-
クラサオ島へもたらされた,人の心をさわやかにするものものみの塔 1979 | 3月15日
-
-
期間中,約135年にわたって,現地のインディアンはカトリックに改宗させられました。1634年に,オランダ人がこの島を征服し,大勢のカトリック司祭やインディアンの大半を南米本土に送り出しました。その後,農園の仕事に従事させるため奴隷が連れて来られました。奴隷たちにとって条件は極めて悪いものでしたが,ユダヤ人の奴隷所有者たちは,週ごとの安息日に奴隷たちが休息を取ることを許し,幾分安らぎを与えました。しかし,この島で信者が一番多いのはカトリック教会です(約90%)。
この島では乾燥した気候と塩分を含む水のために水の供給が問題となっているのと同様,長い間クラサオで教えられてきた,三位一体・地獄の火・煉獄などの教理のために,人々の霊的な渇きはいやされていません。しかし,み子を通して人類に表わし示された神の愛ある親切に関する真理 ― すなわち,神は責め苦に遭わせる神でも,『三つの位格を持つ』グロテスクな神でもなく,唯一の神で,エホバというお名前を持っておられるという真理 ― がこの島の人々にもたらされると,クラサオ島の住民の霊的な渇きはいやされるようになりました。今では,神のみ言葉のより深い事柄や隣人愛に基づくクリスチャンの生活様式を理解するまでに進歩した人も少なくありません。
現在のところ,711名の活発なエホバの証人がこの真理の水を人々のもとへ携えて行っています。これは,各人が,平均して220人の住民に仕えている勘定になります。そして,さらに大勢の人々がこのさわやかな水を受け入れており,聖書を研究し,エホバの証人と交わることによってそのことを明らかにしています。真理を求める人々の家庭で,964件の聖書研究が定期的に司会されています。ですから,より大勢の円熟した教え手が間もなく生まれることでしょう。
聖書の真理はすみずみにまで行き渡る
1930年以来,「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌は,クラサオ島のあらゆる家庭で知られるようになってきました。事実人々は,パピアメント語,オランダ語,スペイン語,英語,フランス語,アラビア語,中国語,ポルトガル語,および他の幾つかの言語のどれかでこれらの雑誌を受け取っています。これは,国際色豊かな住民の構成を反映しています。エホバの証人の勤勉な努力によって,神の王国と人類に対するその祝福に関するさわやかなたよりは,この島のすみずみにまで行き渡りました。しかし,ごく最近まで,入り込むことのできなかった場所が一箇所あります。それは刑務所です。服役者を訪問するための努力が払われたとき,刑務所長はこう答えました。『この刑務所にいるカトリック教徒の世話は司祭がしているし,プロテスタントの面倒は牧師が見ている。ここにはあなたがたの信者は一人もいない』。そのために,服役者を訪問するための許可申請は却下されました。
ところが1976年に,ニューヨーク出身の一米国市民がクラサオ島を通りすがった際に,麻薬所持の容疑で逮捕され,三年六か月の懲役刑を言い渡されました。ある日,この人が所内で聖書を読んでいるのを,エホバの証人と聖書を研究していた看守が見つけ,自分の読んでいる事柄を理解できるかどうか尋ねました。この服役者はエゼキエル書を読んでいたところだ,と言うので,看守はエゼキエルの預言について論じた,「『諸国民はわたしがエホバであることを知るであろう』― どのように?」という本をくだんの人の監房に届けました。この服役者は,その本を半分まで読み進むとそれが真理であることを認め,ものみの塔協会に手紙を書いてさらに多くの情報を求めました。ものみの塔協会のクラサオ支部事務所の一宣教者はその手紙を刑務所へ持って行き,その服役者を訪問すること,およびその人と聖書研究をすることについて許可申請を出しました。許可が下りて,その研究は一年ほどの間順調に進みました。
その間に,研究をしていた服役者は服役者仲間に聖書について話していました。そして今度は,そのうちの17人が,エホバの証人と聖書を研究することを認めてくれるよう刑務所長に嘆願書を提出したのです。その申請は却下されました。エホバの証人が週ごとの研究のために刑務所へ行ってみると,机に向かっていた看守は,その研究生に会う許可は取り消された,と告げました。そのエホバの証人は,家に帰ってから刑務所長に電話を掛け,所長と面会する取り決めを設けました。会ってみると,刑務所長はたいそう腹を立てており,研究をしていた宣教者と服役者の双方が刑務所内の他の者たちに話をして,問題を引き起こした,と言いました。というのは,刑務所に入るときに特定の宗教を奉じていた人はその同じ宗教を奉じたまま出所しなければならない,というのが同刑務所の方針だったからです。しかし,そのエホバの証人はそれだけであきらめる気持ちにはなれませんでした。そこで,長年の間「ものみの塔」と「目ざめよ!」両誌の予約購読者である,刑務所委員会の委員二人,および「目ざめよ!」誌の予約購読者である法務大臣と連絡が取られました。その結果,刑務所内での研究を続ける許可が与えられたのです。
聖書はこう述べています。「神のことばは生きていて,力を及ぼし,どんなもろ刃の剣より鋭く,魂と霊,また関節とその骨髄とを分けるまでに刺し通し,心の考えと意向とを見分けることができるのです」。(ヘブライ 4:12)今やこの強力なみ言葉が島のすみずみで力を発揮しているのですから,クラサオ島の人々の上に,人の心をさわやかにするものが神から一層豊かに注がれることを期待してやみません。
-
-
偽りの宗教と戦争ものみの塔 1979 | 3月15日
-
-
偽りの宗教と戦争
エホバの真の崇拝者は,仲間の人々との平和を保つため惜しみない努力を払っています。平和は神の霊の実の一つですから,そのような期待を抱くのは当然です。(ガラテア 5:22)偽りの宗教はと言えば,世の闘争を助長さえしてそれに深く首を突っ込んでいるのですから,雲泥の差があります。宗教指導者は他の人々の血を戦場で流させることに最大限の支持や祝福を与えてきました。これは何も今に始まったことではありません。昔の古代エジプトの時代でも,異教の祭司たちは戦争を提唱していました。
E・A・ウォリス・バッジは,偽りの神アモン・ラー(アメン・ラー)の祭司たちについて書き著し,こう説明しています。「エジプトがシリアやヌビアに向けて大々的に数多くしかけた襲撃は,エジプトの名誉と威信がかかっていたと同時に,アモン・ラー神の神殿やそこでの儀式を維持したり,祭司たちを養ったりするための資金を供給する目的があったと考えるのは道理にかなっている。ソスメス,アメンホテップ,ラメスの歴代の王たちがアメン・ラーに対して示したあさましいまでの忠順や彼らが聖所にささげたぜいたくな献上物は,事実上,これらの祭司が戦争か平和かの鍵を握っていたことを物語っている」― エジプトの神々,第二巻,12ページ。
-