えによらず,神の霊によって成立したものです。欠けているものもなければ,余分なものが加えられたこともありません。晩年のヨハネはすでに多くの書が出始めたのを見ました。しかしそれは必要なことでしたか。(ヨハネ 21:25)たとえイエスの言葉がそのまましるされていても,そのことだけで外典が霊感の書になるわけではありません。66冊の本から成る神のことばこそ導きとすべきものであり,その完全な調和は聖書が完結したものであることを証明しています。すべての賛美は,この比類のない本の創造者エホバ神のものです。聖書によって人はすべての必要なものを身に着け,生命に至る道を歩むことができます。まだ時間のあるいま,神のことばを賢明に使いましょう。

      引用文献

      1 The Problem of the New Testament Canon, by Kurt Aland, 1962, page 18.

      2 The Text of the Epistles, by G. Zuntz, 1946, pages 14, 279.

      3 Early Christian Doctrines, by J. N. D. Kelly, 1958, page 58.

      4 The New Testament Documents, G. Milligan, 1913, pages 214, 290, 291.

      5 The Epistle to the Hebrews, Greek Text and Notes, by B. F. Westcott, 1889, page lxxi.

      6 Historic Evidence of the Authorship and Transmission of the Books of the New Testament, by S. P. Tregelles, 1852, pages 61-63.

      7 The New Archaeological Discoveries, 2d Ed., by CM. Cobern, 1917, page 334.

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