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  • 目ざめている「忠実にしてさとい奴隷」
    ものみの塔 1960 | 10月1日
    • ですか。そういうことはありません! もう一つの群れを調べることができます。それは,エホバの証者のものみの塔協会の群れです。彼らが目ざめていたことについては,歴史は絶対的な「肯定」の答を与えています。証者というその名前にふさわしく,彼らは象徴的な「ものみの塔」に立つていた全世界的な見張人で,キリスト教国の人々に警告を発していました。しかし,キリスト教国の大多数の人々は,ほとんど注意を払わなかつたのです。エレミヤは,次のような神の言葉を語ることにより,このことを正確に預言しました,「わたしはあなたがたの上に見張びとを立て,『ラッパの音に気をつけよ』と言った。しかし彼らは答えて,『われわれは気をつけることはしない』と言つた」。―エレミヤ 6:17,新口。

      5-7 (イ)エホバの証者については目ざめていることについてのどんな記録がありますか。(ロ)ひとつの書類資料はどんな証拠を提出していますか。

      5 まつたく,「ものみの塔」という意味深い名前を持つ雑誌が現われる時よりも2前年にあたる1877年という昔でも,エホバの現代の証者たちは,異邦人の時が1914年に終るという真理をひろめ伝えていました。その後の37年のあいだ。これらの証者たちは熱心にも世界的な運動を行ない,神からの干渉なしに借りていた力は西暦1914年に終る,と諸国民に告げ知らせました。―「神の目的とエホバの証者」(英文)47頁から58頁までの「1914年にいたる最終の段階」を見て下さい。

      6 1914年8月30日,指導的なニューヨークの新聞「ザ・ワールド」は,その日曜雑誌欄のところで,特集記事を掲載しました。これら聖書に従うエホバの証者たちの記録については,世界の歴史をへんさんするために多くの証拠書類があります。そして,その記事は,その書類のつけ足しになるものです。当時,彼らは英国の法人団体名である,「万国聖書研究協会」でも知られていました。その記事の一部は次のように報告しています,

      7 「欧州で恐ろしい戦争が始まつたことは,特別な預言を成就した。ここ25年間,『千年統治黎明派』として良く知られている『万国聖書研究生たち』は,伝道士や出版物を用いて,聖書に預言されている怒りの日は1914年に始まると世界に宣明していた。旅行をしている幾百人という福音伝道士たちは,『1914年に気をつけよ!』と叫んでいた。この奇妙な信条を代表する彼らは,『神の御国は近づいた』という教理を宣明しながら,国内をあまねく歩きまわつた」。―同書,54頁。

      聖書的なむすびつき

      8,9 いまどんな質問が生じますか。どんな場合のときに,一預言者は答の一部を与えていますか。

      8 エホバの証者だけが,1914年とその後につづく「末の日」について目ざめていたクリスチャンの群れでした。歴史はそのことを確証しています。それでは,このことは聖書的なむすびつきを持つていますか。これらの証者たちは,聖書的な信任状を持つて,今日の世界の暗やみの中に坐している幾百万人という人々に提供することができますか。それらの人々は,神の指示し給う指導を探し求めているのです。答を得るために次のことを考えて下さい。

      9 地上最大の預言者イエス・キリストは,「終りの時」以前およびその期間中に全世界には目ざめているクリスチャンたちの群れがある,と預言しました。彼が杙につけられるすこし前のときに,オリブの山でイエスの4人の弟子たちすなわちペテロ,ヤコブ,ヨハネそしてアンドレは,末の日についての明白な証拠についてひそかにイエスにたずねました。そのとき,彼は目に見えぬ状で戻られ,地上の僕たちの事柄を指示するでしよう。イエスの非常に詳細な答は,マタイ,マルコ,ルカの書いた聖書の記録のうちに保存されています。それぞれはマタイ伝 24章,マルコ伝 13章,ルカ伝 21章にあります。―マルコ 13:3。

      10 マタイ伝 24章42-44節にあるイエスの言葉をどのように理解すべきですか。

      10 イエスは答えて次のように言われました,「だから,目をさましていなさい。いつの日にあなたがた(複数形,したがつて集合的)の主がこられる(イエスの再臨)のか,あなたがたには,わからないからである。このことをわきまえているがよい。家の主人は,盗賊がいつごろ来るかわかつているなら,目をさましていて,自分の家に押し入ることを許さないであろう。だから,あなたがた(複数形,集合的)も用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。」(マタイ 24:42-44。新口)気をつけて下さい。イエスはここでも弟子たちの群れが目ざめた「家の主人」のように注意を払うよう励ましていることです。弟子たちの集合の群れの働きを,単数形の譬によつて言及しているのも異常なことではありません。集合的な彼らは,聖書中「花嫁」,「家」,そして「宮」というように同様に言及されています。―ヨハネ 3:29。ヘブル 3:6。コリント後 6:16。

      11,12 (イ)イエスの再臨のときに目ざめている者は誰でしたか。(ロ)イエスが将来の弟子の活動に興味を持たれたのは,奇妙なことでしたか。

      11 ここでイエスは次のことを意味しているのでしようか。すなわち,オリブ山で彼といつしよにいた目ざめている「家人」級のある者は,1914年に「諸国民の時」が,終つて,彼が再臨する時にも生きているということでしようか。そのようなことは先ずないでしよう。4人の弟子のうち,西暦100年以後にも生き延びた人はひとりもいないように見えるからです。イエスは前もって御存知でしたが,これら4人の使徒たちや他の8人の使徒たちは,弟子たちの組織化された群れの二次的な基礎になるでしよう。その群れは,西暦33年の五旬節<ペンテコスト>以後は,イエス御自身が主要な岩の基礎であるクリスチャン会衆として知られるようになりました。(エペソ 2:20。マタイ 16:18)それで,幾世紀もの時を経ても存在しつづけるとイエスが言われたものは,たとえ弟子たちの系列が,時折り歴史から消え失せたように見えたことがあつても,その4人のことではなく,目ざめている会衆でしよう。

