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  • ローマと反目し合うオランダ教会
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
塔70 12/1 712–715ページ

ローマと反目し合うオランダ教会

「ほんとうですとも。わたしは25年間,毎日,人びとと接してきたのですからね。わたしたちはみな,教会にだまされてきたのだ,と感じています。こうした変革はすべて,わたしたちから熱意を奪ってしまいました。わたしたちすべてが教会を捨てたわけではありません。しかし,熱意が失われてしまいました。実際,子どもたちはわたしたちより一歩進んでいます。つまり,全然,教会に行かないのです」。

これは,オランダの,カトリックの盛んなある地方都市の中年の実業家が,旅行する一奉仕者に語ったことばです。それにしても,こうした意見は例外的なものですか。いいえ,僧職者と一般信徒の別なく,多くの人びとが同様の感情をいだいているのです。

このことは,教会の出席者数の激減という事実からもわかります。1969年の終わりには,その数は1966年より42万人も減りました。また,それは,僧職者数の減少からも明らかです。オランダ全土のカトリック教徒は一様に,深い憂慮の念をいだいています。それは,カトリック教会内の種々の変革と,ローマとの関係の悪化によるものです。

僧職者の童貞制に関連して生じた最近の種々の事件のために,オランダ教会とローマとの関係は緊張の度を深め,危機的な様相を呈してきました。1970年1月4日から7日まで,オランダ,ノールドウイケルハウトで開かれた,第5回司教会議の最中に,事態は緊迫しました。

この会議で,結婚した司祭の僧職留任を認める勧告がなされました。会議の開会中,司教たちによる票決はなされませんでしたが,後日,バチカン当局が,オランダ会議の宣言に対する激しい不満の意を表明するに及んで,オランダの司教たちもまた,結婚した司祭のために障害を排除したい,という自分たちの意向を明らかにしました。これは,すでに明らかにされた,教皇パウロ6世の意思に反するものでした。

その宣言が大いにローマの不興を買ったことは,童貞制に関する同会議の措置を,「教皇に敵する策略」と評した,1970年1月30日付,ロッセルバトーレ・ロマノ紙の激しい非難のことばからもわかります。パリのル・モンド紙は述べました。「一国の司教会議が結束して,公然と,しかも真っ正面から教皇制に反対したのは,カトリック教会史上,これが最初である」。オランダのカトリック系の一主要新聞は,「オランダ教会,ローマと正面衝突」と題する記事を掲げて,事情を明らかにしました。

それにしても,オランダ教会は絶えずローマと反目し合ってきたのではありませんか。そうでないとすれば,事態は,どうして今日のような爆発寸前の状態に達したのですか。オランダのカトリック教会の歴史を簡単に振り返ってみると,この問題を理解するのに役だつでしょう。

オランダ教会の歴史

西暦6世紀から8世紀にかけて,現在,オランダと呼ばれる地域一帯の住民は,ローマ・カトリック教会に帰依させられました。シャルル・マーニュ大帝のもとで,サクソン人一民族全体を同教会に入れさせるため,たいへん強行な手段が講じられたのです。歴史家によれば,そうした「キリスト教化」は強力な圧制のもとで遂行され,死の脅迫をもってバプテスマが強要されたこともありました。

こうして,徐々に全住民が「キリスト教」を受け入れました。しかし,それで,彼らのあいだの種々の論争に決着をつけるための流血行為が終わったわけではありません。

16世紀になって,オランダ教会は重大な危機にみまわれました。それは,一般民衆が直ちに呼応した宗教改革のためでした。宗教改革者たちは成果を収めました。なぜなら,聖書をよりよく知るように人びとを促したからです。そして初めて,聖書のオランダ語完訳が入手できるようになりました。ところが,カトリックの僧職者は,そうした新しい運動に対して,全力をあげて戦ったため,聖書の多数の読者が火刑に処せられました。残虐行為は双方の側でなされ,宗教上の争いはやがて内乱へと発展しました。

長年続いた当時の戦いは,1648年,ミュンスター平和条約の成立をもって終わりを告げました。その条約によって,今日のオランダの領土のほとんどを成す北部地方は,プロテスタント側の領域として,また,現代のベルギーのほとんどに及ぶ南部地方は,おもにカトリックの勢力圏として,それぞれ承認されました。

