ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目72 11/22 13–16ページ
  • 人間の弱さと強さとを示したハリケーン,アグネス

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 人間の弱さと強さとを示したハリケーン,アグネス
  • 目ざめよ! 1972
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • アグネスは人間の弱さを示す
  • アグネスの前に力を示した人たち
  • クリスチャンの兄弟たちや他の人々に示された愛のこもった関心
  • 将来はどうか
  • どんな嵐も流し去ることができなかったもの
    目ざめよ! 2003
  • 警告に留意 ― それが良い結果に
    目ざめよ! 2006
  • 異なった種類の鳥 ― ハリケーン・イーバ
    目ざめよ! 1983
  • 氷がもたらした災害
    目ざめよ! 1998
もっと見る
目ざめよ! 1972
目72 11/22 13–16ページ

人間の弱さと強さとを示したハリケーン,アグネス

去る6月の後半の2週間にわたって,アメリカ史上最悪のあらしのひとつが東部諸州を襲った。「アグネス」と命名されたそのあらしは,130人の命を奪い,20億㌦(6,000億円余)に近い被害をもたらした。

アグネスの気まぐれぶりは,発生当初から気象台員をあわてさせた。このハリケーンが生まれたのは,メキシコの東南岸沖で,6月から11月にわたるハリケーン・シーズン中,毎年,数多くの熱帯のあらしがここで発生する。そのほとんどは消滅するが,五つか六つが,アグネスのようにほんもののハリケーンに発達する。うずを巻きながら移動し,水蒸気を吸い込む大量の暖かい空気のかたまりとなるのである。そして,その水蒸気が凝結して雨になる。

アグネスは,キューバで7人,南部フロリダで数人の命を奪った。アグネスから生じたトルネード(たつまきの一種)が,それらの地方に襲来したのである。それから彼女は,時速約130㌔の風を伴って,「なべの柄」のフロリダ半島に体当たりした。上陸してからは,予想どおりかなり勢いが衰えた。

しかしアグネスは,大陸の上空で消滅する代わりに,バージニア州とメリーランド州を東方に通過して海に出,そこでまた勢いを盛りかえした。ところが,高気圧の強い張出部に,海への道をはばまれて,再び陸の方に追いもどされ,こんどはペンシルベニア州東部,ニュージャージー州,ニューヨーク州西部などを襲った。それから意外にも,急に引っ返してきて,こんどは西から,ペンシルベニア州に2度目の打撃を加えた。アグネスの予想しがたい進路は,ついに東部カナダの上空で終わった。

アグネスは人間の弱さを示す

このあらしがもたらした最大の損害は,豪雨による被害であった。アグネスはよりにもよって一番悪い時にやってきた。アメリカの北東部は,すでに河川のはんらんで『水びたし』になり,2年つづきの記録破りの降雨で,土地には水がしみ込んでいた。そこへ広さ400㌔におよぶ,湿気を大量に含んだアグネスがやってきたのである。バージニア州,メリーランド州,ニュージャージー州,ウエスト・バージニア州では,河川に近い低地がとくに大きな被害をうけた。

しかしいちばん猛威をふるったのは,ペンシルベニア州のサスケハナ川の水で,ウイルクスバレからハリスバーグまでの間の160㌔にわたる土地は,さながら戦場のようであった。大きな破壊の跡が至るところに見られた。ウイルクスバレでは水は12㍍におよぶ波頭を立てて進み,その地域の住民6万人を家から追い出した。ハリスバーグは州から切り離されて,まさしく孤島と化し,市の約15%が水に没した。小都市の主要道路は川になった。橋は,ねじ曲げられて橋げたからもぎ取られるもの,押し流されるもの,何トンものがれきの下に埋もれるものなどが出た。アグネスが最も猛威をふるったペンシルベニア州における被害は,ある人の推測によると,合計10億㌦(約3,080億円)以上にのぼる。

サスケハナ川に注ぐ,ふだんは穏やかな,ニューヨーク州のケマン川は,ある記者のことばを借りると,「おりから解き放たれたトラ」のように荒れくるった。この川も,ニューヨーク州を流れる他の河川も,川幅を広げ,行く手にあるものすべてを破壊した。

人命が失われるのを目のあたりに見た人たちに聞くと,そのときの悲惨な様子が目に浮かぶようである。ニューヨーク州,コーニングに住むある婦人は涙を流しながら,「人々が水の下にすべり込んで行くのを見たとき,私は泣かずにはいられませんでした。黒山のような人がデンマーク・ヒル(その地方の高台)にたどり着こうとしていました。その人たちは丘に逃げようとしたのですが,間に合いませんでした」と語った。

ニューヨーク州では10万に近い人々が家を失い,その被害額は1億㌦(約308億円)と推測されている。

ことばでは,いや写真でさえも,生存者たちが自分の家にもどった時に目にした状態を一部始終伝えることはできない。すべての物が,悪臭を放つ汚物の混じった厚いどろでおおわれていた。それに虫がたかり,カビが生えている場合も少なくなかった。家具や器具,じゅうたん,掛け布,身の回り品などは,よれよれのぼろ切れ,またがらくたとなっていた。家の土台はくずれるか,あるいはがたがたになり,壁と天井はひずんでいた。自動車はくつがえされて玄関わきの車道に横たわっており,芝生には大きな穴がいくつもあいていた。

