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カタツムリ熱 ― 多数の人びとを死に追いやる病気目ざめよ! 1973 | 3月22日
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ません。また,このことはバプテスマを施す場所の選定にさいしても考慮すべき要素です。寄生虫は塩水の中で生息できませんから,海洋ではこの有害な寄生虫の問題はありません。住民は各自の水田や用水路がこの寄生虫でおかされないようにする処置を講じるべきです。釣をしたり,知らない河川の水の中を歩く場合にはゴムの長ぐつをはきましょう。しかし,長ぐつを脱ぐさいに注意しなければなりません。
「吸虫」におかされているのではなかろうかと思われる場合,医師に診断してもらうのが賢明です。早く手当てを受けるなら,治療はより容易であり,からだの受ける害も少なくてすみます。ここ何年かの間施されてきた標準的な治療法はアンチモンを含む薬を何日かにわたって注射することですがそれには苦痛や多少の危険が伴います。ですから,この病気にかからないように,なおさら注意しなければなりません。体内からこの寄生虫を駆除する方法を改善する点では,幾つかの重要な進歩が見られていますが,その慢性疾患のために人体の臓器がこうむる重大な損傷をいやすことはほとんどできません。そのうえ,患者の体内から住血吸虫を駆除したところで,患者がこの寄生虫のいる水にはいって,再び「吸虫」におかされるようなことになれば,元も子もありません。
ですから,ご自分の福祉を守るため,死をもたらすこの敵 ― カタツムリ熱 ― におかされないように注意してください。そうすれば,たいへんな苦しみに会わずにすみますし,いっそうの長寿を享受できるでしょう。
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台湾省における,ものみの塔協会支部の開設目ざめよ! 1973 | 3月22日
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台湾省における,ものみの塔協会支部の開設
台湾省における王国のわざは,多くの迫害に面しながらも,1928年から1956年にかけてすばらしく発展しました。1955年にはついに,エホバの証人に対する長年の禁令が解かれました。その結果,アメリカ人の宣教者であるハルブルック兄弟姉妹が台湾省にはいる道が開かれ,また1956年4月に台湾省で初めての神権的な大会が富源(フ・ユアン)で開かれました。その大会では公開講演に1,808人が出席し,123人がバプテスマを受けました。この大会の主要な講演者は,ものみの塔協会のノア会長でした。「エホバの証人の1972年年鑑」(英文)の記録は次のように続きます。
その後,台湾省の兄弟たちがいっそう行き届いた監督と援助を受けられるよう,台湾省に支部を開設するごとをノア兄弟は決めました。ポール・ジョンストン兄弟が支部の監督に任命されました。ジョンストン夫妻はギレアデ学校でハルブルック夫妻と同窓でした。ものみの塔協会の副会長であるフランズ兄弟を主要な講演者として迎え,池上<ツーサン>郷 大埔<タピ>村で開かれた大会は,台湾省における王国のわざの歴史に新しい章が初まったことをしるしづけるものでした。日本から地域の監督として訪れたエドリアン・トムソン兄弟とハルブルック夫妻,それに染<リヤン>姉妹は大会の開かれる村に先に行き,一方ジョンストン兄弟姉妹はフランズ兄弟を出迎え,いっしょに飛行機で花蓮<フアリヤン>に飛び,そこから軽便鉄道で池上<ツーサン>に着きました。この時も訪問者たちは,大会がよく組織されていることに驚きました。というのは,90㍍離れた所にある井戸から水を運ぶための「水道部門」さえ設けられていたからです。姉妹たちがチームを作ってその仕事をしました。
大会のあるプログラムでは,共産主義を非とする特別の決議が2,029人の出席者によって採択されました。兄弟たちが集まって来る間に,フランズ兄弟が演壇に登ってハモニカの即興演奏をしたのはその時のことした。それは多くの人の心を打ちました。「幸福な新しい世の社会」と題する映画を上映した時には出席者は3,029人で最高数に達しました。
台湾において王国活動拡大のための備えは次々に設けられました。台北では,より大きな屋敷が借り入れられ,その中に宣教者のためのより良い宿舎や王国会館,協会の支部事務所などが置かれました。1957年の秋には台北市外での活動に対する禁令が解除されました。それはその前の年の初めから実施されていました。それにしても,どうして禁令が取り除かれるようになったのでしょうか。聖書を学んでいたある若者の父親は,闘志と決断力のあることで知られた,省議会議員でした。その人は王国のわざに好意的で,エホバの証人の実情をむす子から聞くと,友人
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