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  • 無数の人々が犠牲になっても,そこなわれることなく立つ
    ものみの塔 1975 | 3月15日
    • 詩篇 64篇3節から5節〔新〕で,敵の射手を次のように描写しています。『かれらは剣のごとくおのが舌をとぎ その弓をはり矢をつがえるごとく苦言をはなち 隠れたるところにて全き者を射んとす にわかにこれを射ておそるることなし またたがいにあしきくわだてをはげまし共にはかりてひそかにわなをもうく かくていう誰か〔彼ら[わな]〕を見んと』。

      16 敵の射るそのような「矢」にもかかわらず,エホバの証人たちは,エホバの「大盾」の陰でどのように過ごしましたか。

      16 1919年以来,そのようなひゆ的な「矢」がすべて,エホバのクリスチャン証人めがけて昼に飛んで来ているにもかかわらず,彼らは生ける真の神を崇拝することも,神のメシアの王国の良いたよりを世界じゅうに宣べ伝えることも,やめませんでした。それは,エホバが,現在エホバの組織に属する者たちに言われたとおりです。『すべてなんじを攻めんとてつくられしうつわものは利あることなし 興起ちてなんじとあらそい訴うる舌はなんじに罪せらるべし』。(イザヤ 54:17)エホバの証人は,敵の「矢」を恐れることなく,エホバの「大盾」の陰でわざを続行してきました。そして敵の射手は偽り伝える者であることを明らかにされたのに反し,エホバの崇拝者たちは正しさを立証され,霊的に生きつづけています。

      17,18 「暗がりを歩く疫病」の発生源は何ですか。とくにだれのためのものですか。そしてそれはどんな人々の間で,また何によっていやされることを阻まれていますか。

      17 詩篇作者は再び暗やみと光を,そしてそれぞれに伴う危険を対照させ,こう言います。「あなたは……恐れることはない。……暗がりを歩く疫病も,真昼に奪い取る破滅も」― 詩 91:5,6,新。

      18 ここで言われている疫病は,3節の疫病と同じく,エホバがご自分の地上の敵の上に,あるいはエホバに不従順な者たちの上に送られる疫病ではありません。それは,道徳的に,宗教的に病んでいる世界のその暗がりの中で発生する,この世の疫病です。これは,この世的な人々のみならず,とりわけエホバの崇拝者を感染させ,卑しくさせるためのものです。それは,破滅の差し迫った夜の時にあるこの世の道徳,社会,政治,宗教の「暗がり」に出没します。そして世の人々は,「その翼にいやす力」を持つ「義の太陽」が,直す力を持つその光が,疫病のはびこるその暗がりを消散させることを阻むのです。(マラキ 4:2,新)なおまた,コリント第二 4章4節では,「この事物の体制の神が不信者の思いをくらまし,神の像であるキリストについての栄光ある良いたよりの光明が輝きわたらないようにしているのです」と述べられています。

      19,20 ここで言われている「疫病」は何ですか。何がそのまんえんを助けていますか。

      19 その結果生ずる暗がりは,そのひゆ的な「疫病」のまんえんには好適です。暗がりの恐ろしさに加えて,この疫病はやみの中,すなわち真の神とそのご性質,またその目的と愛のこもった備えについて,人々の思いと心がくらまされるような状況の存在するときに襲います。そのような状況のもとでは,その疫病は,感染した人々の思いと心を,致命的な病気にかかったような状態にします。(テモテ第一 6:4)したがって,そのひゆ的な「疫病」が,人間の代理者を通して,エフェソス 6章12節が「このやみの世の支配者たち……天の場所にある邪悪な霊の勢力」と呼んでいるものから来る,悪霊の息のかかった道徳や宗教の教義であることは明らかです。

      20 霊的に病気であるそれら悪霊の使いたちが,彼らの不健康な教えを自称クリスチャンたちの間に巧みに浸透させるということは,使徒パウロがテモテに書き送っています。「のちの時代にある者たちが信仰から離れ去り,人を惑わす霊感のことばや悪霊の教えに気を奪われるようにな(る)……それは,偽りを語(る)……者たちの偽善によるもので(す)」― テモテ第一 4:1,2。

