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野外奉仕のための集会王国宣教 1984 | 9月
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野外奉仕のための集会
8月27日-9月2日
紹介の言葉
1. どうすれば家の人に親しさを示せるか。
2. どんな話題が区域内の家の人々の関心を引くか。
3. 個々の人々の関心を引くものが何かをどのようにして見分けるか。
9月3日-9日
『永遠に生きる』の本のどの章を特に用いるか
1. 学生や若者に対して。
2. 働きざかりの男の人に対して。
3. 幼い子供のいる主婦に対して。
9月10日-16日
家から家の記録を効果的に用いる
1. 関心を持つ人に関してどんな記録を取るか。そうした様々な情報は再訪問の際どのように真の価値があるか。
2. 関心を持つ人について記録を付けるのを遅らせないのはなぜよいことか。
3. 家の人の目に付く所で記録するのはなぜ賢明ではないか。
9月17日-23日
良い聴き手となる
1. 家の人が言うことに純粋の関心を示すのはなぜ良いことか。
2. 家の人の話をさえぎるなら,どんな結果が生じるか。
3. 可能なところで家の人に同意を表わすのはなぜ良いことか。黙っているほうが良いのはどんな時か。
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9月中,エホバへの賛美を増し加えなさい王国宣教 1984 | 9月
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9月中,エホバへの賛美を増し加えなさい
1 エホバは賛美されるに値する方です! エホバは,わたしたちを含むすべてのものを創造されたゆえに,誉れを受けるにふさわしい方なのです。(啓示 4:11)わたしたちは自分の命をエホバに負っています。それゆえわたしたちは感謝の念を抱き,できるいかなる方法をもってしてもエホバを賛美したいと動かされるのを感じます。
2 9月中,あなたはどのようにエホバへの賛美を個人として増し加えることができますか。一つの優れた方法は,『永遠に生きる』の本を配布する業に十分あずかることです。そのためには,注意深く計画すること,恐らくいつもの決まった毎日の予定を幾らか調整する必要があるかもしれません。野外奉仕で共に働くよう他の人を招くことも忘れないでください。特に,家から家の宣教に定期的に出るのがむずかしいように思える伝道者たちを助けるようにしてごらんください。
3 『永遠に生きる』の本は,エホバを賛美するよう他の人々を動かす点で特に効果的であることが実証されてきました。この本は,基本的な真理を分かりやすい仕方で提供するだけでなく,わたしたちの神のすばらしい特質に対する認識を築きます。9月中,この際立った聖書研究の助けを提供し続けてください。
聖書研究を始める
4 エホバをたたえることのできるもう一つの方法は,野外で見いだす関心ある人を勤勉に訪問し続けることです。文書を配布することは始まりにすぎません。真の目標は,神を賛美することにわたしたちと共にあずかることのできる弟子を作ることです。(使徒 2:42,46,47と比較。)研究を始める努力を払ってください。『永遠に生きる』の本は研究の司会を一層容易にし,新しい伝道者もこの大切な業にあずかれるようにしてくれます。この本が発表されるまでは研究を司会したことのなかったある伝道者は後でこう報告してきました。「わたしは3件の研究を司会しており,四つ目が始まりそうです。……聖書研究の司会を容易にしてくださったことに対して感謝の申し上げようもないほどです」。あなたは,この本を用いて研究を始めようと誠実に努めてみましたか。このことについて祈りましたか。もし援助が必要と思われるなら,会衆の書籍研究の司会者か他の経験ある伝道者に援助を依頼しましたか。喜んであなたを助け,そのようにしてエホバへの賛美を増し加えている方々もおられるのです。
5 『永遠に生きる』の本は,司会される聖書研究の数を増し加えるのに役立ってきました。1982奉仕年度中,毎月平均9万5,891件の聖書研究が司会されました。しかし,野外奉仕で『永遠に生きる』の本を用い始めた1983奉仕年度中,わたしたちは,18%の増加,すなわち毎月1万7,000件以上も多い平均11万3,065件の研究を司会したのです。研究は増加を続け,1984年6月には新最高数の13万3,806件に達しました。これらの研究は,命が救われる可能性のある人々との間で司会されています。最終的な結果として,賛美を受けるに値する神の賛美者がさらに増し加わることでしょう。