      12 イエスは,使徒たちの時代以後における油そそがれた将来の弟子たちについても考えておられ,また言葉を語られました。たとえば,ヨハネ伝 17章1-26節にある記録された最後の祈りの中で,イエスはエホバにこう祈りました,「わたしは彼ら(彼といつしよにいた使徒たち)のためばかりではなく,彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも,お願いいたします」。(20節)それで,会衆の将来の成員たちがイエスの譬や言葉の全き適用の中に入ることは,不思議ではありません。

      13,14 (イ)第1世紀には「忠実にしてさとい奴隷」は誰でしたか。(ロ)「家人たち」は,どのように養なわれましたか。(ハ)「正しい時に食物を与える」とはどういう意味ですか。

      13 イエスが弟子たちと共にオリブ山に坐していたとき,4人の弟子たちにさらに語られました。いまその言葉について考えてみましよう,「主人が家人たちの上に任命して,正しい時に食物を与える忠実にしてさとい奴隷とは実際に誰であるか」。(マタイ 24:45,新世)イエスが集合の群れを「忠実にしてさとい奴隷」の群れと言及しておられることに気をつけなさい。「奴隷」は,単数形です。「奴隷」は「家人たち」を養わねばならぬ,と彼は言つていますが家人たちは複数形です。これはどのようになされましたか。イエスは,天にのぼられる前に,そのように養う奉仕を3度ペテロに強調しました。「わたしの小羊を養いなさい……わたしの羊を飼いなさい。……わたしの羊を養いなさい」。(ヨハネ 21:15-17,新口)ペテロ当時の羊は,油注がれたクリスチャンたちで成り立つ「小さな群れ」の者たちで,彼らはついには14万4000人の数を構成します。(ルカ 12:32)この「家人たち」あるいは,各個人はその監督たちを通し,会衆すなわち奴隷のごとき制度によつて忠実に養われてきました。それから,ずつと後になつて監督たちは「神の羊の群れ」を飼わねばならぬ,とペテロは監督たちに思い起させています。―ペテロ前 5:2。

      14 それからずつと幾年ものあいだ,奴隷のごとき制度はその真の成員を忠実に,そしてさとく養つてきました。西暦33年の五旬節の時からこの今の時にいたるまで,このことは愛の心のうちに注意深く行なわれてきました。たしかに,これらの「家人たち」は,ますます進歩して行く霊的な食物によつて養われました。この霊的な食物により,彼らは「夜明けの光」におくれずについて行くことができます。その光は「いよいよ輝きを増して真昼となる」。(箴言 4:18,新口)このすべては,イエスが述べたごとく「正しい時に食物」となりました。

      15,16 主が1900年留守にしているあいだ,「家人たちは」どんな経験をすると聖書は示していますか。

      15 種子をまく人のようにイエスは,牧羊の制度なる会衆の下に小麦のごとき「家人」たちをたくさん植えました。しかし,歴史はまた別の場所で次のことを記録してイエスの預言を成就しています。すなわち,サタンは畠に雑草を多く播くことにより,細々とつづいてきた真実の小麦のような弟子たちを窒息死させようと努力しているのです。(マタイ 13:25,37,38)サタンは全く成功して,主が約1900年を留守にした後には「小麦」はひとつも残らないでしようか。イエス御自身も,その疑問を次のように述べました,「人の子が来るとき,地上に信仰が見られるであろうか」。―ルカ 18:8,新口。

      16 前述の種子まき人の譬の中で,イエスは確信をもつてその質問に答えています,「だから,毒麦が集められて火で焼かれるように,世の終りにもそのとおりになるであろう。そのとき,義人たちは彼らの父の御国で,太陽のように輝きわたるであろう」。(マタイ 13:40,43,新口)それで,「終りの時」まで,またその期間中,正しい者,油注がれた者の「小麦」級の多数の者たちは,この地上に生き残ると示されました。この理由の故に,イエスはマタイ伝 24章46節でこう語りました,「主人が帰つてきたとき,そのようにつとめているのを見られる僕は,さいわいである」。イエスのその確かな期待について,歴史はどのように確証しますか。

      17,18 (イ)いつ,そしてどのように真のクリスチャンたちは歴史的な舞台に再び現われるようになりましたか。(ロ)彼らはどのように目ざめていましたか。しかし,なぜ試験の期間は彼らの上にのぞみましたか。

      17 細々としてつづいてきた真のクリスチャンたちは,1870年代から第1世紀の時代のように,再び歴史の舞台に表われてきました。「小麦」級の多数の者たちは,キリスト教国の雑草のごとき宗派との交りを絶つ強い手段を取りました。地上の多くの場所から集められたこの群れは,後にエホバの証者として知られる新しい交りを形成しました。この集合的な群れは,1879年以来「ものみの塔」誌を用いて,油注がれた「小さな群れ」の者たちに霊的な食物を定期的に分け与えています。たしかに,「家人たち」である油注がれた各人は,集合的な「奴隷」の群れによつて,回復された聖書真理のますます増加する光のおかげで,霊的に生き返りました。1884年,この「奴隷」の群れは,シオンのものみの塔冊子協会と呼ばれる合法的な僕,法人をつくりました。それはいまペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会として知られています。

      18 前述のごとく,この宗教法人の指導の下に,1914年が「諸国民の時」を終らすと告げる世界的な大運動が行なわれました。ものみの塔のエホバの証者たちは,霊的に目ざめている見張人たちでした。しかし,聖書に記してある言葉によると,彼らは長いあいだ背教したクリスチャンたちと交つていたため汚れた衣を持つていました。(ゼカリヤ 3:3,4)彼らの行い,特徴,そして信仰の多くは,キリスト教国の雑草のごとき宗派に類似していました。それで1914年から1918年までの期間は,火のごとき試練の時が彼らの上にのぞみました。ちようど,西暦前607-537年のむかし,ユダヤ人たちがバビロンに捕われていた時と同様でした。

