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あなたのクリスチャンの責務を引き受けなさいものみの塔 1966 | 6月15日
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与えられてきており,各人の責任も重くなっています。戸別訪問,再訪問,聖書研究において各人が教えること,雑誌配布,戸別訪問を記録して区域をもれなく伝道すること,聖書の話をすること,訓練計画など,このすべてはわたしたち各人にいっそう大きな責務を課しています。この面において,わたしたちの責務はさらに増し加わることでしょう。時間がたつだけでも,責務は増し加わります。「なんぢら時を経ること久しければ,教師となるべきる者な(り)」― ヘブル 5:12,文語。
19 この増加は愛と霊的な面を犠牲にして組織の拡大と能率の向上だけを図る,片寄ったものではありません。他方において,祈りの必要,神とともに歩む道,神と自分の家族と仲間のクリスチャンに対して愛を示す方法がくわしく教えられ,また強調されてきました。伝道するにも,会衆内の人々を各人の必要に応じて援助するにも,もっと愛を示すことについて,良い助言が与えられています。
20 同時に,この雑誌にのせられた助言をみても,清い崇拝に関して厳格さが増し,各人にいっそう多くの責務が課せられ,道徳,正直,中立また,たとえば血の神聖さを尊重することの要求について,厳格な助言が与えられてきました。会衆は,必要な時には試験期間あるいは排斥などの処置を講じて背教を防ぎ,清い状態を保っています。しかしこのような厳格さにも,あわれみと愛が加味されてきたのです。
21,22 (イ)クリスチャンは責務の増加をどのように見るべきですか。(ロ)これらの責務を重すぎる荷にしないために,それをどのようにはたしていきますか。
21 これらの責務のすべてを,人間的な見地からのみ見ると,圧倒されてしまうかもしれません。しかしその必要はないのです。エホバはわたしたちの必要とするもの,また能力をご存じであり,わたしたちの限界を知る,やさしい,愛のある羊飼いのように,エホバの民であるわたしたちを導かれています。しかしわたしたちは,ひとつひとつの責務を,それが与えられるごとに引き受けていかねばなりません。そうすれば,増し加えられたものが負いきれないほどの重荷になることはありません。わたしたちが責務をはたすことにおくれるならば,それは積み重なって負うことのできない重荷となります。ですから,おもな責務は何かを覚えておきましょう。それは神の国の福音を伝道することと,クリスチャンとしてりっぱな生き方をすることです。次に,会衆内で占める地位のゆえにほかに責務があるかどうか,それは何かを確認してください。それから,実際的な予定をたてて,それぞれの責務をはたすための時間を計画し,それを必ず実行してください。どれもおろそかにすることはできません。イエスの手本にならってください。わたしたちの責務は,「彼が歩かれたように……歩く」ことだからです。―ヨハネ第一 2:6。
22 しかし人はどのようにして,いっそう大きな責務を願いますか。これらの責務には何が関係しており,またどのようにそれをはたすことができますか。この問題は次の記事の中でとりあげられています。
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御国会館になった教会ものみの塔 1966 | 6月15日
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御国会館になった教会
◆ ブラジルの大会で,ある人は,1940年に初めて真理に接し,家族で「ものみの塔」を予約したことについて話しました。彼の住む孤立した地域をある伝道者が年に一度ずつ伝道していました。しかし彼と妻はかなり離れた所に住んでいた近隣の人たちと一緒にメソジスト教会を建てておりひきつづきそこに行きました。最近のこと,そこに一番近い,16キロほど離れた別の村にエホバの証人の一つの群れができ,そこに巡回のしもべが訪問するということを聞きました。その夫婦は別の夫婦と共に,講演を聞きにその村を訪れました。多くの質問もし,その結果そこに真理があることを確信したのです。帰宅後,聖書の勉強を始め,他の人々にも真理を伝え,間もなくすべての人々がその教会を御国会館にすることに同意しました。
― 1966年度エホバの証人の年鑑から
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