だれと研究するか
6 研究をだれと始めることができますか。家から家の業で見いだされる関心を持つ人たちと始める人もいますし,親族と始める人もいるかもしれません。アンデレが自分の実の兄弟であるシモン・ペテロに良いたよりを熱意を込めて知らせた時に何が起きたかを見てください。(ヨハネ 1:40-42)またあなたは,近所の人々や同僚,クラスメートに話をして,それらの人に聖書研究を勧めたことがありますか。あなたは親しい知り合いなのですから,その上に建てることのできる土台がすでにあります。これらの機会について祈りのうちに考慮し,あなたの願いに調和して行動してください。―マタイ 7:7。
7 あなたはすでに無理なく司会できるほどの数の研究を持っているかもしれません。喜んで研究をする別の人々を見いだした場合,何ができるでしょうか。あなたが研究を始め,それから司会したいと思っている別のだれかにゆずることができます。あるいは,研究を始めて自分でそれを司会するようにだれかを援助できるかもしれません。あなたは,研究を始める時にだれかを伴って行き,次いで徐々に研究をその人にゆずることができますか。これらのどの方法によっても,あなたはエホバへの賛美を増し加えることにあずかれます。
8 確かにエホバは賛美されるに値する方です。毎日,エホバを賛美するあらゆる機会を考え,それを活用してください。(詩編 145:2)そうすることは今,わたしたちに深い満足をもたらすでしょう。そして,将来についてはいかがですか。わたしたち,そしてわたしたちが援助を与える人たちが資格にかない,とこしえにエホバを賛美する業にあずかれますように。―テモテ第一 4:16。
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あなたは10月と11月に補助開拓者として奉仕できますか王国宣教 1984 | 9月
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あなたは10月と11月に補助開拓者として奉仕できますか
1 神を崇拝するとは,神に仕えるという意味です。イスラエル人にとって,エホバを崇拝するためには,その命令に対する従順,そしてエホバに全く専心した民としてそのご意志を行なうことが必要でした。(出エジプト 19:5。ヨシュア 24:14,15)クリスチャンとして,エホバに対するわたしたちの崇拝には王国の良いたよりを宣べ伝えることと,わたしたちが学んだ真理を他の人々に教えることが含まれます。(マタイ 28:19,20)イエスの命令に従順であることにより,わたしたちは実際にはエホバに仕え,崇拝していることになるのです。
10月と11月にあなたの奉仕を増し加えなさい
2 多くの伝道者たちは1年のうち都合の良い特定の時期を選んで,他の人の救いのために肝要な良いたよりを宣べ伝える業により多くあずかるようにしています。(ローマ 10:10-15)大勢の方々が今月補助開拓者として奉仕しています。あなたは10月と11月に補助開拓者としてエホバに対する賛美の犠牲を増し加えることができますか。(ヘブライ 13:15)1か月かそれ以上補助開拓ができるような予定を立てることを真剣に考えてみたことがありますか。要求については「わたしたちの奉仕の務め」の本113,114ページに述べられています。是非このことを配偶者や親,あるいは会衆の他の伝道者と話し合ってごらんください。密接な協力のうちに努力するなら成功します。―箴言 15:22。
補助開拓奉仕から受ける益
3 野外奉仕活動を増し加えるなら,数々の個人的な益がもたらされます。毎日良いたよりを宣べ伝えることに従事することにより,心と思いを霊的な考えに集中させることになります。それによりわたしたちの霊性を向上させることができ,そのことはわたしたちの態度や物の見方や振る舞いに反映されるでしょう。神が是認しておられる業を行なっていることが分かるので,わたしたちの幸福は増大します。また,良いたよりを明快に,分かりやすく述べる能力を改善することにもなります。家庭聖書研究を始めることができれば,特別な喜びがあります。加えて,普通霊の実が生活の中で一層明らかになります。事実,野外奉仕においてより活発な時に会衆や家族の他の成員との関係がよくなると述べた伝道者たちがいました。ひと月の間補助開拓者になるために自分の物事を組織することにより,普通家でも野外でもいつもより多くのことを成し遂げると述べる人たちもいます。わたしたちのエホバとの関係は活動を増し加えることによって富んだものになるということにだれでも同意します。