      19 マタイ伝 24章7,9節の成就を説明しなさい。

      19 マタイ伝(24:7,9)の同じ預言の中で,イエスは次のように言つています,「民は民に,国は国に敵対して立ち上がるであろう(1914年に起こりました)…そのとき人々は,あなたがた(集合的で複数形)を苦しみにあわせ,また殺すであろう。(全部ではなく,ある者たち)またあなたがたは,わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう」。彼らは人間を恐れて戦争の年月中に絶対中立の道を歩まず,宗教的に汚れた多くの行いに染まつたため,罪を犯しました。その聖句は,その罪に関連して成就したのです。エホバとイエス・キリストは,これらの証者たちがこの古い世の諸国民により非難をうけ,迫害され,禁ぜられ,その役員が投獄されるのを許しました。1918年の夏までには,ものみの塔の証者たちの強い組織化された声は,黙示録 11章7,8節に預言されているごとく集合的に沈黙させられ,殺されてしまいました。しかし,注意して下さい。この見張人の声は,諸国民に警告を与えるという1914年前の特別顕著なわざを完了するまでは,沈黙させられなかつたのです。その詳細な事実については,「神の目的とエホバの証者」(英文)という本の74頁から90頁にある「捕われに入る」および「バビロンの捕われからの解放」と題する章を見て下さい。

      20,21 (イ)「家人たち」にのぞんだ火のごとき試練を述べなさい。(ロ)その結果は何でしたか。

      20 私たちがいま知つているごとく,「忠実にしてさとい奴隷」のこの見張人級は,1919年に復旧してから後の多事多難な年月にそなえて,さらに大きな見張人の奉仕をするよう清められたのです。それ以前の1918年の春には,エホバは地上にいるクリスチャンたちの僕で構成される御自分の宮に来られて,しらべと清めを行なわれました。(マラキ 3:1-3)多くの悪い者たちは,エホバ神により排斥されて取りのぞかれました。忠節な残れる者は,火のごとき試練をうけることを許されました。エホバとその使者キリスト・イエスは,(1)制度的な取り極めにより,人間の指導者に対する忠節よりもエホバの制度に対する忠節という点で,彼らを試みました。(2)エホバの崇拝と証言のわざに熱心で献身しているかを調べるため,奉仕の支持と取り極めによつて彼らを試みました。そして(3)彼らが啓示された真理を愛するかどうかを調べるため,啓示された真理によつて,彼らを試みました。それは,なんと火のごとき時だつたのでしよう!―「ハルマゲドンを生き残つて神の新しい世へ」(英文)の303頁から305頁までを見なさい。

      21 「忠実にしてさとい奴隷」級の「家人たち」のうちの幾千人という忠実な残れる者たちは,この試験の時に生き残りました。1919年の春以降,彼らは無活動の塵の状態から,世界の見張人としての新しい高貴な奉仕に起き始めました。(ダニエル 12:2。黙示 11:11,12)聖書が彼らを描写している言葉によると,彼らは清い識別の衣を身につけ,地上にあるエホバの関心事を代表します。―ゼカリヤ 3:4,5。また「備え」(英文)という本の55頁から58頁までを見なさい。

      22,23 エホバは未熟な群れと交りを持ちますか。それでは,誰がマタイ伝 24章14節を成就しますか。

      22 長く待ちのぞんでいた御国は,天で実際に設立されました。それで,1919年以降の地上における御国の増大する関心事は,霊的な幼児たちで構成される未熟な制度にゆだねられないでしよう。たしかにそうです。この貴重な御国の奉仕をゆだねられたのは,1900年の長さを持つ「忠実にしてさとい奴隷」すなわち古くからあるクリスチャン会衆です。いま残れる者によつて代表される円熟した「奴隷」は,その忠節と忠実をかたく守り,迫害をうけてもじつと忍耐を保ち,エホバの貴重な約束に昔から強い信仰をいだき,見えざる主イエス・キリストの指導に確信を持ち,地上の証者になれという幾世紀にもわたる古い使命に従順で,そしてついに1918年には火のごとき試験によつて清められました。それで,彼らは奉仕の新しい任務をうける態勢がととのつていました。

      23 第一次世界大戦後のいわゆるクリスチャンと唱えるすべての群れの中で,ただエホバの目ざめている証者たちだけが,最後の証言を伝道するという世界的に重い使命を果す準備がととのつていました。イエスは,適切にもこう語りました,「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そしてこの御国の福音は,すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」。―マタイ 24:13,14,新口。

      24 マタイ伝 24章47節は,何を意味しますか。

      24 それで,清められた幾千人という「家人たち」を持つ1900年も古い「忠実にしてさとい奴隷」にむかつて,イエスが次のように言われるのも全く当然であります,「私はほんとうにあなた方(複数形で集合的)に言う。主人は彼を任命して全財産を管理させるであろう」。(マタイ 24:47,新世)その財産とは,地上におけるキリストの御国の関心事です。実際的な知恵を持ち給うイエスは,これらの御国の関心事を,経験を積んだ試験済みの「奴隷」級にゆだねます。それで,1919年以来,ものみの塔協会を用いる,この「奴隷」級は,この御国については責任と指導権の独特の立場を占めています。1914年よりも30年以上ものむかしから,この奴隷級は御国の来ることを告げ知らせていました。

      絶対的な信任状

      25 (イ)「奴隷」級は,どの程度まで信任状を持つていますか。(ロ)証拠として,これらの信任状のうちのいくつかを述べなさい。

      25 「忠実にしてさとい奴隷」級は,それ以上の信任状を持つていますか。たしかに持つています。しかも,豊富にあるのです! 部分的な表の示すところによると,1919年以来の今日の残れる者であるクリスリャンは,80以上の聖書的およびかつ預言的な表現で言及され,表わされていますa。天の神は,聖書預言を80以上も書き記すことにより,地上にいる御自分の正式な僕級を極めて正確に描き出されました。神が前もつて定め給うた詳細な記述どおりにこれが現実に描き出されていることは,全世界的に明白であり,すべての人は見ることができます。その信任状は,一点の疑問もなしに確かなものと証明されています。実際のところ,その信任状は数多くあり,そのすべては十分に目ざめている「忠実にしてさとい奴隷」級を指しているため,大いなる欺瞞者サタンが偽りの制度をつくり出すことは不可能です。そのような偽りの制度は,これら80の聖書的な事項全部に適合することはできないでしよう。

