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平和のために別居と離婚ものみの塔 1961 | 4月1日
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いくつかの会衆内で,独身の婦人や妻たちに近づいて,不品行をしたとしましょう。それをのぞむ姉妹,あるいは誘惑に屈する姉妹がいるところで,彼は不品行をしたのです。彼は不道徳を行ないつづけており,しかも神の聖なる会衆内でしているのです。彼はいくつかの会衆で,神の制度をけがしています。彼は,それらの会衆に対してもっている責任ある地位を濫用しています。正式な奉仕にかこつけて,彼はひそかに自分の悪い欲望をみたしているに過ぎません。彼は,弱い,おく病な姉妹たちをおどして,彼の汚れた欲望に屈せしめてしまいます。彼はひそかに自分をゆるしてくれと神に祈るかも知れません。しかし,自分を制御して,自分を矯正しようという実際の努力は,すこしも払っていないのです。それで,彼は罪を犯しつづけます。そして,キリストを通して示される神のあわれみは,彼が犯している罪をとりのぞいてくれる,というまちがった考えを持ち,神の会衆の清さと名前については,すこしの考慮をも払いません。
18 そのような人は,ユダ書 4節に言われている人々のひとりです,「不信仰な人々がしのび込んできて,わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え,唯一の君であり,わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは,このようなさばきを受けることに,昔から予告されているのである」。
19 このような人は自分の妻に許され,また離婚されなかったにしても,なぜ排斥されねばなりませんか。
19 神の定めたもう時が来て,この責任をになう旅行する人は見つけ出され,あばかれます。彼がその罪を認めると,彼の妻は彼をゆるします。しかし,彼女が彼をゆるしたことは役立ちますか。いいえ! そうしたところで,彼が当然の結果をまぬかれることはできません。彼は一晩のうちに変わることはできません。彼が己むを得ず,その悪を認めて,申し訳ないことをしたと言っても,それは彼が真実に矯正されたことを意味しません。彼は神の献身した民の会衆内にあって,危険な存在です。彼は群れ全部をふくらますことのできる強力なパン種であります。彼は,聖なるものを意識的に,たしかに汚す者であります。彼は信頼の置けぬ者,危険な者,私たちの中にいてはならない不適当な人です。聖書の原則によると,彼は排斥されねばなりません。たとえ彼の妻が彼をゆるして,彼を離婚しなくても,神の会衆は清められ,守られねばなりません。
20 結婚していない成人の淫行者が自分の罪を告白したいばあい,どこに行くべきですか。そして会衆により彼はどのように扱われますか。
20 しかし,成人の独身者が淫行をするなら,どういうことになりますか。彼は,その罪を告白すべき配偶者がいません。その悪事をしたことを悲しく思い,心から悔い改めるとき,彼は誰かのところへ行って,援助をうけることができますか。霊的な資格を持つ兄弟たちで成立つ会衆の奉仕委員は,全会衆に奉仕しています。もし独身者がエホバの律法を破るなら,彼はその罪を委員に告白することができます。そのとき,委員はそれぞれの場合に応じてどんな懲戒の処置を下すべきかを決定します。その者を排斥すべきか。または試験にかけるべきかを決定します。彼らは,会衆の福祉に対して責任を持っており,その決定は会衆の最善の福祉に役立つものでなければなりません。もしその独身者が早まった行いをしたなら,そしてそれが最初の悪行であり,彼の態度が真実の悲しみと悔い改めを示すなら,彼らはあわれみを施す義務をエホバの御前で負います。ちょうど,既婚の非行者に対する場合と同じく,彼らは彼に試験期間を課し,その期間中非行者は,彼の振舞と矯正の努力について奉仕委員に定期的に報告します。もし彼が僕なら,彼はもはや非のうちどころのない人とは言えないので,もちろんその職務を辞任しなければなりません。
既婚者たちが平和を追い求める
21 (イ)1958-1959年の奉仕年度中に,新世社会から何人の者が排斥されましたか。何人の者が復帰されましたか。排斥されたままでいる人は何人ですか。(ロ)排斥された者のパーセントが低いので無視されるべきですか。
