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“可能性”が現実となる確率はどれほどですか目ざめよ! 1975 | 9月22日
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“可能性”が現実となる確率はどれほどですか
空中で大型飛行機の後部ドアに原因不明の亀裂が生じ,客室の気圧が低下してその飛行機は地上に墜落炎上し,300人の乗客が死にました。あなたがその飛行機に乗っていた可能性 ― 確率 ― はどれほどでしょうか。
あるいは,一晩中ブリッジをしていて,一度もスペードのエースを配られなかったとします。次にカードが配られるときそれを得る可能性はどれほどですか。
また学生が大学の教室の中にすわっていて,教授が,「大数の法則によると,進化は当然起こらねばならなかった……」と言うのを聞きます。しかし学生は,「実際にそうだっただろうか」と考えます。
「可能性」― わたしたちはこの語を多くの場合,偶然に起こる,という程度の意味で使います。それは確かに正しい用い方です。しかしこれにはまた,前述の例が示しているように,別の意味があります。それは確率論を思い起こさせます。数学者は他の人々よりもとりわけ複雑なことを好みますが,これは数学者だけの問題ではありません。
硬貨から確率を学ぶ
確率論の応用を理解するためにその基本について考えてみましょう。
一個の硬貨を空中にはじき上げます。それが地面に落ちるとき表が出るでしょうか,それとも裏が出るでしょうか。人間はだれもそれを正確に予告することはできません。硬貨を10回はじき上げます。何回表が出るでしょうか。それを予見できる人間はやはりいません。
しかし,仮りにあなたが時間を割いて200万回はじき上げたとしましょう。こんどは何回くらい表が出るでしょうか。約100万回です。人間はその理由を十分に説明することはできませんが,硬貨は,長くはじき上げていると,投げた回数の半分は表が出ます。
確かに短い実験では,表が出るか裏が出るかは確実には分かりません。10回のうち7回は表が出るかもしれません。しかし次のときには裏が7回かもしれません。投げる回数が多くなればなるほど,50%表,50%裏という自然の平均値に近づきます。これは「大数法則」と呼ばれています。
しかし,1回はじき上げて表が出る確率も,どんな投げ方をしようと,やはり2分の1です。2回目に投げる時も,その1回で表が出る確率は全く同じで2分の1です。いつ投げてもその1回で表が出る確率は変わらず全く同じです。おわかりのように,硬貨は覚えてはいないのです。しかしだれかが,続けて3回表が出ることを希望すると仮定しましょう。その確率はどうなりますか。
1回ほうり上げた場合の確率をただ掛け合わせればよいわけです。1回ほうり上げた場合の表の出る可能性は二つに一つ,すなわち1/2です。したがって2回ならば1/2×1/2,すなわち4分の1の確率です。3回なら,1/2×1/2×1/2,すなわち8分1のといったぐあいになります。数学上のこの基本定理は,いろいろな方法で人の生活に影響を与えます。
かけ事,保険,そして飛行機における可能性
まず,大数法則に関する基礎知識があると,かけ事で本当にひともうけできる,という甘い考えを持たなくてすみます。つまるところ,かけ事は損になります。
賭博場には,たいていルーレット回転盤があります。それには1から36までの白と黒の数字が交互に並んでおり,白のゼロ(0)が一つとダブルゼロ(00)が一つあります。その一つの数字に金をかけ,勝ったなら,賭博場が,かけた金の35倍の額を,かけた人に払うわけです。しかし確率から見るとそれはまずい賭けであることが分かります。
そのことを証明するために,38の数字の一つ一つに1ドル賭けたと想像してください。勝つのはそのうちの一字だけです。ですから38ドルの投資に対して戻ってくるのは35ドルと,勝った数字に賭けた最初の1ドルです。差額の2ドル,つまり5%強は賭博場のものになります。だからこそ商売を続け,従業員に給料を支払い,美しい装飾を施すことができるのです。なるほど賭けを当てて一晩に数千ドルもうける客もあるでしょう。その客は二晩,三晩あるいは四晩と勝つかもしれません。しかし賭博場は,つまるところは自分が必ず勝つに決まっていることを知っています。確率の公理からすると,まる5%は自分のほうに有利なのです。
大数の法則はまた,保険会社が保険料を決めるのに役立ちます。加入者は比較的に低額の掛け金を定期的に会社に払い,そして会社は突発事故が発生したときに加入者に所定の金額を支払います。保険会社は,全部の加入者に支払う必要のないことを経験をとおして知っています。ではどのようにしてその確信を得るのでしょうか。
例えば生命保険会社は,多数の人々の死亡率を調べ,各年齢層で毎年何%の人が死亡するかを算出します。この割合に関する知識が,各年齢層の支払う保険料金算定の基礎になります。その料金をみれば,額はさまざまですが,割合からすればほんのわずかな額を幾年か支払えばよいことが分かります。