4 会衆も益を受けます。一人で補助開拓奉仕に入ることをためらっているかもしれない人も,だれかから励まされれば,そうすることでしょう。補助開拓はできないものの,奉仕活動を増し加えたい人がいるかもしれず,その人たちは補助開拓をしている人々と共に働くことによりそれができます。開拓者精神,つまり全時間奉仕に対して正しい精神態度を持つことは,兄弟姉妹たちがこの特別な活動を楽しく支持する時,会衆に行き渡ります。会衆の霊的福祉は野外宣教における会衆の活動と密接な関係があると言われています。ですから,長老たちが補助開拓奉仕を励ますことにより,またできる時にそれにあずかることにより率先するなら,会衆全体が益を受けます。
5 わたしたちが奉仕を増し加えることから,わたしたちの宣べ伝える人々も益を得ます。最初の訪問か再訪問で開拓者たちはより多くの家庭聖書研究を始めることができ,その研究により命の道を歩むようになる人がいるのです。区域でより多くの文書が普通配布されますが,そのことは羊のような人々が真理を学ぶ機会が広がることを意味しています。世の状態を嘆き悲しむ人々を探し出す真剣な努力が払われます。人々は差し迫った神の裁きについてふさわしく警告を受けていますし,この業を果たし行なうわたしたちの責任は一層十分に成し遂げられます。(エゼキエル 9:4; 33:7-9)エホバのみ名と王国の音信は人々の前にさらにしっかりと置かれますので,人々は『彼らの中に預言者がいたこと』を知ることでしょう。―エゼキエル 33:33。
10月に補助開拓をするよう今計画しなさい
6 そうすることのできる人にとって,補助開拓の活動は10月に野外宣教に一層多くあずかる優れた方法です。1年のうちでも気候の大変しのぎやすい10月は,野外奉仕を拡大するのにとても良い時期です。互いに誘い合って是非計画してごらんください。群れの証言の日に行なわれる野外奉仕のための集会で毎週有益な提案を復習できるようになりましたが,補助開拓奉仕をしながら毎日それらの提案を適用することにより,奉仕の喜びを一層増し加えることができるでしょう。そうです,今良い計画を立て,奉仕に十分にあずかってください!
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野外奉仕における良い行儀は神をたたえる王国宣教 1984 | 9月
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野外奉仕における良い行儀は神をたたえる
1 使徒パウロはコリントの人々に次のように書き送りました。「わたしたちはどんな点でも決してつまずきの原因を作らないようにしています。わたしたちの奉仕の務めがとがめられるようなことのないためです」。(コリント第二 6:3)それゆえパウロはフィリピの人々に『良いたよりにふさわしく行動する』よう勧めました。(フィリピ 1:27)この霊感を受けた助言は,クリスチャンの行儀が大切であることをはっきりと前面に出しています。野外奉仕におけるあなたの行儀は神をたたえるものですか。
2 行儀とは何でしょうか。行儀とは,日常の行為,行状あるいは振る舞いと定義されており,他の人の扱い方に関係があります。良い行儀と結びついている表現には,礼儀正しさ,ていねいさ,考え深さ,思いやり深さ,親切,巧みさがあります。良い行儀は,ある人々にとっては取るに足りないもののように見えるかもしれませんが,クリスチャンにとってはそうではありません。クリスチャンとしてわたしたちが成し遂げる事柄の多くが良い行儀の欠如によって台なしになりかねないということをわたしたちは認めています。
家から家の業において