      26 ある人々が,これらの信任状に答え応ずることについて,聖書は何と示していますか。今日の事実は何を示していますか。

      26 これらの明白な事実から判断してみるとき聖書は更に次のことを示しています,すなわち,全地の正義を愛する人々は,これらの驚くべき信任状を持つている制度の指示を認め,それに快く答え応ずる,ということです。「万軍のエホバかく言たまふ其日には諸の国語の民十人にてユダヤ人ひとり(単数形,『忠実にしてさとい奴隷』)のすそをとらへん即ちこれをとらへて言ん我ら汝ら(複数形)とともに行べしそは我ら神の汝ら(複数形)とともにいますを聞たればなり」(ゼカリヤ 8:23),今年の1960年までに,85万人以上の人々は,この「奴隷」級の指導の下に,伝道奉仕者として活発な交りを持つようになりました。b

      27 今日,真の崇拝者たちは,どんな種類の指導を得ることができますか。

      27 その大いなる群衆は,「奴隷」級の手中にあつて,81年も古い歴史を持つ出版物「ものみの塔」の頁を通して,霊的な食物を定期的に漸次に受け取つています。「ものみの塔」は,世界で最大の発行部数を持つ宗教雑誌です。エホバとイエス・キリストは,真の崇拝者たちである大いなる群衆に対して,即席の,間に合わせ式の指導形態を与えておりません。たしかに,古くて目ざめている「忠実にしてさとい奴隷」は,今日諸国民に対するすばらしい見張人として立つています。彼らの主なるイエス・キリストは,キリスト教時代の第1世紀に立つて,イスラエル内の多くのものは立つか,倒れるかしました。それと同じく,いま全世界の前に油注がれた証者たちは立つています。彼らは人類の大多数の者たちの生存をはかる導きとなりますが,他の者たちはつまずいてハルマゲドンの滅びをこうむるでしよう。―ルカ 2:34。

  • 忠実にしてさとい奴隷と共に目ざめつづける
    ものみの塔 1960 | 10月1日
    • 忠実にしてさとい奴隷と共に目ざめつづける

      1 (イ)「忠実にしてさとい奴隷」は,どのように神の御心を行なう資格を備えていますか。(ロ)このことは,新しく来る者たちにとつてどんな興味がありますか。

      「忠実にしてさとい奴隷」級の聖書的な結びつきや,数多くの聖書的な信任状については,すでに調べました。この級は,エホバの油注がれた証者たちであつて,いまでは76年の古さに達している合法的なしもべ「ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会」を用いて,全地で働いています。この「奴隷」級には統治体があります。昔のヨブに助言を与えたエリフによつて前もつて示されているごとく,この統治体は助言と指示を与えています。(ヨブ 32:1-6)1919年以来,エホバの証者の新しい世の社会の指示は,雑草のようなキリスト教国の民主主義的な取り極めを保ちつづけず,むしろ神権的なものになりました。(マタイ 13:25,38,39)以前の民主主義的な方法は,制度のあらゆる面で人々の意志を重んじ,下から上にたつする仕方でした。しかし,神権的な方法は,エホバの御心が制度のあらゆる面において上から下に達してなされることです。天の御国が1914年に設立されているいまこそ,あらゆる事柄において神の御心を地上で特色づける時です。これは,次の模範的な祈りに答えるものです,「(神の)御意の天のごとく,地にも行はれん事を」。(マタイ 6:10)いまこそ,油注がれた「奴隷」級の「家人たち」以外の他の大ぜいの者たちが神の御心について学んで行う時です。そのように新らしく来る者たちは,「忠実にしてさとい奴隷」と共に目をさましつづけ,神の御心を行ないます。そして,この古い世の終りに生き残り,地上に復興した楽園内の生命を得る資格を持ちます。

      2 今日,神の御心が知らされている方法についてどんな証拠がありますか。

      2 エホバに善意を持つ心の正しい大多数の良い人々に,神の御意をどのように知らせ,その人間の注意を神の御心に向けさせますか。目ざめている世界的な見張人である「奴隷」級は,1919年に証者として復興されて後,ふたたび世界的な教育運動をしなければなりません。そのような世界的なわざは,いまでは40年以上も行なわれており,多くの実をむすんで最終の段階に達しています。事実の示すところによると,現在までのこの期間中に,「奴隷」級は神の唯一つの集合的な経路として仕え,聖書の真理を地上の人々に伝えました。ちようど初期のクリスチャン会衆が,天から地に達する経路として集合的に仕えたことと同じことは私たちの時代にも言えます。(エペソ 3:10)この独特な経路を通して十分の霊的な食物と,神の御心を行なうことについての驚くべき詳細な知らせが与えられています。それは実際のところ,聖霊の働きを奇蹟的に表し示しています。今日,エホバの証者の新しい世の社会が,175の国々で約100万人の奉仕者を持つていることは,それが人間の頭の働きでつくり出されたものでないことを明瞭に証します。むしろ,それは試験済みの経路を通して神権的に働く聖霊の所産です。これは,あらゆる階級の献身した人々の生活に影響をおよぼしているのです。―ゼカリヤ 4:6。