健康もおびやかされていた。下水が上水にしみ込んだために,腸チフスの危険があった。腐敗したごみは,ネズミやハエを引きつけた。切れ落ちた電線のために感電死する危険,破裂した石油タンクから火事が発生する危険も大きかった。そしてついに太陽が顔を出し,どろにおおわれた道がかわくと,その泥はこまかい土ほこりとなって,もうもうと舞い上がった。

人間の近視眼的な見方が,アグネスを普通以上に大きな災厄にしてしまったことは疑問の余地がない。前もって出された警告に従おうとしなかった人が非常に多かった。ほかの人たちは,あとで,警告を聞くことをがんこに拒んだそれらの人々を,命がけで救出しなければならなかった。

また,利己的にも,カラーテレビのような不必要な物品を持ち出すと言い張って,避難作業を手間取らせた人たちもいた。またやじ馬たちが避難命令の出ていた地域やその周辺に入り込み,車で往来を混雑させた。

それから寄生虫にも似た略奪者たちが現われ,その多くはボートに乗って荒かせぎをした。かと思うと一方では,泥棒どもが,ありもしない水害被災者救援計画のためにといって,水害被害者たちからお金を集めた。だから警官たちは,人命救助から,そのような破廉恥行為との戦いに注意を振り向けねばならなかった。

アグネスの前に力を示した人たち

しかし一方,アグネスの襲来で非常な勇気を示した人たちもたくさんいた。警官や騎馬警官隊は,自分自身損害をこうむったにもかかわらず,任務を離れなかった。彼らの多くは,家から家を尋ね,あるいは拡声器を用いて,眠っている人たちを起こし,いっしょうけんめいに警告して回った。長時間働き,けがをし,疲労していても,ある警官たちは命令でもしなければ家に帰ろうとはしなかった。

消防士たちは,あぶない激流を歩いて渡り,危険を冒して,破損した建物によじ登ることを余儀なくされた。軍隊も救助活動や,トラックや飛行機などによる,食料,水,医療品などの輸送を行なった。なかには,他の人びとを救おうとして自分が死んだ救助作業員たちもいた。

ヘリコプターも救助作業に出動し,水の危険にさらされていた人たちを文字どおり何百人も助けだした。サスケハナ川の二つの島で休暇を過ごしていて洪水に会い,そこに立ち往生していた25人も,ヘリコプターで救出された。ペンシルベニア州のロックヘブンでは,州警察は電線にじゃまされて,移動住宅に取り残されていたひと組の家族にヘリコプターを近づけることができなかった。そこでふたりの警官がゴムボートの上に降ろされ,下流のそのトレーラーに向かって漂って行った。家族がそのボートに乗り移ると上空で待機していたヘリコプターは風を起こして,ゆらゆらと漂っていたそのボートを,高い安全な土地へ追い上げた。

アマチュア無線家たちもしばしば自発的に救助努力に協力した。時には彼らが,物資の援助や要求を中継する緊急通信の唯一の手段だったこともあった。

増水した川のほとりでは,多くの人たちが自発的にでてきて,懸命に防壁を築いた。水をくいとめるために,ズックの袋,プラスチック袋,まくらカバーその他,砂のはいる物にはみな砂をつめ込んだ。ウイルクスバレでは,何千人という人たちが自発的に防壁作りに従事したが,サスケハナ川の怒とうは突如その仕事を粉砕し,人々は命からがら逃げ出さねばならなかった。若々しい力と専門知識もその分を果たした。ペンシルベニア州,カーライルの住民は,そこに作られた防壁の大部分をディキンソン大学の学生たちが作り,それが効を奏したことを認めている。ある地域の緊急避難所で働いていた人たちはほとんどが,25歳以下であった。

クリスチャンの兄弟たちや他の人々に示された愛のこもった関心

危険地域の中には,エホバの証人の会衆がたくさんあった。彼らが問題に立ち向かった方法は啓発的であり,励ましになる。

暴風雨が襲う前に,会衆の監督たちは,全部のエホバの証人が用意を整えているか,また警告に従っているかどうかを確かめた。暴風圏内にいた何千というエホバの証人にひとりも死者が出なかったのは,こうした事前の努力のおかげであったにちがいない。

たとえば,浸水したウイルクスバレでは,ある会衆のふたりの監督は,空模様があやしくなってきたとき,互いに連絡を取り,証人たちの連絡を,ふたりで分担して行なった。ひとりの監督は,その夜のできごとを次のように語った。

「ロアプリマスの住民は全員避難するように,ということをニュースで聞きました。私はウイルクスバレ(近隣の町)に住んでいたので避難する必要がありませんでしたから,プリマスへ行って,土地の低いところに住んでいる兄弟たちを助けた方がよい,と考えました。

