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愛人の手による淫婦の最後ものみの塔 1967 | 7月1日
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危険にさらされます。しかし暴露され,防備を失った大いなるバビロンの状態とは異なって,エホバのしもべは見えない「壁」に囲まれています。大淫婦に対して神の正義のさばきが執行される時,彼らは全能の神に保護されるのです。―詩 37:32-34。列王下 6:15-17。ゼカリヤ 2:5。ダニエル 3:24-27とくらべてください。
19 大いなるバビロンの中に安全な聖所がありますか。それをどこに見いだすことができますか。
19 いま大いなるバビロンの宗教の中で全く安全であると感じている人がいるにしても,預言から明らかなように,神はきわめて急速に事態を一変させます。ゆえに日和見主義的な態度をとることはできません。大いなるバビロンを安全な聖所と見なすかわりに,神のことば聖書を学び,その命ずることを行なって真の聖所すなわち神のクリスチャンの組織にのがれてください。そのようにしてのみ,神の次の約束の成就にあずかることができます。「たゞしきものの救は エホバよりいづ エホバはかれらが辛苦のときの保砦なり エホバはかれらを助けかれらを解脱ちたまふエホバはかれらを悪者よりときはなちて救ひたまふ かれらはエホバをその避所とすればなり」― 詩 37:39,40,文語。
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『われこゝにあり 我をつかはしたまへ』ものみの塔 1967 | 7月1日
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『われこゝにあり 我をつかはしたまへ』
エホバの証人が困難な状況下で働く12の国々の報告(3)
― エホバの証人の1967年度年鑑から
トルコ
偽りの宗教の世界帝国,大いなるバビロンの滅びからのがれたい者は,そこを出なければなりません。真理にはいった幾人かの友人は,この機会を利用して,以前行っていた教会やユダヤ教会に手紙を書き,自分がエホバの証人になった理由を説明し,会員名簿から自分の名前を除いてほしいと伝えました。もちろん,このために牧師や僧職者の間にいくらかの騒動が起きました。委員会の面前に呼び出された友人もあり,彼らはそこで御国のために良い証言をしました。今,牧師は教会員を失いはしまいかと恐れています。そういった理由から,ギリシャ正統派教会,グレゴリアン教会(アルメニア人の教会)やローマ・カトリック教会は,もっと多くの教会員が神の御国の真理を学ぶのを阻止するのに協力することをきめました。教会の新聞紙上で牧師は数回にわたりエホバの証人を偽って伝えたりまた聖書を知らない無知で無教育の人間呼ばわりしました。エホバの証人と聖書を学んでいる羊のような幾人かの人々を訪問して彼らを脅迫した僧職者もいました。僧職者は聖書を研究する者を排斥すると発表しましたがこれはとりわけ教会から葬式を出さないということでした。ほとんどの墓地は教会とかユダヤ教会が所有していたので,人々が死体をほうむる場所がなくなるのを恐れて聖書の研究をやめるだろうと彼らは考えました。しかし多くの者は研究を続けています。イエスは愛をもって人々を世話し,またそうするように命じられましたが,そのわざを行なっているのは牧師ではなくエホバの証人だということは,次の興味深い経験からわかります。一兄弟は次のように述べています。「一軒の家でことわられたので私たちはその家を去ろうとすると,老婦人が近づいて来て,ある店についてたずねました。姉妹は親切に道を教えてあげました。それから私は姉妹に『店への道順を教えてあげたあとで,永遠の生命に至るもっと重要な道について教えてあげたらどうでしょうか』と言いました。姉妹はギリシャ語で老婦人に証言しはじめました。聖書に基づいた真の希望を生まれてはじめて聞いたと婦人はよろこびました。聖書についてもっと学ぶのを助けるため姉妹が老婦人の住所をたずねると,『残念ですが,あなたにおいでいただけないのです。あなたに教えていただいてもさしあげるお金がありません。私は貧しいのです』と婦人はいささか恥ずかしそうに答えました。姉妹はすぐさま聖書の原則を説明し,マタイによる福音書 10章8節のイエスの次の言葉を引用しました。『ただで受けたのだから,ただで与えるがよい』。婦人はこのように学べるのをとてもよろこび
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