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共同社会即ち会衆の関心事ものみの塔 1956 | 10月15日
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価値)のためには,その期間が縮められるであろう。』― マタイ 24:22,新口。
17,18 (イ)ヱホバの証者の奉仕者は,どのように一緒に働くべきですか。そしてなぜですか。(ロ)会衆の関心事について僕たちはどんな責任を持つていますか。
17 会衆の関心事についてのこの研究から,次のことが分ります。つまり,ヱホバの証者はみな地方の会衆に善を貢献するような行をしなければならぬ,ということです。人が会衆と交つて会衆の一員になるとき,その人はヱホバの奉仕者としての委任された権利と義務を得ます。故に,忠実な奉仕者であるあなた方は,地方の会衆の進歩を図りなさい,会衆の伝道運動に参加しなさい,神の聖なる制度の正式な代表者として会衆の名誉を拡大しなさい,制度を清く保ちなさい,証者の負うヱホバの高められた御名にふさわしく生活しなさい,そして地方の会衆に交わる新しい人の模範になるよう正しく歩みなさい。その会衆は愛の中に一致しています,そしてパウロは制度が反対を耐え忍び,よろこびを分ち与えることを適切にこう述べています,『もし一つの肢体が悩めば,ほかの肢体もみな共に悩み,一つの肢体が尊ばれると,ほかの肢体もみな共に喜ぶ。』― コリント前 12:26,新口。
18 ヱホバの会衆の奉仕者として,各自会衆の神権的な記録に悪をつけぬよう固く決意しなさい。そして,悪行をしてはなりません。神の民の会衆に交わるなら,会衆の関心事を賢明に負い得なかつたことについては,責任を取らねばなりません。会衆は,その指導者である僕たちを通して,共通の関心事に正しく参加しない者たちを譴責する義務があります。もしなんの譴責も与えられないなら,全会衆はあなたの悪のために汚れてしまうでしよう。僕たち自身も義しくなければならず,公正とあわれみを以つて会衆の関心事を守るために,自分の義務を果さねばなりません。
19 新しく興味を持つ人々には,何が表わし示されますか。そしてなぜですか。
19 善行を絶えず為すことによつて,個人的な自分の関心事をすくなくし,より望ましい会衆の関心事をなす時間を得ることは賢明である,と新しい人々に示しなさい。個人の関心事を,念頭から離してはならぬ神の関心事や会衆の関心事と正しく釣合わせることは,如何に必要であるかを示しなさい。除名は,会衆の福利の為であり,ヱホバ神に清い記録を保つためであると示しなさい。それは,申命記 19章13節に記されている聖書の原則であることを論じなさい,『汝かれを憫み視るべからず。罪なき者の血を流せる咎をイスラエルより除くべし。然せば汝に福祉あらん。』パウロの諭めているごとく,悪行を為す者はみな会衆から除去されねばなりません。『斯のごとき者をサタンに付さんとす。是その肉は亡されて,その霊は主イエスの日に救われん為なり。』― コリント前 5:5。
20 ヱホバは,今日地上の民とどのように交りを持たれていますか。将来はどうですか。マタイ伝 11章29,30節に従つてどんな調節がなされねばなりませんか。
20 各個人の事柄について人がどれ程正しくても,また健全であろうとも,その人は正義の新しい世に入れないでしよう。ヱホバ神はそのような個人と交わりを持つていません。ヱホバ神は地上にひとつの制度を設けられましたが,それは増し加わつた会衆の関心事をうけ入れるために訓練されています。天にある神の御国政府の地上における影響が増し加わるにつれ,益々多くの共同社会の関心事が新世社会に課せられるようになるでしよう。そして,ハルマゲドン後には,地上にあるすべての共同社会の関心事は新世社会のものになるでしよう。(イザヤ 9:7)ノアの日やモーセの日と同じように,神は御自分の民の会衆の社会と交りを持たれています。正しい羊飼であるキリスト・イエスに導かれている私たちは,羊の大きな一致した群のようです。私たちは彼の声を聞き,彼の王の指導を受入れ,そして彼の群の制度に来ます。(エゼキエル 37:24)それで,あなたの仕事や個人的な事柄を調節しなさい,不必要な個人の関心事を減少しなさい。神の関心事と会衆の関心事に釣合わせるようにしなさい。それらは,あなたを生命の道に導くものです。キリスト・イエスとくびきを同じくしなさい。愛の御心を持つキリストは次のように言われました,『私は柔和で心のへりくだつた者であるから,私のくびきを負うて,私に学びなさい。そうすれば,あなた方の魂に休みが与えられるであろう。私のくびきは負いやすく,私の荷は軽いからである。』― マタイ 11:29,30,新口。
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貧者の一燈は受領されぬものみの塔 1956 | 10月15日
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貧者の一燈は受領されぬ
1956年3月26日のジャーシー・ジャーナルは,次のことを報じていました,『北アノリントン,平和の女王ローマ・カトリック教会の牧師ビー・ビー・オコーナーは,次の言葉を述べて昨日教会員たちをびつくりさせた,「復活祭前の日曜日以来,教会に欠席している人たちに言いたい。寄附籠に銀貨を入れても,教会は受領しない。実際のところ,銀貨を入れるならば自働的に鐘が鳴つて,空中に弾丸が2発発射されるような寄附籠を入手したい,と私は考えているのである」この牧師の説教後,寄附籠は紙幣でいつぱいになつた,と報ぜられている。』
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