「交通が混雑していたために,それは長い道のりとなり,川の向こう側まで行くのに4時間かかりました。帰宅したのは金曜日の午前3時半でしたが,帰って見ると,ウイルクスバレの低地にも避難命令が出ていました。そこで妻と私は,1時間半にわたり,そこに住むすべての兄弟たちに電話で連絡を取り,車の手はずがついているかどうかを確かめることに努めました」。

こうして夜どおし努力してのち,どんなことが起きただろうか。その証人は次のようにことばをつづけた。

「午前5時半,サイレンが鳴り渡り,スピーカーが,直ちに避難するよう呼びかけました。私は家族を集め,着のみ着のままで出発しました。身の回り品を集めるひまなどありませんでした。一部の証人たちとはまだ連絡がついていなかったので,車で混雑した道を,彼らの家まで行かねばなりませんでした。そして全部の証人の様子を調べた上で,私は家族を安全な場所へ避難させました」。

クリスチャンの兄弟や家族の安全が確保されると,その監督は,砂袋で防壁を作る仕事を自発的に手伝った。ある被災地域では,10人から20人の証人たちの聖書研究グループを監督するよう任命されている人たちが,そのグループの世話をした。

この責任を,愛をもって,また組織的な方法で果たすようエホバの証人たちを強めたのは何だったであろうか。そのひとつは祈りで,これが大きな助けになったことは疑えない。フロリダ州のアパラチコラがアグネスの襲来を受けたあと,そこのエホバの証人たちは,「海岸地帯に住むあなたの民をお守りください,とエホバに祈った。あらしが北上をつづけ,ここよりも大きな被害を与えたからであった」。

持ち物を失うという事態に直面して,証人たちは,聖書の真理の知識が大きな力になることを発見した。暴風圏内にいたある証人は,その時のことを思い出して次のように語った。

「持ち物すべてを失い,命だけでも助かれば喜ばねばならない,という事態になるかもしれないことを私たちは覚悟していました。私は,ヨブの経験や,箴言の知恵あることば,人の心を慰める詩篇などをいくつか思い浮かべました。楽園の地で神の支配のもとに生きるという希望のほうが,自分の所有物すべてよりもずっと重要だと,突然思われるようになりました」。

そのような力は保持されねばならなかった。水が引くと,ほとんどの人は,まずなによりも取りかたづけをすることを考えていた。しかしエホバの証人はほかのことに注意を向けた。全被災地で証人たちは,あらしが去ったのちほとんど直ちに集まって,聖書集会を開いた。ニューヨーク州,サラマンカの一監督奉仕者はそのときのことを次のように語った。

「兄弟たちは連絡を保っていました。木曜日の夜の集会は,街路に出ないようにという住民に対する警察の要求に従って取りやめになりましたが,日曜日の『ものみの塔』の集会は3か所で開かれました。全部の橋が通行止めになっていたので,川向こうに行くことができなかったからでした。私たちの集会は100%の出席を見ました」。

ニューヨーク州のエルミラでは,同じ日に,「ものみの塔」誌を用いる聖書研究が,ろうそくのともしびのもとで開かれた。そしてあらしのために,いろいろ個人的に不都合なことがあったにもかかわらず,多くの証人は,アメリカ各地で予定されていた「神の支配権」地域大会のひとつにぜひ出席したいと言っていた。

その後はじまった跡かたづけには,何百人という証人たちが,クリスチャンの兄弟たちを助けるために,多くの州からやってきた。その証人たちは多くの場合,お金をも含めて,物質の寄付を携えてきた。

これら自発的に働きに来た証人たちは,機会があれば知らない人たちにも援助を差し伸べた。そのために,『これからはエホバの証人に玄関払いをくわせるようなことは決してしない』ということばがしばしば聞かれた。

将来はどうか

洪水に見舞われた地域の人々は現在みな,どうすれば将来,アグネスがもたらしたような災害を防ぐことができるか,という疑問を持っている。

ダムや他の洪水調節装置は,あまり思わしくないことがわかった。治水専門家はほとんどみな,ニューヨーク・タイムズ紙の,「実際に必要なことは,型を破ること,つまり危険なはんらん原を捨てて,人々を…もっと安全な高台に移転させることである」という社説に共鳴する。ハリスバーグの新聞寄稿家ポール・ビアーズは,この見解を支持して次のように述べている。

「『昔の』開拓者たちは,科学的知識には乏しかったが,サスケハナ川のような川のほとりにある高台の価値はよく知られていた。興味深いことに,古い知事邸をも含め,フロント通りにあった古いりっぱな屋敷の多くは,位置が高いために浸水を免れたが,そこより川上と川下にあった家は,新しい知事邸をも含めて〔全部が〕浸水した」。

強い信仰を持つ人々は,真の安全は,神の新しい秩序でなければもたらすことができない,ということに気づいている。恐ろしいアグネスの襲来に生き残ったある人は,次のように言った。「私たちは,ハルマゲドンの大あらしが過ぎ去って,地球が完全に清められる時を待ち望んでいます。しかしそれまでの間にも,命と健康と,エホバに奉仕する特権を与えられていることを,エホバに感謝しています」。

[13ページの地図]

(正式に組んだものについては出版物を参照)

メキシコ

キューバ

メキシコ湾

大西洋

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする