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  • 人は神なしで生きられるか
    ものみの塔 1967 | 12月15日
    • ―使行 17:25,28。

      認めると認めざるとを問わず,人は命および生きるための多くの必要物を神に負っています。しかし天の父は肉体を養う食物のみを備えて,心の糧を備えないのですか。人間はエホバ神の霊的な備えなしに生きられますか。

      神なしで生きる

      地上人口の相当数を占める人々は,自分は神の存在を信じていると述べますが,その多くはあえて神の霊的な備えを無視して生活しています。堕落させようとする罪の影響力から人間を救い,正義の新秩序における完全な健康と生命の祝福を与えるための神のご準備を学ぶことはほとんどありません。

      このような状態は,クリスチャンになる以前のかつてのエペソ人のそれに似ています。使徒パウロは彼らにこう書きました。「その当時は,キリストを知らず,イスラエルの国籍がなく,約束されたいろいろの契約に縁がなく,この世の中で希望もなく神もない者であった。ところが,あなたがたは,このように以前は遠く離れていたが,今ではキリスト・イエスにあって,キリストの血によって近いものとなったのである」― エペソ 2:12,13。

      神の目的にかかわる知識を得るまでこれらのエペソ人は「神もない者」であり,神の霊的な備えを知らずに生活し,永続する幸福を伴う命の真の希望を持っていませんでした。その見込みは,短い生涯を終えて死ぬことだったのです。聖書の音信に答え応じた時はじめて神との近い関係にはいり,永遠の命の確かな望みを得ました。この希望は,神の備えられたイエス・キリストを受け入れたため可能になりました。彼らはキリストの犠牲により,受け継いだ罪に帰因するさばきを免れ,神に近づくことができたのです。―エペソ 1:7。ローマ 5:12。

      人間は神の霊的な備えなしに一時的には生きられます。食物さえあれば人はしばらく生活できます。しかし,やがて罪の影響力に捕えられて死ぬことは必定です。偉大な進歩を遂げた医学をもってしても死は避けられません。ゆえに,人間は神を必要としています。神と神のご準備を知らずにいつまでも生きることはできません。イエス・キリストはご自分の弟子たちとともにいられた時,この事実を強調して言われました。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります」― ヨハネ 17:3。

      神の必要を認めなさい

      しかし,悪がはびこり,人間が苦しんでいるにもかかわらず,神が介入しているとも思えないために多くの人は神の存在を疑い,また,たとえ存在していようとも神なしで生きられると考えています。聖書の一筆者が述べたとおり,一部の人々はそのために悪をほしいままにしています。「悪しきわざに対する判決がすみやかに行われないために,人の子らの心はもっぱら悪を行うことに傾いている」― 伝道 8:11。

      神が直ちに立ち上がって悪を根絶しないからといって,神は存在せず,また人は神なしで生きられるとは言えません。それは飛躍した結論で利己的な人間がそう信じようと望むにすぎません。霊感を受けた聖書の詩篇の筆者は述べています。「悪しき者は誇り顔をして,神を求めない。その思いに,すべて『神はない』という」。(詩 10:4)謙虚に証拠を調べようとしない人は決して真理に到達できず,心を堅く閉じたまま忘恩の道を突き進み,自らその益にあずかるべく努力する人々すべてに備えられたエホバ神の大きな祝福を遂には得そこないます。

      ゆえに感謝の心をいだき,与えられたすばらしい生命に対して神に感謝してください。食物,空気,美しい自然,快い音その他数多くの祝福に対する感謝を神にささげてください。今すぐ始めましょう! 今度,食卓につく時に,備えられた食物に対して心からの感謝のことばをエホバ神にささげてはいかがですか。エホバ神が成長させその食物を備えられたのです。