当初,オランダの少数派のカトリック教徒は,ひそかに信仰を奉じなければなりませんでしたが,徐々にいっそうの自由が与えられました。カトリック信仰が禁令下におかれていた長年のあいだ,カトリック教会は,独自の教階制に基づく独立の司教管区を持つ教会としては存在できず,幾世紀にもわたって,ローマの直轄下におかれました。したがって,ローマの影響を普通以上に強く受けたのは,もっともなことです。

1723年のユトレヒトの分裂を別にすれば,オランダ教会とローマとの関係が,かなり平穏だったのは,そのためでしょう。19世紀なかばに行なわれた憲法改正によって,司教による教階制がオランダに再興されることになりました。今日では,オランダの人口1,250万人余のうち,およそ40%がカトリック教徒です。

深まる対立

第二次世界大戦に至るまで,オランダ教会は,『繁栄するローマ・カトリック世界』と評される状態にありました。ローマに対する強い愛着が見られ,カトリック社会活動が盛んに行なわれており,宣教師として国外に派遣された司祭は,相当の数に達しました。宗教上からすれば,事態は平穏無事でした。このことは,オランダ教会が,バチカンとヒトラーの間で結ばれた政教条約に公然と反対しなかった理由のひとつといえるでしょう。機はまだ熟していませんでした。

ところが,第二次世界大戦中,事情は変わりました。国民はナチの圧制に苦しめられ,オランダの司教たちは,圧制とユダヤ人の追放に関して,ローマの教皇の態度とは,大いに異なった態度を取りました。何年かののち,ロルフ・ホッホフスの劇,「キリストの代理者」が上演されるや,大戦当時,教皇が取った立場に関する論議が再び燃え上がりました。著名なカトリックのある記者は,オランダの司教たちがユダヤ人に対するナチの迫害を大胆に非難した時,当時の教皇が黙していたのは悲痛なことである,と書きました。

しかしながら,今日の事態を引き起こすものとなったのは,1962年から1965年に及んだ第二バチカン公会議です。教皇ヨハネス23世によれば,その公会議は,『教会に新鮮な空気を少し吹き込ませる』意図のもとに開かれました。ところが,同会議は,組織を粉砕しかねない大あらしのような論争をまき起こしたのです。

1966年,オランダ教会当局は新しい公教要理を刊行するに及んで,ローマとの関係は急速に悪化しました。その公教要理の教義上の純粋性がバチカンの批判を受け,激しい論争を招いたのです。ついに,その内容を異端とする批判の是非をめぐって徹底的な調査研究がなされ,結局,枢機卿で構成される一委員会は,種々の修正を提案し,オランダ教会は,それを付録として刊行しなければならなくなりました。

正面衝突

オランダの一新聞は,「教会は司祭の結婚を認める」という見出しで,オランダ教会の司教たちの決定を報じましたが,そのために事態は決裂寸前の危機にひんし,オランダ教会はローマと正面衝突しました。結婚した司祭にも教会内の地位を与えるべきだとする司教たちの見解は,童貞制を否定する意見をいっさい慎むべきだとする,教皇の明確な意思にまっこうから対立したのです。

問題は,結婚を望んでいる反抗的な司祭たちの少数グループにしか関係がないのだからといって,かたづけてしまうことはできません。なかには,そのように割り切ろうとする人もいます。しかしながら,実情は,司祭の大多数,またオランダのカトリック教徒の70%が,司祭は結婚しても職権をそのまま保持すべきだ,とする考え方を支持しているのです。カトリック教徒のおよそ半数は,司祭に対する童貞制の義務を免除する権限を地方の司教に付与すべきである,と考えています。

一方,教皇は,「司祭の結婚は認めない」という態度を堅持しています。彼は,オランダの司教側が童貞制に関する自分たちの態度を改めることを望んでいるのです。教皇がそうした意思を表明して以来,教会を去る司祭の数はふえました。1970年1月,司祭の辞職者数は,それ以前の月々の2倍にも達したのです。

人びとの反応

こうした事態に対して,カトリック教徒はどんな反応を示していますか。たいへんな混乱が見られるのは,いうまでもありませんが,一般的に言えば,人びとを四つのグループに大別できるでしょう。一つのグループの人びとは,こうした事態の中に,教会を改革する挑戦を認め,この事態は,必要な変革を行なう機会を提供するものだとみています。