3 家から家に歩く時,あなたは神の奉仕者に期待されている品位を示しますか。あなたの外見と振る舞いは,あなたが伝えている音信の持つ重大さと調和したものですか。もちろんわたしたちは自分の子供を宣教に伴いたいと思いますが,子供たちはふさわしい仕方で真理を表わすように訓練されているでしょうか。伝道者が家の人に話している間,子供はよく聴いていて,遊んでいないでしょうか。もし子供が無作法だったり,その行状が気を散らさせるものだったりすると,家の人は伝道者が言う事柄から十分の益を得ないかもしれません。良い訓練を受けている子供たちはエホバ,親,そして会衆に誉れとなります。一人の婦人は,自分に良いたよりを宣べ伝えた二人の年若い兄弟たちについて,「このような……きちんとした身なりの若者と話すのは本当に楽しいことですし,多くの若者たちがこの人たちの模範に従ってくれたらと思います」と述べました。彼女は明らかに若い兄弟たちの外見と良い行儀に感銘を受けたのです。
4 語る時に,良い行儀をどのように示すことができますか。使徒ペテロは,わたしたちが語る際に「温和な気持ちと深い敬意」を示すべきであると述べました。(ペテロ第一 3:15)このことは大切ですが,道理に合わない人たちと接する時は特にそうです。独断的な,荒々しい,横柄な仕方で話すなら,わたしたちの行儀は神をたたえるものとなっていると言えるでしょうか。良い行儀を示すためには,巧みさと友好的であることが必要です。家の人にそうする気持ちがない場合,わたしたちは,文書を求めることやわたしたちの音信を聴くことを過度に押しつけるべきではありません。また,良い聴き手となることも大切です。そのこともクリスチャンの行儀の一部だからです。家の人が話す時に,わたしたちは家の人の話す事柄に耳を傾けるべきです。これは敬意を示すことになります。そうすれば家の人の思いにある事柄を知るようになり,その人を助けるより良い備えをすることになります。―箴言 18:13。
5 区域で奉仕する時,良い行儀を身につけていれば,歩道や建物の前で群がるのを避けられます。通行人がわたしたちをよけて通るようにすべきではありません。街路での奉仕に携わる時にもこのことは大切です。
再訪問と聖書研究において
6 他の人の家にいる時,クリスチャンの行儀があれば,わたしたちは客として振る舞い,示されたもてなしに対する感謝を示し,ふさわしい礼儀を保ちます。研究を司会する人や再訪問をする人は,家の人が訪問のために許可している時間に対する敬意を示すべきです。時間を固く守るべきです。伝道者が子供を伴う時には,子供は家の人とその所有物に敬意を示すべきです。いかなる仕方であってもわたしたちは,つまずきの原因を作ったり,とがめられたりしたくはありません。―コリント第二 6:3。
7 疑いなく野外奉仕における良い行儀はエホバ神をたたえます。わたしたちすべてが引き続き「良いたよりにふさわしく行動」してゆけますように。―フィリピ 1:27。
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弟子を作るのに助けとなる集会王国宣教 1984 | 9月
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弟子を作るのに助けとなる集会
9月9日に始まる週
41番の歌
10分: 会衆の発表および「発表」。「神権的ニュース」。9月の提供物の良い経験をあらかじめ尋ねておき,述べてもらう。翌週の奉仕会に「わたしたちの奉仕の務め」の本を持参すべきことを思い起こさせる。
20分: 「9月中,エホバへの賛美を増し加えなさい」。聴衆の参加も交えた話。4節に関連して,『永遠に生きる』の本で研究を始めた伝道者をインタビューする。この本で研究を司会するのがなぜやさしいかを強調する。
15分: 会衆の野外奉仕報告。奉仕監督がこの部分を扱う。主に,会衆が野外で成し遂げてきたことを温かくほめる。8月の報告や1984奉仕年度の全体的な報告から幾つかの合計数や平均を伝え,注目すべき増加や改善された点に注意を向ける。年間の補助開拓者合計数や集会の出席数に見られた改善は励みになるかもしれない。また,4ページの日本の6月の野外奉仕報告とその注解にも触れる。兄弟たちは改善の必要な分野について真剣に考えるべき。それらを1985奉仕年度の目標に含めたいかもしれない。週末の奉仕の取り決めに対する積極的な提案を述べて結ぶ。
61番の歌と結びの祈り。
9月16日に始まる週
31番の歌
5分: 会衆の発表と会計報告。第4土曜日の雑誌活動を支持することを温かく励まし,用いられる記事や紹介の方法について提案を述べ,よく練習された短い実演を示す。9月24日の休日の特別活動の取り決めを知らせる。