      3 黙示録 22章1,2節の中で,「広い道」「生命の水の川」,「生命の木」そしてその「実」は何ですか。

      3 聖書は,この径路の取り極めを新しいエルサレムの「広い道」と示しています。この「広い道」の中央に「生命の水の川」が流れております。それは,清い真理の出版物が洪水のようにたくさん出されるということです。そのさわやかな水を飲むすべての人には,生命という益がもたらされるでしよう。聖書はどこでこのことを述べていますか。「御使はまた,水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は,神と小羊との御座から出て,都(新しいエルサレム)の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があつて,十二種の実を結び,その実は毎月みのり,その木の葉は諸国民をいやす。御霊も花嫁も共に言つた。『きたりませ』。また,聞く者も『きたりませ』と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は,価なしにそれを受けるがよい」。(駄示 22:1,2,17,新口)それで,制度的に言つて,1919年以来の「さとい奴隷」は,増加の一途をたどる幾百万という聖書の出版物を出しました。それは,天における神の御座から出るエホバの御心を中心主題とする「生命の水」を持つています。この「生命の川」の両側に「生命の木」があることに気をつけて下さい。これらは,油注がれた残れる者,「家人たち」ひとりびとりです。彼らは,これらの真理の水を最初にくみます。油注がれた各人は,真理によつてこのようにみたされることにより,御国の実と御霊の実を,どの季節でも絶えず結びます。それは,「諸国民」のうちから新しく交る多数の人々を霊的に養い,援助するためです。―ガラテヤ 5:22-24。

      4 「葉」,「諸国民」,「花嫁」について説明しなさい。「来たりませ」と言うことの意味は何ですか。

      4 個々の「木」である油注がれた残れる者も「諸国民」をいやす木の葉を出すと言われています。これらの葉は何ですか。これらは,善意者に霊的ないやしをもたらすために,油注がれた残れる者が設けた制度的な取り極めのように見えます。油注がれている各人は,協会の印刷工場で奉仕したり,本や雑誌を書いたり出版するために用いられていたり,あるいは公開講演者として送り出されています。ある者は,支部の僕,巡回の僕,地域の僕として旅行し,他の者は忠実な会衆の監督として,また研究の司会者として奉仕を続けています。1万4000人以上の残れる者のほとんど全部の者は,いまでも野外奉仕に参加していると報告しました。彼らは家から家の奉仕や聖書研究のわざに新しい人々を定期的に訓練しています。彼らは,神に献身した僕たちがどのような者でなければならないかについて,善意者たちの忠実な模範になろうと努めています。彼らは,だんだん年を取るし,体力も弱くなつてきたから,そろそろ引退して他の善意者たちにつらい奉仕のわざをさせようとする傾向に屈しません。引退は身体面の楽だけを求めることであり,物質主義的になることです。御霊によつて産み出され,油をそそがれたこれらの忠実な神の子たちは,死ぬ日にいたるまで,奉仕の協力という「葉」を出しつづけ,「大いなる群衆」の者たちを助けて,彼らのいやしをはかります。たしかに,これらの「木」は油注がれた者たちです。なぜなら,同じ預言の中で,彼らは,「花嫁」級の者と言及されているのです。すなわち,14万4000人で構成される天におけるキリストの花嫁になるのです。(エペソ 5:23)それで,「花嫁」として彼らはすべての善意者に「来たりませ!」と言い,「奴隷の」ものみの塔協会を通して流れる『生命の水』を取りなさい,と言いつづけます。そのような者が霊的に元気づけられていやされるとき,こんどはそれらの者たちは残れる者に参加して,他の者たちに「来たりませ!」と言います。それで,神の指示の下に霊的な教育運動は「拡大」して,ますますその範囲をひろくします。―イザヤ 11:9。

      現代の奇跡

      5,6 (イ)1919年から1931年までの真理の流れによつて何が影響されたかを述べなさい。(ロ)どんな種類の奇跡は,ある人々のために用意されていましたか。

      5 1919年から1931年まで,真理の水の流れは,主として油注がれた残れる者だけに影響しました。さらに多くの油注がれた者たちは,1917年および1918年に去つた者たちの空位をみたすために召されました。彼らも霊的に元気づけられ,将来の大きなわざをするための力を受けました。しかし,特にエホバの裁きを忠実に言明することにより,彼らは全世界にわたる巨大な収穫のわざを準備していました。それで,「奴隷」級の目ざめている残れる者以外の他の人々は,1931年までみな霊的に眠つていました。彼らはみなハルマゲドンの滅びにむかい,死にむかつて進んでいました。1931年までには,カトリック,新教徒およびユダヤ教の牧師は,1914年以前よりも,はるかに深い霊的な眠りに落ち入つて,いびきをかいていました。彼らのあいだには,目ざめていた見張人はひとりもいませんでした。

      6 エゼキエル書 47章には,現代の奇跡が預言的に述べられています。エホバの愛にみちる先見によると,エホバは地上の事柄をあやつつて「大いなる群衆」が霊的な復活を経験するように取りはからいました。(駄示 7:9。コロサイ 2:13)1918年には,その時以前に死んだ油注がれた者たちが天的な復活をうけました。その後に,地上の残れる者が目ざめることは神の御こころでした。(黙示 11:18)しかし,大ぜいの者たちは死に向かつていたサタンの古い世のなかで,死のごとき環境にしばりつけられ,その悪い状態については何もしていませんでした。しかし,1931年後に始まつたこの現代の奇跡により,エホバは彼らの目を次第に開かせて実情を見させました。すなわち,キリスト教国は神とキリストにはかられて,その目方の足らないことが示され,この世と霊的な淫行を行なつている罪を持つものとして排斥された,ことが示されたのです。(ヤコブ 4:4)そのような者たちは,その目の焦点を合わせて,十分に目ざめている「忠実にしてさとい奴隷」の残れる者と,その伝道のわざの意義を認識し始めました。この現代の奇跡の詳細は,どんなものですか。