21 1958-1959年の奉仕年度中,6552名は,いろいろの理由の故にエホバの証者の新しい世の社会から排斥されました。その多くの理由は,淫行と姦淫,すなわち不道徳でした。適当で時機にかなう場合,あわれみが示されました。そして,かつて排斥された人のうち1597名は,敬虔な悲しみ,悔い改め,そして矯正されたことをはっきり証明したので,1958-1959年の奉仕年度中に復帰が許されました。これらの人々は,会衆内の全部の者の持つ一般的な特権を再び与えられる前に,相当の期間試験にかけられました。それで,同奉仕年度の終りの時において,最近の年月中に排斥された人々のうち,いまでも2万5143人はエホバの民の会衆から切り断たれていました。それらの人々を排斥せねばならなかったということは,極めて残念なことです。しかし,全地において伝道活動を報告している幾十万という人々のうち,わずか0.811パーセントの者だけが排斥されたということを知り,私たちは慰めをうけます。それは1パーセントの10分の8です。しかし,そのように少ない数であっても,それは私たち各人にたいする警告であります。
22 結婚しているクリスチャンは何に召されましたか。そして彼らはどのようにこれを守るべきですか。
22 排斥は,エホバ神との平和な関係から人を取りのぞきます。結婚しているクリスチャンたちは,神との平和がそのように破壊されることを恐れの念を持って避けねばなりません。神は結婚したクリスチャンたちを平和に召しました。(コリント前 7:15)その結婚状態において,彼らは神との平和を一生懸命に守らねばなりません。すなわち,それは夫と妻との間の家庭的な平和をでき得るかぎり守るということを意味します。この目的のために,彼らの生ばならず,また彼らと「一つの肉」になってい活は神とキリストに対して忠節なものでなけれる結婚配偶者に対して忠実でなければなりません。
23 (イ)なぜ,特に今,昔のエデンにおけると同様,まちがった結婚の行為が許されませんか。(ロ)それでは,男と女に結婚を準備して下さった方を立証するために,結婚しているクリスチャンは何をすべきですか。
23 いまや間近にせまったハルマゲドンの宇宙的な戦争後には,地的な楽園が復興されます。しかし,1919年以来の現在においても,大いなる耕作者にして栽培者なるエホバ神は,地上にいる彼の献身した証者たちを霊的な楽園にみちびかれました。彼らはそこで平和,よろこび,そして聖霊のむすぶ他のすべての実を楽しみます。そして,全世界にわたり御国の良いたよりを伝道する際に,良いわざの実をむすびます。この霊的な楽園では,完全なアダムとエバがいたときの最初のエデンの園の場合と同じように,一夫多妻とか,不正な結婚とか,夫婦の神権的な関係に対する無視というようなものをゆるす余地はありません。結婚している多数の信者たちは,この状態を十分に認識しており,愛する結婚配偶者の救いをはかるように働きます。その結婚の行いにより,彼らが神をあがめますように。彼らのうける報いは大きいでしょう。彼らの結婚は,神の目的を果たし,神が夫と妻というこの威厳に満ちた,誉ある平和な結合を愛の御心から供給されたことを立証する際その役割を果たすでしょう。
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真理はアフリカ人に自由を得させるものみの塔 1961 | 4月1日
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真理はアフリカ人に自由を得させる
かつてイエス・キリストは言われました,「真理は,あなたがたに自由を得させるであろう」。(ヨハネ 8:31,32,新口)つぎに述べる経験からイエスの言葉がいかに真実であるかが分かります。
リベリアのある地域で,エホバの証者が大胆に伝道する聖書の真理と,村の中で「ひょう」という言葉を口にしたり,頭にのせる以外の方法で水を運んだり,日没後に米をついたり,やしの油を燃やしたり,町の中で木を割ったり,ぬれた魚をとる網を村にもちこんだりすることを禁ずる迷信深い村の法律とが対決しました。聖書の真理を学んだある村人たちは,そのようなばからしい法律のそくばくから抜け出しました。そういう場合,エホバの側にきた者には,たいへんな罰が下るということを宣告されるのが普通ですが,何事も起きないので,村人たちはみなそのようなばかげた拘束に徐々に背を向けはじめます。しばらくして村人たちはそのことに感謝します。過去長い間,習慣に従って死んだ夫にそなえ物をささげてきた老婦人は,うれしそうにエホバの証者に言いました,「私たちは自由になりました」。
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