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海洋,情深いが御し難い巨人目ざめよ! 1976 | 7月22日
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ています。しかも,様々に変化するその気難しい性質は人間の手に余るものです。
しかし,それを造られたエホバ神は,海洋の力を十分理解しているので,近付く新秩序ではその力を制御し,神を愛する人々が海洋から害を受けないようにされるでしょう。地球の造り主であられる神が幾千年も前に書かせた創造の記録には,現代の地質学者が研究の結果,知るようになった事柄が前もって論じられています。創造の第三「日」目(数千年の期間)に起きた出来事を説明したその記録は,次のように述べています。「次いで神は,『天の下の水は一つの場所[実際に海は一つしかない]に集まり,乾いた陸地が現われるように』と言われた。そしてそのようになった。そして神は乾いた陸地を“地”と呼びはじめ,水の集まりのほうは“海”と呼ばれた」― 創世 1:9,10,新。
さらに詩篇作者は,霊感の下に次のような詩を書きました。
「彼は地の基をその確立された場所に置かれた。
それは定めのない時に至るまで,あるいは永久に揺るがされることがない。
水の深みをまるで衣のようにしてあなたはそれを覆われた。
多くの水は山々そのものの上に立っていた。
あなたの叱責で彼らは逃げ始め,
あなたの雷鳴により彼らは恐慌状態に陥った ―
山々は上昇し,
谷あいの平地は下降し始めた ―
あなたがそれらのために据えられた場所へ。
それらが越えてはならない境界をあなたはお定めになった。
それらが再び地を覆うことがないように」。
― 詩 104:5-9,新; 詩篇 107:23-30と比較してください。
イエス・キリストは地上におられた時,海と風を支配する力を持っていました。(マタイ 8:23-27。ヨハネ 6:16-21)キリストは地に対する千年統治の間,天の王として,海洋の力と資源を完全に掌握し,海は人類のために情深く仕えるでしょう。
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聴き従っているだろうか目ざめよ! 1976 | 7月22日
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聴き従っているだろうか
◆ 産児制限,婚前交渉,自涜,そして同性愛(多少の条件付きで)の禁止令を再確認している,最近公表されたバチカン文書は,カトリック教徒の抗議という世界的なあらしを巻き起こし,教会内の多くの不一致を明らかに示した。
● フランス人の司祭であり著述家でもあるマルク・オレイゾンは,こう述べた。「わたしは,カトリック教徒の大多数がこの文書に深い感動を覚えたとは思わない」。
● カトリックの雑誌コモンウィールの編集者,ジョン・ディーディは,「バチカンは,カトリック教徒に性の神学を与えたが,多くの場合,それに賛成し,それに従って生きるより,それを風刺するほうがずっと容易である」と書いている。
● ニュージーランドのカトリック司祭,フェリクス・ドネリィは次のように述べている。「同性愛行為に対するバチカンの非難は,同性愛行為を習慣とし,自分たちの行動を正当化できると感じる幾人かの司祭に……影響を与える」。同司祭は,「ニュージーランドにいる同性愛者の司祭の割合は,一般人口に対して見積もられている5%より『やや高い』だろう」と推測している。
● アメリカの司祭であり,特約寄稿家でもあるアンドリュー・グリーリィは,別の矛盾に注目している。ローマのアウレリア通りの一方の側には「バチカン市の壁と検邪聖省の建物がある」。しかし,「アウレリア通りの別の側には,『薬局』があり,その外壁は避妊薬の自動販売機で飾られている」。グリーリィ司祭は,「[文書]を書いた人々は,自分たちにまだ聴き従う聴衆がいると,本当に考えているのだろうか」と疑問に思っている。
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