      21 暗がりで伝染するこの「疫病」はどれほど広く広がっていますか。

      21 預言にたがわず,聖書に反する人間製の言い伝えを含め,悪霊の息のかかった道徳と宗教の教義のこの疫病は,異教世界の境を越えてキリスト教世界全体に広がりました。ですからキリスト教世界の教会に通う人々はそれに感染し,宗教の面で病気の状態になって,自らの救いを危うくしています。しかし神は,疫病を発生させる「暗がり」に対してわたしたちを啓発してくださいました。

      22 「真昼に奪い取る破滅」については,何のように解釈するのが適当ですか。

      22 しかし,真のクリスチャンが神の「真実」という「大盾」の陰にいて恐れることがない,「真昼に奪い取る破滅」はどうでしょうか。真昼,すなわち晴天の日の最も明るい時は,夜の暗がりの正反対です。(ヨブ 11:17)それでも,この「真昼」の明るさと暖かさに伴う『奪い取ること』,すなわち「破滅」があります。これは,「昼に飛び来る矢」と似ています。ここの「破滅」は,目に見えるもの,あるいは有形のものとして描かれてはいませんが,それにもかかわらず真昼に襲う略奪者たちのように奪い取ります。(エレミヤ 6:4; 15:8; 20:16)それは,多くの犠牲者を打ち倒し,その命を奪う,伝染性の強い疫病のような苦悩の種であると解釈するのが適当でしょう。

      23 ここの「真昼」は何を意味しますか。真昼の間に「奪い取る破滅」とは何ですか。

      23 ここの「真昼」は,この世的な意味で言われています。その明るい光は,この世の頭脳時代,核時代,宇宙時代のいわゆる「啓発された状態」のことです。その教義と宣伝は,人間の知性の行使を誇るものであり,物質主義的です。そのような教義を吹き込まれる人は霊的に破滅します。なぜならそれは,神のことば,神の崇拝,神のメシアの王国に反しているからです。ですからそれは疫病に似た影響を及ぼし,多数の人は,「誤って『知識』ととなえられているものによる反対論」のために混乱してしまい,信仰を失います。(テモテ第一 6:20,21)犠牲者は最後に,にがにがしい気持ちや失望感,ざせつ感を味わいます。今日の世界は,人間の知性を偏重したために,そのにがい実を食べています。明るく輝く科学者や,政治,教育,社会関係の学者たちは,この世的な社会の上に『暑さ』を増し加えてきたに過ぎません。彼らは神を認めないその教義によって,現代社会がその中に住む,知的,道徳的環境を汚染してきました。

      24 「真昼に奪い取る破滅」が特に暴露されたのはいつでしたか。それと対照的にどんな霊的啓発が与えられるようになりましたか。

      24 霊的な意味で致命傷を与える「真昼に奪い取る破滅」は特に,啓示 16章8,9節に述べられている「第四の災厄」によって暴露されました。この「災厄」の鉢は,1925年に,その夏開かれたエホバの証人のインディアナポリス(インディアナ州)大会で,人間の知性偏重という「太陽」の上に注がれ始めました。その同じ年に,啓示 12章1節から13節の預言的な描写に基づき,神の王国の誕生,サタンとその配下の悪霊たちが天から追放されたことなどが説明されました。このようにしてエホバの崇拝者たちは,命を与える霊的啓発を受け始めました。それは,「破滅」によって彼らの真昼に霊的命を奪われた人々の,現代主義的な,この世的に賢く啓発された状態とは対照的でした。

