-
親密で貴重な関係ものみの塔 1962 | 4月1日
-
-
の崇拝をささげる重要性,「悪鬼共の食卓」に仕えていることを示す行為から身を清く保つ重要性,さらにエホバの献身した証者たちの新しい世の社会と密接な一致を保つ重要性について,認識を新たにします。なぜなら,いまこそエホバがすべての羊を「おりの中の群れのように……一致のうちに」集められている時だからです。―ミカ 2:12,ヨハネ 10:16。
28 イエスについて,詩篇 116篇はどのように成就しましたか。それは,新しい契約にはいっているすべての者にどのように適用しますか。
28 しかし,天的な希望が自分のものであると知っている者,またすでに述べた御霊のあかしを持つ者は,象徴物にあずかるべきです。しかし,「吟味して後」ふさわしい仕方であずかるように注意を払うべきです。これらの霊的な子たちは,たがいに,またかしらなる主,そしてあらゆることにまさって,エホバとの貴重にして親密な一致を保つために,その意味を良く心にとめねばなりません。彼らはエホバの御手からいただいたすべてのものを感謝しているので,彼らの祈りはイエスの祈りと同じものでなければなりません。ある預言的な詩篇の言葉からそのことが分かります,「我いかにしてその賜へるもろもろのめぐみをヱホバにむくいんや」。彼らのかたい決意は,彼の決意と同じものでなければなりません。そのことは,同じ詩篇の中でも述べられています,「われ感謝をそなへものとして汝〔エホバ〕にささげん,われヱホバの御名をよばん。我……ヱホバにわがちかひをつくのはん」。彼らはその犠牲のコースを忠実に全うし,『死にいたるまで忠実を証明する』ので,イエスのすばらしい次の約束が保証されています,「私はあなたがたに生命の冠を与える」。ずっと以前にエホバが彼らのために書きしるした次の言葉,「ヱホバの聖徒の死はそのみまへにて貴し」を読むことによって,イエスは必要なときに慰めと強い保証を受けることができたにちがいありません。同様に,同じ犠牲のコースに従う者たちも,慰めと強い保証をうけることができます。―コリント前 11:28。黙示 2:10。詩 116:12-19。
-
-
魔法使も真理を受けいれるものみの塔 1962 | 4月1日
-
-
魔法使も真理を受けいれる
ほんとうに,タンガニーカでは「あらゆる種類」の人々が真理にはいってきました。ある会衆では,ひとりの魔法使が兄弟たちと交わり,集会に出席し始めました。彼はスワヒリ語の「御国のこの良いたより」を研究して後,お守りをみな持ち出して,山と積みあげ,人々の前で燃してしまいました。この世の友たちは,お守りを燃すようなことをしないで,むしろゆずってくれないかと彼にお願いしましたが,彼は「そんなことをすれば,大罪を犯すことになる」と答えました。この人は,次の大会で受洗するのを楽しみにしています。―1962年のエホバの証者の「年鑑」(英文)からの報告。
-
-
神の目的とエホバの証者(その35)ものみの塔 1962 | 4月1日
-
-
神の目的とエホバの証者(その35)
「『あなたがたは私の証者です』とエホバは言われる。」― イザヤ 43:10新世訳
逮捕される危険を冒しても羊を養う
ドイツには多数のエホバの証者がいたので,ドイツ国内のエホバの証者の活動は盛んでした。同時に逮捕された証者の数も多かったのです。ナチ収容所の所長や警備兵は,残酷で非人道的な仕打をしたことで,有名でした。しかし,ドイツの証者たちは,逮捕の危険に面しても手をゆるめませんでした。また一時的な便宜のために中立という聖書的な立場を捨てて妥協するようなこともしませんでした。これらの兄弟たちは,主の羊を見出して養うことと,互いに霊的に援助し合うことを決意しました。
1934年に至って,ドイツのエホバの証者は失職しはじめました。その理由は,彼らが投票しなかったこと,あるいはヒトラー万歳を唱えなかっただけでなく,彼らが5月1日の祝いに参加しなかったことにありました。1936年,10月,国粋社会党の闘争機関紙,アングリフは,ドイツ全土のエホバの証者を失職させることを要求しました。a
1935年の「主の夕食」を祝ったときエホバの証者を見つけ出して逮捕するために特別の努力がなされました。そのことは次の秘密命令からも分かります。
1935年3月20日,ベルリン秘密国家警察IRI3637ノ35。没収した聖書研究生の文書から判断して,油注がれた群れは1935年4月17日の午後6時以後に集合して,エホバの名前とイエス・キリストの犠牲を記念する祝いをするであろう。そのときに,不意打ちを食わせるなら聖書研究生の役員逮捕に成功するだろう。この処置の結果に関する報告をのぞむ。(署名)ハーツマン。
主の死の記念式を祝っていたとき,「役員」だけが逮捕されたのではなく,その集会に出席していたものはみな逮捕されました。個人の家で二人か三人集まったところでも,秘密警察にスパイされ,隣人たちに密告されました。その場合,逮捕された者たちは,ドイツの法廷で,エホバの証者に対する禁止令を破った者と宣告され,罰を受けました。b
