ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 支部の手紙
    王国宣教 1982 | 10月
    • 支部の手紙

      王国伝道者のみなさん:

      なんとすばらしい地域大会を楽しんだのでしょう。皆さんはきっと新しい日本語の新世界訳聖書を読み,毎日それを宣教奉仕に活用なさっておられることと思います。日本の17か所で開かれた地域大会に合計13万9,025名が出席しました。また新しい兄弟姉妹が2,894名誕生したことも喜びでした。これら新しい兄弟姉妹たちも引き続きエホバに喜びをもって仕えてゆきましょう。

      わたしたちの宣教奉仕の上にエホバの祝福は豊かにそそがれています。再び7月にも優れた報告がありました。伝道者の合計は7万1,334名となりました。約1,000人の新しい伝道者が1か月の間に加えられたのです。さらに別の新最高数は正規開拓者の合計で,1万2,871名になりました。またとても励みになることは,聖書研究の数が,10万2,957件になったことです。「新世界訳聖書」の発表により,この教える業にこれからさらに一層拍車が掛けられることでしょう。

      新潟大会に出席した11歳の少女からベテルに手紙が送られました。その一部は次のようです。「5月から毎日聖書朗読をしています。……ヘブライ語聖書はいつも民数記で中断していました。でも今回はなんとか努力してサムエル第一まで来ましたら聖書の発表がありました。本当にエホバは私の求めている時に一番ふさわしい物を与えてくださいました。……そして私のような小さな子供でも,この聖書を心から感謝していることを伝えたいと思って手紙を書きました。……今月66時間の奉仕を目標にがんばっています。昨年の8月に65時間奉仕しました。その奉仕は楽しいもので,今までの夏休みの中で一番喜びの多いものでした。それで今年は1時間でも多く奉仕したいと思って66時間奉仕することにしました。私は来年の夏にバプテスマを受けたいと思っています」。

      わたしたち皆も,この少女のように熱心でありますように。

      心からのクリスチャン愛と共に,

      皆さんの兄弟

  • 象徴的な「馬」を効果的に用いる
    王国宣教 1982 | 10月
    • 象徴的な「馬」を効果的に用いる

      1 「馬の頭はライオンの頭のようであり,その口からは火と煙と硫黄が出ていた。……これらの馬の権威はその口とその尾にある……。その尾は蛇に似ていて頭があり,それによって損なうのである」。(啓示 9:17,19)このような馬を見たことがありますか。このような馬を使って働いたことがありますか。もし,サタンの見える体制のうち最もとがめられるべき部分である偽りの宗教に対して,エホバの裁きの音信を公に宣明することにあずかったことがあるなら,確かに馬を見たり,馬を使ったりしたことがあるはずです。

      2 啓示 9章のこれら象徴的な馬は,油そそがれた残りの者の指示の下でエホバの証人がこの終わりの日に配布している幾億冊もの印刷された出版物を表わしています。『その時,神の秘義は終了する』という本の271ページにはこのように述べられています。「これら象徴的な『馬』の襲撃は,ものみの塔の雑誌が街頭や家から家,また店から店へ配布され始めることにより,一段と勢いを増しました」。1982年10月の1か月間に,この象徴的な馬である「ものみの塔」と「目ざめよ!」が3,500万冊以上も全世界の協会の印刷機からころがり出てゆくことでしょう。あなたはそれらを配布することに加わりますか。

      その「馬」が成し遂げる事柄

      3 人々が「ものみの塔」の予約をすることの大切さを協会が強調してきて,今年は連続44番目の年です。なぜそうしてきたのでしょうか。馬がその仕事を果たせるからです! これら普通でない「馬」の成し遂げる大きな事柄は二つあります。その一つは,口から出る火と煙と硫黄による致命的な災厄です。神の言葉の中で,馬は戦争を象徴していますから,わたしたちは霊的な戦いにおいてこれらの備えを効果的に用いなければなりません。そのためには勇気が必要ですが,「ライオンの頭」を持っていることで示されているのが勇気のことですから,わたしたちは「馬」自体からその勇気をふるい起こすことができます。災厄はキリスト教世界ならびに神のメシアによる王国の敵すべてにもたらされます。10月と11月に「ものみの塔」あるいは「目ざめよ!」の予約を提供することによって,この霊的な戦いにわたしたちすべてが熱心に参加しましょう。

      4 2番目に,その恐ろしい「馬」が成し遂げている事柄に全面的な同意を示す心の持ち主がいます。ライオンは公正をも表わしますが,多くの羊のような人々は「ものみの塔」に印刷されている強い裁きの音信のもつ公正さに気付いています。そのような人たちは,予約をすることによってそれを定期的に受け取る必要があります。やがて,「ものみの塔」はそれらの人々が「ユダ族の者であるライオン」,イエス・キリストの側に立場を取れるほどに勇敢にすることもできます。(啓示 5:5)「ものみの塔」は皆さんをそのように助けてきました。そうではありませんか。ですから皆さんは,「ものみの塔」を他の人々に推薦できる良い立場におられるのです。