      7 今日に適用される際のエゼキエル書 47章1-12節は,何を示しますか。

      7 いまエゼキエル書 47章の聖書預言のテレビジョンにスイッチを入れて,現代における預言の成就を目のあたりに見ることにしましよう。私たちが黙示録 22章について考慮したばかりの大きなまぼろしを見ます。再び,真理の水の「川」が,エホバの霊的な宮から出て,東の方に流れて行くのが見えます。この水は,1919年に復興した「奴隷」級の径路を通つて流れ始めます。この「川」が東の方に向かつて流れ,大きな光のさす方向にむかつて流れているのに気をつけて下さい。その意味することは,1919年後の協会の真理の出版物は,年月がたつにつれて,真理の光の中に進歩するということです。エゼキエルは,1000キュビトごとに,この川の深さについて定期的に調べています。この川は,最初は足くびの深さで,次は膝までの深さ,それから腰までの深さとなり,そして遂には非常に深くなつたため,横ぎりたいと思うなら,泳ぐことが必要でした。―エゼキエル 47:1-5。

      8 川のいくつかの段階においての調査は今日何を意味しますか。

      8 それで,この預言の成就しているいまの末の日に,3年目ごとに行なつた定期的な調査は,ものみの塔協会の出版した真理の水の霊的な深さと明晰さが,だんだん増し加わることを示しています。1919年に出版されたいわばわずかな流れは,1922年までは「くるぶし」の深さで,1925年までには霊的さとまぼろしが増し加わり,1928年までには大洪水のごとき新しい光が出版され,1931年までには聖書的な啓示は圧倒的な流れのようになりましたa。1931年以来ものみの塔協会と交わり始めたすべての人は,次のことをはつきり証言できます。すなわち,その時以来の真理の水は,ものみの塔誌や他のものみの塔の出版物を通して,多量にしかも急速に出版されているため,それにおくれずについて行くには,象徴的に言つて「泳が」ねばなりません。さらに1931年から1945年までのうちにカトリック行動フアシスト ― ナチの勢力は,この強力な真理の「水」を抑えることができない,ということを知りました。そうです,エホバの証者は真理の水で強められたため,迫害をうけても負かされることがなく,伝道を中止しなかつたのです。―黙示 12:15,16。

      9,10 (イ)エゼキエル書 47章7,12節を読んで説明しなさい。(ロ)死海は何を象徴しますか。

      9 次に,この「川」にも,その流れの両側に「木」があるのが見えます。この「木」は,毎月新しい実を結びます。そしてその葉はいやしのために供給されます。これはすでに調べた黙示録の光景と同じであり,木のような各個人の残れる者に適用します。これらの者たちは,径路の制度と共に伝道の奉仕を忠実に行ない,諸国民に霊的ないやしをもたらします。(エゼキエル 47:7,12)しかし,現代の奇跡はどのようになされていますか。

      10 御国の真理の清い水には生命を与える益があります。神の御心は,この清い水の強力な流れを,どこにみちびきますか。私たちの聖書預言のテレビジョンには,エホバ神がこの川を(古代のエルサレムの宮があつたところから)東に流れさせて,死海に注がせたのです。実際の死海には,1匹の魚も住んだことがありません。ところが,この実体的な死海に何が生ずるかを見てごらんなさい! この死海は,終りの時の期間中に大ぜいの人々に霊的な光線を見させない死のごとき環境を良く表わしています。サタンは,彼らを捕えて,かたい束縛の状態に保ちました。サタンは,偽りの宗教により,大きな霊的な暗やみの中に彼らを閉じこめます,悪魔は,物質主義で彼らを忙がしくさせ,宣伝でもつてあざむき,下級のものに専念させてはげしい生存競争をさせています。このように,目ざめている「忠実にしてさとい奴隷」級以外の全人類は,1931年まで死んだと同じ霊的な眠りに閉じこめられていましたb。

      11 「川」の水がもたらすいやしを述べなさい。

      11 奇跡中の奇跡として,エホバはいまこの真理の水の流れをみちびいて,この死海のごとき捕われの状態から善意者の「大いなる群衆」を解放します。1931年以来,「ものみの塔」は次第次第にラッパのごとき召を,油注がれた級でない者たちに向けて変え始めました。幾年かの年月が経つ中に,いまや42以上にも達する預言が次から次に,明白な成就を示し,次のことをみな確証しています。すなわちエホバの証者の十分清められた大いなる群衆が,準備された新しい世の社会に入るようにエホバは戸を開かれた,ということですc。真理の水は,その世界的な環境にいやしをもたらし,そしてエホバの操られるままに個人的な環境は変化しました。宗教的な足かせはゆるめられました。世界のわざわいについての光は,御国の真理について考えている人々を以前の伝統的な束縛から自由に開放しました。その環境は住めることができるものになりました。それで,エゼキエルが示すように,多くの数の「魚」は生きるようになりました。この現代の奇跡が始まつてから約30年たたぬ中に,いまでは85万以上の「生ける魚」が「奴隷」の級と共に活潑になつています。彼らは,その罪のうちに死んでいる古い世という生命のない要素から,またハルマゲドンにおける滅びという脅威から出てきて,神に対して生ける者になつています。―エゼキエル 47:1,9。

      12 目ざめている「魚」を生きつづけさせるために,どんな取り極めが行なわれますか。

      12 エホバの奇跡的な御手によつて,これらの「魚」は生きるものになりました。それでは,これらの「魚」が自分自身で餌を求めることをエホバは許しますか。そのようなことはありません。次のテレビジョンの光景が示すところによると,エホバは「魚取り」の制度を設立して,食物を与えます。これは一般の経験とは全く反対です。なぜなら,魚は捕えられると人間の食物になるからです。しかし,この預言の中では,魚はとられてから養われ,生かされています。「すなどる者が,海(死海)のかたわらに立ち,エンゲデからエン・エグライまで,網を張る所となる。その魚は……はなはだ多い」。(エゼキエル 47:10,新口)このことは,かつてイエスが弟子たちに告げた言葉をすぐに思い起させます,「わたしについてきなさい。あなたがたを人間をとする漁師にしてあげよう」。(マタイ 4:19,新口)ほんとうに,網を持つ漁師は今日網のような制度を持つ油注がれた残れる者を良く表わしています。彼らは,前任者である使徒たちのごとく,同じ霊的な魚取りの仕事に基本的に専念しています。この組織化された手段により全地にわたつて救いは施されています。1931年前では,食物は天的な「小さな群れ」の者だけに給されました。しかし1931年以来,救いの活動は世界的な規模で大々的に行なわれ,幾十万という人々を救いにみちびいています。生かされたこれらの「魚」は,キリスト・イエスの「他の羊」と同じです。(ヨハネ 10:16)これらの「他の羊」は,残れる者の木のごとき各成員の「実」と「葉」に依存して,豊に養われています。それで,ハルマゲドンのあらしを生きたまま通過し,その後でも保護をうけるのです。