しかし,特別の保険に加入したい場合,たとえば踊り子が足に保険をかけたい場合には,保険料金はずっと高くなります。なぜですか。そのような人がたくさんいないからです。大数の法則は制限されます。保険会社にとっては危険が大きくなります。これもまた硬貨をはじき上げることに似ています。保険会社がいわば硬貨を何千回もはじき上げるなら,確率は有利になります。しかしただ1回の場合には危険は非常に大きくなります。そういうわけで保険料金が非常に高いのです。
では保険をかけるのとかけ事をするのとは同じことだ,と結論しないでください。むしろ,同じ法則が両者に働くということです。かけ事の場合は,自分に金の必要があってもなくても勝つかもしれません。しかし保険の場合は,自分の損失を埋めるためにのみ“勝つ”のです。
実際,普通の賭博師にとって,勝つ「可能性」はたいてい全くの「運」でそれ以上のものではありません。大数の法則に関しては何もしらないかもしれません。しかし,自分がやっている時になんとかうまい組み合わせが生じないものか,それを希望するのです。
確率の公理に関する正確な知識はまた,飛行機に乗る前にあなたに安心感を与えるでしょう。1973年に,アメリカ合衆国が所有する飛行機は,450万回以上商業飛行を行ないました。そのうち3度致命的な墜落事故がありました。ということは,飛行150万回で1度の堕落ということです。だれかが飛行機に乗ったその都度,確率は全く同じであったわけです。つまりその飛行機は150万回に一度致命的墜落事故を起こす可能性があったわけです。
ある人は注意深く計算して,その3度の墜落のうちの最初の事故は150万回の飛行の終わりごろ,言いかえれば,約4か月後に起こると見て,飛行機に乗らないようにするかもしれません。しかし現実には,1973年の致命的飛行機事故は三つとも7月中の9日間に生じました。
ところで,致命的飛行のこの同じ基礎的パーセンテージが,引き続き通用するとしましょう。それがいつ起こるかはだれにも言えません。1日に12機堕落し,そのあと4年間無事故が続くでしょうか。それはだれにも分かりません。
したがって,致命的な「大数の法則」に影響されることはない,という自信をもって飛行機に乗ることができます。
進化の可能性はあるか
生命は偶然に発生し,それから,現在地を覆っている種々の形態の生物に進化した可能性が強い,と信じられていますが,今まで検討してきた確率に関する基本的な概念を理解しているなら,そう信ずることの愚かさを容易に理解することができます。
しかし,次のように言う人があるかもしれません。もし偶然による生命の形成に必要なすべての化学的「原料」を,長期間にわたり十分に種々の方法で混合するなら,最後には生命が発生するのではないか,と。それにはまずだれかが,または何物かが混ぜることをしなければなりません。しかし,論議を続けるためにその必要な条件を度外視して考えてみましょう。一つの細胞の中には幾千もの微少な分子があって,化学作用が行なわれています。そして人間には何兆もの細胞があって,あるものは非常に特殊化された機能を果たしています。これらの過程が,なんの理知の働きもない混合によって始まり進化した可能性は極めて小さなものです。
一組のトランプを使って,その意味を説明してみましょう。
仮にあなたがブリッジをしているとします。一組52枚のトランプの中に13枚あるスペードが全部あなたに配られる可能性はどれほどでしょうか。最初に配られる札がスペードである確率は,明らかに13/52です。残る51枚の札のうちスペードは12枚ですから,確率は12/51となります。次いで11/50,10/49と続いて最後の札は1/40となります。これらの分数を全部掛け合わせると,13枚のスペード全部があなたの手に配られる可能性は約6,350億分の1です。
わたしたちが扱っているのは一組わずか52枚のトランプであることを忘れないでください。
しかも,わたしたちは数字が順番になることを求めていません。もしそれを要求するとすれば,その確率はさらに何倍も小さくなります。まず最初の確率は13/52ではなくて1/52となります。最初に目的通りの札が配られたとすれば,次の確率は12/51ではなくて1/51,その次は1/50(11/50ではない)というふうになっていきます。全部のスペードを数の順番に引く確率の総計は,それらの数字を全部掛け合わせると得られます。1/52×1/51×1/50×1/49×1/48×1/47×1/46×1/45×1/44×1/43×1/42×1/41×1/40。これはどれほどの確率になりますか。
約4,000,000,000,000,000,000,000分の1です。
わずか13の“原料”を順番に並べるだけでこの有様です。この論によれば,各原料はすでに存在しており,しかもどういうわけか適量で存在している,ということを忘れないでください。つまり,その一組の札は,わたしたちが始める前から存在している,ということです。