      迫る危険のただなかで霊的に生き残る

      25,26 「あなたのすぐ傍らに例れる」「千人」とはだれですか。彼らはどういう意味で倒れますか。なぜですか。

      25 「至高者のもとなる隠れた所」,「まさに全能者の影のもと」にいる者たちは,前述のような霊的命を脅かすものを恐れません。一つの級としての彼らに語りかけられた次のことばの中で,詩篇作者はいまや信仰を鼓舞する次のような保証を与えます。「千人はあなたのすぐ傍らに,万人はあなたの右に倒れる。あなたにはそれは近づかない」― 詩 91:7,新。

      26 エホバ神の献身した崇拝者たちの「すぐ傍ら」にいると言われている人々は,聖書の神を崇拝すると公言するキリスト教世界の人々とユダヤ民族でしょう。彼らは,エホバのもとにある霊的に安全な所にいないために「倒れ」霊的な意味で死にます。したがって彼らは,詩篇作者が描写している,霊的に致命傷を与えるもの,すなわち地の夜の恐ろしいもの,昼に飛び来る矢,暗がりで伝染する疫病,「真昼に奪い取る破滅」などにさらされています。彼らは神を本当に彼らの強力な「避難所」としてきませんでした。

      27 「あなたの右」に倒れる「万人」はだれですか。

      27 千人に一人という比較では小さすぎるかのように,詩篇作者は,「万人はあなたの右に」倒れると言います。全能の神の場合と同じく,「右」は,強いほうの手と側を表わします。(詩 98:1)ですから,より大きな宗教的力を持つがゆえに,わたしたちがより強い霊的抵抗をしなければならなかった人々も,犠牲になります。なぜなら,彼らは,この世的な考え,現代思想,反宗教宣伝,流行の神学,悪霊の息のかかった宗教教義や儀式に染まるからです。彼らは,神の霊の助けによって免疫性を与えられた状態にありません。

      28 油そそがれた残りの者の右側に万人が倒れたわけですが,それはどのように全く事実となりましたか。そして神は,残りの者の友としてだれを起こされましたか。

      28 今日,報告されている,霊的イスラエルの油そそがれた残りの者の数は一万人前後ですが,これと,宗教の大いなるバビロンの幾億もの会員とを比較するなら,神の「女」の「裔」のこの残りの者の右に万人が倒れていることは,まったく事実であることがわかります。(啓示 12:17)しかしエホバ神は,この残りの者の右側に倒れて霊的に死んだ幾万もの人々の代わりに,りっぱな羊飼いイエス・キリストを通してエホバ神に自分の命をささげた羊のような信者の「大群衆」を起こされました。(啓示 7:9-17。ヨハネ 10:16。マタイ 25:31-46)エホバが彼らを残りの者の仲間として,1935年以来起こして来られたことは注目に価します。今日では彼らの数は多数に上り,そのために神の王国を宣べ伝えるエホバのクリスチャン証人の数はいまやほとんど200万に達しています。

      29 この世のいろいろなところから来る,破壊的な,信仰を損うものは,だれには近づきませんでしたか。しかしだれには近づきましたか。

      29 霊的に倒れた人々には,この世のいろいろなところから来る破壊的な,信仰を損うものが近づきました。しかし神のもとにある霊的に安全な所に立っている人々には,「あなたにはそれに近づかない」。戦後の年西暦1919年以来,残りの者は,偉大な医師エホバ神が与えてくださる霊的いやしを受け入れてきました。(詩 103:1-3)しかし,キリスト教世界はそうではありません。イザヤ書 6章9節から12節,マタイ 13章14,15節に予告されていたとおりです。その結果,キリスト教世界の10億を越える会員は,この病める世界の,霊的な意味で破壊的な影響と圧力に屈しました。しかし神は,ご自身の残りの者と彼らのクリスチャンの仲間である「大群衆」を,免疫にさせられました。神は,彼らのいる霊的に免疫の所に,この世の病毒が近づくことを許されません。彼らは,神のもとなる「隠れた所」に従順にとどまるので安全に守られ,健康です。

      30,31 (イ)「至高者のもとなる隠れた所」にいる人々は,だれが時を得た報いを受けるのをながめ,また見ていますか。(ロ)そのような人々にはどのように,またなぜ報いが臨みますか。