      目ざめつづける

      13 この「奴隷」級と共に目ざめつづける一つの道を述べなさい。

      13 次の質問が尋ねられるでしよう,『急速に動いて行くこの「忠実にしてさとい奴隷」級と共に,どのように目ざめつづけることができるか』。この油注がれた群れの成員は,円熟さ,聖書の知識,神権的な経験,そしてエホバの目的と神の御心のまぼろしについては,幾年も進歩しています。目ざめつづけておくれないようにするため,いくつかの事をすることができます。第一に,証明ずみの神の径路を通して与えられ,ものみの塔協会を通して出版される「正しい時の食物」を取りつづけなければなりません。霊的な食事を1回でも欠かすことはできません。個人的な研究のほかに,会衆の研究会に毎週出席することは,ぜひ必要です。研究の集会を1回かかすなら,その人は霊的に衰弱し,霊的にやせおとろえて弱い状態になります。そのような不注意な減食がつづくなら,新しい世の社会の早い進歩と歩調をそろえるだけの強い者にはなれません。油をそがれた残れる者は,指導者としてひとつの決意を持つています。それは,エホバの御心を行なつてエホバの至上権を立証し,永遠の生命という賞を得ることです。「他の羊」に属する者であるあなたは,勝利を求めるこの強烈な疾走において,残れる者といつしよに旅行をするだけ強くなれますか。食べることは生命を意味するものであると見なして,熱心に食べなさい。たしかに,それは生命を意味します。

      14,15 目ざめた状態を保つもう二つの道を説明しなさい。

      14 別のことは,神権的な道,仕方,および政策に従うことです。黙示録にはこう書かれています,「全能のエホバ神よ,あなたの御わざはまつたく偉大ですばらしい。永遠の王よ,あなたの道は正しくて真である」。(黙示 15:3,新世)私たちは,民主主義的な仕方や方法によつては,もはや制御されません。そのような道は,人間の意志を強調します。私たちが新しい世の社会にみちびかれるとき,私たちは神の御こころを行なおうと決意しています。神の御こころは,神の設け給うた「忠実にしてさとい奴隷」の指導を通して神権的に私たちのところへ来ます。

      15 第三に,私たちは制度内の割り当てられたところにとどまることによつて,目ざめつづけることができます。「大いなる群衆」の者は,「忠実にしてさとい奴隷」を通してつくられた割り当てに対して,異議を申し立てたり,調節を加えようとしてはなりません。また,他の人に任命されている仕事をしようとしてもなりません。パウロは次のように書いています,「なぜなら,一つのからだにたくさんの肢体があるが,それらの肢体がみな同じ働きをしてはいない。(ロマ 12:4,新口)それで,各人は自分に割り当てられた奉仕を行なうようにしましよう。もし,会衆の伝道者という立場であるなら,協会の指示に一致しつつ伝道奉仕を効果的に,そして熱心にしなさい。もし会衆内の僕であるなら,その仕事を正しく行なうのは彼の義務です。もし,その人が正しく行なわないなら,人間の目に見えない監督を行なう御使たちは,変化を必ず生じさせるようにするでしよう。イエスは,次のように語りました,「人の子はその使たちをつかわし,つまずきとなるものと不法を行う者とを,ことごとく御国から取り集め」る。―マタイ 13:41,新口。

      16 人の持つ資力については何をすることができますか。

      16 また,私たちはものみの塔協会への奉仕と経済的な寄付により,目ざめつづけることができます。エホバは,この機関を通して,私たちに多くのことをされました。それに答え応ずる私たちの愛と感謝を示す最少限度のことは,全世界的な伝道のわざを拡大させるために金銭と時間を寄付することです。1931年前,残れる者が少数の時でも,彼らは協会のわざのために幾百万ドルも寄付しました。いまでは,「大いなる群衆」の者も,今日の協会の教育的なわざを世界的で最も重要なわざにすることに,よろこんで参加したいと思うにちがいありません。私たちの持つ時間と金銭という資力を物惜しみせずに寄付しましよう。エホバは,このわざが初期の段階であつたときに油注がれた者の寄付を祝福しました。それで,今日の「他の羊」の寄付も,正義の人類に対する大きな祝福という結果になることはたしかです。―イザヤ 60:5; 61:5,6。

      17,18 (イ)なぜ愛と忠節は,目ざめた状態を保つのに必要ですか。(ロ)尊敬と従順は,人が目ざめていることをどのように示しますか。

      17 すべてのものに愛を示して,忠節な行いをすることにより,私たちは目ざめつづけることができます。天にあるエホバの制度は,愛によつて特徴づけられています。同様に,愛は地上にある新しい世の社会の顕著な特徴です。愛があるからこそ,新しい世の社会は古い世とはなはだしくちがうのです。このことも,進歩的な「忠実にしてさとい奴隷」の大きな特徴です。その奴隷の群れの初期の成員であつた使徒パウロは,次のように書きました,「わたしは,あなたがたに勧める,あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き,できる限り謙虚で,かつ柔和であり,寛容を示し,愛をもつて互に忍び合い,平和のきずなで結ばれて,聖霊による一致を守りつづけるよう努めなさい」。―エペソ 4:1-3,新口。