もう一つ,進歩した生命の存続には両性が要求されます。それで同じ過程が一度ではなく二度生じなければなりません。一組のトランプから13枚のスペードを,数の順に,しかも続けて二度引く可能性はどれほどでしょうか。その答えを出すには,前述の数を二度加えさえすればよいのではなく,2乗,つまりその数にその数を掛けなければなりません。そうすると,確率は16にゼロ40以上分の1となります。
もちろん,一組の生きた人間には,13の原料を単に混ぜて切ることよりもはるかに多くの働きが関係しています。しかしこのことは,生命が偶然に発生し,そのあと進化の道をたどった可能性がいかに少ないかを明確に示さないでしょうか。
実際,その可能性が非常に薄いので,進化論者をもって任ずる人々でさえ,それを信ずることは不可能に近いことを認めています。ジュリアン・ハックスリは,「十分の時間があっても,自然選択の結果がいかにとてつもなく起こりそうもないことであるかは,ちょっと計算すれば実証できる」と言っています。偶然だけによって一頭の馬がつくり出される確率はどれほどか,と彼は問います。その答えの中でハックスリは,「全くの偶然によって一つの系統に幾つもの有益な突然変異が生ずる確率が極めて低い」ことに言及し,さらに次のようにつけ加えています。「これを書き表わすなら,1,000の100万乗[1,0001,000,000],つまり1にゼロが300万ついた数となり,またこれを印刷するなら500ページほどの大きな本が3冊でき上がる。実際にこれは無意味なほど大きな数ではあるが,自然選択がどれほど不確かなものであるかをよく示している。……1にゼロが300万というのは,馬のできる不確かさを示す数字であり,それがいかに起こり得ないものであるかを表わすものである。そのようなおよそ起こりそうもない事柄に賭ける者は一人もいないだろう」。
にもかかわらずハックスリは,信じられないことのようですが,向きを変えて,「それでも進化は起きたのだ」と言います。その態度はどれほど首尾一貫したものに見えますか。もしだれかがそのような確率を信ずるとすれば,それはその人が愚かな決定をしたにすぎません。しかしその人は正直な気持ちで,自分の場合に重みのある証拠 ― 確率 ― がある,と言うことはできません。
それとも「可能性」は設計者の存在を示すか
他方,生命は他の生命から来る,ということは常に知られてはいなかったでしょうか。確かにそうです。ですから,人は自分の経験をとおして,生命は生きている創造者によって生ぜしめられた「可能性」が強い,ということを知ります。この見方は,確率の全概念によって支持されます。なぜそう言えますか。
なぜなら,確率は設計を暗示するからです。わたしたちはほんの一部調べてみただけですが,確率の公理はほとんどすべての科学思想の基本となっています。人間はこれら生命を持たない法則を信じ切っています。それらの法則は非常に一定しているので,わたしたちはそれに“信仰”を置くことができる,と科学者たちは言います。さてわたしたちは,そのような法則が全くの偶然によって存在するようになったと信ずるべきでしょうか。つまり法則には法則の造り主がいないのでしょうか。データ,すなわち確率の重さは確かに,数学上の公理の背後に存在する設計者を指し示します。さらに,もしこれらの公理や,他の物質的創造物に関する法則がそれほど一定不変のものであるなら,その創造者も同じであるに違いありません。
確率の公理のように,諸法則の精確な働きを理解することには大きな喜びがあります。しかし本当に分別のある人はそれだけでは満足しません。その法則を作った方を知りたいと思います。そしてその方を知ったなら,それは無限に大きな喜びとなるでしょう。
[27ページの図版]
進化によって馬ができる確率を示す数字を印刷すると3冊の大きな本になる。あなたはそのような確率に信仰を置きますか
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新しい潤滑油目ざめよ! 1975 | 9月22日
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新しい潤滑油
● マッコウ鯨の油は,長い間,工業用潤滑油として利用されてきました。ところが,この種の鯨が絶滅しかけているため,鯨油は著しく不足しています。そこで,メキシコとアメリカに見いだされる砂漠のかん木が,今や,その格好の代用品になるという期待が持たれています。高さ2,3㍍のこのかん木は“ホホバ”と呼ばれています。その種子には50%もの油脂が含まれており,その油の化学的組成は鯨油と似ています。利用者は,減少したこの種の油の在庫を増やすため,このかん木を栽培できるようになることを期待しています。つい最近,一自動車会社は自社のトルク・コンバーター・オイルに鯨油を加えなくなったところ,腐食のために重大な問題が生じた,とこぼしました。
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