10分: 「質問箱」を資格のある長老が扱う。要点を聴衆に質問し,すべての聖句を開いて読む。時間の許す範囲で節を朗読する。
15分: 「あなたは10月と11月に補助開拓者として奉仕できますか」。話および聴衆との資料の討議。時間が許せば聖句を読み,6節を朗読して結ぶ。
15分: 「わたしたちの奉仕の務めを果たすための組織」。本の138ページから142ページの副見出しの前までの資料に基づく話。エホバの賛美となるべくエホバのご意志と調和して歩むようにすべての人を励ます。
73番の歌と結びの祈り。
9月23日に始まる週
82番の歌
5分: 会衆の発表。来週の奉仕会に「わたしたちの奉仕の務め」の本を持参するように勧める。
20分: 「良いたよりを伝える ― 予約の提供により」。質問と答えによる討議。討議の後,4節と5節で提案されている証言を実演で示し,証言がなぜ効果的であったか聴衆に尋ねる。10月号の「ものみの塔」および「目ざめよ!」の記事で話題と結びつけやすい他のどんな記事があるか,聴衆から提案を述べてもらう。
20分: 「野外奉仕における良い行儀は神をたたえる」。聴衆の参加を交えた話。3-6節は1節ずつ読んでもらい,聴衆と共に考慮する。3節を考慮する時,野外奉仕で立派な行儀を示したために良い印象を残した経験を兄弟たちに述べてもらう。会衆でこの点に関連して特に注意の必要な点があればふさわしい節に結びつけて,親切な仕方で改善を励ます。
68番の歌と結びの祈り。
9月30日に始まる週
92番の歌
5分: 会衆の発表。
15分: 会衆の必要としている事柄を扱う。あるいは地域大会などで十分に扱えなかった過去のプログラムを取り上げてもよい。
20分: 「わたしたちの奉仕の務めを果たすための組織」。十分な資格を持つ長老による話。142ページの副見出しから147ページの副見出しの前までを扱う。
5分: 10月の第1日曜日の奉仕を積極的に支持するよう励まし,よく練習された提供の実演を示す。
58番の歌と結びの祈り。
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質問箱王国宣教 1984 | 9月
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質問箱
● エホバの証人についていろいろと言及するこの世の出版物に対して,わたしたちはどんな態度を取るべきですか。
証人たちの業が拡大し,その成員が増えるにしたがって,エホバの証人はこの世で目立つ存在になってきました。そして証人たちの信仰や活動に好意的でない人々が,エホバの証人を非難したり,中傷したり,あるいは興味本位に取り上げたりする出版物を発行することがあるかもしれません。わたしたちはどのように対処すべきですか。非難の対象となるのは愉快なことではありません。そして偽りの情報を真実と思い込まされる人々に及ぶ悪影響を心配するのは当然です。そして中には自分を正当化するために偽った情報を信じたがる人もいます。テサロニケ第二 2章11,12節にあるように,エホバの証人たちが,自分たちに投げかけられた偽りの非難や中傷を取り上げて説明したところで,そのような人は依然として偽りを信じるでしょう。そして,そのためにわたしたちの貴重な時間の多くが費やされるようなことになれば,ただサタンを喜ばすだけのことになるのです。
しかし,このような論争に巻き込まれずに,偽りの非難を論破する方法はあります。それはペテロ第一 2章12-15節が勧めている通りです。誠実に物事を観察している人はエホバの証人がみ言葉の真理に一致して生活し,他の人々に対する純粋な愛の関心ゆえに奉仕していることに気づき,そのような非難が根拠のないものであることを容易に悟るでしょう。
こうした出版物を発行する人が望んでいるもう一つのことは,証人たちについてあることないことを書けば証人たちは皆それを買い求めるので出版物がたくさん売れるであろうと期待しているのです。
イエスはご自分にあびせられた偽りの非難や中傷にどう対処されましたか。イエスはそれらを無視し,ご自分にゆだねられた業に励まれたのです。(ペテロ第一 2:23)では,わたしたちも同様でありましょう。常にみ言葉を確信と冷静さをもって伝えつつ,人々の称賛に値するりっぱな振る舞いを保つなら中傷者に対する最善の弁明となるでしょう。
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