      18 最後に,私たちは尊敬を払い,従順であることにより目ざめつづけることができます。私たちの知るごとく,エホバは,「忠実にしてさとい奴隷」のものみの塔協会を用いて,今日の地上の統治体にしています。ものみの塔協会は,私たちの尊敬と,最善の支持をうけるのにふさわしいものです。聖書には次の言葉がかかれています,「神の言をあなたがたに語つた指導者たちのことを,いつも思い起しなさい。彼らの生活を……見て,その信仰にならいなさい」。(ヘブル 13:7,新口)時折り,円熟していない人々が協会の運営について,軽べつ的な言葉や,不注意な話,あるいは露骨な批評をすることがあります。そのようなことは,ハルマゲドン前のこの時代にエホバが御自分の御心を行なわせるためにすばらしい仕方で用い給う手段に対して,全く尊敬を欠いていることを示します。たしかに,神の聖霊によつてみちびかれている協会は,私たちのいちばん深い尊敬と,真心からの従順をうけるのにふさわしいものです。

      19 「忠実にしてさとい奴隷」は,どのように時勢より先がけていましたか。

      19 全く,「忠実にしてさとい奴隷」は,1914年の来ることに目ざめていました。1942年,間ちがえることのないエホバの確実な御霊でみちびかれた「忠実にしてさとい奴隷」は,民主主義諸国家が第二次世界大戦に勝利を得て,国際連合制度が設立されるであろう,と知らせましたd。彼らは出来事について目ざめていました。なぜなら,それは3年後にたしかに生じたからです。1958年の神の御心国際大会のとき,ダニエルの預言について驚くべき事前の知らせが,すぐ将来に起る出来事について与えられました。そのような霊的な先見の証拠は,「御心が地に成るように」(英文)という本の中に記録されています。「忠実にしてさとい奴隷」は,ふたたび神を愛するすべての人々をみちびくために時勢に先がけて警戒を払つていたのです。たしかに現在の安全は,「忠実にしてさとい奴隷」と共に目ざめていることに依存しているのです。

      20,21 (イ)人は,いま霊感の目的にみちる生活を,どのように過ごすことができますか。(ロ)マタイ伝 25章21節は,どのように適用しますか。それは,何を励ましていますか。

      20 いま霊感の目的にみちる幸福な生活をするため,目ざめていなさい。神の御心を行うことは,私たちを全く夢中にさせ,魅惑をそそるもので,私たちにとつて最大の刺戟になります。以前の「死海」の状態に逆戻りしてはなりません。死んでいる魚,悪臭を放つ魚になつてはなりません。しかし,生きた魚,霊的に健康な魚,そしてパウロが書いているように『キリストの知識のかおり』を持つ実体的な魚でありなさい。(コリント後 2:15)あなたの伝道を聞こうとしない者たちを盲目の世界にのこし,あかりの消えた盲目の牧師に従がわせなさい。目の見えないこうもりの方が,霊的に眠つている牧師よりも大きな知覚力を持つています。しかし,「大いなる群衆」にあなた方,および啓発をうけたいと願う他の者たちは,昼も夜もそのあかりをともしている目ざめている「忠実にしてさとい奴隷」級に従いなさい。現在および将来の新しい世におけるあなたの幸福は,あなたが残れる者と共に働くことに依存するのです。イエスは,自分の霊的な兄弟たちである残れる者について,こう語りました,「あなたがた(『大いなる群衆』のもの)によく言つておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである」。―マタイ 25:40。

      21 いま,よろこびと隆盛のときにいる残れる者と共に目ざめつづけなさい。イエスは,この「忠実にしてさとい奴隷」にたいして,次のようなお賛めの言葉を述べています,「良い忠実な僕よ,よくやつた。あなたはわずかなものに忠実であつたから,多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」。(マタイ 25:21,新口)残れる者と共に目ざめて忠実な御国奉仕を行ないなさい。残れる者と共に御国のよろこびを分かち合いなさい。それは大きな力をもたらします。永久に生きるため,キリストの下にある「忠実にしてさとい奴隷」と共に目ざめていなさい。

      [脚注]

      a 「神の目的とエホバの証者」(英文)にある「拡大した施設を用いて国民に自由を出版する」と題する章を見て下さい。

      b 「ハルマゲドンを生き残つて神の新しい世へ」(英文)306頁から310頁までを見なさい。

      c 「ハルマゲドンを生き残つて神の新しい世へ」(英文)367,368頁を見なさい。

      d 「平和それは永続するか」(英文)という冊子,21,22頁。

  • ベルギー領コンゴにおける御国伝道
    ものみの塔 1960 | 10月1日
    • ベルギー領コンゴにおける御国伝道

      ベルギー領コンゴにおける御国伝道も,昨年中すばらしい発展をみました。この国では,多くのごたごたがあり,伝道のわざは禁止令のもとで行なわれたにもかわらず,兄弟たちは御国会館でいつもの集会を開くことができました。首府レオポルドビルで行なわれた記念式の時には,おどろくべきことが起きました。同市内の六つの分会が,日曜日の公開講演に一緒に集まるようとり決めたところ,1417人が出席するという盛況でした。

      ある若いヱホバの証者は,真理のために非常に熱心です。学校で休みの時間に級友を集めては御国の話をしました。ある生徒は反対して彼を「預言者」と呼んで嘲笑しました。ひとりの生徒が,この若い証者のことを教師に告げました。その教師は,「エホバの証者」という表現を聞いて驚き,それが何を意味するか,またエホバとは,だれか知りたいと思いました。その若い兄弟は,喜んでその機会を利用し,さらに証言を行ないました。すつかり感動した教師は,もうひとりの教師を呼んでその話を聞かせました。そしてあとになつて他の教師に,この生徒こそ彼のクラスで行儀で最高点を採つた唯一の生徒だと話しました。なお同教師はその証者に,家で読めるような本をもつてきてもらいたいと頼みました。―1960年度のエホバの証者の年鑑(英文)より。

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