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    ものみの塔 1969 | 9月1日
    • クリスチャン宣教

      もとより神の御心を行なうことは献身とバプテスマによって終わるわけではありません。それははじまりにすぎないのです。それは,御心を行ないつつ永遠に生きるという希望をもってエホバに仕える幸福な生涯の出発です。献身したクリスチャンは,「わたしは,わたし自身の意志ではなく,わたしをつかわされたかたのみこころを求める」,「わたしの食物とは,わたしをつかわしたかたの御心を行ない,その仕事を成し遂げることである」と言われたイエス・キリストと同じ態度をもつべきです。―ヨハネ 5:30,新; 4:34,新。

      地上のイエスに神が委ねた仕事のおもなものは,神の国を伝道し,イエスの死後にその活動を続ける伝道者の組織の基礎を置くことでした。イエスは言われました。「わたしは,ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」。それはイエスに対する神の御心であり,イエスはそれを忠実に果たしました。―ルカ 4:43,口語。ヨハネ 17:4。

      今日のクリスチャンに対する神の御心はなんですか。それは同様な伝道の仕事を行なうことです。しかし,それは非常に緊急な仕事です。聖書の預言は,今が「事物の体制の終局」の時であることを明白にしています。そしてイエスはこの時代について,「御国のこの良いたよりは,すべての国の民への証しとして,人のすむ全地に宣べ伝えられるであろう。それから終わりが来るのである」と予告されました。―マタイ 24:3,14,新。

      神の御心はこの伝道の仕事をいま行なうことです。今の邪悪な体制に対する終わりの警鐘を鳴りひびかせねばなりません。そして,柔和な人々に安全な場所を知らせることが必要です。あなたもこの仕事に加わりますか。―ゼパニヤ 2:2,3。箴言 24:11,12。

      イエス・キリストは宣教という面で手本を示されました。イエスは町や村,また個人の家や公の場所など,いたる所で伝道されました。井戸べの婦人に伝道したこともあります。(ヨハネ 4:7,21-24)今日の真のクリスチャンはイエスの手本にならいます。真のクリスチャンはあらゆる機会をとらえて伝道します。人々が自分の所に来るのをただ待っているのではなく,喜んで聞く人を見いだすために自らすすんで努力するのです。

      「行って,すべての国の人々を弟子と(せよ)」とイエスは命じました。(マタイ 28:19; 10:11-13もごらんください)第1世紀におけると同じように,この命令は,労働者や家庭の主婦,また老人や子供を含め,すべてのクリスチャンにあてはまるのです。聖書は,使徒ペテロやヨハネが「無学の凡人」であったと述べています。また「奉仕者であるわたしたちの姉妹フィベ」についても述べています。あらゆる階層のクリスチャンが奉仕に参加しました。―使行 4:13,口語。ロマ 16:1,新。

      初期のクリスチャンはイエスの指示と手本に従い,人々の家庭を尋ねるために特別の努力をしました。(ルカ 8:1; 10:1-6。使行 5:42)使徒パウロは,「わたしは益となることはどんなことでもはばからずにあなたがたに告げ,公にも,また家から家にもあなたがたを教えた」と語りました。(使行 20:20)これは,今日でも,真のクリスチャンが宣教を行なうおもな方法です。

      この壮大な仕事に加わる人々は,それを自分の力で行なうのではありません。エホバ神がその人々をささえられるのです。エホバはご自分の霊により,宣教を行なうための資格と力を彼らに与えます。(コリント後 3:5,6。テモテ後 4:17)エホバはご自分の見える組織を通じ,ご自分の証人となる者すべてに対し,訓練と援助とを与えておられます。しかも金銭的な負担をかけずになされています。あなたも近くの御国会館でこうした備えの益を受けられます。エホバ神に仕えようという心からの決定をするなら,あなたは豊かな祝福を経験することになるでしょう。あなたはエホバとそのお目的に関する真理を学んで喜びましたが,その真理を他の人に分かち,それが人の生活にもたらす変化を見るとき,あなたの喜びはいよいよ大きくなるのです。―使行 20:35。ヨハネ 13:17。

      神のみことばを自らの生活にあてはめてゆけばゆくほど,あなたは自分の創造者をいよいよ身近に感ずるようになるでしょう。あなたはいまだ経験したことのない方法で創造者の愛の加護を受けるのです。(黙示 7:9-17)ほんとうに,あなたの賢明な歩みは神の心を喜ばせるものとなるでしょう。(箴言 27:11)そして,詩篇作者の次のことばを現実に経験するあなたの喜びは,なんと大きいではありませんか。「エホバを自分の神とする人々は幸福である」― 詩 144:15,新。

  • あなたも出席を計画していますか
    ものみの塔 1969 | 9月1日
    • あなたも出席を計画していますか

      ● エホバの証人の援助と忍耐によって,多くの人が大いなるバビロンの束縛からのがれています。ドミニカの一特別開拓者は,多くの人が自由に向かって歩むのを援助してきました。その中の一人について,彼はつぎのように語っています。

      「最近わたしはカトリックの男の人を訪問しました。その人は,わたしが自己紹介をまだ済ませないうちに,こう言いました。『この村でわたし以上に忙しい人はいないと思います。いやわたしと同じほど忙しい人もいないでしょう。くつろぐ時間はほんとうに限られています。その時間には新聞を読みます。わたしには,聖書の話を聞いている暇はありません』。わたしは新聞と一諸に読むようにと『目ざめよ!』誌を彼に貸し,『ご意見を伺うためまた来ます』と言いました。その人は,雑誌にたいへん興味をもち,『目ざめよ!』誌の定期的な読者になりました。そして,ついに『ものみの塔』誌と『目ざめよ!』誌を予約しました。

      「わたしはその人に,『宗教は人類のために何を成したか』という自分の本を貸し,この本を使って研究が始まりました。ある晩,研究に行くと,この人が招いた4人のカトリックの人たちが研究に参加するために待っていたので,わたしはびっくりしました。研究中にその人は,二,三分友だちに話したいと申し出ました。彼はつぎのように語りました。『わたしたちは皆ローマ・カトリックの仲間です。その多くは敬けんです。しかし,真理を持っていないということが,わたしにはわかりました。イエスは広い道と狭い道,この二つの道があるといわれました。狭い道を行く人だけが命を得ます。あなたがたにお話ししますが,神父は狭い道でなく,広い道にいます。そこではゆとりがあるので神父はスピードの出る車を運転しています。神父は運転手で,それも酔っぱらっています。仲間のカトリック教徒は酔っていないかもしれませんが,同じ車に乗っているのです。運転手が酔っぱらっているので,車は皆を乗せて危険もかまわず走って行くでしょう。わたしはその危険を知りました。それでわたしは永遠の生命を得るわずかな人たちと一諸にいたいと思います』。

      「この人は,今では,わたしたちの集会に定期的に出席しています。彼は4日にわたってロセオで開かれた『すべての国の民に対する福音』地域大会に,全日出席するよう計画しました。見聞きしたことにたいへん感動した彼は,1969年に開かれる,大規模な大会に出席する計画を立て始めました」。

      ― エホバの証人の1969年度年鑑より

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