第2のグループは,そのことばを借りれば,「教会はごった返している」として,あいそをつかした人たちです。そのため,彼らは教会だけでなく,神への信仰にも背を向けています。その中には多数の若い人びとがいます。それら若者は,親たちのようにだまされるのはまっぴらだ,と考えています。しかし,人びとの間に不正直が見られるからといって,神の存在を否定すべきですか。神は偽ることができない,と使徒パウロは語りました。(ヘブル 6:18,新)神の真理のことばである聖書は,老若の別なく,すべての人に新しい未来を開いています。実際,エホバの証人は今や,オランダのそうした人びとの多くが聖書と神の目的を理解するよう助けているのです。そうした人びととの聖書研究の一助として,「とこしえの命に導く真理」と題する本が用いられていますが,一読者は,その本の内容を,「聖書知識の金鉱」と評しました。

第3のグループは,混乱した事態を不快に思いながらも,教会を去ることまでは考えない人びとです。しかし,その多くは熱意を失い,消極的な傍観者になっています。教会の改革に関しては,こう考えています。「改革を望む人には,自分の好きなようにしてもらえばよい。わたしも,わたしの好きなようにさせてもらいます」。それにしても,なんら熱意をいだくべきものがないなら,それは,どこかほかに求めるべき時ではありませんか。オランダの著名な一僧職者は,教会は神の墓場である,と書きました。しかし,教会が墓場だからといって,神がその墓場にいるとか,信者はそこにとどまらねばならないということでは決してありません。神は生きており,「義の住むところの新しき天と新しき地」を保証しておられるのです。(ペテロ後 3:13。テモテ前 3:15)神をほんとうに愛する人は,こうした喜ばしい約束を歓迎するにちがいありません。

次に,自分たちの教会内で生じている事がらを別の観点から評価しているカトリック教徒のグループがあり,その数は着実にふえています。それらの人びとは,対立する双方の側がいずれも聖書にほんとうにたよっているのではないことを知っています。それに反して,聖書は,論争の的とされている問題のすべてに関し,正しい見解を明示しているのです。それらの人が聖書に関心を向け,すべての人に6か月間の無償の聖書研究をすすめる,エホバの証人といっしょに,聖書を研究しているのはそのためです。

たとえば,ひとりの若いカトリックの男の人が,教区内の家々を回って寄付を集めていましたが,ある戸口でエホバの証人に会い,招じ入れられました。その証人は,自分も伝道をしているが,その男の人のしていることと違う点は,聖書を教えても,僧職者のように,それに対してお金をもらっていないことであると述べ,毎週1時間の無償の聖書研究をすすめました。

その若者は,妻といっしょに,証人の勧めを受け入れ,聖書の真理を学んで急速に進歩し,今では,寄付集めのためではなく,将来に関する神のすばらしい約束について他の人びとに伝えるため,ぜひ戸別訪問をしたいと願っています。ふたりは,自分たちの霊的な面での以前の指導者たちに見捨てられたからといって,もはや困惑してはいません。神とその確かなことば聖書に対する信仰を再び得たのです。教会の近代化など問題でなくなったふたりは,こう語りました。「わたしたち個人が神のことばに一致できるよう,変化しなければならないのです」。

ほかにも多くの人びとが,このことの必要を認めるようになっています。間接あるいは直接のいずれを問わず,教会内部の対立に面した,それらの人びとは,神を喜ばすための正しい処置を講じてきました。単に反抗の精神に動かされて行動したり,神に対して無関心になったりせず,神との平和を得,かつ,神の意志を行なうことに真の関心をいだいているのです。

これでわかるように,カトリック教会内の混乱が増大する一方,多くの人びとの目は開かれてきました。それらの人は,聖書の見地に立って,神と自分たちとの関係を正しく評価する機会をとらえており,しかも,世のすべての騒動を終わらせ,かつ,神の意志をほんとうに行なう人に,正義の状態の下でとこしえの命を与える,という神の目的を学んで歓喜しています。―マタイ 7:21-23。詩 37:10,11,29。

[713ページの囲み記事]

オランダの人びとの見解

「われわれは教会にだまされてきた」

「教会はごった返している」

「司祭の結婚を認めよ」

「オランダ教会はローマと正面衝突した」

「われわれ個人が変化しなければならない」

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