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事実と空想,いずれを導きにしますかものみの塔 1963 | 12月15日
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を言うのは,現実を無視した行いです。それは自己欺瞞,空想に過ぎません。神の霊に導かれてクリスチャン使徒ヨハネは次のことを書きました,「世と世にあるものとを,愛してはいけない。もし,世を愛する者があれば,父の愛は彼のうちにない……世と世の欲とは過ぎ去る。しかし,神の御旨を行う者は,永遠にながらえる」― ヨハネ第一 2:15-17,新口。
イエスの弟子がこの組織制度の終りの時を尋ねたとき,イエスは,「なんでそんな残酷なことを考えるのか」とは言いませんでした。イエスは現実的に答え,この世の終りをしるしづける多くの出来事を語りました。それを語らなかったとすれば,欺いたことになったでしょう。欺くほうが残酷です。
この世を改革するのは神のみ心ではありません。この世の混乱,犯罪,戦争,憎しみ,悲しみと死をなくして,人間が平和と幸福のうちに永遠に住む楽園をもたらすと,神は宣言されました。ゆえにこの大患難の時にあって,神が悪を滅ぼすことを残酷と唱えるのは当を得ていません。神は,すべての悪人が悔い改めてその道を離れることを望まれています。(ペテロ後 3:9)しかし悪人がそうしないとき,神ご自身のみ名のため,また正義を愛して神のみ心にかなう生活を送ろうと望む人々のために悪人を滅ぼすのは,神の権利に属することです。「エホバはおのれを愛しむものをすべて守りたまへど,悪者をことごとく滅したまはん」。(詩 145:20)これは空想ではありません。これを残酷と唱える人は,悪しき者が人類を残酷に苦しめている事実を無視しています。また神が大洪水の時に悪を一掃し,ソドム,ゴモラの悪を滅ぼしたことを忘れています。そのうえハルマゲドンの戦いにおいて神が同様な滅びをもたらすという確証をも,無視しています。そのとき事実を無視する人は,生き残らないでしょう。それは大洪水の時やソドム,ゴモラの滅びの時に事実を無視した人々が生き残らなかったのと同様です。―ユダ 7。ペテロ後 3:5-7。黙示 16:14-16。
人は神と神の道について,いろいろな考えを持っているかも知れません。しかしそれがすなわち神のお考えであり,神の道であると決めることはできないのです。神が愛であるのは事実です。しかし神の愛は,神の他の属性すなわち知恵,正義,力と全く釣合いを保っています。神のことば聖書を実際にひもといて,神のみ心,神のお目的が何かを確めて下さい。それから人の弱さを補う神の力を求めつゝ,最善をつくして神のみ心を行なって下さい。
神と神のお目的またみ心を無視しても,その現実を変えられるわけではありません。地球が四角いと思ってもそうなるわけではなく,2たす2が5になると思っても,そうならないのと同様です。人間の空想や考えにはかゝわりなく,神は地球に対するお目的を成就します。「人の心には多くの計画あり,されどたゞエホバのみ旨のみ立つべし」。(箴言 19:21)これは事実であり,空想ではありません。正義の新しい世界で生命を得たいと願う人は,神のみ旨を考え,それを行なって永遠の益を得ます。
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「互に相愛する事」をせよものみの塔 1963 | 12月15日
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「互に相愛する事」をせよ
◆ フィリピンでは,昨奉仕年度中にあった台風や洪水のためにかなりの被害を受けた伝道者もありましたが,それらの人々に協会を通じて送られた多くの衣料やお金に附随して,兄弟たちの円熟さを示す心あたたまる経験がありました。被災地区の巡回の僕は協会の指示のもとに会衆をたずね,救援のために何が必要かを会衆の委員から聞きました。しかし被災地の会衆の態度は,ある会衆の委員が述べた次の言葉によくあらわされています。「神の組織からこんなに寛大な援助の手をさしのべられたことに深く感謝しています。しかし,私たちの被害はそれほどではありません。でも,〔―〕町の〔―〕会衆の兄弟たちはひどくやられましたから,私たちの受ける分をそちらにまわして下さい」。困った時にも自分のことを先に考えないこの態度はイエスの言葉の意味を深く考えさせます。「互に相愛する事をせば,之によりて人みな汝らの我が弟子たるを知らん」。―ヨハネ 13:35―1963年年鑑から。
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