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目的をもつて勉強するものみの塔 1958 | 10月1日
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あなたの勉強がどのように他の人に助けとなりますか。
27,28 (イ)「ものみの塔」を前もつて個人的に予習することは,新しい人が深い霊的真理をつかむのにどのように助けとなりますか。(ロ)家庭聖書研究で新しい人を助けるには?
27 毎週の研究集会には,多くの新しい人が出席しますが,その人たちは,真理を一度に理解することはむずかしいと考えます。『ものみの塔』の多くの記事は,堅い食物,つまり円熟したクリスチャンに必要な深い霊的なものです。神は,御霊を通してそのような深い事がらを明らかにすることを約束されました,『御霊はすべてのものをきわめ,神の深みまでもきわめるのだからである。』それであなたが他の人を援助できるのはこの研究集会です。ここで行うあなたの註解によつて,新しい人々は,不明瞭な点を理解してゆくのです。ですから自分で前もつて『ものみの塔』を良く勉強し,この特権を見逃してはなりません。傍線を引いたり,重要な点をノートしてこの目的のために準備して下さい。そして,集会中適当な時に,機敏にその註解を述べて,他の人々を啓発するために研究集会に貢献して下さい。このようにしてあなたは,他の人々も集会で『公けに述べ』て愛と正しいわざを行うようはげますことができます。―コリント前 2:10。ヘブル 10:23-25。
28 あなたが,個人的に『ものみの塔』を研究する時に,「訓練計画」によつて自分と一緒に野外奉仕をはじめたばかりの人々を援助したり,訪問する人や自分の司会している家庭聖書研究の人を援助することに心をとめることもできます。これは目的をもつて勉強していることであつて,パウロがテモテに与えた教訓と一致します,『これらのことを,さらに外の者たちに教えるのに十分な資格をもつ忠実な人々に,ゆだねなさい。』あなたが,自分の学んだことを他の人に分け与える時,沢山の利益配当を期待できることを忘れないで下さい,『与えよ,そうすれば,自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ,ゆすり入れ,あふれ出るまでに量をよくし,あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで,自分にも量りかえされるであろうから。』反面,もしあなたが真理を利己的にたくわえて,他の人に分け与えないなら,あなたは例の怠惰な奴隷のように,神に奉仕する特権はむろんのこと,神の恩恵を失うかも知れません。―テモテ後 2:2。ルカ 6:38。マタイ 25:24-30,新口。
29 (イ)会衆の集会にさきだつて研究するにはどんな方法がありますか。(ロ)そのような研究をする一定の時間に関してどんなとりきめをすべきですか。
29 研究からどのように最大の利益を得ることができますか。どの方法に従えば最も効果的でしようか。一人で勉強することですか,それとも他の人と一緒にすることですか。今日,たいていの家庭では,聖書研究や聖書の朗読が次第にすたれつつあるか,または全然行われていません。家族で,子供のいる場合,合同研究は特に効果があるでしよう。両親は,子供を肉体的に育て上げると同じく,霊的にも彼らをくん陶する責任があります。とにかくどのような方法が用いられようと,私たちは,『ものみの塔』を勉強すべき時間を特別に設ける必要を感ずるでしよう。人にはすることが沢山ありますから,時間のあるときにしようなどと仮にも考えてはなりません。それは時間がゆるさないでしよう。自ら時間を作つて勉強に当てなければなりません。神の僕となるのに,勉強が基礎的な『重要事』であることが分れば,人は,勉強のために十分の時間をつくるでしよう。ですから,勉強を私たちの時間表に含めましよう。それを表のトップに置きましよう。そのように用いられる時間に不平をこぼしてはなりません。クリスチャンは,すべてのもの(時間も含む)を,神への奉仕にささげていることを忘れないで下さい。そのような時間をかたく守つて,その持ち主を喜ばすように用いるよう注意しなさい。
30 新世社会は,なぜ勉強に重点を置くのですか。
30 教訓を軽んじる人に必ずやつて来る破滅を認識する時,勉強をするという良い習慣の養成に誠実な注意を向けることは,神の僕の義務です。この理由で新世社会は,個人的なまたグループの研究を強調するのです。世界は危急存亡の時にあります。私たちの時代は審判の時に当つています。正しい人々は有利な審判と,安定と保護を望みます。神は,この邪悪な時代にあつて,熱心に心から神を求める者のために保護を準備されました。霊感された神の御言葉,聖書に述べられている教訓こそ,そのような神からの保護と祝福を得る方法を与えるものです。―詩 50:16。シンゲン 1:30,32。
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『クリスチャンを改宗させよ』ものみの塔 1958 | 10月1日
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『クリスチャンを改宗させよ』
かつての英国労働党の指導者であり政治家であったジョージ・ランスバリーは,このような経験を話しました,『私はかつて,クリスチヤンとしての私の信仰について,レーニンやトロツキーと論議したことがある。二人とも,キリスト教倫理に対する私の信頼を笑つた。そしてレーニンが言つた,「お国に帰つてクリスチヤンを改宗させ給え。キリスト教の教で世界を浄化したまえ。誰だつて流血騒ぎなどほしくないさ。しかし,クリスチヤンが物質的利益のためにわけもなく殺し合うのは他の者とちつともかわらないぢやないか。」』
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