      戦いにおいて巧みでありなさい

      5 啓示 9章に描写されている「馬」のような勇ましい軍馬に乗るためには巧みさが求められることを皆さんは認めることができるでしょう。この象徴的な表現は,「ものみの塔」の予約運動中,わたしたちにどのようなことを意味するでしょうか。提供する雑誌の内容に十分親しんで,提供する最善の方法を幾つか前もって考えておくということです。そうすることにより,雑誌を配布したり,予約を得たりする面での巧みさを身に着けることができます。わたしたちは人々の心に達して,真理を学ぶように人々を動かすことに巧みになることができます。

      6 例えば,「ものみの塔」10月1日号の「感謝の気持ちはどうなりましたか」と題する一連の記事は家族や隣人に対する感謝は言うに及ばず,神に感謝を表わすべき理由に人々の注意を引いています。10月15日号の「攻撃にさられる結婚生活その攻撃を切り抜ける方法」と題する記事は,現体制下での結婚生活がどれ程危険な攻撃にさらされているかを知らせると共に,幸福な家族生活を送るための優れた霊的備えに人々の注意を引いています。「目ざめよ!」10月8日号はアルコール中毒に関して,また10月22日号は「激増する暴力行為」に関して述べたものであり,これらすべてはサタンの病んだ体制にではなく,エホバとその王国の真理にすべての希望の根拠があることを示しています。

      積極的な態度

      7 予約代金が高いということで「ものみの塔」と「目ざめよ!」の予約を提供するのにためらいを感じている人がいます。そのように感じるべきでしょうか。では,このように考えてみてください。予約が1年1,000円で提供されていた時,それは一般の雑誌の予約代金の約三分の一でした。現在の1年1,800円の予約代金はほとんど同じ比率であることを示しています。しかし,わたしたちの雑誌の命を救う音信の価値と,他の雑誌に描かれている希望のない世の状態を対照する時に,予約代金は取るに足りないものとなります。

      8 「これらの馬の権威はその口……にある」と啓示は述べています。予約や個々の雑誌を提供する面であなたが活動的に分を果たすことにより,10月に象徴的な馬の勇敢な,ライオンのような口に語らせてみませんか。雑誌配布の総合計は昨年増加したとはいえ,平均は数年前よりは依然として相当低い状態です。わたしたちは,熟練した戦士として,決して「退却」とは言いたくありません。そうではなく,象徴的な馬に戦いの中へ攻撃させ,啓示 9章の預言的な言葉が成就することを確信してください。10月と11月中,わたしたちすべてが「ものみの塔」と「目ざめよ!」を効果的に用いましょう。

  • 家庭聖書研究を司会する喜びにあずかってください
    王国宣教 1982 | 10月
    • 家庭聖書研究を司会する喜びにあずかってください

      1 使徒パウロは,自分が援助してクリスチャンになった人々についてこう書いています。「わたしたちの希望,喜び,また歓喜の冠となるものは何でしょうか ― それは実にあなた方ではありませんか。確かにあなた方は,わたしたちの栄光また喜びなのです」。(テサロニケ第一 2:19,20)羊のような人々がエホバとその目的についての基本的な真理を認め,それによって幸福を増してゆくのを見ることは,心の躍るような経験です。そして,その人々を直接援助できるなら,その喜びはどんなにか大きいことでしょう。あなたもそうした喜びにあずかっておられますか。

      2 聖書研究を司会することなど自分にはできないと感じている伝道者がいることを時々耳にします。これはなぜでしょうか。ある人たちは,自分が伝道を始めてから,あるいはバプテスマを受けてからまだ日が浅いために,資格がないと感じているのかもしれません。そして,奉仕の他の分野でさらに経験を積み,効果的な司会をする自信がついてから研究を持つべきだと考えているのかもしれません。また別の人たちは,老齢,病気,世俗の教育の不足などのためにためらいを感じているかもしれません。しかし,そのように考えるべきでしょうか。

      3 パウロはそのように考えませんでした。そのことは,パウロの次の言葉から分かります。「わたしは植え,アポロは水を注ぎました。しかし,神がそれをずっと成長させてくださったのです。ですから,大切なのは,植える者でも水を注ぐ者でもなく,成長させてくださる神なのです」。(コリント第一 3:6,7)人を成長させる神は,植える者や水を注ぐ者として,だれをもお用いになることができるのではありませんか。それに,「受けるより与えるほうが幸福」なのですから,わたしたちは用いられることを強く願うべきです。(使徒 20:35)そうです,わたしたちすべては,家庭聖書研究を司会して,だれかに真理を教えたいという強い願いをいだくべきなのです。

      4 大勢の兄弟姉妹たちは,そのような願いをいだいていたゆえに豊かな祝福を経験してきました。宣教者たちは,外国の地での奉仕を始める最初の時期に,その土地の言語を話したり読んだりすることがほとんどできないにもかかわらず,研究を司会します。しかも,その時期の研究生の多くがりっぱなクリスチャンに成長するのです。最近日本から台湾へ宣教者として派遣された兄弟姉妹は,任命地でその国の言葉を話せるようになるやいなや土地の人との家庭聖書研究を司会しました。まだ伝道者になっていない人で,自らの心に動かされて研究を司会する人もいます。ある女性の研究生は,「聖書物語」の本を用いて自分の母親との祈りで始めて祈りで閉じる研究を司会しています。わたしたちの言語能力や経験は上記の人々のそれよりも劣るもの

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする