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家庭聖書研究を通して神に賛美をもたらす王国宣教 1980 | 10月
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ているように「見よ!」の小冊子をまず最初に用いてもよいでしょう。どんな出版物を用いるか,それは家の人の関心や必要に合わせて決めることができるでしょう。
6 研究の初めから家族の他の成員も研究に含めることは大きな益があります。家族全員がそろって真理に入る機会となるからです。家族の他の成員も関心を持っているかもしれず,後になってから招くのでは,『かなり差があきすぎてしまった』と感じて研究に参加することをためらうようになるかもしれません。
7 家族全員を研究に招くことには別の益もあります。例えば,家族のだれかが研究に応じないにしても,その人は研究司会者の巧みな説明により,家の者がだれと,どんなことを学んでいるかを理解するでしょう。そうすれば真理を学び始めたばかりの研究生が断片的に,巧みさを欠いて語ることから生じうる誤解や反対といったことを巧みに避けられるでしょう。しかし,マタイ 10章36,37節に関連し,そうした反対も起こりうることを親切に示しておくのは良いことです。
8 研究が興味深い,そして進歩的なものであるために,司会者は研究生の信頼を得ることが大切です。司会者自身が研究を徹底的に準備すれば研究生の信頼を得ることができます。研究資料の内容を十分に把握するよう準備するだけでなく,特定の研究生を思いに描きながら研究を準備しましょう。そうすればその研究生が特に興味を示しそうな点,予期できる質問に備えることもできます。
9 研究の際,関心のある人々が神の言葉に導かれるようにしましょう。研究中神の言葉聖書をしばしば開くようにするのは良いことです。単に参照されている聖句だけでなく,初めのうちは出版物の中に引用されている聖句であっても実際に聖書から読むならば,研究生は神の言葉から深い感銘を受けるでしょう。
10 時には研究生が自分の聖書を持っていないこともあります。早い機会に買い求めるよう助けましょう。目次を用いて聖書の各本の配列や用い方を親切に示せば,研究生は早く聖書を自分で開き,それを活用するようになります。
11 聖書研究の司会の仕方で特にきまりがありますか。「組織」の本121-122ページにかけて優れた提案が述べられており,是非それを試していただきたいと思います。会衆の集会では普通,節を読み,質問を読んで,皆が注解を述べます。これは,予習してきても気おくれしてしまう出席者たちも注解の機会を持てるようにするためです。しかし家庭聖書研究の場合,普通はごく限られた人数で研究がなされるので,質問を読み,注解を述べてから,まとめとして節を読む方が効果的であると多くの経験ある奉仕者は感じています。このようにして,前もって予習することの大切さを強調できるでしょう。
研究司会者の良い模範は大切
12 聖書を学び始めた人々はわたしたちを神の奉仕者とみなすでしょう。それでわたしたちは,服装や振舞い,話し方,時間や約束を守ることなどにりっぱな模範となるよう努力したいと思います。(コリント第二 6:3,4,6,7)それに加えてさらに大切なことは,自分自身が絶えずエホバにより頼み,研究生も司会者にではなくエホバにより頼むように導くことです。パウロは人々の注意をエホバとイエスに向けさせる点でわたしたちにりっぱな模範となっています。―コリント第一 1:13-15,2:1-5,3:5-7,21-23。
13 このように研究を司会する人のりっぱな模範により,学んでいる人々の霊的な進歩は速められるでしょう。しかし,どうしたら研究生の心に達するように教えることができますか。また,研究生がエホバの組織と交わるようどんな援助を与えることができますか。それらについてはまた別の機会に取り上げることにしましょう。わたしたちと共に学んでいる方々がやがては神の言葉を宣べ伝え,教える者となることを目ざして励みましょう。それはエホバに賛美となり,わたしたちの喜びとなるのです。
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若者たち ― 災難を払いのけなさい!―伝道 11:10,新王国宣教 1980 | 10月
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若者たち ― 災難を払いのけなさい!―伝道 11:10,新
1 人を幸福で満ち足りた気持ちにさせるのはどんなことでしょうか。それは言うまでもなく,わたしたちの天の父を喜ばせることです! 今,あなたは元気はつらつとした若者ですが創造者について真剣に考えるのに,これほど良い時はありません。なぜですか。伝道之書 11章10節および12章1節(新)でソロモンが語っていることを読んでみてください。物事を行なう能力が老年という「災難の日々」に衰えていくことが分かるでしょう。
2 「でも,エホバはわたしに何を望んでおられるのだろう」とあなたは尋ねるかもしれません。一部の若者たちは,エホバが若者の関心事や熱中する事柄に対して固い,厳しい見方をしておられ,否定的にさえ見ておられると感じています。神に仕えると楽しい時が過ごせなくなると感じているのかもしれません。しかし,それは真実ですか。明らかにそうではありません。伝道之書 11章9節,箴言 27章11節,詩篇 103篇5節などの聖句を考えれば特にそうです。しかし,わたしたちは皆,自分の行動に関してエホバに責任を負っていることを思いに留めておく必要があります。エホバは選択の自由をお許しになりますが,誤った道を追い求める者が挫折や苦い結果を味わうことのないよう保護されることはありません。火をもてあそべば,やけどをします。(箴言 6章27,28節と比較してください。)とはいえ,無謀な生き方,堕落した生き方,あるいは利己的な生き方を避けることにより,あらゆる種類の問題を免れることができるのです。
3 自分と同年代の人で,犯罪,不道徳,暴力などにかかわっている人々をご存じですか。その人々は幸福でしょうか。彼らはエホバを喜ばせていると思われますか。それとは対照的に,エホバのご意志を行なっている若者たちは,確かに,より安全で幸福な生活を楽しんでいるのではないでしょうか。「それはそうだけれど,行なうことは口で言うほどやさしくない」とあなたは言われるかもしれません。確かにそうです。しかし,人生の健全な目標を定めて首尾よく「災難を払いのけ」ている人は大勢いるのです。
4 例えば,多くの人は学校の休みの時に補助開拓奉仕に携わります。あなたはしてみたことがおありですか。もしなければ,学校が休みの時に補助開拓奉仕をする可能性について,ご両親や長老たちと話し合ってみてはいかがですか。きっと喜んであなたに力を貸してくださるでしょう。どんな益が得られるでしょうか。(1)エホバを喜ばせることができます。(2)神のみ言葉を用い,それに一層通じるようになります。(3)祈りによってエホバに頼り,結果をエホバにゆだねることを学べます。(4)こうして自分をささげることにより喜びが増します。(5)他の熱心な人たちと親しく働く機会を得るので,永続的で築き上げる友情を培うことができます。(6)最後に,後の人生において何を行なっても,霊的な見方が向上しているので,恐らく一層成功するようになるでしょう。―マタイ 6:33。
5 あなたは学校を卒業する時に何をするかを考えておられますか。何か自分の目標を定めておられますか。特にある世俗の仕事で成功したいと思っているかもしれず,結婚や家庭を持つことを考えているかもしれません。これらの目標はそれ自体誤ったものではありませんが,実際にあなたの生活の中で神を第一にすることを可能にするでしょうか。あなたは,正規開拓奉仕に入ることや,もしかしたら必要のより大きな区域で働くことについて真剣に考えたことがありますか。あるいは,ベテルで行なわれている聖書文書の生産を手伝うことはいかがですか。これらは健全で,価値のある目標です。それらの達成に努め,災難を払いのけ,全時間奉仕の様々な喜びを味わってください。
6 もちろん,だれも自分の意志に反して何事かをするよう強制されるべきではありませ
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