兵役を拒絶した証者たちは,収容所での長期の服役を宣告され,兄弟たちは収容所内に閉じこめられました。また「ヒトラー万歳」を唱えなかった者たちは国家に対する反逆行為をしている者と見なされ,きびしい宣告を受けました。協会の出版物を持っただけでも,かならず刑務所に入れられました。エホバの証者の子供たちは,両親のひざもとから引きはなされて,ナチの家庭に預けられましたが,その子供たちはヒトラーの青年活動に参加しようとせず,ひどい圧迫を受けても忠実をしっかり守りました。1933年から1945年にかけてヒトラーは証者の全部を逮捕しようとしましたが,いつでも証者の半分ぐらいしかつかまえることができませんでした。つまり,約1万名が逮捕されても,ほぼ同数の1万名は捕えられずに地下運動を行い,熱心な,しかも注意深い証言のわざを行ないました。葬式は,逮捕されていない証者たちの大きな公開集会の機会になり,そこで彼らは聖書の講演を聞き,短時間の交際を楽しみました。夜とか,森林の中で小さな秘密集会が開かれました。また,アメリカの「ものみの塔」誌に出版されている最新の霊的な食物の一部は,謄写版で印刷され,いろいろの経路を通って彼らのところに届けられました。c
戦禍に会った国々の兄弟たちは,このような試練を受けても,他の羊を見つけて養うことが彼らの第一の義務であることを忘れませんでした。信仰を抱いていた彼らは,エホバ神に忠実を保っただけでなく,敵に取囲まれてもわざをつづけたので,逮捕されたり告発されたのでした。見つけ出された善意者たちは,霊的に養われて真理により強められ,伝道の必要を認めて神の正義の新しい世の良いたよりをひろめるのに参加しました。
ドイツの一兄弟は,次のことを報告しました。すなわち1934年と1935年中,彼は真理に深い興味を抱いた夫婦を見出して,彼らの家で研究をしました。彼は毎週定期的に訪問して,一緒に「ものみの塔」を研究しました。彼が1936年に逮捕されたとき,彼の妻は研究をひきつぎました。しかし,彼女も間もなく逮捕され,3年の刑を言渡されました。
新しく興味を抱いたこの夫婦は,神の御言葉を知りたいと切望しましたが,いまは二人だけ残されてしまいました。しかし,約250マイル離れたところに住む一兄弟の住所を知っていたので,その妻はわざわざそこまで行って「ものみの塔」の謄写版刷りを1部入手し,他の人々のためにも幾冊かを入手しました。そして後日,力を得るにつれて,名の知られている兄弟がほとんど全部逮捕されて後,ドイツ国内の広範囲の場所に「ものみの塔」を配布するわざに参加しました。彼らに始めて真理を伝えた兄弟は,次のことを報告しています。すなわち,彼は,1945年に刑務所から釈放されて後,その二人の住んでいたところを訪問しました。ところが,その家は,直撃弾を受けて,全燃していました。人々に尋ねてみたところ,その婦人は証者たちに熱心に協力したため,夫といっしょに逮捕されてしまったのです。その二人はミューニッヒの刑務所に入れられました。夫は頑として彼の立場を守ったためなぐり殺され,妻は死刑を宣告されて斬首されました。いろいろの状況から照らし合わせてみると,この忠実な二人は,水の浸礼によってエホバ神への献身を象徴する機会もなかったのです。しかし,ふたりは神と仲間の人間に仕えたいという気持ちでいっぱいだったため,そのわざのために生命をささげたのでした。
兄弟たちを霊的に養いつづける
この経験を語った兄弟自身も,エホバの証者に文書と霊的な食物を供給したとき,しばしば危険な状態に落ちこみ,かろうじて逃げのびることができました。彼の責任は,ドイツ南西部の会衆全部の世話をすることでした。1935年中,彼は2度逮捕されましたが,釈放され,1日おきに警察に出頭することが要求されました。その間,この兄弟はしばしば汽車で600マイルから800マイルを旅行して数多くの会衆を訪問し,それから48時間以内に戻って警察に出頭しました。彼は次のように語りました。
心臓がどきどきするような事態がしばしば起こりました。幾度か私は追跡されたので逃げ出して,旅行の予定を急に変更することが必要でした。私が逮捕をまぬかれたのは,ほんとうに奇跡的と言えるものでした。あるとき,私はアパートにいて,ちょうどわなにかかったねずみのような状態におちこみました。3人の警官がすでに部屋の中にいたのです。それでも私はどうにか逃げることができました。その期間中,寝台で眠れたことなどまずありませんでした。ほとんどいつでも汽車の中で眠りました。d
ついにこの兄弟はひそかに逮捕されました。エホバの証者の母親のひとりが,たまたま街路にいて,彼の逮捕されるところを目撃したので,この兄弟を「消して」親しい者たちのあたまに疑いと混乱を残そうとした警察の努力は失敗しました。この時から
-