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エホバの保護ものみの塔 1968 | 5月15日
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エホバの保護
● 集会に定期的に出席することはきわめて大切だとエホバの証人は考えています。それで,外部の人々がその習慣に気づかないはずはありません。最近,アフリカのカメルーンのある町でのこと,二つの部族の間で騒動が起きました。これは,その町のエホバの証人が毎週の奉仕会に出席するため御国会館に集まった直後のできごとでした。この騒動を鎮圧するため,直ちに兵隊が召集されましたが,この争いで幾人かが殺されました。そのうちに,二人のエホバの証人が時間に遅れてその集会にやってきました。そして町中でその騒動に遭偶したので,家に戻りました。そのうちの一人は,騒動が自宅にまで波及することを恐れて,自衛のため槍を手にして戸口に立っていました。そのうちに,兵隊がやって来て,その人を暴徒の一人と思い込んで逮捕しました。もう一人の証人は暴徒に誘拐され,殺されました。逮捕されたその証人のことを聞いた他の証人たちが,当局に行ってその釈放を求めたところ,次のように告げられました。「彼はエホバの証人ではない。エホバの証人はみな,集会で聖書を研究していたが,彼は出席していなかったのだ」。兵隊はその人の釈放を拒否しました。騒動が収まってから,兵隊は,だれが騒動に加担したかを確かめるため,その町のすべての男子を集めました。この争いでその夫を殺された婦人たちは,その前を歩くよう命ぜられた男子全員を一人一人見て,その殺害者を確かめることになりました。エホバの証人が前を通ると,きまって婦人たちは,「この人たちは御国会館に集まって聖書を勉強していたので,騒動には参加しませんでした」と述べました。このようなことが二,三回あってのち,兵隊は,エホバの証人全員に帰宅を命じましたが,一方,町内の他の人々は捜査の行なわれている間,暑い日ざしの中に立たされていました。その騒動の結果,教会はしばらくの期間,閉鎖され,エホバの証人を除いてはどんな集会も禁止されました。軍の一指揮官は,「もしすべての教会がエホバの証人のようであったなら,こういう問題は起こらなかっただろう」と語り,「さらに証人たちに向かって,「人々の心を静める,みなさんの良いわざを続けてください」と述べました。確かにエホバの保護は互に交わるその民の上にあることがわかります。
― エホバの証人の1968年度年鑑より
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若さは妨げにならないものみの塔 1968 | 5月15日
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若さは妨げにならない
● 聖書は,知恵の最大の宝庫,正しい宗教的な教えを収めた本であると認められていますが,その基本的な真理を会得するには必ずしも長い歳月と多くの経験を必要とするわけではありません。昔,若いエリフはこう述べました。「老いた者,必ずしも知恵があるのではなく,年とった者,必ずしも道理をわきまえるのではない」(ヨブ 32:9)この事実は,最近開かれたエホバの証人の巡回大会で話された経験からもわかります。11歳の一少女は次のように語りました。
「私はすべての国の人々を弟子とするわざに少しでもあずかりたいといつも考えていました。バプテスマを受けて以来,私はもっと多くのこと,つまり他の人のために聖書研究を司会したいと望んでいましたが,昨年の夏,その機会が到来したのです。私は,家から3区画先に住む一婦人に,聖書と『御国のこの良いたより』の小冊子を配布しました。それで妹のキャシーと一緒に,自分たちだけで再訪問に行くことができました。
「その人を訪問する前に,私たちは良く準備しました。そして,その婦人の仕事の都合で研究の時間は時々短くなりましたが,その夏中,その時間が来ると私たちは遊ぶのをやめて,身仕度をし,この研究を定期的に司会するために出かけました。幾冊かの小冊子を勉強したのち『神が偽ることのできない事柄』と題するものみの塔協会の本を研究しはじめました。この時までには,その婦人の関心は深まり,私には答えきれないほど多くの質問をするようになりましたので,私たちを援助するため,母も一緒に来てくださいました。その結果ですか? その婦人は,今,御国会館の集会に出席しており,親類に証言しています。
「一番おもしろかったのは,研究の部分を予習しておくようにと私がしきりに勧めたところ,その婦人がいぶかっていたことです。その婦人は今,これこそ,それまで長い間,追い求めていたものであることを悟っています。そして,私は,少しでもその婦人を助けることができて,うれしく思っています」。
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