      しかし人間には神の備えられた物質的な食物以上のものが必要です。心と思いを養う神の霊的な食物がなければ人生は実にはかない空虚なものです。(マタイ 4:4)それで時間を決めて定期的な聖書研究を行い,この霊的な備えに対する認識を表わしてください。それをあとまわしにしないでください! 神とその御目的に関する貴重な知識を得たいと願う人をエホバの証人は喜んでご援助いたします。その知識なしに人間は生きられません。それが永遠の命を意味すると言われたイエスのことばを忘れないでください。

      キリストの犠牲の持つ贖いの力が,偉大な創造者に感謝を示す人すべてに適用される時は,なんとすばらしいことでしょう! 死んだ愛する人さえ墓から戻ってきます。その時,少数どころか何百万もの人が,かつてイエス・キリストがよみがえらせた12歳の娘の両親の味わった喜びを経験することでしょう。聖書にはこう記録されています。「彼らはたちまち非常な驚きに打たれた」。(マルコ 5:42)「墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き……出てくる時が来るであろう」というイエスの確実な約束が実現する時の地上の喜びを想像してください!(ヨハネ 5:28,29)この事はいかなる人間にも行なえず,ただ,命の源,エホバ神の力によってのみ成就します。神はイエス・キリストを用いて復活のわざを行なわせられます。ゆえに,人間が神を必要とし,神なしで生きてゆけないことはあまりにも明白です。

      罪と死の処罰から人類を解放させる神の備えを,昔のエペソのクリスチャンと同様に今受け入れる人には,永遠にわたって神とともに生きる見込みがあります。その人は神のことば聖書に次のように描かれている輝かしい情景の中のひとりになれるでしょう。

      「見よ,神の幕屋が人とともにあり,神が人とともに住み,人は神の民となり,神自ら人とともにいまして,人の目から涙を全くぬぐいとってくださる。もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みもない。先のものが,すでに過ぎ去ったからである」。

      このことは,権威ある約束として受け入れられますか。確かに受け入れることができます。聖書はその保証のことばを述べています。「すると,御座にいますかたが言われた,『見よ,わたしはすべてのものを新たにする』。また言われた,『書きしるせ。これらの言葉は,信ずべきであり,まことである』」― 黙示 21:3-5。

  • エホバの証人を改宗させようとしたカトリック教徒
    ものみの塔 1967 | 12月15日
    • エホバの証人を改宗させようとしたカトリック教徒

      ● 世俗の仕事で接する人に巧みに証言するのは効果的であることが次の経験からよくわかります。仕事の都合でアイルランドの一人の伝道者は,特別開拓者の群れがある大きな町へ移りました。町に着いてまもなく彼はその町の女の人を会社の秘書として雇いました。信仰深いカトリック教徒だったこの女の人は宗教に関する討議に喜んで応じました。彼がカトリック信者ではないが聖書を堅く信じていることを,彼女はこの討識で気づいたのです。女の人は,彼がカトリック信者でないのは心配であると言い,何とかして彼を改宗してみせるとなかば冗談に断言しました。討議を続けている間,彼が誠実で聖書の知識に深いことに彼女は気づき,宗教を持っていると熱心に公言する人に誠実さと愛が欠けている者がとても多いのは残念であると述べました。この事を考えると,時々神の存在を疑うようになることさえあったと彼女は認めています。「その後会社がひけてから,2人はドウエイ訳聖書を使って神の御言葉が信ずべきものかどうかを実際に調べ始めました。彼女はその聖書を家に持って行ってむさぼるように読んだのです」と伝道者は手紙に書いています。聖書だけを使って定期的な研究が始まり,彼はその時にエホバの証人の活動について説明し始めました。これを聞いた彼女は最初少し不安を感じましたが,この時までに真理が心に深くはいっていたので,もっと多くの真理を求め,したがって研究をやめるわけにはいきませんでした。しばらくして彼女は群れのすべての集会に出席し始め,宣教学校に入学し,野外奉仕にも参加しました。最近の巡回大会で彼女はバプテスマを受けました。

      ― エホバの証人の1967年度年鑑より

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