      30 「至高者のもとなる隠れた所」に多年実際に住まって来た,霊的イスラエルの油そそがれた残りの者は,そして最近では彼らの仲間の証人である「大群衆」は,霊感を受けた詩篇作者が次に述べることの真実さを見てきました。「あなたはただ自分の目でながめ,邪悪な者たちの報いを見るだけである」― 詩 91:8,新。

      31 ここで,至高の神が,ご自身の「隠れた所」にいる者たちと,「邪悪な」者,すなわち外にいる者,この邪悪な世の一部となっている者とを同じに見ておられないのは明らかです。滅びに定められているこの事物の体制が終わりに向かっている現在特に,この邪悪な世のならわしを楽しんできた人々は,その報いとして自分の行ないの実を食べています。政治,経済,道徳,社会,宗教などに関する問題が増加するにつれ,当然の報いがこの世的な人々の上に臨みつつあります。彼らは自分がまいたように,また刈り取っています。いわゆる「新しい道徳」,つまり「性の革命」に対して非常に寛大になった現代社会は,性欲倒錯者たちを,「彼らの誤りに対して当然なもの」である「十分な返報を身に受け」ることに免疫性を与えることはできません。―ローマ 1:27。ルカ 21:25,26。

      32 「大患難」の前にすでに,「隠れた所」にいる人々は,だれの間の結果的なちがいを見ていますか。

      32 この世的に賢い人々は,自分自身の企ての犠牲になりつつあります。神のことばの知恵を退けてサタンの悪だくみに身をさらした人々は,「滅びゆく者たちに対するあらゆる不義」のかもになりました。「真理への愛を受け入れず,救われようとしなかったことに対する応報としてなのです」。(テサロニケ第二 2:9,10)エホバの保護を受けている者たちは,「大患難」の近づく前にすでに,その目でながめ,「正しい者と邪悪な者,神に仕える者と仕えなかった者との」結果的な違いを見ています。―マラキ 3:18,新。

  • 純粋の愛はキリストの弟子を見分けるしるし
    ものみの塔 1975 | 3月15日
    • 純粋の愛はキリストの弟子を見分けるしるし

      イエス・キリストは,その追随者が互いどうし愛をいだくなら,他の人々はイエスの追随者をその弟子として見分けることができると言われました。(ヨハネ 13:35)このことは今日でも当てはまると考えなければなりません。確かにエホバのクリスチャン証人がそのような愛を互いに示し合っていることを自分の目で見て確信している人はどこでも増えています。

      なかには,エホバの証人とともに聖書研究をしているだけで,ある人々が態度や行動を変化させているのを見て驚いている人々もいます。1970年にアメリカのカリフォルニア州で徴役刑に服していたある男の人は次のように語りました。「刑務所での服役期間の始めごろ,わたしはアメリカ・ニグロの一団体に関係しはじめ,反白人また反宗教的な考えを持つようになりました。ところが,その収容所で二人の男の人が神の意志に従って生活しようと努力するのを目撃する機会に恵まれました。

      「一人は白人,もう一人は黒人でしたが,両人は,あるエホバの証人と一緒に聖書研究を行なうことに同意していたのです。わたしたちは一緒に仕事をしたり,食事をとったりしていたうえ,同じ宿舎で起居を共にしていましたから,わたしはその二人の囚人をよく観察しました。反宗教的な考えを持っていたわたしは,よくふたりをからかいました。時おり彼らと神について話し合うと,ふたりはエホバについて話してくれました。その信仰は強固なものでした。事情が事情だけに,そうでなければなりませんでした。というのは,たいていの人がふたりをからかったり,両人のことでうそを言ったりしていたからです。しかし,二人の囚人はいつも互いに,また両人を侮った人々に対しても愛と親切を示しました」。

      この人は自分の見た事から深い感銘を受けたため,釈放された後,ついにエホバの証人と聖書研究を行なうことになり,今では彼もまた,神のご意志に従って生活するよう努力しています。

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