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ギリシャは集会の自由を擁護する目ざめよ! 1977 | 3月8日
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としたことです。イラクリオンの新聞パトリス紙は,僧職者の主張が偽りであることを暴露した,アテネのイスラエル人中央協議会からの電文を掲載しました。その電文は次のようなものでした。「我々は,千年期説信奉者たちの開いた大会とユダヤ教およびシオニズムを関連付けようとする許し難い試みに,断固として抗議する。ユダヤ教およびシオニズムは千年期説と全く関係がない。このことは,世界中で知られ,かつ認められている」。
賞賛に値することとして,礼儀正しくて親切なイラクリオンの住民の大半は,不寛容な僧職者や僧職者に扇動されて暴徒と化した人々の不法な行動を快く思っていませんでした。そうした行動を非とする言葉が数多く聞かれました。商店を経営する一人の人は,エホバの証人に,「あなたがたの非の打ちどころのない態度には頭が下がります」と語りました。
僧職者たちの虚偽の宣伝と不法な行為は,こうして,どこで真のキリスト教が実践されているかを知る機会を人々に提供するものとなりました。確かに宗教指導者たちは,長老に対する聖書の要求を満たしてはいません。とがめられるところのない行状を保つどころか,彼らは極めて恥ずべき仕方で振る舞い,不法な行為に携わるよう他の人々をそそのかしたのです。しかし幸いなことに,政府当局者が正しい原則を擁護する勇気を失わず,脅迫や暴動に面してもおじけづかなかったため,僧職者たちの不寛容な試みはざ折しました。
クレタ島の不寛容な僧職者たちに関して,次のような質問をするのは当を得たことです。そのような責むべきところのある人から,健全なクリスチャンの教えを受けられるでしょうか。むしろ,神に対する神聖な奉仕について聞くため平和裏に集まった人々の間でこそ,一世紀のキリスト教の教えを学べるのではありませんか。
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だれのものか明らかになったなぞのミイラ目ざめよ! 1977 | 3月8日
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だれのものか明らかになったなぞのミイラ
◆ 最近,エジプト王ツタンカーメンの祖母,ティー女王のミイラが確認された。王族のミイラが確認されたのは,1922年にタット王のミイラが発見されて以来のことである。ティー女王は,西暦前14世紀ごろの人物とされている。このミイラは,1898年に発見された三体のうちの一つであるが,当時は重要視されなかった。それら三体のミイラは1900年ごろ,再び墓に納められた。今回このミイラの正体が確認されるに至ったきっかけは,一枚の古い写真だった。その写真を見ると,このミイラの左腕は,普通,高位の人々の場合にのみ見られるように胸の上に置かれていた。そこで,ミイラが再び捜し出された。この王族のミイラをX線で透視した結果,頭がい骨の遺伝的な造作から,そのミイラがスーユー(ティー女王の母親とされている)とツタンカーメン王の間に位置することが分かった。しかし,その確認には髪の毛の分析も役立った。タット王の王墓で見付かった貴金属製の小箱には幾らかの髪の毛が入っており,それに付された碑文にはその髪の毛がティー女王のものであると記されていた。その髪の毛とミイラの頭から取った髪の毛を電子探測機で分析した結果,それらが同一人物のものであることが分かった。ミシガン大学のジェームズ・E・ハリス博士は,なぞのミイラがティー女王のものであることは「確実」であると見ている。
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