-
唯一の正しい宗教ものみの塔 1955 | 5月15日
-
-
御言葉が多くの違つた矛盾している信仰を支持していると考えるのは不合理なことであつて,それが唯一つの真の信仰に対する岩の基礎と信ずるのは合理的です。聖書はこの論理的な結論を裏づけており,真の崇拝を,多くの信仰ではなく,一つの信仰に限定しています。『体は一つ,御霊も一つである。あなた方が召されたのは,一つの希望に召されたのと同じである。主は一つ,信仰は一つ,洗礼は一つ。すべてのものの上にあり,すべてのものを貫き,すべての中におられるすべてのものの父なる神は一つである』。生命の道は,一つの信仰だけを許す狭い道であつて見解の異る多くの信仰が通る広い,そして,小路の多くつく大道ではありません。『狭い門から入つて行きなさい。亡びに導く路は大きくて,広いから,多くの者はそれを通つて行く。しかし,生命に導く門は狭く,またその路はせばめられているから,それを見出す者は少い。』― エペソ 4:4-6。マタイ 7:13,14,新世。
11 矛盾している教理を持つ多くの信仰は,神より是認をうけるということについて,どんな聖句はそれを除外していますか?
11 真のクリスチャンの心持ちは一つであり,言葉を一致して話します。『さて忍耐と慰めを与える神が,あなた方にキリスト・イエスの持たれた同じ心持ちを授けられますように。それは,あなた方が心を一つにし,言葉を一致して私たちの主イエス・キリストの父なる神を崇めるためである。』矛盾し合う態度や,言葉を持つ多くの信仰は,このことからも不適当なものとしてはじき出されてしまいませんか? キリストの心は分かれてはいず,彼の口は矛盾の言葉を述べず,また彼の一つの真の教会は分裂しておりません。『兄弟よ,私たちの主イエス・キリストの名によつてあなた方に勧める。皆語ることは一致し,あなた方の中に分裂がなく,同じ心,同じ思いになつてかたく結ばれて欲しい。キリストは分かれているであろうか?』 クリスチャンは『分裂をおこす者』を避け,『分派をつくる者』を排除するようにと告げられています。(ロマ 15:5,6。コリント前 1:10,13。ロマ 16:17。テトス 3:10,新世)聖書に書かれている初期キリスト教の教えにかたく従う一つの信仰以外に,今日ある多くの信仰は,分裂や分派をつくつたものから生じたものです。ヱホバは,クリスチャンたちに避けよと命ぜられた分裂といま交りますか? また,クリスチャンに排除せよと命じた分派をうけ入れて認めるでしようか? ヱホバが矛盾するということは決してありません! ヱホバは変化しません。彼は御子キリスト・イエスの建てられた唯一つの真の信仰と,御言葉,聖書の中に説明されている教理をいまでも認められて維持しております。今日何百とある信仰の中から,その真の信仰をどのように識別するかは,次の記事に述べられています。
-
-
『予約を解約して下さい』ものみの塔 1955 | 5月15日
-
-
『予約を解約して下さい』
1954年3月,一夫人は,ものみの塔協会に手紙を送り,ある記事は『どうも自分の気に入らない』から,『ものみの塔』の予約を解約してもらいたいと要求しました。協会は返事を書き,もしその異論のところをいま少し詳細に述べていただくならば説明することもでき,そしておそらく『ものみの塔を入手するのをよろこばれるでしょう。この雑誌の目的は援助するためのものである故に,予約を解約したく思いません。』と述べました。1954年12月,協会は次の手紙をうけ取りました。
『すこし前(約6ヵ月前)私は貴協会に手紙を書き,見解があまり食い違うため『ものみの塔』の送附をお断りしました。その際,非常に良い手紙と文書を送つていただき,勉強させてもらいました。
『私のカトリック信条と慣習を「なくす」には,かなりの時がかかりました。でもいまは,私自身からだけでなく,夫と二人の子供たちからの真実の感謝を示したく,その手紙を書けると感じます。私たちの心からの望みは,もつともつとヱホバのすばらしい真理を学び続け,そして他の人にこの輝しい善いたよりと,毎日の生活にもたらされる幸福を伝えることです。
『貴協会のすばらしい出版物,およびヱホバの御国の真理に参加し得る機会に再三感謝しつつ。
敬具(署名)
-
-
あなたは要求に適いますか?ものみの塔 1955 | 5月15日
-
-
あなたは要求に適いますか?
オハイオ州シンシナティで行われた最近のヱホバの証者の大会で,運送会社の管理人は,過激の乱暴者,理性のない狂信者,取り扱うのが難しい人々の群を予期していたと語りました。しかし,証者たちが自分と同じ普通の人々であるのを知って全く驚いたと語りました。話を交した黒人の料理人は,自分の生涯中に得た知識よりも5分の中に多くのことを言うことができ,小さな少年はどの牧師よりも多くの聖句を引用することができ,まつたく理性があり,論理正しく,かくも,容易に附き合えるこのような制度に初めて合つたと述べました。証者たちはこの話に感銘をうけますが,しかしまた,私たちの帯びる御名に正しい尊敬を得るために,私たちの持たねばならぬ知識,および保たねばならぬ高い標準ということに注意を払うべきではありませんか?
-